弥生時代の年表とできごと

弥生時代は紀元前300年ごろから250年ごろまでの約550年間で、稲作が広まり、むらがくにへとまとまっていった時代です。大陸から米づくりが伝わって広まり、むらがまとまって小さなくにができました。3世紀には、邪馬台国の女王卑弥呼が魏に使いを送りました。
- いつから
- 紀元前300年ごろ
- いつまで
- 250年ごろ
- 長さ
- 約550年間
- 前の時代
- 縄文時代
- 次の時代
- 古墳時代
- キーワード
- 米づくり・弥生土器・高床倉庫・金印・卑弥呼
この時代でおさえること
- 稲作・弥生土器・高床倉庫
- 登呂遺跡・吉野ヶ里遺跡
- 金印(57)
- 卑弥呼・邪馬台国(239)
弥生時代のくらしとしくみ
弥生時代のくらし
大陸から伝わった米づくりが広まり、人々は水田のそばにむらをつくって定住しました。弥生土器や高床倉庫、金属器が使われ、身分や貧富の差が生まれました。
米づくりは九州北部から西日本、東日本へと広がりました。収穫した米は高床倉庫にたくわえ、石包丁で穂をつみ取りました。うすくて赤っぽい弥生土器のほか、青銅器(銅鐸・銅剣・銅鏡)や鉄器も伝わりました。たくわえができると、持つ者と持たない者の差が生まれ、土地や水をめぐる争いが起きて、まわりを堀や柵で囲んだ環濠集落がつくられました。むらをまとめる指導者が現れ、やがて小さな「くに」ができていきます。
- 米づくり(稲作)が広まり定住・むらができる
- 弥生土器・高床倉庫・石包丁・青銅器・鉄器
- 貧富や身分の差が生まれ、争いが起こり「くに」ができる
むらからくにへ(争いと小さな国)
米のたくわえをめぐって貧富の差が生まれ、むら同士が土地や水を取り合って争うようになりました。強いむらが弱いむらをしたがえ、各地に小さな「くに」ができました。
- たくわえ→貧富の差→争い→小さな国、という順
- 1世紀ごろ日本には100あまりの国があった(中国の歴史書『漢書』)
- 環濠集落(吉野ヶ里)が争いの証拠
邪馬台国
3世紀ごろ、30ほどの国をまとめていたとされる国です。女王の卑弥呼がまじないによって国を治めました。場所は九州説と近畿説があり、まだわかっていません。
中国の歴史書『魏志』倭人伝には、倭では争いが続いたため、諸国が共同で卑弥呼を女王に立てたところ国がまとまった、と書かれています。卑弥呼は神のお告げを伝えるまじないで政治を行い、弟が実際の政治を助けました。邪馬台国の場所は、九州にあったとする説と、大和(奈良県)にあったとする説が今も対立しています。
- 3世紀。女王卑弥呼がまじないで治めた
- 記録は中国の『魏志』倭人伝
- 場所は九州説と近畿(大和)説
弥生時代の年表
中学受験でよく出るできごとを、年の順にならべました。できごとの名前をタップすると、年表アプリで前後の流れを見られます。
- 前300年ごろ米づくりが伝わり広まる大陸や朝鮮半島から米づくりが伝わり、九州北部から東へ広まりました。
- 前300年ごろ板付遺跡(福岡県)福岡県にある、日本で最も古い時期の水田のあとが見つかった遺跡です。
- 前200年ごろ弥生土器と高床倉庫うすくてかたく、赤っぽい色の弥生土器がつくられました。
- 前100年ごろ青銅器(銅鐸・銅剣・銅鏡)と鉄器大陸から金属器が伝わりました。
- 前50年ごろ倭が100余りの国に分かれていた(『漢書』地理志)中国の歴史書『漢書』地理志に、紀元前1世紀ごろの倭(日本)は100あまりの国に分かれ、楽浪郡に使いを送っていたと書かれています。
- 57年奴国の王が漢に使いを送り金印を受ける九州北部にあった奴国の王が中国の漢(後漢)に使いを送り、皇帝から金印を授けられました。
- 100年ごろ登呂遺跡(静岡県)静岡県にある弥生時代のむらのあとです。
- 100年ごろ吉野ヶ里遺跡(佐賀県)佐賀県にある弥生時代の大きなむらのあとです。
- 239年卑弥呼が魏に使いを送る邪馬台国の女王卑弥呼が中国の魏に使いを送り、皇帝から「親魏倭王」の称号と金印、たくさんの銅鏡を授けられました。
おもな人物
まぎらわしい用語
年号の語呂合わせ
- 57年こんな(57)に豪華 漢の金印
- 239年文(23)く(9)ださいね 卑弥呼より
確認問題
答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。
Q1佐賀県にある弥生時代の大きなむらのあとです。まわりを深い堀や柵で囲んだ環濠集落で、物見やぐらのあともあり、争いがあったことがわかります。この説明にあてはまる遺跡を何といいますか。
吉野ヶ里遺跡
吉野ヶ里遺跡(佐賀県)(100年ごろ)。二重の堀に囲まれた広い集落で、物見やぐらや、矢じりが刺さった人骨、首のない人骨も見つかっており、むら同士の争いがあったことを示しています。
Q2福岡県にある、日本で最も古い時期の水田のあとが見つかった遺跡です。米づくりが九州北部から始まったことを示しています。この説明にあてはまる遺跡を何といいますか。
板付遺跡
板付遺跡(福岡県)(前300年ごろ)。覚え方: 板付(福岡)=最古級の水田。米づくりは九州北部から
Q3静岡県にある弥生時代のむらのあとです。水田のあとや竪穴住居、高床倉庫がまとまって見つかり、米づくりのくらしの様子がよくわかります。この説明にあてはまる遺跡を何といいますか。
登呂遺跡
登呂遺跡(静岡県)(100年ごろ)。覚え方: 登呂=静岡=水田と高床倉庫。「登」って「呂」(ろ)=田んぼ
Q4奴国の王が漢に使いを送り金印を受けたのは何年でしょう。
57年
奴国の王が漢に使いを送り金印を受ける(57年)。九州北部にあった奴国の王が中国の漢(後漢)に使いを送り、皇帝から金印を授けられました。ごろ合わせ: こんな(57)に豪華 漢の金印
Q5卑弥呼が魏に使いを送ったのは何年でしょう。
239年
卑弥呼が魏に使いを送る(239年)。邪馬台国の女王卑弥呼が中国の魏に使いを送り、皇帝から「親魏倭王」の称号と金印、たくさんの銅鏡を授けられました。ごろ合わせ: 文(23)く(9)ださいね 卑弥呼より
つぎのステップ
年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。
