奈良時代の年表とできごと

奈良時代は710年から794年までの約80年間で、律令国家と仏教の力で国を治める時代です。平城京を都にして、律令のしくみと仏教の力で国を治めようとした時代で、聖武天皇が東大寺の大仏をつくらせました。
- いつから
- 710年
- いつまで
- 794年
- 長さ
- 約80年間
- 前の時代
- 飛鳥時代
- 次の時代
- 平安時代
- 中心になった人
- 聖武天皇・行基・鑑真
この時代の流れ
- 平城京(710)
- 律令制と班田収授
- 聖武天皇と東大寺大仏
- 墾田永年私財法→荘園の始まり
奈良時代の年表
中学受験でよく出るできごとを、年の順にならべました。できごとの名前をタップすると、年表アプリで前後の流れを見られます。
- 710年平城京に都を移す元明天皇が、唐の都の長安を手本にして、奈良に平城京という新しい都をつくり、藤原京から都を移しました。
- 712年古事記の完成稗田阿礼が語り伝えた神話や天皇の記録を、太安万侶が書きまとめて元明天皇に差し出した、日本で最も古い歴史書です。
- 713年風土記をつくる命令元明天皇が全国の国ごとに、地名のいわれや産物、伝説などを書いて報告するよう命じました。
- 717年阿倍仲麻呂らの遣唐使派遣717年の遣唐使には、阿倍仲麻呂・吉備真備・玄昉など若い留学生が加わりました。
- 720年日本書紀の完成舎人親王が中心となって、神代から持統天皇までの歴史を年代順に漢文で書いた、日本で最初の正式な歴史書が完成しました。
- 723年三世一身法人口がふえて口分田が足りなくなったため、新しく土地を切り開いた人には、3代(子・孫・ひ孫)まで土地を持つことを認めた法律です。
- 729年長屋王の変藤原不比等の4人の子が、皇族の長屋王に反乱のうたがいをかけて自害に追いこみました。
- 737年天然痘の大流行九州から広がった天然痘が都でも大流行し、藤原四兄弟をはじめ多くの人が亡くなりました。
- 741年国分寺建立の詔聖武天皇が、仏教の力で国を守るため、国ごとに国分寺と国分尼寺を建てるよう命じました。
- 743年墾田永年私財法新しく切り開いた土地は、いつまでも自分のものにしてよいと認めた法律です。
- 743年大仏造立の詔聖武天皇が、仏教の力で国を守るため、紫香楽宮で大きな仏像をつくるよう命じました。
- 752年東大寺の大仏開眼供養約10年かけてつくられた東大寺の大仏が完成し、仏の目を入れる開眼供養の式が行われました。
- 753年鑑真の来日唐の高僧・鑑真が、5回の失敗と失明を乗りこえて、6回目の航海でついに日本に着きました。
- 769年宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)「道鏡を天皇にすれば国が安らかになる」という宇佐八幡宮のお告げが伝えられましたが、和気清麻呂がうそだと報告し、道鏡は天皇になれませんでした。
- 784年長岡京に都を移す桓武天皇が、仏教勢力の強い平城京をはなれ、山城の長岡京に都を移しました。
押さえておきたいポイント
政治都の移り変わりは順番で
平城京に都を移したのは元明天皇(女性の天皇)、長岡京と平安京はどちらも桓武天皇です。長岡京と平安京の10年の差にも注意しましょう。
- 694年藤原京
- 710年平城京(元明天皇)
- 784年長岡京(桓武天皇)
- 794年平安京(桓武天皇)
外交・世界717年の遣唐使は3人セット
奈良時代には、唐の進んだ制度や文化を学ぶため遣唐使が送られました。717年の遣唐使に加わった3人の、その後のちがいが問われます。
- 阿倍仲麻呂(留学生)
- 唐で高い役人になり、日本に帰れなかった
- 吉備真備(留学生)
- 帰国して聖武天皇に重く用いられた
- 玄昉(学問僧)
- 帰国して聖武天皇に重く用いられた
文化・くらし古事記と日本書紀のちがい
2つをあわせて「記紀」とよびます。間の713年には、元明天皇が国ごとに風土記をつくるよう命じました。
古事記 日本書紀 完成年 712年 720年 中心人物 太安万侶(稗田阿礼) 舎人親王 書き方 日本語風の文 漢文・年代順(編年体) 性格 神話・物語が中心 国の正式な歴史書
おもな人物
行基各地を回って人々に仏教を広め、橋や道、ため池をつくった僧です。
鑑真唐の高僧で、日本の求めに応じて何度も航海に失敗し、目が見えなくなりながらも来日しました。
聖武天皇仏教の力で国を守ろうと、全国に国分寺を建て、東大寺に大仏をつくらせた天皇です。
藤原不比等中臣鎌足の子で、大宝律令や養老律令づくりの中心となった貴族です。
元明天皇710年に藤原京から平城京に都を移した女性の天皇です。
阿倍仲麻呂遣唐使の留学生として唐にわたり、高い役人になった人物です。
文化
東大寺の大仏(盧舎那仏)聖武天皇の命令でつくられた、高さ約15メートルの銅の大仏です。
正倉院東大寺にある宝物庫で、聖武天皇の遺品など約9000点の宝物が納められています。
唐招提寺鑑真が平城京に開いた寺です。
万葉集日本で最も古い和歌集で、約4500首を収めています。
興福寺阿修羅像藤原氏の寺である興福寺にある、3つの顔と6本の腕をもつ少年のような姿の仏像です。
まぎらわしい用語
年号の語呂合わせ
- 710年なんと(710)見事な平城京
- 712年ない(71)、ふ(2)るい記録が。だから古事記にまとめた
- 713年ないさ(713)、風土記にのらない土地は
- 717年な(7)い(1)な(7)いと嘆く仲麻呂、唐へ出発
- 720年なにを(720)書いたか日本書紀
- 723年なじみ(723)の土地を子に孫に
- 729年なに苦(729)しむ長屋王、藤原氏に追われて
- 737年なみ(73)だな(7)がす都、天然痘でみんな苦しむ
- 741年な(7)、よい(41)国にと国分寺の詔
- 743年公地はなしさ(743)、墾田永年私財法
- 743年なしさ(743)不安、大仏つくれの詔
- 752年難攻不落(752)奈良の大仏
- 753年和み(753)輝く鑑真
- 769年なろく(769)ず、道鏡は天皇になれず
- 784年悩(78)む都、し(4)ばらく長岡京
確認問題
答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。
Q1平城京に都を移したのは何年でしょう。
710年
平城京に都を移す(710年)。元明天皇が、唐の都の長安を手本にして、奈良に平城京という新しい都をつくり、藤原京から都を移しました。ごろ合わせ: なんと(710)見事な平城京
Q2『古事記の完成』が起きたのは何年でしょう。
712年
古事記の完成(712年)。稗田阿礼が語り伝えた神話や天皇の記録を、太安万侶が書きまとめて元明天皇に差し出した、日本で最も古い歴史書です。ごろ合わせ: ない(71)、ふ(2)るい記録が。だから古事記にまとめた
Q3『日本書紀の完成』が起きたのは何年でしょう。
720年
日本書紀の完成(720年)。舎人親王が中心となって、神代から持統天皇までの歴史を年代順に漢文で書いた、日本で最初の正式な歴史書が完成しました。ごろ合わせ: なにを(720)書いたか日本書紀
Q4『三世一身法』が起きたのは何年でしょう。
723年
三世一身法(723年)。人口がふえて口分田が足りなくなったため、新しく土地を切り開いた人には、3代(子・孫・ひ孫)まで土地を持つことを認めた法律です。ごろ合わせ: なじみ(723)の土地を子に孫に
Q5『国分寺建立の詔』が起きたのは何年でしょう。
741年
国分寺建立の詔(741年)。聖武天皇が、仏教の力で国を守るため、国ごとに国分寺と国分尼寺を建てるよう命じました。ごろ合わせ: な(7)、よい(41)国にと国分寺の詔
つぎのステップ
年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。