室町時代の一問一答

室町時代を表すイラスト

室町時代(1334年〜1573年)の、中学受験でよく出るできごと・人物・文化を127問の一問一答にまとめました。問題をタップすると答えと解説が出ます。室町時代は「幕府の力が弱まり、下剋上の戦国へ」時代です。

全127問・ふりがなつき・2026/10/11 更新

政治67問

中学受験で押さえておきたいポイント5つ
  1. 1建武けんむの新政しんせいから南北朝なんぼくちょうの統一とういつまで

    建武けんむの新政しんせいは、公家くげを重んじて武士ぶしの不満が高まったため、わずか2年ほどで失敗しました。年の順番を流れで覚えましょう。

    1. 鎌倉幕府かまくらばくふの滅亡めつぼう(1333年)
    2. 建武けんむの新政しんせい(1334年)
    3. 南北朝なんぼくちょうの分裂ぶんれつ(1336年)
    4. 南北朝なんぼくちょうの統一とういつ(1392年)
  2. 2北朝ほくちょうと南朝なんちょうのちがい

    約60年続いた争いを統一とういつしたのは3代将軍しょうぐん足利義満あしかがよしみつです。尊氏たかうじではない点に注意しましょう。

    北朝ほくちょう南朝なんちょう
    場所京都きょうと吉野よしの(奈良なら県)
    立てた人足利尊氏あしかがたかうじ後醍醐天皇ごだいごてんのう
  3. 3将軍しょうぐんを助ける役職は「管領かんれい」

    室町幕府むろまちばくふで将軍しょうぐんを助けたのは管領かんれいで、細川・斯波・畠山はたけやまの三つの家が交代で務めました。鎌倉幕府かまくらばくふの執権しっけん(北条氏ほうじょうし)と取りちがえないようにしましょう。

  4. 4将軍しょうぐんと業績はセットで

    3代義満よしみつと8代義政よしまさの取りちがえがよく出ます。代の数とできごとを結びつけて覚えましょう。

    足利尊氏あしかがたかうじ(初代)
    征夷大将軍せいいたいしょうぐんになり室町幕府むろまちばくふを開く(1338年)
    足利義満あしかがよしみつ(3代)
    花の御所ごしょ(1378年)・南北朝なんぼくちょうの統一とういつ(1392年)・勘合貿易かんごうぼうえき(1404年)
    足利義政あしかがよしまさ(8代)
    あとつぎ争いが応仁おうにんの乱らんの原因に・銀閣ぎんかく
    足利義昭あしかがよしあき(15代)
    織田信長おだのぶながに追放され幕府ばくふがほろびる(1573年)
  5. 5応仁おうにんの乱らんから戦国時代せんごくじだいへ

    京都きょうとを戦場に11年間続いた乱らんのあと、下剋上げこくじょうが広まりました。山城やましろの国一揆くにいっきや加賀かがの一向一揆いっこういっき、北条早雲ほうじょうそううんが下剋上げこくじょうの例です。

    1. 義政よしまさのあとつぎ争い+細川勝元ほそかわかつもとと山名宗全やまなそうぜんの対立
    2. 応仁おうにんの乱らん(1467年)
    3. 幕府ばくふの力が弱まる
    4. 下剋上げこくじょうが広まる
    5. 戦国時代せんごくじだい

名前をこたえる

  1. 1鎌倉幕府かまくらばくふをたおして天皇てんのう中心の政治(建武けんむの新政しんせい)を行った天皇てんのうです。足利尊氏あしかがたかうじにそむかれると吉野よしのにのがれ、南朝なんちょうを立てました。この天皇てんのうはだれでしょう。

    後醍醐天皇ごだいごてんのう

    後醍醐天皇ごだいごてんのうは、鎌倉幕府かまくらばくふをたおして天皇てんのうが直接政治を行うことを目ざしました。

    年表で見る
  2. 2河内かわち(大阪おおさか府)の武士ぶしで、後醍醐天皇ごだいごてんのうに味方して鎌倉幕府かまくらばくふ軍と戦った武将です。建武けんむの新政しんせいの後も天皇てんのうに忠義をつくし、湊川の戦いで足利尊氏あしかがたかうじに敗れて自害しました。この武将はだれでしょう。

    楠木正成くすのきまさしげ

    楠木正成くすのきまさしげは河内かわち(大阪おおさか府)の武士ぶしで、後醍醐天皇ごだいごてんのうのよびかけに応じて挙兵きょへいしました。

    年表で見る
  3. 3上野こうずけ(群馬県ぐんまけん)の武士ぶしで、後醍醐天皇ごだいごてんのうに味方して鎌倉かまくらを攻め落とし、鎌倉幕府かまくらばくふをほろぼした武将です。その後は足利尊氏あしかがたかうじと戦い続け、越前えちぜんで戦死しました。この武将はだれでしょう。

    新田義貞にったよしさだ

    新田義貞にったよしさだは上野こうずけ(群馬県ぐんまけん)の御家人ごけにんで、足利あしかが氏と同じ源氏げんじの血を引いていました。

    年表で見る
  4. 4鎌倉幕府かまくらばくふをたおすのに活やくしたあと後醍醐天皇ごだいごてんのうにそむき、京都きょうとに北朝ほくちょうを立てて室町幕府むろまちばくふを開いた初代将軍しょうぐんはだれでしょう。

    足利尊氏あしかがたかうじ

    足利尊氏あしかがたかうじは源氏げんじの血を引く有力な武士ぶしで、初めは鎌倉幕府かまくらばくふの御家人ごけにんでしたが、後醍醐天皇ごだいごてんのうの側について幕府ばくふの六波羅探題ろくはらたんだいを攻め落としました。

    年表で見る
  5. 5鎌倉幕府かまくらばくふをたおした後醍醐天皇ごだいごてんのうが、武士ぶしではなく天皇てんのうが中心となる政治を始めました。しかし武士ぶしの不満が高まり、わずか2年ほどで失敗しました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    建武けんむの新政しんせい

    1333年、足利尊氏あしかがたかうじや新田義貞にったよしさだらの活やくで鎌倉幕府かまくらばくふがほろぶと、後醍醐天皇ごだいごてんのうは京都きょうとで天皇てんのう中心の政治を始めました。

    年表で見る
  6. 6足利尊氏あしかがたかうじが、これから開く幕府ばくふの政治の方針を17か条にまとめて示したものです。これを室町幕府むろまちばくふの始まりと考える教科書もあります。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    建武式目けんむしきもく

    1336年11月、京都きょうとをおさえた足利尊氏あしかがたかうじは、幕府ばくふをどこに置くか、どんな政治を行うかなどの方針を17か条にまとめた建武式目けんむしきもくを定めました。

    年表で見る
  7. 7京都きょうとの北朝ほくちょうと吉野よしのの南朝なんちょう、二つの朝廷ちょうていが並び立って争った約60年間です。全国の武士ぶしも二つに分かれて戦い、室町幕府むろまちばくふが成立せいりつしたのもこの時期は何でしょう。

    南北朝時代なんぼくちょうじだい

    1336年に足利尊氏あしかがたかうじが京都きょうとで北朝ほくちょうを立て、後醍醐天皇ごだいごてんのうが吉野よしので南朝なんちょうを立ててから、1392年に足利義満あしかがよしみつが統一とういつするまでの約60年間を南北朝時代なんぼくちょうじだいといいます。

    年表で見る
  8. 8足利尊氏あしかがたかうじが北朝ほくちょうの天皇てんのうから征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任じられ、京都きょうとに幕府ばくふを開きました。のちに3代将軍しょうぐん義満よしみつが京都きょうとの室町むろまちに御所ごしょを建てたので何と呼びますか。

    室町幕府むろまちばくふの成立せいりつ

    1338年、足利尊氏あしかがたかうじは北朝ほくちょうの光明天皇から征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任じられ、京都きょうとに幕府ばくふを開きました。

    年表で見る
  9. 9室町幕府むろまちばくふの3代将軍しょうぐんです。南北朝なんぼくちょうを統一とういつし、明みんとの勘合貿易かんごうぼうえきを始め、京都きょうとの北山に金閣きんかくを建てるなど、幕府ばくふの力がもっとも強かった時期の将軍しょうぐんはだれでしょう。

    足利義満あしかがよしみつ

    足利義満あしかがよしみつは10歳ほどで3代将軍しょうぐんとなり、成長すると強い力をふるいました。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  10. 103代将軍しょうぐん足利義満あしかがよしみつが京都きょうとの室町むろまちに大きな○○を建て、幕府ばくふの政治を行いました。花がたくさん植えられていたので○○と呼ばれ、室町幕府むろまちばくふの名の由来になりました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    花の御所ごしょ

    足利義満あしかがよしみつは1378年、京都きょうとの室町通りに面した場所に新しい御所ごしょを建てて移りました。

    年表で見る
  11. 113代将軍しょうぐん足利義満あしかがよしみつのよびかけで、南朝なんちょうの天皇てんのうが京都きょうとにもどり、約60年続いた○○の争いが終わりました。幕府ばくふの力がもっとも強くなった時期です。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    南北朝なんぼくちょうの統一とういつ

    南朝なんちょうと北朝ほくちょうの争いは長く続きましたが、しだいに南朝なんちょうの力は弱まっていきました。

    年表で見る
  12. 12一介の武士ぶしから伊豆いず・相模さがみ(神奈川県)を手に入れて戦国せんごく大名だいみょうとなり、小田原おだわらを本拠とする後北条氏ほうじょうしの祖となった人物です。下剋上げこくじょうの代表とされます。この人物はだれでしょう。

    北条早雲ほうじょうそううん

    北条早雲ほうじょうそううん(伊勢宗瑞)は、今川いまがわ氏に仕える武士ぶしでしたが、1493年に伊豆いず(静岡県)に攻めこんで領地りょうちとし、さらに相模さがみ(神奈川県)の小田原城をうばって関東かんとうに勢力を広げました。

    年表で見る
  13. 13室町幕府むろまちばくふの8代将軍しょうぐんです。あとつぎ争いが応仁おうにんの乱らんの原因になりました。乱らんの後は京都きょうとの東山に銀閣ぎんかくを建て、東山文化ひがしやまぶんかを生み出しました。この将軍しょうぐんはだれでしょう。

    足利義政あしかがよしまさ

    足利義政あしかがよしまさは8代将軍しょうぐんでしたが、政治への関心が薄く、守護しゅご大名だいみょうの対立をおさえることができませんでした。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  14. 148代将軍しょうぐん足利義政あしかがよしまさの妻です。自分の子の義尚よしひさを将軍しょうぐんにしようとしたことが、応仁おうにんの乱らんの原因の一つになりました。この人物はだれでしょう。

    日野富子ひのとみこ

    日野富子ひのとみこは公家くげの日野家の出身で、8代将軍しょうぐん足利義政あしかがよしまさの妻となりました。

    年表で見る
  15. 15身分が下の者が、実力で上の者をたおして地位をうばう風潮のことです。応仁おうにんの乱らんの後に広まり、守護しゅご大名だいみょうの家来が戦国せんごく大名だいみょうになる例が多く見られました。この説明にあてはまる風潮を何といいますか。

    下剋上げこくじょう

    下剋上げこくじょうとは「下が上に剋(か)つ」という意味で、家来が主人をたおしたり、農民のうみんが守護しゅごを追い出したりする風潮をいいます。

    年表で見る
  16. 168代将軍しょうぐん足利義政あしかがよしまさのあとつぎ争いに守護しゅご大名だいみょうの対立が結びつき、京都きょうとを戦場にして11年間続いた戦乱です。京都きょうとは焼け野原になり、戦国時代せんごくじだいが始まりました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    応仁おうにんの乱らん

    8代将軍しょうぐん足利義政あしかがよしまさには子がなく、弟の義視よしみをあとつぎに決めましたが、その後妻の日野富子ひのとみこに子(義尚よしひさ)が生まれ、あとつぎ争いが起こりました。

    年表で見る
  17. 17応仁おうにんの乱らんの後、幕府ばくふの力が弱まり、各地で戦国せんごく大名だいみょうが領土をめぐって争った約100年間です。実力のある者が上の者をたおす下剋上げこくじょうの時代でした。この説明にあてはまる時代を何といいますか。

    戦国時代せんごくじだい

    応仁おうにんの乱らんの後、将軍しょうぐんの命令めいれいはほとんど聞かれなくなり、各地では守護しゅご大名だいみょうの家来や国人こくじんなどが実力で領国りょうごくを支配しはいする戦国せんごく大名だいみょうとなりました。

    年表で見る
  18. 18○○(京都府南部)の国人こくじん(地元の武士ぶし)と農民のうみんが団結して、争いを続けていた守護しゅごの畠山はたけやま氏の軍を追い出し、8年間にわたって自分たちで政治を行いました。このできごとを何といいますか。

    山城やましろの国一揆くにいっき

    応仁おうにんの乱らんが終わった後も、山城やましろ国では守護しゅご大名だいみょう畠山はたけやま氏の一族いちぞくが二つに分かれて戦いを続け、田畑があらされていました。

    年表で見る
  19. 19安芸あき(広島県)の小さな領主から中国地方のほとんどを支配しはいする戦国せんごく大名だいみょうになった人物です。3人の息子に協力を教えた「三本の矢」の話で知られます。この人物はだれでしょう。

    毛利元就もうりもとなり

    毛利元就もうりもとなりは安芸あき(広島県)の小さな国人領主の家に生まれましたが、知略にすぐれ、1555年の厳島いつくしまの戦いで大内氏の実権じっけんをにぎっていた陶晴賢すえはるかたをやぶりました。

    年表で見る
  20. 20甲斐かい(山梨県)の戦国せんごく大名だいみょうです。上杉謙信うえすぎけんしんと川中島かわなかじまで戦ったことや、分国法ぶんこくほうの甲州法度之次第こうしゅうはっとのしだい、洪水を防ぐ信玄堤をつくったことで知られます。この戦国せんごく大名だいみょうはだれでしょう。

    武田信玄たけだしんげん

    武田信玄たけだしんげんは甲斐かい(山梨県)の戦国せんごく大名だいみょうで、父を追放して家をついだあと、信濃しなの(長野県)へ領土を広げ、越後えちごの上杉謙信うえすぎけんしんと川中島かわなかじまで何度も戦いました。

    年表で見る
  21. 21駿河するがの今川いまがわ氏が定めた○○や、武田たけだ氏の甲州法度之次第こうしゅうはっとのしだいが有名です。戦国せんごく大名だいみょうが自分の領国りょうごくを治めるために独自に定めた法を何といいますか。

    分国法ぶんこくほうの制定せいてい(今川仮名目録いまがわかなもくろく)

    戦国せんごく大名だいみょうは幕府ばくふの力に頼らず、自分の領国りょうごく(分国)を独自に支配しはいしました。

    年表で見る
  22. 22越後えちご(新潟県)の戦国せんごく大名だいみょうです。武田信玄たけだしんげんと川中島かわなかじまで何度も戦いました。義を重んじ、「越後えちごの龍」と呼ばれた強い武将として知られます。この戦国せんごく大名だいみょうはだれでしょう。

    上杉謙信うえすぎけんしん

    上杉謙信うえすぎけんしんは越後えちご(新潟県)の守護代長尾氏の子として生まれ、若くして越後えちごを統一とういつしました。

    年表で見る
  23. 23尾張おわりの戦国せんごく大名だいみょうで、桶狭間おけはざまの戦いで今川義元いまがわよしもとをやぶって台頭し、室町幕府むろまちばくふをほろぼして天下統一を進めました。安土桃山時代あづちももやまじだいの中心人物でもあります。この人物はだれでしょう。

    織田信長おだのぶなが

    織田信長おだのぶながは尾張おわり(愛知県)の小さな大名だいみょうの子として生まれ、1560年に桶狭間おけはざまの戦いで今川義元いまがわよしもとをやぶって名を上げました。

    年表で見る
  24. 24尾張おわりの織田信長おだのぶながが、京都きょうとをめざして攻めてきた駿河するがの大大名だいみょう今川義元いまがわよしもとを、少ない兵へいで急しゅうしてやぶりました。信長のぶながが天下統一へ進む出発点になった戦いです。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    桶狭間おけはざまの戦い

    駿河するが・遠江・三河(静岡県〜愛知県)を治める今川義元いまがわよしもとは、大軍を率いて京都きょうとへ上ろうとし、尾張おわり(愛知県)に攻めこみました。

    年表で見る
  25. 25甲斐かいの武田信玄たけだしんげんと越後えちごの上杉謙信うえすぎけんしんが、信濃しなの(長野県)の支配しはいをめぐって○○で何度も戦いました。決着はつかず、戦国時代せんごくじだいを代表するライバル対決として知られています。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    川中島かわなかじまの戦い

    甲斐かい(山梨県)の武田信玄たけだしんげんは信濃しなの(長野県)へ勢力を広げようとし、信濃しなのの武士ぶしたちは越後えちご(新潟県)の上杉謙信うえすぎけんしんに助けを求めました。

    年表で見る
  26. 26織田おだ○○は△△を連れて京都きょうとに入り、義昭よしあきを15代将軍しょうぐんにしました。○○は将軍しょうぐんの力を利用して天下統一を進めましたが、やがて義昭よしあきと対立します。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    信長のぶながの入京にゅうきょう(足利義昭あしかがよしあきを将軍しょうぐんに)

    美濃(岐阜県)を手に入れた織田信長おだのぶながは「天下布武てんかふぶ」の印を使い、武力で天下を統一とういつする意志を示しました。

    年表で見る
  27. 27織田信長おだのぶながが対立していた15代将軍しょうぐん足利義昭あしかがよしあきを京都きょうとから追放し、約240年続いた○○はほろびました。この後、信長のぶながと秀吉ひでよしが活やくする安土桃山時代あづちももやまじだいが始まります。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    室町幕府むろまちばくふの滅亡めつぼう

    織田信長おだのぶながによって将軍しょうぐんになった足利義昭あしかがよしあきは、やがて信長のぶながと対立し、武田信玄たけだしんげんや浅井氏・朝倉あさくら氏などによびかけて信長のぶながを包囲しようとしました。

    年表で見る
  28. 28足利尊氏あしかがたかうじが京都きょうとに新しい天皇てんのうを立てると、後醍醐天皇ごだいごてんのうは奈良ならの吉野よしのにのがれて、もう一つの朝廷ちょうていを立てました。二つの朝廷ちょうていが争う時代が始まったこのできごとは何でしょう。

    南北朝なんぼくちょうの分裂ぶんれつ

    建武けんむの新政しんせいに不満をもった足利尊氏あしかがたかうじは、1336年に京都きょうとをおさえ、光明天皇を立てました(北朝ほくちょう)。

    年表で見る
  29. 29『源頼朝みなもとのよりとも(鎌倉かまくら)・○○(室町むろまち)・徳川家康とくがわいえやす(江戸えど)=幕府ばくふを開いた3人』という特徴にあてはまる人物はだれでしょう。

    足利尊氏あしかがたかうじ

    鎌倉幕府かまくらばくふをたおすのに活やくしたあと後醍醐天皇ごだいごてんのうにそむき、京都きょうとに北朝ほくちょうを立てて室町幕府むろまちばくふを開いた初代将軍しょうぐんです。

    年表で見る
  30. 30『北条政子ほうじょうまさこ(鎌倉かまくら)と○○(室町むろまち)=政治に影響力をもった将軍しょうぐんの妻』という特徴にあてはまる人物はだれでしょう。

    日野富子ひのとみこ

    8代将軍しょうぐん足利義政あしかがよしまさの妻です。

    年表で見る
  31. 31『例:○○(今川いまがわ氏)・甲州法度之次第こうしゅうはっとのしだい(武田たけだ氏)・朝倉孝景条々あさくらたかかげじょうじょう(朝倉あさくら氏)』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。

    分国法ぶんこくほうの制定せいてい(今川仮名目録いまがわかなもくろく)

    戦国せんごく大名だいみょうが自分の領国りょうごくを治めるために独自に定めた法を分国法ぶんこくほうといいます。

    年表で見る
  32. 321573年、織田信長おだのぶながが、対立していた15代将軍しょうぐん足利義昭あしかがよしあきを京都きょうとから追放しました。約240年続いた武家ぶけの政権が終わった、このできごとは何でしょう。

    室町幕府むろまちばくふの滅亡めつぼう

    織田信長おだのぶながによって将軍しょうぐんになった足利義昭あしかがよしあきは、やがて信長のぶながと対立し、武田信玄たけだしんげんや浅井氏・朝倉あさくら氏などによびかけて信長のぶながを包囲しようとしました。

    年表で見る

年号をこたえる

  1. 33後醍醐天皇ごだいごてんのうが年号を「建武けんむ」と改めて新しい政治を始めたのは何年でしょう。

    1334年

    建武けんむの新政しんせい(1334年)。鎌倉幕府かまくらばくふをたおした後醍醐天皇ごだいごてんのうが、武士ぶしではなく天皇てんのうが中心となる政治を始めました。ほかの年で習うこともあります(鎌倉幕府かまくらばくふ滅亡めつぼうの1333年から始まるが、年号「建武けんむ」は1334年から)。ごろ合わせ: いざ見よ(1334)建武けんむの新政しんせい

    年表で見る
  2. 34『建武式目けんむしきもく』が起きたのは何年でしょう。

    1336年

    建武式目けんむしきもく(1336年)。足利尊氏あしかがたかうじが、これから開く幕府ばくふの政治の方針を17か条にまとめて示したものです。ごろ合わせ: 一味(13)寒(36)い幕府ばくふの方針、建武式目けんむしきもく

    年表で見る
  3. 35『南北朝なんぼくちょうの分裂ぶんれつ』が起きたのは何年でしょう。

    1336年

    南北朝なんぼくちょうの分裂ぶんれつ(1336年)。足利尊氏あしかがたかうじが京都きょうとに新しい天皇てんのう(北朝ほくちょう)を立てると、後醍醐天皇ごだいごてんのうは奈良ならの吉野よしのにのがれて南朝なんちょうを立てました。ごろ合わせ: いざ寒(1336)い吉野よしのへ、南北朝なんぼくちょうに分かれる

    年表で見る
  4. 36足利尊氏あしかがたかうじが征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任命されたのは何年でしょう。

    1338年

    室町幕府むろまちばくふの成立せいりつ(1338年)。足利尊氏あしかがたかうじが北朝ほくちょうの天皇てんのうから征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任じられ、京都きょうとに幕府ばくふを開きました。ほかの年で習うこともあります(1336年(建武式目けんむしきもく)を成立せいりつとする教科書もある)。ごろ合わせ: いざ都みやこ(1338)で幕府ばくふを開こう

    年表で見る
  5. 37『花の御所ごしょ』が起きたのは何年でしょう。

    1378年

    花の御所ごしょ(1378年)。3代将軍しょうぐん足利義満あしかがよしみつが京都きょうとの室町むろまちに大きな御所ごしょを建て、幕府ばくふの政治を行いました。ごろ合わせ: いざ(13)、名は(78)花の御所ごしょ。義満よしみつの館

    年表で見る
  6. 38『南北朝なんぼくちょうの統一とういつ』が起きたのは何年でしょう。

    1392年

    南北朝なんぼくちょうの統一とういつ(1392年)。3代将軍しょうぐん足利義満あしかがよしみつのよびかけで、南朝なんちょうの天皇てんのうが京都きょうとにもどり、約60年続いた南北朝なんぼくちょうの争いが終わりました。ごろ合わせ: いざ国(1392)まとめよう南北朝なんぼくちょう

    年表で見る
  7. 39『応仁おうにんの乱らん』が起きたのは何年でしょう。

    1467年

    応仁おうにんの乱らん(1467年)。8代将軍しょうぐん足利義政あしかがよしまさのあとつぎ争いに守護しゅご大名だいみょうの対立が結びつき、京都きょうとを戦場にして11年間続いた戦乱です。ごろ合わせ: 人よ(14)むな(67)しい応仁おうにんの乱らん

    年表で見る
  8. 40『山城やましろの国一揆くにいっき』が起きたのは何年でしょう。

    1485年

    山城やましろの国一揆くにいっき(1485年)。山城やましろ(京都府南部)の国人こくじん(地元の武士ぶし)と農民のうみんが団結して、争いを続けていた守護しゅごの畠山はたけやま氏の軍を追い出し、8年間にわたって自分たちで政治を行いました。ごろ合わせ: いよ(14)箱(85)を担いで山城やましろの国一揆くにいっき

    年表で見る
  9. 41『分国法ぶんこくほうの制定せいてい(今川仮名目録いまがわかなもくろく)』が起きたのは何年でしょう。

    1526年

    分国法ぶんこくほうの制定せいてい(今川仮名目録いまがわかなもくろく)(1526年)。戦国せんごく大名だいみょうが自分の領国りょうごくを治めるために独自に定めた法を分国法ぶんこくほうといいます。ごろ合わせ: 以後(15)踏む(26)な分国法ぶんこくほう、けんか両成敗

    年表で見る
  10. 42『桶狭間おけはざまの戦い』が起きたのは何年でしょう。

    1560年

    桶狭間おけはざまの戦い(1560年)。尾張おわりの織田信長おだのぶながが、京都きょうとをめざして攻めてきた駿河するがの大大名だいみょう今川義元いまがわよしもとを、少ない兵へいで急しゅうしてやぶりました。ごろ合わせ: 今川いまがわいちころ(1560)桶狭間おけはざま

    年表で見る
  11. 43『川中島かわなかじまの戦い』が起きたのは何年でしょう。

    1561年

    川中島かわなかじまの戦い(1561年)。甲斐かいの武田信玄たけだしんげんと越後えちごの上杉謙信うえすぎけんしんが、信濃しなの(長野県)の支配しはいをめぐって川中島かわなかじまで何度も戦いました。ごろ合わせ: 以後(15)無為(61)に終わる川中島かわなかじまの戦い

    年表で見る
  12. 44『信長のぶながの入京にゅうきょう(足利義昭あしかがよしあきを将軍しょうぐんに)』が起きたのは何年でしょう。

    1568年

    信長のぶながの入京にゅうきょう(足利義昭あしかがよしあきを将軍しょうぐんに)(1568年)。織田信長おだのぶながは足利義昭あしかがよしあきを連れて京都きょうとに入り、義昭よしあきを15代将軍しょうぐんにしました。ごろ合わせ: 以後(15)むや(68)みに上らず、信長のぶなが入京にゅうきょう

    年表で見る
  13. 45『室町幕府むろまちばくふの滅亡めつぼう』が起きたのは何年でしょう。

    1573年

    室町幕府むろまちばくふの滅亡めつぼう(1573年)。織田信長おだのぶながが対立していた15代将軍しょうぐん足利義昭あしかがよしあきを京都きょうとから追放し、約240年続いた室町幕府むろまちばくふはほろびました。ごろ合わせ: 以後涙(1573)の室町幕府むろまちばくふ

    年表で見る

原因と結果

  1. 46『建武けんむの新政しんせい』の結果として起きたことは何でしょう。

    南北朝なんぼくちょうの分裂ぶんれつ

    足利尊氏あしかがたかうじが京都きょうとに新しい天皇てんのう(北朝ほくちょう)を立てると、後醍醐天皇ごだいごてんのうは奈良ならの吉野よしのにのがれて南朝なんちょうを立てました。「建武けんむの新政しんせい」のあとに起きたできごとです。

    年表で見る
  2. 47『建武式目けんむしきもく』の結果として起きたことは何でしょう。

    室町幕府むろまちばくふの成立せいりつ

    足利尊氏あしかがたかうじが北朝ほくちょうの天皇てんのうから征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任じられ、京都きょうとに幕府ばくふを開きました。「建武式目けんむしきもく」のあとに起きたできごとです。

    年表で見る
  3. 48『南北朝なんぼくちょうの分裂ぶんれつ』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    建武けんむの新政しんせい

    鎌倉幕府かまくらばくふをたおした後醍醐天皇ごだいごてんのうが、武士ぶしではなく天皇てんのうが中心となる政治を始めました。「建武けんむの新政しんせい」が「南北朝なんぼくちょうの分裂ぶんれつ」のきっかけになりました。

    年表で見る
  4. 49『室町幕府むろまちばくふの成立せいりつ』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    南北朝なんぼくちょうの分裂ぶんれつ

    足利尊氏あしかがたかうじが京都きょうとに新しい天皇てんのう(北朝ほくちょう)を立てると、後醍醐天皇ごだいごてんのうは奈良ならの吉野よしのにのがれて南朝なんちょうを立てました。「南北朝なんぼくちょうの分裂ぶんれつ」が「室町幕府むろまちばくふの成立せいりつ」のきっかけになりました。

    年表で見る
  5. 50『室町幕府むろまちばくふの成立せいりつ』の結果として起きたことは何でしょう。

    花の御所ごしょ

    3代将軍しょうぐん足利義満あしかがよしみつが京都きょうとの室町むろまちに大きな御所ごしょを建て、幕府ばくふの政治を行いました。「室町幕府むろまちばくふの成立せいりつ」のあとに起きたできごとです。

    年表で見る
  6. 51『花の御所ごしょ』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    室町幕府むろまちばくふの成立せいりつ

    足利尊氏あしかがたかうじが北朝ほくちょうの天皇てんのうから征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任じられ、京都きょうとに幕府ばくふを開きました。「室町幕府むろまちばくふの成立せいりつ」が「花の御所ごしょ」のきっかけになりました。

    年表で見る
  7. 52『南北朝なんぼくちょうの統一とういつ』の結果として起きたことは何でしょう。

    勘合貿易かんごうぼうえきの開始かいし

    足利義満あしかがよしみつが中国の明みんと国交を開き、貿易ぼうえきを始めました。「南北朝なんぼくちょうの統一とういつ」のあとに起きたできごとです。

    年表で見る
  8. 53『下剋上げこくじょう』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    応仁おうにんの乱らん

    8代将軍しょうぐん足利義政あしかがよしまさのあとつぎ争いに守護しゅご大名だいみょうの対立が結びつき、京都きょうとを戦場にして11年間続いた戦乱です。「応仁おうにんの乱らん」が「下剋上げこくじょう」のきっかけになりました。

    年表で見る
  9. 54『下剋上げこくじょう』の結果として起きたことは何でしょう。

    戦国時代せんごくじだい

    応仁おうにんの乱らんの後、幕府ばくふの力が弱まり、各地で戦国せんごく大名だいみょうが領土をめぐって争った約100年間です。「下剋上げこくじょう」のあとに起きたできごとです。

    年表で見る
  10. 55『応仁おうにんの乱らん』の結果として起きたことは何でしょう。

    戦国時代せんごくじだい

    応仁おうにんの乱らんの後、幕府ばくふの力が弱まり、各地で戦国せんごく大名だいみょうが領土をめぐって争った約100年間です。「応仁おうにんの乱らん」のあとに起きたできごとです。

    年表で見る
  11. 56『戦国時代せんごくじだい』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    応仁おうにんの乱らん

    8代将軍しょうぐん足利義政あしかがよしまさのあとつぎ争いに守護しゅご大名だいみょうの対立が結びつき、京都きょうとを戦場にして11年間続いた戦乱です。「応仁おうにんの乱らん」が「戦国時代せんごくじだい」のきっかけになりました。

    年表で見る
  12. 57『戦国時代せんごくじだい』の結果として起きたことは何でしょう。

    分国法ぶんこくほうの制定せいてい(今川仮名目録いまがわかなもくろく)

    戦国せんごく大名だいみょうが自分の領国りょうごくを治めるために独自に定めた法を分国法ぶんこくほうといいます。「戦国時代せんごくじだい」のあとに起きたできごとです。

    年表で見る
  13. 58『山城やましろの国一揆くにいっき』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    応仁おうにんの乱らん

    8代将軍しょうぐん足利義政あしかがよしまさのあとつぎ争いに守護しゅご大名だいみょうの対立が結びつき、京都きょうとを戦場にして11年間続いた戦乱です。「応仁おうにんの乱らん」が「山城やましろの国一揆くにいっき」のきっかけになりました。

    年表で見る
  14. 59『桶狭間おけはざまの戦い』の結果として起きたことは何でしょう。

    信長のぶながの入京にゅうきょう(足利義昭あしかがよしあきを将軍しょうぐんに)

    織田信長おだのぶながは足利義昭あしかがよしあきを連れて京都きょうとに入り、義昭よしあきを15代将軍しょうぐんにしました。「桶狭間おけはざまの戦い」のあとに起きたできごとです。

    年表で見る
  15. 60『信長のぶながの入京にゅうきょう(足利義昭あしかがよしあきを将軍しょうぐんに)』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    桶狭間おけはざまの戦い

    尾張おわりの織田信長おだのぶながが、京都きょうとをめざして攻めてきた駿河するがの大大名だいみょう今川義元いまがわよしもとを、少ない兵へいで急しゅうしてやぶりました。「桶狭間おけはざまの戦い」が「信長のぶながの入京にゅうきょう(足利義昭あしかがよしあきを将軍しょうぐんに)」のきっかけになりました。

    年表で見る
  16. 61『信長のぶながの入京にゅうきょう(足利義昭あしかがよしあきを将軍しょうぐんに)』の結果として起きたことは何でしょう。

    室町幕府むろまちばくふの滅亡めつぼう

    織田信長おだのぶながが対立していた15代将軍しょうぐん足利義昭あしかがよしあきを京都きょうとから追放し、約240年続いた室町幕府むろまちばくふはほろびました。「信長のぶながの入京にゅうきょう(足利義昭あしかがよしあきを将軍しょうぐんに)」のあとに起きたできごとです。

    年表で見る
  17. 62『室町幕府むろまちばくふの滅亡めつぼう』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    信長のぶながの入京にゅうきょう(足利義昭あしかがよしあきを将軍しょうぐんに)

    織田信長おだのぶながは足利義昭あしかがよしあきを連れて京都きょうとに入り、義昭よしあきを15代将軍しょうぐんにしました。「信長のぶながの入京にゅうきょう(足利義昭あしかがよしあきを将軍しょうぐんに)」が「室町幕府むろまちばくふの滅亡めつぼう」のきっかけになりました。

    年表で見る

くらべて見分ける

  1. 63東軍と西軍のうち、大将が『細川勝元ほそかわかつもと(管領かんれい)』なのはどちらでしょう。

    東軍

    東軍の大将は『細川勝元ほそかわかつもと(管領かんれい)』です。ほかは西軍が『山名宗全やまなそうぜん(持豊もちとよ)』です。

    年表で見る
  2. 64東軍と西軍のうち、支持したあとつぎが『初め義視よしみ→のち義尚よしひさ』なのはどちらでしょう。

    東軍

    東軍の支持したあとつぎは『初め義視よしみ→のち義尚よしひさ』です。ほかは西軍が『初め義尚よしひさ→のち義視よしみ』です。

    年表で見る
  3. 65東軍と西軍のうち、陣地が『室町むろまちの花の御所付近』なのはどちらでしょう。

    東軍

    東軍の陣地は『室町むろまちの花の御所付近』です。ほかは西軍が『京都西部(西陣にしじんの由来)』です。

    年表で見る
  4. 66『鎌倉幕府かまくらばくふ』の開いた人は何でしょう。

    源頼朝みなもとのよりとも

    『鎌倉幕府かまくらばくふ』の開いた人は源頼朝みなもとのよりともです。ほかは室町幕府むろまちばくふが足利尊氏あしかがたかうじ、江戸幕府えどばくふが徳川家康とくがわいえやすです。

    年表で見る
  5. 67『鎌倉幕府かまくらばくふ』の最後の将軍しょうぐんは何でしょう。

    守邦親王もりくにしんのう(実権じっけんは北条高時ほうじょうたかとき)

    『鎌倉幕府かまくらばくふ』の最後の将軍しょうぐんは守邦親王もりくにしんのう(実権じっけんは北条高時ほうじょうたかとき)です。ほかは室町幕府むろまちばくふが足利義昭あしかがよしあき、江戸幕府えどばくふが徳川慶喜とくがわよしのぶです。

    年表で見る

外交・世界11問

中学受験で押さえておきたいポイント5つ
  1. 1勘合かんごうは倭寇わこうと区別するため

    勘合貿易かんごうぼうえきの相手は「明みん」で、始めたのは足利義満あしかがよしみつです。勘合かんごうという合い札で、正式な貿易船と倭寇わこうを区別しました。

    1. 倭寇わこうが朝鮮ちょうせん・中国の沿岸をおそう
    2. 明みんが取りしまりを求める
    3. 義満よしみつが明みんへ使いを送る(1401年)
    4. 勘合貿易かんごうぼうえきが始まる(1404年)
  2. 2勘合貿易かんごうぼうえきで行き来した品物

    明みんから輸入した明銭は日本国内で広く使われ、商業の発達をうながしました。

    日本輸出:銅どう・硫黄・刀剣・扇輸入:明銭(永楽通宝)・生糸・絹織物明みん
  3. 3琉球王国りゅうきゅうおうこくは中継貿易なかつぎぼうえきで栄えた

    1429年、尚巴志しょうはしが三山さんざん(北山・中山ちゅうざん・南山なんざん)を統一とういつして琉球王国りゅうきゅうおうこくをつくり、首里しゅりを都みやこにしました。明みん・日本・朝鮮ちょうせん・東南アジアを結ぶ中継貿易なかつぎぼうえきで栄えました。

  4. 4鉄砲てっぽうとキリスト教きょうの伝来でんらいをくらべる

    鉄砲てっぽうを伝えたのはポルトガル人、キリスト教きょうを伝えたザビエルはスペイン人の宣教師せんきょうしです。どちらも南蛮貿易なんばんぼうえきのきっかけになりました。

    鉄砲伝来てっぽうでんらいキリスト教伝来きょうでんらい
    年1543年1549年
    場所種子島たねがしま(鹿児島県)鹿児島
    伝えた人ポルトガル人フランシスコ・ザビエル(イエズス会)
  5. 5鉄砲てっぽうが戦い方を変えた

    鉄砲てっぽうはすぐに国内で作られるようになり、戦い方や城のつくりを大きく変えました。

    1. 鉄砲伝来てっぽうでんらい(1543年)
    2. 堺さかい・国友などで大量に作られる
    3. 足軽の鉄砲隊による集団戦が中心に
    4. 城も石垣や堀を大きくする

名前をこたえる

  1. 68朝鮮半島や中国の沿岸をおそった海賊集団のことです。明みんが取りしまりを求めたことが、足利義満あしかがよしみつの勘合貿易かんごうぼうえきのきっかけになりました。この説明にあてはまる海賊集団を何といいますか。

    倭寇わこう

    南北朝時代なんぼくちょうじだいのころから、西日本の武士ぶしや漁民の中に、朝鮮半島や中国の沿岸で海賊行為を行う者が現れ、倭寇わこうと呼ばれておそれられました。

    年表で見る
  2. 69沖縄本島の三つの勢力(三山さんざん)を統一とういつして1429年に琉球王国りゅうきゅうおうこくをつくった王です。首里しゅりを都みやことして、明みんや日本、東南アジアとの中継貿易なかつぎぼうえきで国を栄えさせました。この人物はだれでしょう。

    尚巴志しょうはし

    尚巴志しょうはしは沖縄本島南部の佐敷の按司(地方の領主)の子として生まれました。

    年表で見る
  3. 70足利義満あしかがよしみつが中国の明みんと国交を開き、貿易ぼうえきを始めました。倭寇わこうと区別するため、勘合かんごうという合い札を使ったので何と呼ばれますか。

    勘合貿易かんごうぼうえきの開始かいし

    当時、中国や朝鮮ちょうせんの沿岸では倭寇わこうと呼ばれる海賊が活動し、明みんはその取りしまりを日本に求めていました。

    年表で見る
  4. 71沖縄で三つに分かれていた勢力を尚巴志しょうはしが統一とういつし、○○が成立せいりつしました。首里しゅりを都みやことし、日本・明みん・朝鮮ちょうせん・東南アジアを結ぶ中継貿易なかつぎぼうえきで栄えました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    琉球王国りゅうきゅうおうこくの成立せいりつ

    14世紀せいきの沖縄本島には北山・中山ちゅうざん・南山なんざんという三つの勢力(三山さんざん)があり、それぞれ明みんと貿易ぼうえきをしていました。

    年表で見る
  5. 72種子島たねがしまに流れ着いた中国船に乗っていたポルトガル人が、日本に初めて鉄砲てっぽうを伝えました。鉄砲てっぽうはすぐに国内で作られるようになり、戦い方や城のつくりを大きく変えました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    鉄砲伝来てっぽうでんらい

    1543年、種子島たねがしま(鹿児島県)に中国の船が流れ着き、乗っていたポルトガル人が鉄砲てっぽうを伝えました。

    年表で見る

年号をこたえる

  1. 73勘合かんごうを使った貿易ぼうえきが始まったのは何年でしょう。

    1404年

    勘合貿易かんごうぼうえきの開始かいし(1404年)。足利義満あしかがよしみつが中国の明みんと国交を開き、貿易ぼうえきを始めました。ほかの年で習うこともあります(1401年に義満よしみつが明みんへ使いを送り、1404年から勘合かんごうを用いた貿易ぼうえきが始まった)。ごろ合わせ: 意思を(1404)示す勘合かんごうの合い札

    年表で見る
  2. 74『琉球王国りゅうきゅうおうこくの成立せいりつ』が起きたのは何年でしょう。

    1429年

    琉球王国りゅうきゅうおうこくの成立せいりつ(1429年)。沖縄で三つに分かれていた勢力を尚巴志しょうはしが統一とういつし、琉球王国りゅうきゅうおうこくが成立せいりつしました。ごろ合わせ: 人よ(14)憎(29)まない、三山さんざん統一とういつで琉球王国りゅうきゅうおうこく

    年表で見る
  3. 75日本の記録で、ポルトガル人が種子島たねがしまに鉄砲てっぽうを伝えたとされるのは何年でしょう。

    1543年

    鉄砲伝来てっぽうでんらい(1543年)。種子島たねがしまに流れ着いた中国船に乗っていたポルトガル人が、日本に初めて鉄砲てっぽうを伝えました。ほかの年で習うこともあります(外国がいこくの資料では1542年とする説もある)。ごろ合わせ: 以後(15)よさ(43)んか鉄砲てっぽう

    年表で見る

原因と結果

  1. 76『倭寇わこう』の結果として起きたことは何でしょう。

    勘合貿易かんごうぼうえきの開始かいし

    足利義満あしかがよしみつが中国の明みんと国交を開き、貿易ぼうえきを始めました。「倭寇わこう」のあとに起きたできごとです。

    年表で見る
  2. 77『勘合貿易かんごうぼうえきの開始かいし』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    南北朝なんぼくちょうの統一とういつ

    3代将軍しょうぐん足利義満あしかがよしみつのよびかけで、南朝なんちょうの天皇てんのうが京都きょうとにもどり、約60年続いた南北朝なんぼくちょうの争いが終わりました。「南北朝なんぼくちょうの統一とういつ」が「勘合貿易かんごうぼうえきの開始かいし」のきっかけになりました。

    年表で見る
  3. 78『鉄砲伝来てっぽうでんらい』の結果として起きたことは何でしょう。

    キリスト教伝来きょうでんらい

    スペインの宣教師せんきょうしフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、日本に初めてキリスト教きょうを伝えました。「鉄砲伝来てっぽうでんらい」のあとに起きたできごとです。

    年表で見る

文化・くらし49問

中学受験で押さえておきたいポイント5つ
  1. 1北山文化きたやまぶんかと東山文化ひがしやまぶんかのちがい

    2つの文化の対比はとてもよく出ます。金閣きんかくは義満よしみつ、銀閣ぎんかくは義政よしまさと、取りちがえないようにしましょう。

    北山文化きたやまぶんか東山文化ひがしやまぶんか
    将軍しょうぐん3代 足利義満あしかがよしみつ8代 足利義政あしかがよしまさ
    代表建築金閣きんかく(鹿苑寺ろくおんじ)銀閣ぎんかく(慈照寺じしょうじ)・東求堂同仁斎とうぐどうどうじんさい
    特色華やか、公家くげ+武家ぶけ+禅宗ぜんしゅう簡素・わび、禅宗ぜんしゅうの影響が強い
    芸能・芸術能のう(観阿弥かんあみ・世阿弥ぜあみ)水墨画すいぼくが(雪舟せっしゅう)・書院造しょいんづくり・枯山水かれさんすい
  2. 2人物と作品をセットで

    雪舟せっしゅうは東山文化ひがしやまぶんかの画家で、北山文化きたやまぶんかではありません。人物がどちらの文化かもあわせて覚えましょう。

    観阿弥かんあみ・世阿弥ぜあみ
    能のうを大成(足利義満あしかがよしみつが保護)
    世阿弥ぜあみ
    『風姿花伝ふうしかでん』を書く
    雪舟せっしゅう
    水墨画すいぼくがを完成かんせい(秋冬山水図しゅうとうさんすいず・天橋立図あまのはしだてず)
    宗祇そうぎ
    連歌れんがを高め『新撰菟玖波集しんせんつくばしゅう』を編集
  3. 3書院造しょいんづくりは今の和室のもと

    足利義政あしかがよしまさの東求堂同仁斎とうぐどうどうじんさいが書院造しょいんづくりの代表で、たたみ・ふすま・障子・床の間・ちがい棚をそなえています。平安時代へいあんじだいの貴族きぞくの住まいである寝殿造しんでんづくりと区別しましょう。

  4. 4能のうと狂言きょうげんのちがい

    能のうは面をつけ、うたいと舞でまじめな物語を演じる劇です。狂言きょうげんは能のうの合間に、せりふ中心でこっけいに演じる劇です。

  5. 5一揆いっきは3つを区別する

    農民のうみんが団結できた背景には、惣という村の自治組織の発達がありました。中心となった人と目的のちがいを押さえましょう。

    正長しょうちょうの土一揆つちいっき山城やましろの国一揆くにいっき加賀かがの一向一揆いっこういっき
    年1428年1485年1488年
    中心近江おうみの馬借ばしゃく・農民のうみん国人こくじん(地元の武士ぶし)・農民のうみん一向宗いっこうしゅう(浄土真宗じょうどしんしゅう)の信者しんじゃ
    目的・結果徳政とくせい(借金しゃっきんの帳消し)を要求守護しゅご畠山はたけやま氏を追い出し8年間自治守護しゅご富樫とがし氏をたおし約100年自治

名前をこたえる

  1. 79大和やまと(奈良なら県)の猿楽さるがくの役えき者で、世阿弥ぜあみの父です。足利義満あしかがよしみつに認められ、息子の世阿弥ぜあみとともに猿楽さるがくを能のうという芸術に高めました。この人物はだれでしょう。

    観阿弥かんあみ

    観阿弥かんあみは大和やまと(奈良なら県)の猿楽さるがくの一座(観世座)の役えき者でした。

    年表で見る読みもの: 能と狂言のちがい
  2. 80観阿弥かんあみの子で、父とともに能のうを大成した人物です。多くの能のうの脚本を書き、能のうの理論を『風姿花伝ふうしかでん』にまとめました。この人物はだれでしょう。

    世阿弥ぜあみ

    世阿弥ぜあみは観阿弥かんあみの子で、少年時代に3代将軍しょうぐん足利義満あしかがよしみつに認められ、幕府ばくふの保護のもとで能のうを発展はってんさせました。

    年表で見る読みもの: 能と狂言のちがい
  3. 813代将軍しょうぐん足利義満あしかがよしみつのころに栄えた、公家くげの文化と武家ぶけの文化が合わさった華やかな文化です。金閣きんかくや、観阿弥かんあみ・世阿弥ぜあみが大成した能のうが代表は何でしょう。

    北山文化きたやまぶんか

    3代将軍しょうぐん足利義満あしかがよしみつは京都きょうとの北山に山荘を建て、その中に金閣きんかくを造りました。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  4. 823代将軍しょうぐん足利義満あしかがよしみつが京都きょうとの北山に建てた、金ぱくでおおわれた3階建ての建物です。公家風の寝殿造しんでんづくりと禅宗ぜんしゅうの様式が合わさった北山文化きたやまぶんかの代表は何でしょう。

    金閣きんかく(鹿苑寺ろくおんじ)

    足利義満あしかがよしみつは1397年、京都きょうとの北山に山荘(北山殿)を造り、その中心に金閣きんかくを建てました。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  5. 83能のうの合間に演じられる、せりふ中心のこっけいな劇です。当時の話し言葉で庶民しょみんの暮らしをおもしろく描き、大名だいみょうや僧そうをからかう内容もあります。この説明にあてはまる劇を何といいますか。

    狂言きょうげん

    狂言きょうげんは能のうと同じく猿楽さるがくから生まれた芸能で、能のうの演目の間に演じられます。

    年表で見る読みもの: 能と狂言のちがい
  6. 84面をつけた役えき者が、うたいと舞で物語を演じる日本の古典劇です。庶民しょみんの芸能だった猿楽さるがくを、観阿弥かんあみ・世阿弥ぜあみの親子が足利義満あしかがよしみつの保護のもとで芸術に高めました。この説明にあてはまる古典劇を何といいますか。

    能のう

    能のうは、猿楽さるがくや田楽でんがくといった庶民しょみんの芸能から生まれました。

    年表で見る読みもの: 能と狂言のちがい
  7. 85室町時代むろまちじだいの禅宗ぜんしゅうの僧そうで、明みんにわたって絵を学び、日本の水墨画すいぼくがを完成かんせいさせた画家です。「秋冬山水図しゅうとうさんすいず」「天橋立図あまのはしだてず」などの作品があります。この画家はだれでしょう。

    雪舟せっしゅう

    雪舟せっしゅうは備中びっちゅう(岡山県)に生まれ、京都きょうとの相国寺で禅ぜんの修行しゅぎょうをしながら絵を学びました。

    年表で見る
  8. 86近江おうみの馬借ばしゃくが中心となって、借金しゃっきんの帳消し(徳政とくせい)を求める一揆いっきを起こしました。農民のうみんが団結して起こした最初の大きな○○です。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    正長しょうちょうの土一揆つちいっき

    室町時代むろまちじだいになると農民のうみんは村ごとにまとまり(惣)、力をつけていきました。

    年表で見る
  9. 87室町時代むろまちじだいに作られた絵入りの短い物語です。「一寸法師いっすんぼうし」「浦島太郎うらしまたろう」「ものぐさ太郎」など、庶民しょみんを主人公にした親しみやすい話が多く、今も昔話として伝わっています。この説明にあてはまる物語を何といいますか。

    御伽草子おとぎぞうし

    御伽草子おとぎぞうしは室町時代むろまちじだいに多く作られた短編の物語で、絵をそえて読まれました。

    年表で見る
  10. 888代将軍しょうぐん足利義政あしかがよしまさのころに栄えた、禅宗ぜんしゅうの影響を受けた簡素で落ち着いた文化です。銀閣ぎんかくや書院造しょいんづくり、雪舟せっしゅうの水墨画すいぼくが、枯山水かれさんすいの庭が代表は何でしょう。

    東山文化ひがしやまぶんか

    応仁おうにんの乱らんの後、8代将軍しょうぐん足利義政あしかがよしまさは京都きょうとの東山に山荘を建てて移り住み、銀閣ぎんかくを造りました。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  11. 89足利義政あしかがよしまさが銀閣ぎんかくと同じ敷地に建てた東求堂とうぐどうの中にある、四畳半よじょうはんの書斎しょさいです。たたみ・ふすま・障子・床の間・ちがい棚をそなえた○○の代表で、今の和室のもとになりました。この説明にあてはまる書斎しょさいを何といいますか。

    東求堂同仁斎とうぐどうどうじんさい(書院造しょいんづくり)

    東求堂とうぐどうは1486年に足利義政あしかがよしまさが東山の山荘に建てた持仏堂(仏ほとけをまつる建物)で、その一室の同仁斎は義政よしまさの書斎しょさいでした。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  12. 90○○(石川県)で一向宗いっこうしゅう(浄土真宗じょうどしんしゅう)の信者しんじゃたちが守護しゅご大名だいみょうの富樫とがし氏をたおし、その後約100年にわたって自分たちで国を治めました。「百姓ひゃくしょうの持ちたる国」と呼ばれました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    加賀かがの一向一揆いっこういっき

    浄土真宗じょうどしんしゅう(一向宗いっこうしゅう)は室町時代むろまちじだいに蓮如の布教ふきょうによって北陸地方を中心に広まり、信者しんじゃたちは強く団結していました。

    年表で見る
  13. 918代将軍しょうぐん足利義政あしかがよしまさが京都きょうとの東山に建てた2階建ての建物です。金閣きんかくとちがって銀ぱくは貼られておらず、簡素で落ち着いた東山文化ひがしやまぶんかの代表です。この説明にあてはまる建物を何といいますか。

    銀閣ぎんかく(慈照寺じしょうじ)

    応仁おうにんの乱らんの後、足利義政あしかがよしまさは京都きょうとの東山に山荘(東山殿)を造り、金閣きんかくにならって銀閣ぎんかくを建てました。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  14. 92雪舟せっしゅうが描いた水墨画すいぼくがの代表作で、秋と冬の山の景色を2枚で表しています。力強い線で岩や山を描いた、日本の水墨画すいぼくがの完成かんせいを示す作品は何でしょう。

    秋冬山水図しゅうとうさんすいず

    水墨画すいぼくがは墨の濃淡だけで風景などを描く絵画で、中国で発達し、鎌倉時代かまくらじだいから室町時代むろまちじだいに禅宗ぜんしゅうとともに日本に伝わりました。

    年表で見る
  15. 93和歌わかの上の句(五・七・五)と下の句(七・七)を何人かで交互によんでつなげていく文芸です。室町時代むろまちじだいに武士ぶしや庶民しょみんの間で大流行だいりゅうこうし、宗祇そうぎが芸術として高めました。この説明にあてはまる文芸を何といいますか。

    連歌れんが(新撰菟玖波集しんせんつくばしゅう)

    連歌れんがは、一人が五・七・五をよむと次の人が七・七をつけ、さらに次の人が五・七・五をつけるというように、何人かで句をつなげていく文芸です。

    年表で見る
  16. 94京都きょうとの竜安寺にある、白い砂と15個の石だけで山や水を表した庭です。水を使わずに自然を表す○○の代表で、禅宗ぜんしゅうの影響を受けた東山文化ひがしやまぶんかの庭です。この説明にあてはまる庭を何といいますか。

    竜安寺石庭りょうあんじせきてい(枯山水かれさんすい)

    枯山水かれさんすいは、池や川の水を使わず、白い砂や石だけで山や水の流れを表す庭の様式で、禅宗ぜんしゅうの寺で発達しました。

    年表で見る
  17. 95雪舟せっしゅうが80歳を過ぎてから、京都きょうと府の天橋立あまのはしだてを実際に見て描いた水墨画すいぼくがです。実在の風景を細かく写した作品で、日本の水墨画すいぼくがの代表作の一つです。この説明にあてはまる水墨画すいぼくがを何といいますか。

    天橋立図あまのはしだてず

    天橋立図あまのはしだてずは、雪舟せっしゅうが最晩年に丹後(京都府北部)の天橋立あまのはしだてを訪れて描いた作品です。

    年表で見る
  18. 96スペイン出身のイエズス会の宣教師せんきょうしで、1549年に鹿児島に上陸し、日本に初めてキリスト教きょうを伝えました。約2年間、九州きゅうしゅうや山口、京都きょうとなどで布教ふきょうしました。この人物はだれでしょう。

    フランシスコ・ザビエル

    ザビエルはスペインのナバラ地方に生まれ、イエズス会の創立にかかわった宣教師せんきょうしです。

    年表で見る
  19. 97スペインの宣教師せんきょうしフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、日本に初めてキリスト教きょうを伝えました。九州きゅうしゅうの大名だいみょうの中には信者しんじゃになる者(キリシタン大名だいみょう)も現れました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    キリスト教伝来きょうでんらい

    ヨーロッパでは宗しゅう教きょう改革かいかくが起こり、カトリック教会はイエズス会をつくって海外に信者しんじゃを広めようとしていました。

    年表で見る
  20. 98織田信長おだのぶながが、敵対する大名だいみょうに味方した比叡山ひえいざん○○を攻めて焼き払いました。信長のぶながは自分に従わない仏教勢力をきびしく攻めた一方、キリスト教きょうは保護しました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    延暦寺えんりゃくじの焼き討ち

    比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじは平安時代へいあんじだいに最澄さいちょうが開いた天台宗てんだいしゅうの総本山で、多くの僧兵そうへいをかかえ、大きな力をもっていました。

    年表で見る
  21. 99『金閣きんかく(鹿苑寺ろくおんじ)』をつくった人物はだれでしょう。

    足利義満あしかがよしみつ

    金閣きんかく(鹿苑寺ろくおんじ)(1397年ごろ)。3代将軍しょうぐん足利義満あしかがよしみつが京都きょうとの北山に建てた、金ぱくでおおわれた3階建ての建物です。つくった人物は足利義満あしかがよしみつです。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  22. 100『東求堂同仁斎とうぐどうどうじんさい(書院造しょいんづくり)』をつくった人物はだれでしょう。

    足利義政あしかがよしまさ

    東求堂同仁斎とうぐどうどうじんさい(書院造しょいんづくり)(1486年)。足利義政あしかがよしまさが銀閣ぎんかくと同じ敷地に建てた東求堂とうぐどうの中にある、四畳半よじょうはんの書斎しょさいです。つくった人物は足利義政あしかがよしまさです。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  23. 101『銀閣ぎんかく(慈照寺じしょうじ)』をつくった人物はだれでしょう。

    足利義政あしかがよしまさ

    銀閣ぎんかく(慈照寺じしょうじ)(1489年ごろ)。8代将軍しょうぐん足利義政あしかがよしまさが京都きょうとの東山に建てた2階建ての建物です。つくった人物は足利義政あしかがよしまさです。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  24. 102『秋冬山水図しゅうとうさんすいず』をつくった人物はだれでしょう。

    雪舟せっしゅう

    秋冬山水図しゅうとうさんすいず(1490年ごろ)。雪舟せっしゅうが描いた水墨画すいぼくがの代表作で、秋と冬の山の景色を2枚で表しています。つくった人物は雪舟せっしゅうです。

    年表で見る
  25. 103『天橋立図あまのはしだてず』をつくった人物はだれでしょう。

    雪舟せっしゅう

    天橋立図あまのはしだてず(1502年ごろ)。雪舟せっしゅうが80歳を過ぎてから、京都きょうと府の天橋立あまのはしだてを実際に見て描いた水墨画すいぼくがです。つくった人物は雪舟せっしゅうです。

    年表で見る
  26. 104『○○(父)と世阿弥ぜあみ(子)で能のうを大成、保護者は足利義満あしかがよしみつ』という特徴にあてはまる人物はだれでしょう。

    観阿弥かんあみ

    大和やまと(奈良なら県)の猿楽さるがくの役えき者で、世阿弥ぜあみの父です。

    年表で見る読みもの: 能と狂言のちがい
  27. 105『農民のうみんが団結して起こした最初の大規模な○○、中心は近江おうみの馬借ばしゃく』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。

    正長しょうちょうの土一揆つちいっき

    近江おうみの馬借ばしゃくが中心となって、借金しゃっきんの帳消し(徳政とくせい)を求める一揆いっきを起こしました。

    年表で見る
  28. 1063代将軍しょうぐん足利義満あしかがよしみつのころに栄えた、公家くげと武家ぶけの文化が合わさった華やかな文化です。金閣きんかくや、観阿弥かんあみ・世阿弥ぜあみが大成した能のうが代表です。この説明にあてはまる文化を何といいますか。

    北山文化きたやまぶんか

    3代将軍しょうぐん足利義満あしかがよしみつは京都きょうとの北山に山荘を建て、その中に金閣きんかくを造りました。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  29. 107銀閣ぎんかくと同じ敷地のお堂にある、足利義政あしかがよしまさの四畳半よじょうはんの書斎しょさいです。たたみ・ふすま・障子・床の間・ちがい棚をそなえ、今の和室のもとになりました。この説明にあてはまる書斎しょさいを何といいますか。

    東求堂同仁斎とうぐどうどうじんさい(書院造しょいんづくり)

    東求堂とうぐどうは1486年に足利義政あしかがよしまさが東山の山荘に建てた持仏堂(仏ほとけをまつる建物)で、その一室の同仁斎は義政よしまさの書斎しょさいでした。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  30. 108雪舟せっしゅうが、秋と冬の山の景色を2枚に分けて描いた水墨画すいぼくがで、国宝になっている作品は何でしょう。

    秋冬山水図しゅうとうさんすいず

    水墨画すいぼくがは墨の濃淡だけで風景などを描く絵画で、中国で発達し、鎌倉時代かまくらじだいから室町時代むろまちじだいに禅宗ぜんしゅうとともに日本に伝わりました。

    年表で見る
  31. 1091571年、織田信長おだのぶながは、敵対する大名だいみょうに味方した比叡山ひえいざんの寺を攻めました。信長のぶながが自分に従わない仏教勢力をきびしく攻めたことを示す、このできごとは何でしょう。

    延暦寺えんりゃくじの焼き討ち

    比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじは平安時代へいあんじだいに最澄さいちょうが開いた天台宗てんだいしゅうの総本山で、多くの僧兵そうへいをかかえ、大きな力をもっていました。

    年表で見る

年号をこたえる

  1. 110『正長しょうちょうの土一揆つちいっき』が起きたのは何年でしょう。

    1428年

    正長しょうちょうの土一揆つちいっき(1428年)。近江おうみの馬借ばしゃくが中心となって、借金しゃっきんの帳消し(徳政とくせい)を求める一揆いっきを起こしました。ごろ合わせ: いよいよ(14)農民のうみんには(28)徳政とくせいを、正長しょうちょうの土一揆つちいっき

    年表で見る
  2. 111『東求堂同仁斎とうぐどうどうじんさい(書院造しょいんづくり)』がつくられたのは何年でしょう。

    1486年

    東求堂同仁斎とうぐどうどうじんさい(書院造しょいんづくり)(1486年)。足利義政あしかがよしまさが銀閣ぎんかくと同じ敷地に建てた東求堂とうぐどうの中にある、四畳半よじょうはんの書斎しょさいです。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  3. 112『加賀かがの一向一揆いっこういっき』が起きたのは何年でしょう。

    1488年

    加賀かがの一向一揆いっこういっき(1488年)。加賀かが(石川県)で一向宗いっこうしゅう(浄土真宗じょうどしんしゅう)の信者しんじゃたちが守護しゅご大名だいみょうの富樫とがし氏をたおし、その後約100年にわたって自分たちで国を治めました。ごろ合わせ: 人よ(14)母(88)も参加、加賀かがの一向一揆いっこういっき

    年表で見る
  4. 113『連歌れんが(新撰菟玖波集しんせんつくばしゅう)』がつくられたのは何年でしょう。

    1495年

    連歌れんが(新撰菟玖波集しんせんつくばしゅう)(1495年)。和歌わかの上の句(五・七・五)と下の句(七・七)を何人かで交互によんでつなげていく文芸です。

    年表で見る
  5. 114『キリスト教伝来きょうでんらい』が起きたのは何年でしょう。

    1549年

    キリスト教伝来きょうでんらい(1549年)。スペインの宣教師せんきょうしフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、日本に初めてキリスト教きょうを伝えました。ごろ合わせ: 以後(15)よく(49)広まるキリスト教きょう

    年表で見る
  6. 115『延暦寺えんりゃくじの焼き討ち』が起きたのは何年でしょう。

    1571年

    延暦寺えんりゃくじの焼き討ち(1571年)。織田信長おだのぶながが、敵対する大名だいみょうに味方した比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじを攻めて焼き払いました。ごろ合わせ: 以後(15)ない(71)よ延暦寺えんりゃくじ、焼き討ちに

    年表で見る

原因と結果

  1. 116『東山文化ひがしやまぶんか』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    応仁おうにんの乱らん

    8代将軍しょうぐん足利義政あしかがよしまさのあとつぎ争いに守護しゅご大名だいみょうの対立が結びつき、京都きょうとを戦場にして11年間続いた戦乱です。「応仁おうにんの乱らん」が「東山文化ひがしやまぶんか」のきっかけになりました。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  2. 117『加賀かがの一向一揆いっこういっき』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    応仁おうにんの乱らん

    8代将軍しょうぐん足利義政あしかがよしまさのあとつぎ争いに守護しゅご大名だいみょうの対立が結びつき、京都きょうとを戦場にして11年間続いた戦乱です。「応仁おうにんの乱らん」が「加賀かがの一向一揆いっこういっき」のきっかけになりました。

    年表で見る
  3. 118『キリスト教伝来きょうでんらい』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    鉄砲伝来てっぽうでんらい

    種子島たねがしまに流れ着いた中国船に乗っていたポルトガル人が、日本に初めて鉄砲てっぽうを伝えました。「鉄砲伝来てっぽうでんらい」が「キリスト教伝来きょうでんらい」のきっかけになりました。

    年表で見る
  4. 119『延暦寺えんりゃくじの焼き討ち』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    信長のぶながの入京にゅうきょう(足利義昭あしかがよしあきを将軍しょうぐんに)

    織田信長おだのぶながは足利義昭あしかがよしあきを連れて京都きょうとに入り、義昭よしあきを15代将軍しょうぐんにしました。「信長のぶながの入京にゅうきょう(足利義昭あしかがよしあきを将軍しょうぐんに)」が「延暦寺えんりゃくじの焼き討ち」のきっかけになりました。

    年表で見る

くらべて見分ける

  1. 120北山文化きたやまぶんかと東山文化ひがしやまぶんかのうち、特色が『華やか、公家くげ+武家ぶけ+禅宗ぜんしゅう』なのはどちらでしょう。

    北山文化きたやまぶんか

    北山文化きたやまぶんかの特色は『華やか、公家くげ+武家ぶけ+禅宗ぜんしゅう』です。ほかは東山文化ひがしやまぶんかが『簡素・わび、禅宗ぜんしゅうの影響が強い』です。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  2. 121北山文化きたやまぶんかと東山文化ひがしやまぶんかのうち、芸能・芸術が『能のう(観阿弥かんあみ・世阿弥ぜあみ)』なのはどちらでしょう。

    北山文化きたやまぶんか

    北山文化きたやまぶんかの芸能・芸術は『能のう(観阿弥かんあみ・世阿弥ぜあみ)』です。ほかは東山文化ひがしやまぶんかが『水墨画すいぼくが(雪舟せっしゅう)・書院造しょいんづくり・枯山水かれさんすい』です。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  3. 122金閣きんかくと銀閣ぎんかくのうち、文化が『北山文化きたやまぶんか(華やか)』なのはどちらでしょう。

    金閣きんかく

    金閣きんかくの文化は『北山文化きたやまぶんか(華やか)』です。ほかは銀閣ぎんかくが『東山文化ひがしやまぶんか(簡素・わび)』です。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  4. 123金閣きんかくと銀閣ぎんかくのうち、階数・特ちょうが『3階建て、金ぱく』なのはどちらでしょう。

    金閣きんかく

    金閣きんかくの階数・特ちょうは『3階建て、金ぱく』です。ほかは銀閣ぎんかくが『2階建て、銀ぱくは貼られていない』です。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい
  5. 124能のうと狂言きょうげんのうち、内容が『歴史や伝説をうたいと舞で演じる(まじめ)』なのはどちらでしょう。

    能のう

    能のうの内容は『歴史や伝説をうたいと舞で演じる(まじめ)』です。ほかは狂言きょうげんが『庶民しょみんの生活をせりふでこっけいに演じる』です。

    年表で見る読みもの: 能と狂言のちがい
  6. 125『正長しょうちょうの土一揆つちいっき』の中心は何でしょう。

    近江おうみの馬借ばしゃく・農民のうみん

    『正長しょうちょうの土一揆つちいっき』の中心は近江おうみの馬借ばしゃく・農民のうみんです。ほかは山城やましろの国一揆くにいっきが国人こくじん(地元の武士ぶし)・農民のうみん、加賀かがの一向一揆いっこういっきが一向宗いっこうしゅう(浄土真宗じょうどしんしゅう)の信者しんじゃです。

    年表で見る
  7. 126『正長しょうちょうの土一揆つちいっき』の目的・結果は何でしょう。

    徳政とくせい(借金帳消し)を要求

    『正長しょうちょうの土一揆つちいっき』の目的・結果は徳政とくせい(借金帳消し)を要求です。ほかは山城やましろの国一揆くにいっきが守護しゅご畠山はたけやま氏を追い出し8年間自治、加賀かがの一向一揆いっこういっきが守護しゅご富樫とがし氏をたおし約100年自治です。

    年表で見る
  8. 127寝殿造しんでんづくりと書院造しょいんづくりのうち、特ちょうが『板じき、庭に池、寝殿しんでんを中心に渡り廊下』なのはどちらでしょう。

    寝殿造しんでんづくり

    寝殿造しんでんづくりの特ちょうは『板じき、庭に池、寝殿しんでんを中心に渡り廊下』です。ほかは書院造しょいんづくりが『たたみ、ふすま、障子、床の間、ちがい棚』です。

    年表で見る読みもの: 金閣と銀閣のちがい

室町時代の読みもの

まぎらわしい用語のちがいを、表と図でくらべて読めます。

読みものの一覧

つぎのステップ