室町時代の年表とできごと

室町時代は1334年から1573年までの約240年間で、室町幕府の力がしだいに弱まり、下剋上の戦国時代へ向かった時代です。足利尊氏が京都に幕府を開き、3代将軍足利義満のころに最も栄えました。応仁の乱のあとは幕府の力が弱まり、戦国時代に入りました。
- いつから
- 1334年
- いつまで
- 1573年
- 長さ
- 約240年間
- 前の時代
- 鎌倉時代
- 次の時代
- 安土桃山時代
- 中心になった人
- 足利尊氏・足利義満・足利義政
この時代の流れ
- 建武の新政→南北朝(1336〜1392)
- 足利義満の全盛(勘合貿易・北山文化)
- 応仁の乱(1467)→戦国時代
- 鉄砲・キリスト教の伝来
室町時代の年表
中学受験でよく出るできごとを、年の順にならべました。できごとの名前をタップすると、年表アプリで前後の流れを見られます。
南北朝時代(1336〜1392年)
- 1334年建武の新政鎌倉幕府をたおした後醍醐天皇が、武士ではなく天皇が中心となる政治を始めました。
- 1336年南北朝の分裂足利尊氏が京都に新しい天皇(北朝)を立てると、後醍醐天皇は奈良の吉野にのがれて南朝を立てました。
- 1336年建武式目足利尊氏が、これから開く幕府の政治の方針を17か条にまとめて示したものです。
- 1338年室町幕府の成立足利尊氏が北朝の天皇から征夷大将軍に任じられ、京都に幕府を開きました。
- 1378年花の御所3代将軍足利義満が京都の室町に大きな御所を建て、幕府の政治を行いました。
- 1392年南北朝の統一3代将軍足利義満のよびかけで、南朝の天皇が京都にもどり、約60年続いた南北朝の争いが終わりました。
室町幕府の全盛から応仁の乱まで
- 1404年勘合貿易の開始足利義満が中国の明と国交を開き、貿易を始めました。
- 1428年正長の土一揆近江の馬借が中心となって、借金の帳消し(徳政)を求める一揆を起こしました。
- 1429年琉球王国の成立沖縄で三つに分かれていた勢力を尚巴志が統一し、琉球王国が成立しました。
戦国時代(1467年〜)
- 1467年応仁の乱8代将軍足利義政のあとつぎ争いに守護大名の対立が結びつき、京都を戦場にして11年間続いた戦乱です。
- 1485年山城の国一揆山城(京都府南部)の国人(地元の武士)と農民が団結して、争いを続けていた守護の畠山氏の軍を追い出し、8年間にわたって自分たちで政治を行いました。
- 1488年加賀の一向一揆加賀(石川県)で一向宗(浄土真宗)の信者たちが守護大名の富樫氏をたおし、その後約100年にわたって自分たちで国を治めました。
- 1526年分国法の制定(今川仮名目録)戦国大名が自分の領国を治めるために独自に定めた法を分国法といいます。
- 1543年鉄砲伝来種子島に流れ着いた中国船に乗っていたポルトガル人が、日本に初めて鉄砲を伝えました。
- 1549年キリスト教伝来スペインの宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、日本に初めてキリスト教を伝えました。
- 1560年桶狭間の戦い尾張の織田信長が、京都をめざして攻めてきた駿河の大大名今川義元を、少ない兵で急しゅうしてやぶりました。
- 1561年川中島の戦い甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が、信濃(長野県)の支配をめぐって川中島で何度も戦いました。
- 1568年信長の入京(足利義昭を将軍に)織田信長は足利義昭を連れて京都に入り、義昭を15代将軍にしました。
- 1571年延暦寺の焼き討ち織田信長が、敵対する大名に味方した比叡山延暦寺を攻めて焼き払いました。
- 1573年室町幕府の滅亡織田信長が対立していた15代将軍足利義昭を京都から追放し、約240年続いた室町幕府はほろびました。
押さえておきたいポイント
政治建武の新政から南北朝の統一まで
建武の新政は、公家を重んじて武士の不満が高まったため、わずか2年ほどで失敗しました。年の順番を流れで覚えましょう。
- 鎌倉幕府の滅亡(1333年)
- 建武の新政(1334年)
- 南北朝の分裂(1336年)
- 南北朝の統一(1392年)
外交・世界勘合は倭寇と区別するため
勘合貿易の相手は「明」で、始めたのは足利義満です。勘合という合い札で、正式な貿易船と倭寇を区別しました。
- 倭寇が朝鮮・中国の沿岸をおそう
- 明が取りしまりを求める
- 義満が明へ使いを送る(1401年)
- 勘合貿易が始まる(1404年)
文化・くらし北山文化と東山文化のちがい
2つの文化の対比はとてもよく出ます。金閣は義満、銀閣は義政と、取りちがえないようにしましょう。
北山文化 東山文化 将軍 3代 足利義満 8代 足利義政 代表建築 金閣(鹿苑寺) 銀閣(慈照寺)・東求堂同仁斎 特色 華やか、公家+武家+禅宗 簡素・わび、禅宗の影響が強い 芸能・芸術 能(観阿弥・世阿弥) 水墨画(雪舟)・書院造・枯山水
おもな人物
後醍醐天皇鎌倉幕府をたおして天皇中心の政治(建武の新政)を行った天皇です。
足利尊氏鎌倉幕府をたおすのに活やくしたあと後醍醐天皇にそむき、京都に北朝を立てて室町幕府を開いた初代将軍です。
観阿弥大和(奈良県)の猿楽の役者で、世阿弥の父です。
足利義満室町幕府の3代将軍です。
世阿弥観阿弥の子で、父とともに能を大成した人物です。
雪舟室町時代の禅宗の僧で、明にわたって絵を学び、日本の水墨画を完成させた画家です。
文化
金閣(鹿苑寺)3代将軍足利義満が京都の北山に建てた、金ぱくでおおわれた3階建ての建物です。
能面をつけた役者が、うたいと舞で物語を演じる日本の古典劇です。
狂言能の合間に演じられる、せりふ中心のこっけいな劇です。
東求堂同仁斎(書院造)足利義政が銀閣と同じ敷地に建てた東求堂の中にある、四畳半の書斎です。
銀閣(慈照寺)8代将軍足利義政が京都の東山に建てた2階建ての建物です。
御伽草子室町時代に作られた絵入りの短い物語です。
まぎらわしい用語
- 北朝と南朝
- 鎌倉幕府と室町幕府
- 時代ごとの中国との貿易
- 室町時代の一揆の区別
- 応仁の乱の東軍と西軍
- 鉄砲とキリスト教の伝来
- 三つの幕府の比較
- 北山文化と東山文化読みもの
- 金閣と銀閣読みもの
- 寝殿造と書院造読みもの
- 能と狂言読みもの
年号の語呂合わせ
- 1334年いざ見よ(1334)建武の新政
- 1336年いざ寒(1336)い吉野へ、南北朝に分かれる
- 1336年一味(13)寒(36)い幕府の方針、建武式目
- 1336年分裂は「いざ寒い(1336)」、統一は「いざ国(1392)まとめよう」
- 1338年いざ都(1338)で幕府を開こう
- 1378年いざ(13)、名は(78)花の御所。義満の館
- 1392年いざ国(1392)まとめよう南北朝
- 1404年意思を(1404)示す勘合の合い札
- 1428年いよいよ(14)農民には(28)徳政を、正長の土一揆
- 1429年人よ(14)憎(29)まない、三山統一で琉球王国
- 1467年人よ(14)むな(67)しい応仁の乱
- 1485年いよ(14)箱(85)を担いで山城の国一揆
- 1488年人よ(14)母(88)も参加、加賀の一向一揆
- 1526年以後(15)踏む(26)な分国法、けんか両成敗
- 1543年以後(15)よさ(43)んか鉄砲
- 1549年以後(15)よく(49)広まるキリスト教
- 1560年今川いちころ(1560)桶狭間
- 1561年以後(15)無為(61)に終わる川中島の戦い
- 1568年以後(15)むや(68)みに上らず、信長入京
- 1571年以後(15)ない(71)よ延暦寺、焼き討ちに
- 1573年以後涙(1573)の室町幕府
確認問題
答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。
Q1後醍醐天皇が年号を「建武」と改めて新しい政治を始めたのは何年でしょう。
1334年
建武の新政(1334年)。鎌倉幕府をたおした後醍醐天皇が、武士ではなく天皇が中心となる政治を始めました。ほかの年で習うこともあります(鎌倉幕府滅亡の1333年から始まるが、年号「建武」は1334年から)。ごろ合わせ: いざ見よ(1334)建武の新政
Q2『南北朝の分裂』が起きたのは何年でしょう。
1336年
南北朝の分裂(1336年)。足利尊氏が京都に新しい天皇(北朝)を立てると、後醍醐天皇は奈良の吉野にのがれて南朝を立てました。ごろ合わせ: いざ寒(1336)い吉野へ、南北朝に分かれる
Q3足利尊氏が征夷大将軍に任命されたのは何年でしょう。
1338年
室町幕府の成立(1338年)。足利尊氏が北朝の天皇から征夷大将軍に任じられ、京都に幕府を開きました。ほかの年で習うこともあります(1336年(建武式目)を成立とする教科書もある)。ごろ合わせ: いざ都(1338)で幕府を開こう
Q4『花の御所』が起きたのは何年でしょう。
1378年
花の御所(1378年)。3代将軍足利義満が京都の室町に大きな御所を建て、幕府の政治を行いました。ごろ合わせ: いざ(13)、名は(78)花の御所。義満の館
Q5『南北朝の統一』が起きたのは何年でしょう。
1392年
南北朝の統一(1392年)。3代将軍足利義満のよびかけで、南朝の天皇が京都にもどり、約60年続いた南北朝の争いが終わりました。ごろ合わせ: いざ国(1392)まとめよう南北朝
つぎのステップ
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