平安時代の一問一答

平安時代(794年〜1185年)の、中学受験でよく出るできごと・人物・文化を138問の一問一答にまとめました。問題をタップすると答えと解説が出ます。平安時代は「天皇→貴族→上皇→武士へ、力の持ち主が移る」時代です。
フラッシュカードクイズ
カードをタップすると答えがめくれます。「覚えた」「まだ」に分けて、まだのカードだけくり返せます。
政治81問
中学受験で押さえておきたいポイント5つ
1桓武天皇がした2つのこと
平安京遷都と坂上田村麻呂の征夷大将軍任命は、どちらも桓武天皇です。
- 平安京に都を移す(794年)
- 仏教勢力や貴族の影響からはなれ、政治を立て直す
- 坂上田村麻呂を征夷大将軍にする(797年)
- 胆沢城を築き、蝦夷の指導者アテルイを降伏させる
2摂政と関白のちがい
藤原氏は娘を天皇のきさきにして外戚となり、菅原道真の左遷(901年)などで他の氏を退けました。摂関政治は藤原道長・頼通の親子のころに最も栄えました。
摂政 関白 役目 天皇が幼いときなどに代わって政治を行う 成人した天皇を助けて政治を行う 初めての藤原氏 藤原良房(866年) 藤原基経(887年) 3地方の戦いで武士が力をつけた
将門・純友の乱を朝廷が武士の力でしずめたことで武士の地位が上がり、前九年・後三年合戦を通じて源氏が東国武士の頭領になりました。
戦い 年 場所 内容 平将門の乱 939年 関東 国府をおそい「新皇」と名乗る 藤原純友の乱 939年 瀬戸内海 海賊を率いて大宰府をおそう 前九年合戦 1051〜1062年 東北 源頼義・義家が安倍氏をたおす 後三年合戦 1083〜1087年 東北 源義家が清原氏の争いをしずめる 4保元の乱と平治の乱を区別する
保元の乱(1156年)は崇徳上皇と後白河天皇の争いで、平清盛と源義朝はどちらも後白河天皇側で勝ちました。平治の乱(1159年)はその清盛と義朝の争いで、敗れた義朝の子・頼朝は伊豆に流されました。
5院政から平氏の滅亡までの流れ
力の持ち主は、摂関政治(藤原氏)→院政(上皇)→平氏政権(武士)と移りました。平氏は貴族と同じようなやり方で栄えたため、反発を招きました。
- 白河上皇が院政を始める(1086年)
- 保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)
- 平清盛が武士で初めて太政大臣に(1167年)
- 源頼朝の挙兵(1180年)
- 壇ノ浦の戦いで平氏がほろびる(1185年)
名前をこたえる
1794年に都を平安京に移した天皇です。寺院の力から政治を切り離し、坂上田村麻呂を送って東北の蝦夷を従わせるなど、律令政治の立て直しを進めました。この天皇はだれでしょう。
2桓武天皇に征夷大将軍に任命され、東北地方の蝦夷と戦った武人です。胆沢城を築き、蝦夷の指導者アテルイを降伏させて朝廷の支配を広げました。この武人はだれでしょう。
3桓武天皇が都を奈良の平城京から京都の○○に移しました。ここから鎌倉幕府ができるまでの約400年間を平安時代とよびます。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
4桓武天皇は○○を△△に任命し、東北地方の蝦夷を従わせるための軍を送りました。○○は胆沢城を築いて朝廷の支配を広げました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
5学問にすぐれ右大臣にまでなった貴族です。894年に遣唐使の停止を進言しましたが、藤原氏のたくらみで大宰府に左遷され、のちに学問の神様としてまつられました。この貴族はだれでしょう。
6藤原氏が娘を天皇のきさきにして、天皇が幼いときは摂政、大人になると関白として政治を行った時代です。道長・頼通のころに最も栄えました。この説明にあてはまる時代を何といいますか。
7皇族以外の人物として初めて○○になりました。天皇が幼いときに代わって政治を行う役職で、ここから藤原氏の摂関政治が始まります。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
8○○が、成人した天皇を助けて政治を行う△△という役職に初めて就きました。摂政と△△を藤原氏が独占する摂関政治のしくみが整いました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
9学者として重く用いられた○○が、藤原時平のたくらみで九州の△△に追いやられました。道真は2年後にその地で亡くなりました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
10関東の武士・○○が国の役所をおそい、自ら「新皇」と名乗って朝廷に反乱を起こしました。乱は約1年でしずめられましたが、武士の力を示す出来事でした。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
11伊予の役人だった○○が海賊を率いて瀬戸内海で反乱を起こし、大宰府までおそいました。平将門の乱と同じころの出来事です。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
124人の娘を天皇のきさきにして力を強め、摂政となって摂関政治の全盛期を築いた貴族です。「この世をば…」の望月の歌で有名です。この貴族はだれでしょう。
13藤原道長の子で、約50年間にわたって摂政・関白を務めました。宇治に平等院鳳凰堂を建て、阿弥陀仏をまつって極楽浄土への往生を願いました。この人物はだれでしょう。
144人の娘を天皇のきさきにして力を強め、1016年に○○となりました。道長とその子・頼通のころ、藤原氏の摂関政治は最も栄えました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
15東北地方で力をもった安倍氏が朝廷に従わなくなり、源頼義・義家の父子が東国の武士を率いて戦いました。約12年かかって安倍氏をほろぼしました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
161086年に幼い子に天皇の位をゆずり、上皇として政治を行う院政を始めました。北面の武士を置くなど、藤原氏をおさえて強い力をふるいました。この人物はだれでしょう。
17前九年合戦のあと東北を治めた清原氏の一族争いに源義家が加わり、藤原清衡を助けて勝利しました。清衡は奥州藤原氏の祖となり平泉で栄えました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
18天皇が位をゆずって上皇となり、上皇として政治を行った時代です。白河・鳥羽・後白河の三代の上皇が約100年にわたって力をふるいました。この説明にあてはまる時代を何といいますか。
19保元・平治の乱に勝ち、武士として初めて太政大臣になった平氏の頭領です。娘を天皇のきさきにし、日宋貿易を進め、厳島神社を整えて平氏の全盛期を築きました。この頭領はだれでしょう。
20天皇家と藤原氏の後つぎ争いに武士が動員され、京都で戦いが起きました。後白河天皇側についた平清盛と源義朝が勝ち、武士の力が政治を左右することが示されました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
21保元の乱で勝った平清盛と源義朝が対立し、京都で戦いました。清盛が勝って源氏はおとろえ、義朝の子の頼朝は伊豆に流されました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
22平清盛を中心とする平氏が政治の実権をにぎった時代です。武士として初めて政権をとりましたが、貴族と同じようなやり方で栄えたため反発を招き、約20年でほろびました。この説明にあてはまる時代を何といいますか。
23武士として初めて○○という最高の位に就きました。娘を天皇のきさきにし、一族で高い位を独占して、平氏の政権をつくりました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
24平氏の政治に不満が高まる中、伊豆に流されていた○○が兵を挙げました。関東の武士が集まり、頼朝は鎌倉を拠点にして平氏との戦いを始めました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
25源義経の率いる源氏の軍が、関門海峡の○○で△△をほろぼしました。幼い安徳天皇は海に沈み、武士による新しい時代が始まります。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
261086年、天皇が幼い子に位をゆずったあとも、位をしりぞいた立場のまま政治を続けるしくみを始めました。これによって藤原氏の摂関政治はおとろえました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
27『道真を○○したのは藤原時平。藤原氏が他氏を退けた例の一つ』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。
28『道長は娘を天皇のきさきにして外戚となり、1016年に○○となった』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。
29『○○(1051〜1062年):源頼義・義家が安倍氏をたおす。清原氏が協力』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。
30『天皇が位をゆずって上皇(院)となり、上皇として政治を行うしくみ。1086年に○○が開始』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。
31『○○のきっかけは藤原氏を外戚としない後三条天皇が政治を自ら行ったこと』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。
32『○○の乱(1159年)は平清盛と源義朝の争い。清盛が勝ち平氏の全盛へ』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。
33887年、成人した天皇を助けて政治を行う役職に、初めて人がつきました。これで摂政とあわせて、藤原氏が天皇を助ける役職を独占するしくみが整いました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
34939年、関東の武士が国の役所をおそい、自ら「新皇」と名乗って朝廷にそむきました。約1年でしずめられましたが、武士の力を示したこのできごとは何でしょう。
年号をこたえる
35平安京に都を移したのは何年でしょう。
36坂上田村麻呂が征夷大将軍になったのは何年でしょう。
797年
坂上田村麻呂が征夷大将軍になる(797年)。桓武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、東北地方の蝦夷を従わせるための軍を送りました。ごろ合わせ: 泣くな(797)田村麻呂、征夷大将軍
年表で見る37藤原良房が正式に摂政となったのは何年でしょう。
866年
藤原良房が摂政になる(866年)。藤原良房は、皇族以外の人物として初めて摂政になりました。ほかの年で習うこともあります(858年に幼い清和天皇の政治を代行し、866年(応天門の変の年)に正式に摂政となった)。ごろ合わせ: や(8)む(6)を得ず、む(6)すめの子の代わりに良房が摂政
年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい38藤原基経が関白となったのは何年でしょう。
39菅原道真が大宰府に左遷されたのは何年でしょう。
901年
菅原道真が大宰府に左遷される(901年)。学者として重く用いられた菅原道真が、藤原時平のたくらみで九州の大宰府に追いやられました。ごろ合わせ: 苦を(90)い(1)やせぬ道真、大宰府へ
年表で見る40平将門が「新皇」と名乗って関東の国府をおそったのは何年でしょう。
939年
平将門の乱(939年)。関東の武士・平将門が国の役所をおそい、自ら「新皇」と名乗って朝廷に反乱を起こしました。ほかの年で習うこともあります(一族の争いは935年から始まり、939年に関東の国府をおそって新皇を名乗った。940年に平定)。ごろ合わせ: 臭く(939)なった世の中、将門・純友の乱
年表で見る41『藤原純友の乱』が起きたのは何年でしょう。
42藤原道長が摂政になったのは何年でしょう。
1016年
藤原道長が摂政になる(1016年)。藤原道長は4人の娘を天皇のきさきにして力を強め、1016年に摂政となりました。ごろ合わせ: 遠い(101)む(6)かしに道長摂政
年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい43『前九年合戦』が起きたのは何年でしょう。
1051年
前九年合戦(1051年)。東北地方で力をもった安倍氏が朝廷に従わなくなり、源頼義・義家の父子が東国の武士を率いて戦いました。ごろ合わせ: 人(10)恋(51)しい東北の戦い、前九年合戦
年表で見る44『後三年合戦』が起きたのは何年でしょう。
45白河上皇が院政を始めたのは何年でしょう。
46『保元の乱』が起きたのは何年でしょう。
47『平治の乱』が起きたのは何年でしょう。
48平清盛が太政大臣になったのは何年でしょう。
49源頼朝が挙兵したのは何年でしょう。
50壇ノ浦の戦いで平氏がほろびたのは何年でしょう。
原因と結果
51平安京に都を移した結果として起きたことは何でしょう。
52坂上田村麻呂が征夷大将軍になったきっかけとなったできごとは何でしょう。
53『摂関政治』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。
54『摂関政治』の結果として起きたことは何でしょう。
55藤原良房が摂政になった結果として起きたことは何でしょう。
56藤原道長が摂政になった結果として起きたことは何でしょう。
道長が「望月の歌」をよむ
藤原道長は三人目の娘を天皇のきさきにした祝いの席で「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の…」とよみ、自分の栄華を満月にたとえました。「藤原道長が摂政になる」のあとに起きたできごとです。
年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい57『前九年合戦』の結果として起きたことは何でしょう。
58『後三年合戦』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。
59『後三年合戦』の結果として起きたことは何でしょう。
60『院政』の結果として起きたことは何でしょう。
61『保元の乱』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。
62『保元の乱』の結果として起きたことは何でしょう。
63『平治の乱』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。
64『平治の乱』の結果として起きたことは何でしょう。
65『平氏政権』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。
66『平氏政権』の結果として起きたことは何でしょう。
67平清盛が太政大臣になったきっかけとなったできごとは何でしょう。
68平清盛が太政大臣になった結果として起きたことは何でしょう。
69源頼朝が挙兵したきっかけとなったできごとは何でしょう。
70源頼朝が挙兵した結果として起きたことは何でしょう。
71壇ノ浦の戦いで平氏がほろびたきっかけとなったできごとは何でしょう。
くらべて見分ける
72摂政と関白のうち、役目が『天皇が幼いときなどに代わって政治を行う』なのはどちらでしょう。
73摂政と関白のうち、役目が『天皇が幼い・女性のとき代わりに政治』なのはどちらでしょう。
74平将門の乱と藤原純友の乱のうち、場所が『関東(下総など)』なのはどちらでしょう。
75平将門の乱と藤原純友の乱のうち、内容が『国府をおそい「新皇」と名乗る』なのはどちらでしょう。
76平将門の乱と藤原純友の乱のうち、しずめた人が『平貞盛・藤原秀郷』なのはどちらでしょう。
77藤原道長と藤原頼通のうち、役職が『摂政(1016年)→太政大臣』なのはどちらでしょう。
78藤原道長と藤原頼通のうち、有名なものが『望月の歌、法成寺』なのはどちらでしょう。
79前九年合戦と後三年合戦のうち、結果が『安倍氏がほろび、清原氏が東北を支配』なのはどちらでしょう。
80保元の乱と平治の乱のうち、対立が『崇徳上皇 vs 後白河天皇(天皇家・藤原氏の争い)』なのはどちらでしょう。
81保元の乱と平治の乱のうち、結果が『武士の力が政治を左右することが明らかに』なのはどちらでしょう。
外交・世界3問
名前をこたえる
82菅原道真の意見により、○○の派遣が取りやめになりました。唐の力がおとろえ、航海も危険だったためです。これにより日本風の文化が育ちました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
年号をこたえる
83『遣唐使の停止』が起きたのは何年でしょう。
原因と結果
84『遣唐使の停止』の結果として起きたことは何でしょう。
文化・くらし54問
中学受験で押さえておきたいポイント5つ
1遣唐使の停止から国風文化へ
遣唐使の停止は、唐の力がおとろえ、航海も危険だったためです。進言した菅原道真とセットで覚えましょう。
- 遣唐使の停止(894年・菅原道真が進言)
- 中国文化の影響がうすれる
- 日本風の国風文化が生まれる
- かな文字の発達で女性の文学が栄える
2紫式部と清少納言をくらべる
2人ともかな文字を使い、一条天皇のきさきに仕えた女性です。作品の種類と仕えた人のちがいがよく出ます。
紫式部 清少納言 作品 源氏物語 枕草子 種類 物語(長編小説) 随筆 仕えた人 彰子(藤原道長の娘) 定子 特徴 光源氏が主人公・54帖 「春はあけぼの」で始まる 3紀貫之は2つの作品で出る
紀貫之は、905年に醍醐天皇の命令でまとめた最初の勅撰和歌集『古今和歌集』の編者です。女性のふりをしてかな文字で書いた『土佐日記』の作者でもあります。
4最澄と空海のちがい
2人とも804年の遣唐使とともに唐へ渡り、山の中で修行する新しい仏教を開きました。
最澄 空海 宗派 天台宗 真言宗 寺 比叡山延暦寺(滋賀県) 高野山金剛峯寺(和歌山県) おくり名 伝教大師 弘法大師 5末法思想と浄土教の建物
1052年から末法の世に入ると信じられ、阿弥陀仏にすがる浄土教が広まりました。平等院鳳凰堂(1053年)を建てたのは藤原道長ではなく子の頼通で、中尊寺金色堂(1124年)は奥州藤原氏の藤原清衡が平泉に建てました。
名前をこたえる
85唐で学んで帰国し、比叡山に延暦寺を建てて天台宗を開いた僧です。伝教大師ともよばれ、延暦寺はのちに多くの僧を育てる仏教の中心になりました。この僧はだれでしょう。
86唐で密教を学び、帰国して真言宗を開いた僧です。高野山に金剛峯寺を建て、弘法大師ともよばれます。書の名人としても知られています。この僧はだれでしょう。
87最澄が比叡山に建てた天台宗の中心となる寺です。多くの僧がここで学び、鎌倉時代に新しい仏教を開いた法然・親鸞・日蓮なども修行しました。この説明にあてはまる寺を何といいますか。
88最澄の天台宗と空海の真言宗が開かれ、山の中で修行し祈とうで願いをかなえる○○が貴族に広まった時期です。奈良の△△とはちがう新しい△△でした。この説明にあてはまる時期を何といいますか。
89唐で密教を学んで帰った○○が△△を開き、高野山に金剛峯寺を建てました。○○は弘法大師ともよばれ、書や文化でも活やくしました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
90唐から帰った○○が、比叡山に延暦寺を建てて△△を開きました。山の中で厳しい修行をする新しい仏教が広まりました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
91空海が和歌山県の高野山に開いた真言宗の中心となる寺です。人里はなれた山の中で修行する密教の道場で、空海の墓所もあります。この説明にあてはまる寺を何といいますか。
92醍醐天皇の命令で『古今和歌集』をまとめた歌人です。土佐から京都へ帰る旅を、女性のふりをしてかな文字で書いた『土佐日記』でも知られます。この歌人はだれでしょう。
93遣唐使の停止後、日本の風土や生活に合った文化が生まれました。かな文字・寝殿造・大和絵・十二単などが特徴で、『源氏物語』や『枕草子』が書かれました。この説明にあてはまる文化を何といいますか。
94竹から生まれたかぐや姫が、貴公子たちの求婚を退けて月へ帰る物語です。かな文字で書かれた日本で最も古い物語といわれ、作者はわかっていません。この説明にあてはまる物語を何といいますか。
95醍醐天皇の命令で紀貫之らがまとめた、日本で最初の勅撰和歌集です。かな文字で書かれた約1100首の和歌を収め、国風文化の始まりを告げる作品は何でしょう。
96紀貫之が土佐から京都へ帰る55日間の旅を、女性のふりをしてかな文字で書いた日記です。かな文字による日記文学の始まりとなりました。この説明にあてはまる日記を何といいますか。
97随筆『枕草子』を書いた女性の作家です。一条天皇のきさき・定子に仕え、「春はあけぼの」で始まる文章で四季の美しさや宮中の暮らしを生き生きとえがきました。この作家はだれでしょう。
98長編小説『源氏物語』を書いた女性の作家です。藤原道長の娘で一条天皇のきさきの彰子に仕え、かな文字を使って貴族の暮らしや心を細やかにえがきました。この作家はだれでしょう。
99平安時代の貴族の屋敷の建て方です。中心の寝殿と左右の建物を渡り廊下でつなぎ、南に池のある庭をつくりました。国風文化を代表する建築様式は何でしょう。
100清少納言が書いた日本で最初の随筆です。「春はあけぼの」で始まり、四季の美しさや宮中での出来事を、するどい観察と明るい文章で自由に書いています。この説明にあてはまる随筆を何といいますか。
101紫式部が書いた長編小説です。光源氏を主人公に、貴族の恋や人生を細やかにえがいた54帖の物語で、世界でも最も古い長編小説の一つといわれます。この説明にあてはまる長編小説を何といいますか。
102藤原○○は三人目の娘を天皇のきさきにした祝いの席で「この世をば わが世とぞ思ふ △△の…」とよみ、自分の栄華を満月にたとえました。このできごとは何でしょう。
1031052年から仏の教えがおとろえる「○○」の世に入ると信じられました。人々は不安になり、阿弥陀仏にすがって極楽浄土へ行こうとする浄土教が広まりました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
104藤原頼通が宇治に建てた阿弥陀堂です。極楽浄土をこの世に表そうとした建物で、中には仏師・定朝の作った阿弥陀如来像がまつられています。10円硬貨の絵柄は何でしょう。
105奥州藤原氏の藤原清衡が平泉に建てた阿弥陀堂です。内も外も金箔でおおわれ、東北地方の金の豊かさと浄土教の広がりを今に伝えています。この説明にあてはまる阿弥陀堂を何といいますか。
106日本の風景や人物を日本風にえがく○○が生まれ、物語を絵と文で巻物に表した△△が作られました。『源氏物語絵巻』や『鳥獣戯画』が有名です。この説明にあてはまる絵を何といいますか。
107平清盛が平氏の守り神としてあつく信仰し、海の上に社殿を整えた神社です。瀬戸内海の航路の安全を願い、平氏の栄えを示す平家納経がおさめられました。この説明にあてはまる神社を何といいますか。
108平清盛は瀬戸内海の港・○○(今の神戸港)を整えて、中国の宋と貿易を行いました。宋銭や絹などが輸入され、平氏の大きな収入になりました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
109『延暦寺』をつくった人物はだれでしょう。
110『金剛峯寺』をつくった人物はだれでしょう。
111『古今和歌集』をつくった人物はだれでしょう。
112『土佐日記』をつくった人物はだれでしょう。
113『枕草子』をつくった人物はだれでしょう。
114『源氏物語』をつくった人物はだれでしょう。
115『平等院鳳凰堂』をつくった人物はだれでしょう。
116『厳島神社』をつくった人物はだれでしょう。
117『京都の東寺(教王護国寺)も○○の寺。綜芸種智院・満濃池も関連』という特徴にあてはまる人物はだれでしょう。
年号をこたえる
118『延暦寺』がつくられたのは何年でしょう。
119空海が真言宗を開いたのは何年でしょう。
806年
空海が真言宗を開く(806年)。唐で密教を学んで帰った空海が真言宗を開き、高野山に金剛峯寺を建てました。ごろ合わせ: 晴れろ(806)、高野の空に空海の真言宗
年表で見る読みもの: 天台宗と真言宗のちがい(最澄と空海)120最澄が天台宗を開いたのは何年でしょう。
806年
最澄が天台宗を開く(806年)。唐から帰った最澄が、比叡山に延暦寺を建てて天台宗を開きました。ごろ合わせ: 晴れろ(806)、比叡の空に最澄の天台宗。同じ年に空海が真言宗
年表で見る読みもの: 天台宗と真言宗のちがい(最澄と空海)121『金剛峯寺』がつくられたのは何年でしょう。
122『古今和歌集』がつくられたのは何年でしょう。
123道長が「望月の歌」をよんだのは何年でしょう。
1018年
道長が「望月の歌」をよむ(1018年)。藤原道長は三人目の娘を天皇のきさきにした祝いの席で「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の…」とよみ、自分の栄華を満月にたとえました。ごろ合わせ: 遠い(101)や(8)、望月の歌で道長満足
年表で見る124末法の世が始まるとされたのは何年でしょう。
125『平等院鳳凰堂』がつくられたのは何年でしょう。
126『中尊寺金色堂』がつくられたのは何年でしょう。
原因と結果
127『平安初期の仏教(密教)』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。
最澄が天台宗を開く
唐から帰った最澄が、比叡山に延暦寺を建てて天台宗を開きました。「最澄が天台宗を開く」が「平安初期の仏教(密教)」のきっかけになりました。
年表で見る読みもの: 天台宗と真言宗のちがい(最澄と空海)128空海が真言宗を開いた結果として起きたことは何でしょう。
平安初期の仏教(密教)
最澄の天台宗と空海の真言宗が開かれ、山の中で修行し祈とうで願いをかなえる密教が貴族に広まった時期です。「空海が真言宗を開く」のあとに起きたできごとです。
年表で見る読みもの: 天台宗と真言宗のちがい(最澄と空海)129最澄が天台宗を開いた結果として起きたことは何でしょう。
平安初期の仏教(密教)
最澄の天台宗と空海の真言宗が開かれ、山の中で修行し祈とうで願いをかなえる密教が貴族に広まった時期です。「最澄が天台宗を開く」のあとに起きたできごとです。
年表で見る読みもの: 天台宗と真言宗のちがい(最澄と空海)130『国風文化』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。
131道長が「望月の歌」をよんだきっかけとなったできごとは何でしょう。
132末法の世が始まるとされた結果として起きたことは何でしょう。
133『平等院鳳凰堂』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。
134『中尊寺金色堂』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。
135大輪田泊を修築し日宋貿易を進めたきっかけとなったできごとは何でしょう。
くらべて見分ける
136最澄と空海のうち、開いた寺が『比叡山延暦寺(滋賀県)』なのはどちらでしょう。
137最澄と空海のうち、特徴が『のちに鎌倉仏教の開祖を多く育てた』なのはどちらでしょう。
138寝殿造と書院造のうち、特徴が『渡り廊下・池のある庭』なのはどちらでしょう。
平安時代の読みもの
まぎらわしい用語のちがいを、表と図でくらべて読めます。