金閣と銀閣のちがい

ちがい室町時代文化・くらし

金閣と銀閣のちがいの要点をまとめたイラスト

金閣は、3代将軍足利義満が京都の北山に建てた3階建ての建物で、2階と3階が金ぱくでおおわれた華やかな北山文化の代表です。銀閣は、8代将軍足利義政が京都の東山に建てた2階建ての建物で、銀ぱくは貼られておらず、簡素な東山文化の代表です。

2026/09/14 公開・ふりがなつき

表でくらべる

金閣きんかく銀閣ぎんかく
建てた人3代 足利義満あしかがよしみつ8代 足利義政あしかがよしまさ
場所京都きょうと・北山京都きょうと・東山
文化北山文化きたやまぶんか(華やか)東山文化ひがしやまぶんか(簡素・わび)
寺の名前鹿苑寺ろくおんじ慈照寺じしょうじ
階数・特ちょう3階建て、金ぱく2階建て、銀ぱくは貼られていない
年表で「金閣(鹿苑寺)」を見る

見分けるときは、「だれが」「どこに」の2つをセットで覚えます。3代の義満よしみつが北山に建てたのが金閣きんかく、8代の義政よしまさが東山に建てたのが銀閣ぎんかくです。金閣きんかくの「金」は本当に金ぱくが貼られていますが、銀閣ぎんかくに銀ぱくは貼られていません。

建てられた順に見る

  1. 1392年南北朝なんぼくちょうの統一とういつ
  2. 1397年金閣きんかく(鹿苑寺ろくおんじ)
  3. 1404年勘合貿易かんごうぼうえきの開始かいし
  4. 1467年応仁おうにんの乱らん
  5. 1486年東求堂同仁斎とうぐどうどうじんさい(書院造しょいんづくり)
  6. 1489年銀閣ぎんかく(慈照寺じしょうじ)

金閣きんかくと銀閣ぎんかくは、建てられた時期が約90年ちがいます。金閣きんかくは、南北朝を統一して幕府ばくふの力が最も強かったころの義満よしみつが建てました。銀閣ぎんかくは、応仁の乱で京都きょうとが焼け野原になったあとに、義政よしまさが建てました。時代の勢いのちがいが、華やかさと簡素さのちがいにつながっています。

金閣(鹿苑寺)

足利義満は1397年、京都きょうとの北山に山荘(北山殿)を造り、その中心に金閣きんかくを建てました。1階は公家くげの寝殿造しんでんづくり、2階は武家ぶけの書院風、3階は禅宗ぜんしゅうの様式と、三つの様式を重ねた建物です。公家くげと武家ぶけの文化が合わさった北山文化きたやまぶんかを、よく表しています。

2階と3階の外側は金ぱくでおおわれ、池に映る姿が美しいことで知られます。義満よしみつの死後、山荘は鹿苑寺ろくおんじという禅宗ぜんしゅうの寺になりました。1950年に火事で焼けましたが、1955年に再建され、世界遺産「古都みやこ京都きょうとの文化財」に含まれています。

覚え方

金閣きんかく=義満よしみつ=北山=華やか(三つの様式を重ねる)

銀閣(慈照寺)

足利義政は応仁おうにんの乱らんのあと、京都きょうとの東山に山荘(東山殿)を造り、金閣きんかくにならって銀閣ぎんかくを建てました。1階は書院造しょいんづくり、2階は禅宗ぜんしゅうの様式の2階建てです。銀閣ぎんかくという名前ですが銀ぱくは貼られておらず、木のままの落ち着いた姿をしています。

禅宗ぜんしゅうの影響を受けた簡素な美しさは、わび・さびの心につながり、東山文化ひがしやまぶんかを代表する建物とされます。同じ敷地にある東求堂同仁斎は、たたみ・ふすま・障子・床の間をそなえた書院造しょいんづくりの代表で、今の和室のもとになりました。義政よしまさの死後、山荘は慈照寺じしょうじという寺になりました。

覚え方

銀閣ぎんかく=義政よしまさ=東山=わび(銀ぱくはない)

文化もくらべる:北山文化と東山文化

金閣きんかくと銀閣ぎんかくは、それぞれの時代の文化を代表する建物です。入試では建物だけでなく、文化の名前と特色、代表する芸能や芸術がセットで問われます。

北山文化きたやまぶんか東山文化ひがしやまぶんか
時期3代義満よしみつのころ(14世紀せいき末〜15世紀せいき初め)8代義政よしまさのころ(15世紀後半)
代表建築金閣きんかく(鹿苑寺ろくおんじ)銀閣ぎんかく(慈照寺じしょうじ)・東求堂同仁斎とうぐどうどうじんさい
特色華やか、公家くげ+武家ぶけ+禅宗ぜんしゅう簡素・わび、禅宗ぜんしゅうの影響が強い
芸能・芸術能のう(観阿弥かんあみ・世阿弥ぜあみ)水墨画すいぼくが(雪舟せっしゅう)・書院造しょいんづくり・枯山水かれさんすい
年表で「北山文化」を見る

北山文化は、公家くげの文化と武家ぶけの文化が合わさり、明みんとの貿易ぼうえきで伝わった禅宗ぜんしゅうの文化も取り入れた華やかな文化です。義満よしみつの保護のもとで、観阿弥かんあみ・世阿弥ぜあみの親子が能を大成しました。

東山文化は、禅宗ぜんしゅうの影響を強く受けた、簡素で静かな美しさを大切にする文化です。雪舟の水墨画すいぼくが、竜安寺の石庭(枯山水かれさんすい)、書院造しょいんづくり、茶の湯や生け花がこの文化から発展はってんしました。

入試のポイント

  • 建てた人=足利義満あしかがよしみつ、場所=京都きょうとの北山、文化=北山文化きたやまぶんか
  • 寝殿造しんでんづくり・書院風・禅宗様ぜんしゅうようの三つの様式が重なる→公家くげ+武家ぶけ+禅宗ぜんしゅうの文化
  • 銀閣ぎんかく(義政よしまさ・東山・簡素)との対比が頻出
  • 寺としての名前は鹿苑寺ろくおんじ
  • 建てた人=足利義政あしかがよしまさ、場所=京都きょうとの東山、文化=東山文化ひがしやまぶんか
  • 銀ぱくは貼られていない、2階建て(金閣きんかくは3階建て)
  • 同じ敷地の東求堂同仁斎とうぐどうどうじんさい=書院造しょいんづくりの代表
  • 寺としての名前は慈照寺じしょうじ

よくあるまちがい

義満と義政を取りちがえる

金閣きんかくは3代の義満よしみつ、銀閣ぎんかくは8代の義政よしまさです。「みつ」と「まさ」で名前が似ているうえ、どちらも「義」がつくので、まちがえやすいところです。義満よしみつは南北朝なんぼくちょうの統一とういつと勘合貿易かんごうぼうえき、義政よしまさは応仁おうにんの乱らんと、それぞれ別のできごととセットで覚えましょう。

銀閣に銀ぱくが貼られていると思う

銀閣ぎんかくに銀ぱくは貼られていません。木のままの落ち着いた姿で、これが東山文化ひがしやまぶんかの簡素な美しさを表しています。

階数を逆に覚える

金閣きんかくは3階建て、銀閣ぎんかくは2階建てです。金閣きんかくのほうが華やかで、階数も多い、と結びつけて覚えましょう。

鹿苑寺と慈照寺を逆に覚える

金閣きんかくがある寺が鹿苑寺ろくおんじ、銀閣ぎんかくがある寺が慈照寺じしょうじです。どちらも将軍しょうぐんの山荘が、死後に寺になったものです。

確認問題

答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。

  1. Q1『金閣きんかく(鹿苑寺ろくおんじ)』をつくった人物はだれでしょう。

    足利義満あしかがよしみつ

    金閣きんかく(鹿苑寺ろくおんじ)(1397年ごろ)。3代将軍しょうぐん足利義満あしかがよしみつが京都きょうとの北山に建てた、金ぱくでおおわれた3階建ての建物です。つくった人物は足利義満あしかがよしみつです。

  2. Q2『銀閣ぎんかく(慈照寺じしょうじ)』をつくった人物はだれでしょう。

    足利義政あしかがよしまさ

    銀閣ぎんかく(慈照寺じしょうじ)(1489年ごろ)。8代将軍しょうぐん足利義政あしかがよしまさが京都きょうとの東山に建てた2階建ての建物です。つくった人物は足利義政あしかがよしまさです。

  3. Q3金閣きんかくと銀閣ぎんかくのうち、文化が『北山文化きたやまぶんか(華やか)』なのはどちらでしょう。

    金閣きんかく

    金閣きんかくの文化は『北山文化きたやまぶんか(華やか)』です。ほかは銀閣ぎんかくが『東山文化ひがしやまぶんか(簡素・わび)』です。

  4. Q4金閣きんかくと銀閣ぎんかくのうち、文化が『東山文化ひがしやまぶんか(簡素・わび)』なのはどちらでしょう。

    銀閣ぎんかく

    銀閣ぎんかくの文化は『東山文化ひがしやまぶんか(簡素・わび)』です。ほかは金閣きんかくが『北山文化きたやまぶんか(華やか)』です。

室町時代の一問一答でもっと解く

つぎのステップ

年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。