平安時代の年表とできごと

平安時代は794年から1185年までの約390年間で、政治の中心が天皇から貴族、上皇、武士へと移っていった時代です。はじめは天皇、つぎに摂政・関白になった藤原氏、そして上皇(院政)、最後は武士の平氏へと、政治の中心が移っていきました。
- いつから
- 794年
- いつまで
- 1185年
- 長さ
- 約390年間
- 前の時代
- 奈良時代
- 次の時代
- 鎌倉時代
- 中心になった人
- 桓武天皇・藤原道長・白河上皇・平清盛
この時代の流れ
- 桓武天皇と平安京(794)
- 藤原氏の摂関政治・国風文化
- 白河上皇の院政(1086)
- 平清盛の政権→源平の戦い
平安時代の年表
中学受験でよく出るできごとを、年の順にならべました。できごとの名前をタップすると、年表アプリで前後の流れを見られます。
- 794年平安京に都を移す桓武天皇が都を奈良の平城京から京都の平安京に移しました。
- 797年坂上田村麻呂が征夷大将軍になる桓武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、東北地方の蝦夷を従わせるための軍を送りました。
- 806年最澄が天台宗を開く唐から帰った最澄が、比叡山に延暦寺を建てて天台宗を開きました。
- 806年空海が真言宗を開く唐で密教を学んで帰った空海が真言宗を開き、高野山に金剛峯寺を建てました。
- 866年藤原良房が摂政になる藤原良房は、皇族以外の人物として初めて摂政になりました。
- 887年藤原基経が関白となる藤原基経が、成人した天皇を助けて政治を行う関白という役職に初めて就きました。
- 894年遣唐使の停止菅原道真の意見により、遣唐使の派遣が取りやめになりました。
- 901年菅原道真が大宰府に左遷される学者として重く用いられた菅原道真が、藤原時平のたくらみで九州の大宰府に追いやられました。
- 939年平将門の乱関東の武士・平将門が国の役所をおそい、自ら「新皇」と名乗って朝廷に反乱を起こしました。
- 939年藤原純友の乱伊予の役人だった藤原純友が海賊を率いて瀬戸内海で反乱を起こし、大宰府までおそいました。
- 1016年藤原道長が摂政になる藤原道長は4人の娘を天皇のきさきにして力を強め、1016年に摂政となりました。
- 1018年道長が「望月の歌」をよむ藤原道長は三人目の娘を天皇のきさきにした祝いの席で「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の…」とよみ、自分の栄華を満月にたとえました。
- 1051年前九年合戦東北地方で力をもった安倍氏が朝廷に従わなくなり、源頼義・義家の父子が東国の武士を率いて戦いました。
- 1052年末法の世が始まるとされる1052年から仏の教えがおとろえる「末法」の世に入ると信じられました。
- 1083年後三年合戦前九年合戦のあと東北を治めた清原氏の一族争いに源義家が加わり、藤原清衡を助けて勝利しました。
- 1086年白河上皇が院政を始める白河天皇は幼い子に位をゆずって上皇となり、上皇の住まい「院」で政治を続けました。
- 1156年保元の乱天皇家と藤原氏の後つぎ争いに武士が動員され、京都で戦いが起きました。
- 1159年平治の乱保元の乱で勝った平清盛と源義朝が対立し、京都で戦いました。
- 1167年平清盛が太政大臣になる平清盛は武士として初めて太政大臣という最高の位に就きました。
- 1173年ごろ大輪田泊を修築し日宋貿易を進める平清盛は瀬戸内海の港・大輪田泊(今の神戸港)を整えて、中国の宋と貿易を行いました。
- 1180年源頼朝が挙兵する平氏の政治に不満が高まる中、伊豆に流されていた源頼朝が兵を挙げました。
- 1185年壇ノ浦の戦いで平氏がほろびる源義経の率いる源氏の軍が、関門海峡の壇ノ浦で平氏をほろぼしました。
押さえておきたいポイント
政治桓武天皇がした2つのこと
平安京遷都と坂上田村麻呂の征夷大将軍任命は、どちらも桓武天皇です。
- 平安京に都を移す(794年)
- 仏教勢力や貴族の影響からはなれ、政治を立て直す
- 坂上田村麻呂を征夷大将軍にする(797年)
- 胆沢城を築き、蝦夷の指導者アテルイを降伏させる
文化・くらし遣唐使の停止から国風文化へ
遣唐使の停止は、唐の力がおとろえ、航海も危険だったためです。進言した菅原道真とセットで覚えましょう。
- 遣唐使の停止(894年・菅原道真が進言)
- 中国文化の影響がうすれる
- 日本風の国風文化が生まれる
- かな文字の発達で女性の文学が栄える
おもな人物
桓武天皇794年に都を平安京に移した天皇です。
坂上田村麻呂桓武天皇に征夷大将軍に任命され、東北地方の蝦夷と戦った武人です。
最澄唐で学んで帰国し、比叡山に延暦寺を建てて天台宗を開いた僧です。
空海唐で密教を学び、帰国して真言宗を開いた僧です。
菅原道真学問にすぐれ右大臣にまでなった貴族です。
藤原道長4人の娘を天皇のきさきにして力を強め、摂政となって摂関政治の全盛期を築いた貴族です。
文化
延暦寺最澄が比叡山に建てた天台宗の中心となる寺です。
金剛峯寺空海が和歌山県の高野山に開いた真言宗の中心となる寺です。
古今和歌集醍醐天皇の命令で紀貫之らがまとめた、日本で最初の勅撰和歌集です。
枕草子清少納言が書いた日本で最初の随筆です。
源氏物語紫式部が書いた長編小説です。
平等院鳳凰堂藤原頼通が宇治に建てた阿弥陀堂です。
まぎらわしい用語
年号の語呂合わせ
- 794年泣くよ(794)うぐいす平安京
- 797年泣くな(797)田村麻呂、征夷大将軍
- 806年晴れろ(806)、比叡の空に最澄の天台宗。同じ年に空海が真言宗
- 806年晴れろ(806)、高野の空に空海の真言宗
- 816年入ろ(816)う高野山、空海の金剛峯寺
- 866年や(8)む(6)を得ず、む(6)すめの子の代わりに良房が摂政
- 894年白紙(894)に戻そう遣唐使
- 901年苦を(90)い(1)やせぬ道真、大宰府へ
- 905年暮れご(905)ろに詠む古今和歌集
- 939年臭く(939)なった世の中、将門・純友の乱
- 939年臭く(939)なった世の中、将門・純友の乱
- 1016年遠い(101)む(6)かしに道長摂政
- 1018年遠い(101)や(8)、望月の歌で道長満足
- 1051年人(10)恋(51)しい東北の戦い、前九年合戦
- 1052年人(10)ご(5)に(2)まぎれて末法の世
- 1053年人(10)ご(5)み(3)にぎわう鳳凰堂。頼通・宇治・阿弥陀・10円玉
- 1083年人(10)闇(83)に沈む清原氏、後三年合戦
- 1086年一応(10)やろう(86)と白河上皇の院政
- 1124年いい(11)西(24)方浄土を願う金色堂。奥州藤原氏=清衡・基衡・秀衡の三代
- 1156年清盛が力をつける いい頃(1156)、保元の乱
- 1159年人々(11)ご苦労(59)平治の乱
- 1167年いい(11)、むな(67)しくない出世。清盛、太政大臣に
- 1173年いい(11)波(73)しずめて大輪田泊
- 1180年いい(11)や(8)お(0)! 頼朝ついに挙兵
- 1185年いい箱(1185)の味 壇ノ浦
確認問題
答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。
Q1平安京に都を移したのは何年でしょう。
794年
平安京に都を移す(794年)。桓武天皇が都を奈良の平城京から京都の平安京に移しました。ごろ合わせ: 泣くよ(794)うぐいす平安京
Q2坂上田村麻呂が征夷大将軍になったのは何年でしょう。
797年
坂上田村麻呂が征夷大将軍になる(797年)。桓武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、東北地方の蝦夷を従わせるための軍を送りました。ごろ合わせ: 泣くな(797)田村麻呂、征夷大将軍
Q3最澄が天台宗を開いたのは何年でしょう。
806年
最澄が天台宗を開く(806年)。唐から帰った最澄が、比叡山に延暦寺を建てて天台宗を開きました。ごろ合わせ: 晴れろ(806)、比叡の空に最澄の天台宗。同じ年に空海が真言宗
Q4空海が真言宗を開いたのは何年でしょう。
806年
空海が真言宗を開く(806年)。唐で密教を学んで帰った空海が真言宗を開き、高野山に金剛峯寺を建てました。ごろ合わせ: 晴れろ(806)、高野の空に空海の真言宗
Q5『遣唐使の停止』が起きたのは何年でしょう。
894年
遣唐使の停止(894年)。菅原道真の意見により、遣唐使の派遣が取りやめになりました。ごろ合わせ: 白紙(894)に戻そう遣唐使
つぎのステップ
年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。