平安時代の人物
平安時代の人物で、中学受験によく出るのは桓武天皇・坂上田村麻呂・最澄・空海・菅原道真・藤原道長・清少納言・紫式部・藤原頼通・白河上皇・平清盛です。このページでは12人を、何をした人か・入試のポイントといっしょにまとめました。
平安時代の人物一覧
政治・外交(7人)
| 人物 | 何をした人か |
|---|---|
| 桓武天皇 | 794年に都を平安京に移した天皇です。 |
| 坂上田村麻呂 | 桓武天皇に征夷大将軍に任命され、東北地方の蝦夷と戦った武人です。 |
| 菅原道真 | 学問にすぐれ右大臣にまでなった貴族です。 |
| 藤原道長 | 4人の娘を天皇のきさきにして力を強め、摂政となって摂関政治の全盛期を築いた貴族です。 |
| 藤原頼通 | 藤原道長の子で、約50年間にわたって摂政・関白を務めました。 |
| 白河上皇 | 1086年に幼い子に天皇の位をゆずり、上皇として政治を行う院政を始めました。 |
| 平清盛 | 保元・平治の乱に勝ち、武士として初めて太政大臣になった平氏の頭領です。 |
文化・宗教(5人)
| 人物 | 何をした人か |
|---|---|
| 最澄 | 唐で学んで帰国し、比叡山に延暦寺を建てて天台宗を開いた僧です。 |
| 空海 | 唐で密教を学び、帰国して真言宗を開いた僧です。 |
| 清少納言 | 随筆『枕草子』を書いた女性の作家です。 |
| 紫式部 | 長編小説『源氏物語』を書いた女性の作家です。 |
| 紀貫之 | 醍醐天皇の命令で『古今和歌集』をまとめた歌人です。 |
表でくらべる
最澄と空海のちがい
| 最澄 | 空海 | |
|---|---|---|
| 宗派 | 天台宗 | 真言宗 |
| 開いた寺 | 比叡山延暦寺(滋賀県) | 高野山金剛峯寺(和歌山県) |
| おくり名 | 伝教大師 | 弘法大師 |
| 特徴 | のちに鎌倉仏教の開祖を多く育てた | 書にすぐれ「弘法にも筆の誤り」のことわざで知られる |
藤原道長と藤原頼通
| 藤原道長 | 藤原頼通 | |
|---|---|---|
| 関係 | 父 | 子 |
| 役職 | 摂政(1016年)→太政大臣 | 摂政・関白を約50年 |
| 有名なもの | 望月の歌、法成寺 | 平等院鳳凰堂(1053年・宇治) |
| 時代の様子 | 摂関政治の頂点 | 末法思想が広まり、後半は摂関政治がおとろえる |
人物をくわしく

桓武天皇
かんむてんのう
794年に都を平安京に移した天皇です。寺院の力から政治を切り離し、坂上田村麻呂を送って東北の蝦夷を従わせるなど、律令政治の立て直しを進めました。
- 平安京遷都(794年)と坂上田村麻呂の征夷大将軍任命はどちらも桓武天皇
- 遷都の目的:仏教勢力や貴族の影響からはなれて政治を立て直す
- 長岡京(784年)→平安京(794年)の順。奈良時代の元明天皇(平城京)と区別する

坂上田村麻呂
さかのうえのたむらまろ
桓武天皇に征夷大将軍に任命され、東北地方の蝦夷と戦った武人です。胆沢城を築き、蝦夷の指導者アテルイを降伏させて朝廷の支配を広げました。
- 征夷大将軍に任命された(797年)のは桓武天皇の時代
- 胆沢城(岩手県)を築き、蝦夷の指導者アテルイを降伏させた
- 征夷大将軍はのちに源頼朝以降の武家政権の頭領の役職名となる

最澄
さいちょう
唐で学んで帰国し、比叡山に延暦寺を建てて天台宗を開いた僧です。伝教大師ともよばれ、延暦寺はのちに多くの僧を育てる仏教の中心になりました。
- 最澄=天台宗=比叡山延暦寺(滋賀県)=伝教大師
- 空海(真言宗・高野山金剛峯寺・弘法大師)との対比で必ず問われる
- 延暦寺は鎌倉新仏教の開祖たちが学んだ場所

空海
くうかい
唐で密教を学び、帰国して真言宗を開いた僧です。高野山に金剛峯寺を建て、弘法大師ともよばれます。書の名人としても知られています。
- 空海=真言宗=高野山金剛峯寺(和歌山県)=弘法大師
- 京都の東寺(教王護国寺)も空海の寺。綜芸種智院・満濃池も関連
- 三筆(空海・嵯峨天皇・橘逸勢)の一人。「弘法にも筆の誤り」

菅原道真
すがわらのみちざね
学問にすぐれ右大臣にまでなった貴族です。894年に遣唐使の停止を進言しましたが、藤原氏のたくらみで大宰府に左遷され、のちに学問の神様としてまつられました。
- 894年の遣唐使停止を進言した人物。宇多天皇に重用された
- 901年に藤原時平の陰謀で大宰府に左遷され、903年に死去
- 死後、天神としてまつられる(北野天満宮・太宰府天満宮)。学問の神様

藤原道長
ふじわらのみちなが
4人の娘を天皇のきさきにして力を強め、摂政となって摂関政治の全盛期を築いた貴族です。「この世をば…」の望月の歌で有名です。
- 娘を天皇のきさきにして外戚となり、1016年に摂政になった=摂関政治の全盛期
- 「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の…」の作者
- 子の藤原頼通が平等院鳳凰堂を建てた。道長と頼通の親子を区別する

清少納言
せいしょうなごん
随筆『枕草子』を書いた女性の作家です。一条天皇のきさき・定子に仕え、「春はあけぼの」で始まる文章で四季の美しさや宮中の暮らしを生き生きとえがきました。
- 『枕草子』の作者。「春はあけぼの」で始まる日本最初の随筆
- 一条天皇のきさき・定子に仕えた(紫式部は彰子に仕えた)
- 三大随筆:『枕草子』(平安)『方丈記』(鎌倉)『徒然草』(室町・鎌倉末)の時代順

紫式部
むらさきしきぶ
長編小説『源氏物語』を書いた女性の作家です。藤原道長の娘で一条天皇のきさきの彰子に仕え、かな文字を使って貴族の暮らしや心を細やかにえがきました。
- 『源氏物語』の作者。かな文字を使った長編小説(国風文化)
- 藤原道長の娘・彰子(一条天皇のきさき)に仕えた
- 清少納言(『枕草子』・定子に仕えた)との対比で出題される

藤原頼通
ふじわらのよりみち
藤原道長の子で、約50年間にわたって摂政・関白を務めました。宇治に平等院鳳凰堂を建て、阿弥陀仏をまつって極楽浄土への往生を願いました。
- 藤原道長の子。約50年間摂政・関白を務めた
- 平等院鳳凰堂(1053年・京都府宇治市)を建てた。浄土教・末法思想と関連
- 頼通のあと、藤原氏を外戚としない後三条天皇が即位し、摂関政治はおとろえた

白河上皇
しらかわじょうこう
1086年に幼い子に天皇の位をゆずり、上皇として政治を行う院政を始めました。北面の武士を置くなど、藤原氏をおさえて強い力をふるいました。
- 1086年に院政を始めた上皇。上皇=位をゆずった天皇。出家すると法皇
- 院政により藤原氏の摂関政治はおとろえた(摂関政治→院政→平氏政権の流れ)
- 北面の武士を置いて平氏を取り立て、武士が中央に進出するきっかけを作った

平清盛
たいらのきよもり
保元・平治の乱に勝ち、武士として初めて太政大臣になった平氏の頭領です。娘を天皇のきさきにし、日宋貿易を進め、厳島神社を整えて平氏の全盛期を築きました。
- 保元の乱・平治の乱に勝利し、1167年に武士として初めて太政大臣になった
- 娘を天皇のきさきにして外戚となる(藤原氏と同じ方法)。孫が安徳天皇
- 日宋貿易(大輪田泊・神戸)と厳島神社(広島県・世界遺産)の整備

紀貫之
きのつらゆき
醍醐天皇の命令で『古今和歌集』をまとめた歌人です。土佐から京都へ帰る旅を、女性のふりをしてかな文字で書いた『土佐日記』でも知られます。
- 『古今和歌集』(905年・醍醐天皇の勅命・最初の勅撰和歌集)の編者
- 『土佐日記』は男性の貫之が女性のふりをしてかな文字で書いた最初の日記文学
- 三大和歌集:『万葉集』(奈良・大伴家持ら)『古今和歌集』(平安)『新古今和歌集』(鎌倉・藤原定家ら)の区別
確認問題
答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。
Q1794年に都を平安京に移した天皇です。寺院の力から政治を切り離し、坂上田村麻呂を送って東北の蝦夷を従わせるなど、律令政治の立て直しを進めました。この天皇はだれでしょう。
桓武天皇
桓武天皇は781年に即位し、奈良の大寺院や貴族の力が強くなりすぎた政治を立て直そうとしました。
Q2桓武天皇に征夷大将軍に任命され、東北地方の蝦夷と戦った武人です。胆沢城を築き、蝦夷の指導者アテルイを降伏させて朝廷の支配を広げました。この武人はだれでしょう。
坂上田村麻呂
坂上田村麻呂は武勇にすぐれた貴族で、桓武天皇のもとで蝦夷との戦いに何度も加わりました。
Q3唐で学んで帰国し、比叡山に延暦寺を建てて天台宗を開いた僧です。伝教大師ともよばれ、延暦寺はのちに多くの僧を育てる仏教の中心になりました。この僧はだれでしょう。
最澄
最澄は近江(滋賀県)に生まれ、若いころから比叡山で修行しました。
Q4『京都の東寺(教王護国寺)も○○の寺。綜芸種智院・満濃池も関連』という特徴にあてはまる人物はだれでしょう。
空海
唐で密教を学び、帰国して真言宗を開いた僧です。
Q5学問にすぐれ右大臣にまでなった貴族です。894年に遣唐使の停止を進言しましたが、藤原氏のたくらみで大宰府に左遷され、のちに学問の神様としてまつられました。この貴族はだれでしょう。
菅原道真
菅原道真は学者の家に生まれ、詩や学問にすぐれていたため宇多天皇に重く用いられました。
平安時代の読みもの
つぎのステップ
年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。