平安時代の一問一答

平安時代を表すイラスト

平安時代(794年〜1185年)の、中学受験でよく出るできごと・人物・文化を138問の一問一答にまとめました。問題をタップすると答えと解説が出ます。平安時代は「天皇→貴族→上皇→武士へ、力の持ち主が移る」時代です。

全138問・ふりがなつき・2026/10/11 更新

政治81問

中学受験で押さえておきたいポイント5つ
  1. 1桓武天皇かんむてんのうがした2つのこと

    平安京へいあんきょう遷都せんとと坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろの征夷大将軍任命は、どちらも桓武天皇かんむてんのうです。

    平安京へいあんきょうに都みやこを移す(794年)
    仏教勢力や貴族きぞくの影響からはなれ、政治を立て直す
    坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろを征夷大将軍せいいたいしょうぐんにする(797年)
    胆沢城いさわじょうを築き、蝦夷えみしの指導者アテルイを降伏させる
  2. 2摂政せっしょうと関白かんぱくのちがい

    藤原氏ふじわらしは娘むすめを天皇てんのうのきさきにして外戚がいせきとなり、菅原道真すがわらのみちざねの左遷させん(901年)などで他の氏を退けました。摂関政治せっかんせいじは藤原道長ふじわらのみちなが・頼通よりみちの親子のころに最も栄えました。

    摂政せっしょう関白かんぱく
    役えき目天皇てんのうが幼いときなどに代わって政治を行う成人した天皇てんのうを助けて政治を行う
    初めての藤原氏ふじわらし藤原良房ふじわらのよしふさ(866年)藤原基経ふじわらのもとつね(887年)
  3. 3地方の戦いで武士ぶしが力をつけた

    将門まさかど・純友すみともの乱らんを朝廷ちょうていが武士ぶしの力でしずめたことで武士ぶしの地位が上がり、前九年・後三年合戦ごさんねんかっせんを通じて源氏げんじが東国とうごく武士ぶしの頭領になりました。

    戦い年場所内容
    平将門たいらのまさかどの乱らん939年関東かんとう国府をおそい「新皇しんのう」と名乗る
    藤原純友ふじわらのすみともの乱らん939年瀬戸内海せとないかい海賊を率いて大宰府だざいふをおそう
    前九年合戦ぜんくねんかっせん1051〜1062年東北とうほく源頼義みなもとのよりよし・義家よしいえが安倍あべ氏をたおす
    後三年合戦ごさんねんかっせん1083〜1087年東北とうほく源義家みなもとのよしいえが清原きよはら氏の争いをしずめる
  4. 4保元ほうげんの乱らんと平治へいじの乱らんを区別する

    保元ほうげんの乱らん(1156年)は崇徳上皇すとくじょうこうと後白河天皇ごしらかわてんのうの争いで、平清盛たいらのきよもりと源義朝みなもとのよしともはどちらも後白河天皇ごしらかわてんのう側で勝ちました。平治へいじの乱らん(1159年)はその清盛きよもりと義朝よしともの争いで、敗れた義朝よしともの子・頼朝よりともは伊豆いずに流されました。

  5. 5院政いんせいから平氏へいしの滅亡めつぼうまでの流れ

    力の持ち主は、摂関政治せっかんせいじ(藤原氏ふじわらし)→院政いんせい(上皇じょうこう)→平氏政権へいしせいけん(武士ぶし)と移りました。平氏へいしは貴族きぞくと同じようなやり方で栄えたため、反発を招きました。

    1. 白河上皇しらかわじょうこうが院政いんせいを始める(1086年)
    2. 保元ほうげんの乱らん(1156年)・平治へいじの乱らん(1159年)
    3. 平清盛たいらのきよもりが武士ぶしで初めて太政大臣だじょうだいじんに(1167年)
    4. 源頼朝みなもとのよりともの挙兵きょへい(1180年)
    5. 壇ノ浦だんのうらの戦いで平氏へいしがほろびる(1185年)

名前をこたえる

  1. 1794年に都みやこを平安京へいあんきょうに移した天皇てんのうです。寺院じいんの力から政治を切り離し、坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろを送って東北とうほくの蝦夷えみしを従わせるなど、律令政治りつりょうせいじの立て直しを進めました。この天皇てんのうはだれでしょう。

    桓武天皇かんむてんのう

    桓武天皇かんむてんのうは781年に即位し、奈良ならの大寺院じいんや貴族きぞくの力が強くなりすぎた政治を立て直そうとしました。

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  2. 2桓武天皇かんむてんのうに征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任命され、東北とうほく地方の蝦夷えみしと戦った武人です。胆沢城いさわじょうを築き、蝦夷えみしの指導者アテルイを降伏させて朝廷ちょうていの支配しはいを広げました。この武人はだれでしょう。

    坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ

    坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろは武勇にすぐれた貴族きぞくで、桓武天皇かんむてんのうのもとで蝦夷えみしとの戦いに何度も加わりました。

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  3. 3桓武天皇かんむてんのうが都みやこを奈良ならの平城京へいじょうきょうから京都きょうとの○○に移しました。ここから鎌倉幕府かまくらばくふができるまでの約400年間を平安時代へいあんじだいとよびます。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    平安京へいあんきょうに都みやこを移す

    桓武天皇かんむてんのうは、力を強めた奈良ならの寺院じいんや貴族きぞくの影響からはなれ、政治を立て直すために都みやこを移しました。

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  4. 4桓武天皇かんむてんのうは○○を△△に任命し、東北とうほく地方の蝦夷えみしを従わせるための軍を送りました。○○は胆沢城いさわじょうを築いて朝廷ちょうていの支配しはいを広げました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろが征夷大将軍せいいたいしょうぐんになる

    東北とうほく地方には朝廷ちょうていの支配しはいに従わない蝦夷えみしとよばれる人々が住んでいました。

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  5. 5学問にすぐれ右大臣うだいじんにまでなった貴族きぞくです。894年に遣唐使けんとうしの停止ていしを進言しましたが、藤原氏ふじわらしのたくらみで大宰府だざいふに左遷させんされ、のちに学問の神様としてまつられました。この貴族きぞくはだれでしょう。

    菅原道真すがわらのみちざね

    菅原道真すがわらのみちざねは学者の家に生まれ、詩や学問にすぐれていたため宇多天皇うだてんのうに重く用いられました。

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  6. 6藤原氏ふじわらしが娘むすめを天皇てんのうのきさきにして、天皇てんのうが幼いときは摂政せっしょう、大人になると関白かんぱくとして政治を行った時代です。道長みちなが・頼通よりみちのころに最も栄えました。この説明にあてはまる時代を何といいますか。

    摂関政治せっかんせいじ

    藤原氏ふじわらしは娘むすめを天皇てんのうのきさきにし、生まれた子を天皇てんのうにして、天皇てんのうの母方の親せき(外戚がいせき)として力をふるいました。

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  7. 7皇族こうぞく以外の人物として初めて○○になりました。天皇てんのうが幼いときに代わって政治を行う役職で、ここから藤原氏ふじわらしの摂関政治せっかんせいじが始まります。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    藤原良房ふじわらのよしふさが摂政せっしょうになる

    藤原氏ふじわらしは娘むすめを天皇てんのうのきさきにし、生まれた子を天皇てんのうにすることで力を強めました。

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  8. 8○○が、成人した天皇てんのうを助けて政治を行う△△という役職に初めて就きました。摂政せっしょうと△△を藤原氏ふじわらしが独占する摂関政治せっかんせいじのしくみが整いました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    藤原基経ふじわらのもとつねが関白かんぱくとなる

    覚え方: 良房=摂政せっしょう(866)、基経=関白かんぱく(887)。摂政せっしょうは幼い天皇てんのう、関白かんぱくは成人の天皇てんのうを助ける

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  9. 9学者として重く用いられた○○が、藤原時平ふじわらのときひらのたくらみで九州きゅうしゅうの△△に追いやられました。道真みちざねは2年後にその地で亡くなりました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    菅原道真すがわらのみちざねが大宰府だざいふに左遷させんされる

    菅原道真すがわらのみちざねは学問にすぐれ、宇多天皇うだてんのうに重く用いられて右大臣うだいじんにまで出世しました。

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  10. 10関東かんとうの武士ぶし・○○が国の役所をおそい、自ら「新皇しんのう」と名乗って朝廷ちょうていに反乱はんらんを起こしました。乱らんは約1年でしずめられましたが、武士ぶしの力を示す出来事でした。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    平将門たいらのまさかどの乱らん

    10世紀せいきになると、地方では武士ぶしが力をつけていました。

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  11. 11伊予いよの役人やくにんだった○○が海賊を率いて瀬戸内海せとないかいで反乱はんらんを起こし、大宰府だざいふまでおそいました。平将門たいらのまさかどの乱らんと同じころの出来事です。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    藤原純友ふじわらのすみともの乱らん

    藤原純友ふじわらのすみともはもともと伊予いよ国(愛媛県)で海賊を取りしまる役人やくにんでしたが、やがて自分が海賊の頭となり、939年に瀬戸内海せとないかいの各地をあらし、九州きゅうしゅうの大宰府だざいふまでおそいました。

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  12. 124人の娘むすめを天皇てんのうのきさきにして力を強め、摂政せっしょうとなって摂関政治せっかんせいじの全盛期を築いた貴族きぞくです。「この世をば…」の望月もちづきの歌で有名です。この貴族きぞくはだれでしょう。

    藤原道長ふじわらのみちなが

    藤原道長ふじわらのみちながは藤原兼家の子で、兄たちが相次いで亡くなったあと藤原氏ふじわらしの中心になりました。

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  13. 13藤原道長ふじわらのみちながの子で、約50年間にわたって摂政せっしょう・関白かんぱくを務めました。宇治うじに平等院鳳凰堂びょうどういんほうおうどうを建て、阿弥陀仏あみだぶつをまつって極楽浄土ごくらくじょうどへの往生を願いました。この人物はだれでしょう。

    藤原頼通ふじわらのよりみち

    藤原頼通ふじわらのよりみちは父・道長みちながのあとを継ぎ、1017年に摂政せっしょう、その後関白かんぱくとなって、後一条・後朱雀・後冷泉の三代の天皇てんのうのもとで約50年間政治を行いました。

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  14. 144人の娘むすめを天皇てんのうのきさきにして力を強め、1016年に○○となりました。道長みちながとその子・頼通よりみちのころ、藤原氏ふじわらしの摂関政治せっかんせいじは最も栄えました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    藤原道長ふじわらのみちながが摂政せっしょうになる

    藤原道長ふじわらのみちながは、兄たちの早死にのあと藤原氏ふじわらしの中心となり、娘むすめを次々と天皇てんのうのきさきにして、生まれた孫を天皇てんのうにしました。

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  15. 15東北とうほく地方で力をもった安倍あべ氏が朝廷ちょうていに従わなくなり、源頼義みなもとのよりよし・義家よしいえの父子が東国とうごくの武士ぶしを率いて戦いました。約12年かかって安倍あべ氏をほろぼしました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    前九年合戦ぜんくねんかっせん

    東北とうほく地方(陸奥国)で勢力を広げていた豪族ごうぞくの安倍あべ氏が、朝廷ちょうていへの税を納めず命令めいれいに従わなくなりました。

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  16. 161086年に幼い子に天皇てんのうの位をゆずり、上皇じょうこうとして政治を行う院政いんせいを始めました。北面ほくめんの武士ぶしを置くなど、藤原氏ふじわらしをおさえて強い力をふるいました。この人物はだれでしょう。

    白河上皇しらかわじょうこう

    白河天皇しらかわてんのうは、藤原氏ふじわらしを外戚がいせきとしない後三条天皇の子として1072年に即位しました。

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  17. 17前九年合戦ぜんくねんかっせんのあと東北とうほくを治めた清原きよはら氏の一族争いに源義家みなもとのよしいえが加わり、藤原清衡ふじわらのきよひらを助けて勝利しました。清衡きよひらは奥州藤原氏おうしゅうふじわらしの祖となり平泉ひらいずみで栄えました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    後三年合戦ごさんねんかっせん

    前九年合戦ぜんくねんかっせんのあと東北とうほく地方を支配しはいした清原きよはら氏の中で相続をめぐる争いが起き、陸奥守として赴任していた源義家みなもとのよしいえが介入しました。

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  18. 18天皇てんのうが位をゆずって上皇じょうこうとなり、上皇じょうこうとして政治を行った時代です。白河しらかわ・鳥羽とば・後白河ごしらかわの三代の上皇じょうこうが約100年にわたって力をふるいました。この説明にあてはまる時代を何といいますか。

    院政いんせい

    1086年に白河上皇しらかわじょうこうが始めた院政いんせいは、上皇じょうこうが天皇てんのうの父や祖父として自由に政治を行うしくみで、藤原氏ふじわらしの摂関政治せっかんせいじに代わって政治の中心となりました。

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  19. 19保元ほうげん・平治へいじの乱らんに勝ち、武士ぶしとして初めて太政大臣だじょうだいじんになった平氏へいしの頭領です。娘むすめを天皇てんのうのきさきにし、日宋貿易にっそうぼうえきを進め、厳島神社いつくしまじんじゃを整えて平氏へいしの全盛期を築きました。この頭領はだれでしょう。

    平清盛たいらのきよもり

    平清盛たいらのきよもりは伊勢平氏の平忠盛の子で、白河しらかわ・鳥羽とば上皇じょうこうに仕えた父のあとを継ぎました。

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  20. 20天皇てんのう家と藤原氏ふじわらしの後つぎ争いに武士ぶしが動員され、京都きょうとで戦いが起きました。後白河天皇ごしらかわてんのう側についた平清盛たいらのきよもりと源義朝みなもとのよしともが勝ち、武士ぶしの力が政治を左右することが示されました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    保元ほうげんの乱らん

    鳥羽とば上皇じょうこうが亡くなると、崇徳上皇すとくじょうこうと後白河天皇ごしらかわてんのうの兄弟が対立し、藤原氏ふじわらしの内部でも兄弟が争っていました。

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  21. 21保元ほうげんの乱らんで勝った平清盛たいらのきよもりと源義朝みなもとのよしともが対立し、京都きょうとで戦いました。清盛きよもりが勝って源氏げんじはおとろえ、義朝よしともの子の頼朝よりともは伊豆いずに流されました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    平治へいじの乱らん

    保元ほうげんの乱らんのあと、後白河ごしらかわ上皇じょうこうのもとで平清盛たいらのきよもりと源義朝みなもとのよしともはそれぞれ貴族きぞくと結んで対立を深めました。

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  22. 22平清盛たいらのきよもりを中心とする平氏へいしが政治の実権じっけんをにぎった時代です。武士ぶしとして初めて政権をとりましたが、貴族きぞくと同じようなやり方で栄えたため反発を招き、約20年でほろびました。この説明にあてはまる時代を何といいますか。

    平氏政権へいしせいけん

    平治へいじの乱らんに勝った平清盛たいらのきよもりは、1167年に太政大臣だじょうだいじんとなり、一族いちぞくで高い位を独占しました。

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  23. 23武士ぶしとして初めて○○という最高の位に就きました。娘むすめを天皇てんのうのきさきにし、一族いちぞくで高い位を独占して、平氏へいしの政権をつくりました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    平清盛たいらのきよもりが太政大臣だじょうだいじんになる

    平治へいじの乱らんに勝った平清盛たいらのきよもりは、後白河ごしらかわ上皇じょうこうに仕えて出世を重ね、1167年に武士ぶしとして初めて朝廷ちょうていの最高の位である太政大臣だじょうだいじんになりました。

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  24. 24平氏へいしの政治に不満が高まる中、伊豆いずに流されていた○○が兵へいを挙げました。関東かんとうの武士ぶしが集まり、頼朝よりともは鎌倉かまくらを拠点にして平氏へいしとの戦いを始めました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    源頼朝みなもとのよりともが挙兵きょへいする

    平氏へいしが高い位を独占すると、貴族きぞくや寺社、地方の武士ぶしの不満が高まりました。

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  25. 25源義経みなもとのよしつねの率いる源氏げんじの軍が、関門海峡かんもんかいきょうの○○で△△をほろぼしました。幼い安徳天皇あんとくてんのうは海に沈み、武士ぶしによる新しい時代が始まります。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    壇ノ浦だんのうらの戦いで平氏へいしがほろびる

    源頼朝みなもとのよりともの弟・義経よしつねは、1184年の一ノ谷の戦い(神戸こうべ)、1185年の屋島やしまの戦い(香川県)で平氏へいしを西へ追いつめました。

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  26. 261086年、天皇てんのうが幼い子に位をゆずったあとも、位をしりぞいた立場のまま政治を続けるしくみを始めました。これによって藤原氏ふじわらしの摂関政治せっかんせいじはおとろえました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    白河上皇しらかわじょうこうが院政いんせいを始める

    摂関政治せっかんせいじは天皇てんのうの外戚がいせきとなった藤原氏ふじわらしが行う政治でしたが、藤原氏ふじわらしを母にもたない後三条天皇が即位すると、天皇てんのうが自ら政治を行うようになりました。

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  27. 27『道真みちざねを○○したのは藤原時平ふじわらのときひら。藤原氏ふじわらしが他氏を退けた例の一つ』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。

    菅原道真すがわらのみちざねが大宰府だざいふに左遷させんされる

    学者として重く用いられた菅原道真すがわらのみちざねが、藤原時平ふじわらのときひらのたくらみで九州きゅうしゅうの大宰府だざいふに追いやられました。

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  28. 28『道長みちながは娘むすめを天皇てんのうのきさきにして外戚がいせきとなり、1016年に○○となった』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。

    藤原道長ふじわらのみちながが摂政せっしょうになる

    藤原道長ふじわらのみちながは4人の娘むすめを天皇てんのうのきさきにして力を強め、1016年に摂政せっしょうとなりました。

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  29. 29『○○(1051〜1062年):源頼義みなもとのよりよし・義家よしいえが安倍あべ氏をたおす。清原きよはら氏が協力』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。

    前九年合戦ぜんくねんかっせん

    東北とうほく地方で力をもった安倍あべ氏が朝廷ちょうていに従わなくなり、源頼義みなもとのよりよし・義家よしいえの父子が東国とうごくの武士ぶしを率いて戦いました。

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  30. 30『天皇てんのうが位をゆずって上皇じょうこう(院いん)となり、上皇じょうこうとして政治を行うしくみ。1086年に○○が開始かいし』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。

    白河上皇しらかわじょうこうが院政いんせいを始める

    白河天皇しらかわてんのうは幼い子に位をゆずって上皇じょうこうとなり、上皇じょうこうの住まい「院いん」で政治を続けました。

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  31. 31『○○のきっかけは藤原氏ふじわらしを外戚がいせきとしない後三条天皇が政治を自ら行ったこと』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。

    白河上皇しらかわじょうこうが院政いんせいを始める

    白河天皇しらかわてんのうは幼い子に位をゆずって上皇じょうこうとなり、上皇じょうこうの住まい「院いん」で政治を続けました。

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  32. 32『○○の乱らん(1159年)は平清盛たいらのきよもりと源義朝みなもとのよしともの争い。清盛きよもりが勝ち平氏へいしの全盛へ』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。

    平治へいじの乱らん

    保元ほうげんの乱らんで勝った平清盛たいらのきよもりと源義朝みなもとのよしともが対立し、京都きょうとで戦いました。

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  33. 33887年、成人した天皇てんのうを助けて政治を行う役職に、初めて人がつきました。これで摂政せっしょうとあわせて、藤原氏ふじわらしが天皇てんのうを助ける役職を独占するしくみが整いました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    藤原基経ふじわらのもとつねが関白かんぱくとなる

    藤原基経ふじわらのもとつねが、成人した天皇てんのうを助けて政治を行う関白かんぱくという役職に初めて就きました。

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  34. 34939年、関東かんとうの武士ぶしが国の役所をおそい、自ら「新皇しんのう」と名乗って朝廷ちょうていにそむきました。約1年でしずめられましたが、武士ぶしの力を示したこのできごとは何でしょう。

    平将門たいらのまさかどの乱らん

    10世紀せいきになると、地方では武士ぶしが力をつけていました。

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年号をこたえる

  1. 35平安京へいあんきょうに都みやこを移したのは何年でしょう。

    794年

    平安京へいあんきょうに都みやこを移す(794年)。桓武天皇かんむてんのうが都みやこを奈良ならの平城京へいじょうきょうから京都きょうとの平安京へいあんきょうに移しました。ごろ合わせ: 泣くよ(794)うぐいす平安京へいあんきょう

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  2. 36坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろが征夷大将軍せいいたいしょうぐんになったのは何年でしょう。

    797年

    坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろが征夷大将軍せいいたいしょうぐんになる(797年)。桓武天皇かんむてんのうは坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろを征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任命し、東北とうほく地方の蝦夷えみしを従わせるための軍を送りました。ごろ合わせ: 泣くな(797)田村麻呂たむらまろ、征夷大将軍せいいたいしょうぐん

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  3. 37藤原良房ふじわらのよしふさが正式に摂政せっしょうとなったのは何年でしょう。

    866年

    藤原良房ふじわらのよしふさが摂政せっしょうになる(866年)。藤原良房ふじわらのよしふさは、皇族こうぞく以外の人物として初めて摂政せっしょうになりました。ほかの年で習うこともあります(858年に幼い清和天皇の政治を代行し、866年(応天門の変へんの年)に正式に摂政せっしょうとなった)。ごろ合わせ: や(8)む(6)を得ず、む(6)すめの子の代わりに良房が摂政せっしょう

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  4. 38藤原基経ふじわらのもとつねが関白かんぱくとなったのは何年でしょう。

    887年

    藤原基経ふじわらのもとつねが関白かんぱくとなる(887年)。藤原基経ふじわらのもとつねが、成人した天皇てんのうを助けて政治を行う関白かんぱくという役職に初めて就きました。

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  5. 39菅原道真すがわらのみちざねが大宰府だざいふに左遷させんされたのは何年でしょう。

    901年

    菅原道真すがわらのみちざねが大宰府だざいふに左遷させんされる(901年)。学者として重く用いられた菅原道真すがわらのみちざねが、藤原時平ふじわらのときひらのたくらみで九州きゅうしゅうの大宰府だざいふに追いやられました。ごろ合わせ: 苦を(90)い(1)やせぬ道真みちざね、大宰府だざいふへ

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  6. 40平将門たいらのまさかどが「新皇しんのう」と名乗って関東かんとうの国府をおそったのは何年でしょう。

    939年

    平将門たいらのまさかどの乱らん(939年)。関東かんとうの武士ぶし・平将門たいらのまさかどが国の役所をおそい、自ら「新皇しんのう」と名乗って朝廷ちょうていに反乱はんらんを起こしました。ほかの年で習うこともあります(一族いちぞくの争いは935年から始まり、939年に関東かんとうの国府をおそって新皇しんのうを名乗った。940年に平定へいてい)。ごろ合わせ: 臭く(939)なった世の中、将門まさかど・純友すみともの乱らん

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  7. 41『藤原純友ふじわらのすみともの乱らん』が起きたのは何年でしょう。

    939年

    藤原純友ふじわらのすみともの乱らん(939年)。伊予いよの役人やくにんだった藤原純友ふじわらのすみともが海賊を率いて瀬戸内海せとないかいで反乱はんらんを起こし、大宰府だざいふまでおそいました。ごろ合わせ: 臭く(939)なった世の中、将門まさかど・純友すみともの乱らん

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  8. 42藤原道長ふじわらのみちながが摂政せっしょうになったのは何年でしょう。

    1016年

    藤原道長ふじわらのみちながが摂政せっしょうになる(1016年)。藤原道長ふじわらのみちながは4人の娘むすめを天皇てんのうのきさきにして力を強め、1016年に摂政せっしょうとなりました。ごろ合わせ: 遠い(101)む(6)かしに道長みちなが摂政せっしょう

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  9. 43『前九年合戦ぜんくねんかっせん』が起きたのは何年でしょう。

    1051年

    前九年合戦ぜんくねんかっせん(1051年)。東北とうほく地方で力をもった安倍あべ氏が朝廷ちょうていに従わなくなり、源頼義みなもとのよりよし・義家よしいえの父子が東国とうごくの武士ぶしを率いて戦いました。ごろ合わせ: 人(10)恋(51)しい東北とうほくの戦い、前九年合戦ぜんくねんかっせん

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  10. 44『後三年合戦ごさんねんかっせん』が起きたのは何年でしょう。

    1083年

    後三年合戦ごさんねんかっせん(1083年)。前九年合戦ぜんくねんかっせんのあと東北とうほくを治めた清原きよはら氏の一族争いに源義家みなもとのよしいえが加わり、藤原清衡ふじわらのきよひらを助けて勝利しました。ごろ合わせ: 人(10)闇(83)に沈む清原きよはら氏、後三年合戦ごさんねんかっせん

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  11. 45白河上皇しらかわじょうこうが院政いんせいを始めたのは何年でしょう。

    1086年

    白河上皇しらかわじょうこうが院政いんせいを始める(1086年)。白河天皇しらかわてんのうは幼い子に位をゆずって上皇じょうこうとなり、上皇じょうこうの住まい「院いん」で政治を続けました。ごろ合わせ: 一応(10)やろう(86)と白河上皇しらかわじょうこうの院政いんせい

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  12. 46『保元ほうげんの乱らん』が起きたのは何年でしょう。

    1156年

    保元ほうげんの乱らん(1156年)。天皇てんのう家と藤原氏ふじわらしの後つぎ争いに武士ぶしが動員され、京都きょうとで戦いが起きました。ごろ合わせ: 清盛きよもりが力をつける いい頃(1156)、保元ほうげんの乱らん

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  13. 47『平治へいじの乱らん』が起きたのは何年でしょう。

    1159年

    平治へいじの乱らん(1159年)。保元ほうげんの乱らんで勝った平清盛たいらのきよもりと源義朝みなもとのよしともが対立し、京都きょうとで戦いました。ごろ合わせ: 人々(11)ご苦労(59)平治へいじの乱らん

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  14. 48平清盛たいらのきよもりが太政大臣だじょうだいじんになったのは何年でしょう。

    1167年

    平清盛たいらのきよもりが太政大臣だじょうだいじんになる(1167年)。平清盛たいらのきよもりは武士ぶしとして初めて太政大臣だじょうだいじんという最高の位に就きました。ごろ合わせ: いい(11)、むな(67)しくない出世。清盛きよもり、太政大臣だじょうだいじんに

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  15. 49源頼朝みなもとのよりともが挙兵きょへいしたのは何年でしょう。

    1180年

    源頼朝みなもとのよりともが挙兵きょへいする(1180年)。平氏へいしの政治に不満が高まる中、伊豆いずに流されていた源頼朝みなもとのよりともが兵へいを挙げました。ごろ合わせ: いい(11)や(8)お(0)! 頼朝よりともついに挙兵きょへい

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  16. 50壇ノ浦だんのうらの戦いで平氏へいしがほろびたのは何年でしょう。

    1185年

    壇ノ浦だんのうらの戦いで平氏へいしがほろびる(1185年)。源義経みなもとのよしつねの率いる源氏げんじの軍が、関門海峡かんもんかいきょうの壇ノ浦だんのうらで平氏へいしをほろぼしました。ごろ合わせ: いい箱(1185)の味 壇ノ浦だんのうら

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原因と結果

  1. 51平安京へいあんきょうに都みやこを移した結果として起きたことは何でしょう。

    坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろが征夷大将軍せいいたいしょうぐんになる

    桓武天皇かんむてんのうは坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろを征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任命し、東北とうほく地方の蝦夷えみしを従わせるための軍を送りました。「平安京へいあんきょうに都みやこを移す」のあとに起きたできごとです。

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  2. 52坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろが征夷大将軍せいいたいしょうぐんになったきっかけとなったできごとは何でしょう。

    平安京へいあんきょうに都みやこを移す

    桓武天皇かんむてんのうが都みやこを奈良ならの平城京へいじょうきょうから京都きょうとの平安京へいあんきょうに移しました。「平安京へいあんきょうに都みやこを移す」が「坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろが征夷大将軍せいいたいしょうぐんになる」のきっかけになりました。

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  3. 53『摂関政治せっかんせいじ』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    藤原良房ふじわらのよしふさが摂政せっしょうになる

    藤原良房ふじわらのよしふさは、皇族こうぞく以外の人物として初めて摂政せっしょうになりました。「藤原良房ふじわらのよしふさが摂政せっしょうになる」が「摂関政治せっかんせいじ」のきっかけになりました。

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  4. 54『摂関政治せっかんせいじ』の結果として起きたことは何でしょう。

    院政いんせい

    天皇てんのうが位をゆずって上皇じょうこうとなり、上皇じょうこうとして政治を行った時代です。「摂関政治せっかんせいじ」のあとに起きたできごとです。

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  5. 55藤原良房ふじわらのよしふさが摂政せっしょうになった結果として起きたことは何でしょう。

    摂関政治せっかんせいじ

    藤原氏ふじわらしが娘むすめを天皇てんのうのきさきにして、天皇てんのうが幼いときは摂政せっしょう、大人になると関白かんぱくとして政治を行った時代です。「藤原良房ふじわらのよしふさが摂政せっしょうになる」のあとに起きたできごとです。

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  6. 56藤原道長ふじわらのみちながが摂政せっしょうになった結果として起きたことは何でしょう。

    道長みちながが「望月もちづきの歌」をよむ

    藤原道長ふじわらのみちながは三人目の娘むすめを天皇てんのうのきさきにした祝いの席で「この世をば わが世とぞ思ふ 望月もちづきの…」とよみ、自分の栄華を満月にたとえました。「藤原道長ふじわらのみちながが摂政せっしょうになる」のあとに起きたできごとです。

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  7. 57『前九年合戦ぜんくねんかっせん』の結果として起きたことは何でしょう。

    後三年合戦ごさんねんかっせん

    前九年合戦ぜんくねんかっせんのあと東北とうほくを治めた清原きよはら氏の一族争いに源義家みなもとのよしいえが加わり、藤原清衡ふじわらのきよひらを助けて勝利しました。「前九年合戦ぜんくねんかっせん」のあとに起きたできごとです。

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  8. 58『後三年合戦ごさんねんかっせん』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    前九年合戦ぜんくねんかっせん

    東北とうほく地方で力をもった安倍あべ氏が朝廷ちょうていに従わなくなり、源頼義みなもとのよりよし・義家よしいえの父子が東国とうごくの武士ぶしを率いて戦いました。「前九年合戦ぜんくねんかっせん」が「後三年合戦ごさんねんかっせん」のきっかけになりました。

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  9. 59『後三年合戦ごさんねんかっせん』の結果として起きたことは何でしょう。

    中尊寺金色堂ちゅうそんじこんじきどう

    奥州藤原氏おうしゅうふじわらしの藤原清衡ふじわらのきよひらが平泉ひらいずみに建てた阿弥陀堂あみだどうです。「後三年合戦ごさんねんかっせん」のあとに起きたできごとです。

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  10. 60『院政いんせい』の結果として起きたことは何でしょう。

    保元ほうげんの乱らん

    天皇てんのう家と藤原氏ふじわらしの後つぎ争いに武士ぶしが動員され、京都きょうとで戦いが起きました。「院政いんせい」のあとに起きたできごとです。

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  11. 61『保元ほうげんの乱らん』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    白河上皇しらかわじょうこうが院政いんせいを始める

    白河天皇しらかわてんのうは幼い子に位をゆずって上皇じょうこうとなり、上皇じょうこうの住まい「院いん」で政治を続けました。「白河上皇しらかわじょうこうが院政いんせいを始める」が「保元ほうげんの乱らん」のきっかけになりました。

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  12. 62『保元ほうげんの乱らん』の結果として起きたことは何でしょう。

    平治へいじの乱らん

    保元ほうげんの乱らんで勝った平清盛たいらのきよもりと源義朝みなもとのよしともが対立し、京都きょうとで戦いました。「保元ほうげんの乱らん」のあとに起きたできごとです。

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  13. 63『平治へいじの乱らん』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    保元ほうげんの乱らん

    天皇てんのう家と藤原氏ふじわらしの後つぎ争いに武士ぶしが動員され、京都きょうとで戦いが起きました。「保元ほうげんの乱らん」が「平治へいじの乱らん」のきっかけになりました。

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  14. 64『平治へいじの乱らん』の結果として起きたことは何でしょう。

    平清盛たいらのきよもりが太政大臣だじょうだいじんになる

    平清盛たいらのきよもりは武士ぶしとして初めて太政大臣だじょうだいじんという最高の位に就きました。「平治へいじの乱らん」のあとに起きたできごとです。

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  15. 65『平氏政権へいしせいけん』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    平治へいじの乱らん

    保元ほうげんの乱らんで勝った平清盛たいらのきよもりと源義朝みなもとのよしともが対立し、京都きょうとで戦いました。「平治へいじの乱らん」が「平氏政権へいしせいけん」のきっかけになりました。

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  16. 66『平氏政権へいしせいけん』の結果として起きたことは何でしょう。

    源頼朝みなもとのよりともが挙兵きょへいする

    平氏へいしの政治に不満が高まる中、伊豆いずに流されていた源頼朝みなもとのよりともが兵へいを挙げました。「平氏政権へいしせいけん」のあとに起きたできごとです。

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  17. 67平清盛たいらのきよもりが太政大臣だじょうだいじんになったきっかけとなったできごとは何でしょう。

    平治へいじの乱らん

    保元ほうげんの乱らんで勝った平清盛たいらのきよもりと源義朝みなもとのよしともが対立し、京都きょうとで戦いました。「平治へいじの乱らん」が「平清盛たいらのきよもりが太政大臣だじょうだいじんになる」のきっかけになりました。

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  18. 68平清盛たいらのきよもりが太政大臣だじょうだいじんになった結果として起きたことは何でしょう。

    平氏政権へいしせいけん

    平清盛たいらのきよもりを中心とする平氏へいしが政治の実権じっけんをにぎった時代です。「平清盛たいらのきよもりが太政大臣だじょうだいじんになる」のあとに起きたできごとです。

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  19. 69源頼朝みなもとのよりともが挙兵きょへいしたきっかけとなったできごとは何でしょう。

    平治へいじの乱らん

    保元ほうげんの乱らんで勝った平清盛たいらのきよもりと源義朝みなもとのよしともが対立し、京都きょうとで戦いました。「平治へいじの乱らん」が「源頼朝みなもとのよりともが挙兵きょへいする」のきっかけになりました。

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  20. 70源頼朝みなもとのよりともが挙兵きょへいした結果として起きたことは何でしょう。

    壇ノ浦だんのうらの戦いで平氏へいしがほろびる

    源義経みなもとのよしつねの率いる源氏げんじの軍が、関門海峡かんもんかいきょうの壇ノ浦だんのうらで平氏へいしをほろぼしました。「源頼朝みなもとのよりともが挙兵きょへいする」のあとに起きたできごとです。

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  21. 71壇ノ浦だんのうらの戦いで平氏へいしがほろびたきっかけとなったできごとは何でしょう。

    源頼朝みなもとのよりともが挙兵きょへいする

    平氏へいしの政治に不満が高まる中、伊豆いずに流されていた源頼朝みなもとのよりともが兵へいを挙げました。「源頼朝みなもとのよりともが挙兵きょへいする」が「壇ノ浦だんのうらの戦いで平氏へいしがほろびる」のきっかけになりました。

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くらべて見分ける

  1. 72摂政せっしょうと関白かんぱくのうち、役えき目が『天皇てんのうが幼いときなどに代わって政治を行う』なのはどちらでしょう。

    摂政せっしょう

    摂政せっしょうの役えき目は『天皇てんのうが幼いときなどに代わって政治を行う』です。ほかは関白かんぱくが『成人した天皇てんのうを助けて政治を行う』です。

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  2. 73摂政せっしょうと関白かんぱくのうち、役えき目が『天皇てんのうが幼い・女性のとき代わりに政治』なのはどちらでしょう。

    摂政せっしょう

    摂政せっしょうの役えき目は『天皇てんのうが幼い・女性のとき代わりに政治』です。ほかは関白かんぱくが『成人した天皇てんのうを助けて政治』です。

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  3. 74平将門たいらのまさかどの乱らんと藤原純友ふじわらのすみともの乱らんのうち、場所が『関東かんとう(下総しもうさなど)』なのはどちらでしょう。

    平将門たいらのまさかどの乱らん

    平将門たいらのまさかどの乱らんの場所は『関東かんとう(下総しもうさなど)』です。ほかは藤原純友ふじわらのすみともの乱らんが『瀬戸内海せとないかい(伊予いよ・日振島)』です。

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  4. 75平将門たいらのまさかどの乱らんと藤原純友ふじわらのすみともの乱らんのうち、内容が『国府をおそい「新皇しんのう」と名乗る』なのはどちらでしょう。

    平将門たいらのまさかどの乱らん

    平将門たいらのまさかどの乱らんの内容は『国府をおそい「新皇しんのう」と名乗る』です。ほかは藤原純友ふじわらのすみともの乱らんが『海賊を率いて大宰府だざいふをおそう』です。

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  5. 76平将門たいらのまさかどの乱らんと藤原純友ふじわらのすみともの乱らんのうち、しずめた人が『平貞盛たいらのさだもり・藤原秀郷ふじわらのひでさと』なのはどちらでしょう。

    平将門たいらのまさかどの乱らん

    平将門たいらのまさかどの乱らんのしずめた人は『平貞盛たいらのさだもり・藤原秀郷ふじわらのひでさと』です。ほかは藤原純友ふじわらのすみともの乱らんが『源経基みなもとのつねもと・小野好古おののよしふる』です。

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  6. 77藤原道長ふじわらのみちながと藤原頼通ふじわらのよりみちのうち、役職が『摂政せっしょう(1016年)→太政大臣だじょうだいじん』なのはどちらでしょう。

    藤原道長ふじわらのみちなが

    藤原道長ふじわらのみちながの役職は『摂政せっしょう(1016年)→太政大臣だじょうだいじん』です。ほかは藤原頼通ふじわらのよりみちが『摂政せっしょう・関白かんぱくを約50年』です。

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  7. 78藤原道長ふじわらのみちながと藤原頼通ふじわらのよりみちのうち、有名なものが『望月もちづきの歌、法成寺』なのはどちらでしょう。

    藤原道長ふじわらのみちなが

    藤原道長ふじわらのみちながの有名なものは『望月もちづきの歌、法成寺』です。ほかは藤原頼通ふじわらのよりみちが『平等院鳳凰堂びょうどういんほうおうどう(1053年・宇治うじ)』です。

    年表で見る読みもの: 摂政と関白のちがい
  8. 79前九年合戦ぜんくねんかっせんと後三年合戦ごさんねんかっせんのうち、結果が『安倍あべ氏がほろび、清原きよはら氏が東北とうほくを支配しはい』なのはどちらでしょう。

    前九年合戦ぜんくねんかっせん

    前九年合戦ぜんくねんかっせんの結果は『安倍あべ氏がほろび、清原きよはら氏が東北とうほくを支配しはい』です。ほかは後三年合戦ごさんねんかっせんが『藤原清衡ふじわらのきよひらが勝ち、奥州藤原氏おうしゅうふじわらしが平泉ひらいずみで栄える』です。

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  9. 80保元ほうげんの乱らんと平治へいじの乱らんのうち、対立が『崇徳上皇すとくじょうこう vs 後白河天皇ごしらかわてんのう(天皇てんのう家・藤原氏ふじわらしの争い)』なのはどちらでしょう。

    保元ほうげんの乱らん

    保元ほうげんの乱らんの対立は『崇徳上皇すとくじょうこう vs 後白河天皇ごしらかわてんのう(天皇てんのう家・藤原氏ふじわらしの争い)』です。ほかは平治へいじの乱らんが『平清盛たいらのきよもり vs 源義朝みなもとのよしとも(武士ぶしどうしの争い)』です。

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  10. 81保元ほうげんの乱らんと平治へいじの乱らんのうち、結果が『武士ぶしの力が政治を左右することが明らかに』なのはどちらでしょう。

    保元ほうげんの乱らん

    保元ほうげんの乱らんの結果は『武士ぶしの力が政治を左右することが明らかに』です。ほかは平治へいじの乱らんが『平氏へいしが実権じっけんをにぎる。源頼朝みなもとのよりともは伊豆いずへ流される』です。

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外交・世界3問

名前をこたえる

  1. 82菅原道真すがわらのみちざねの意見により、○○の派遣が取りやめになりました。唐とうの力がおとろえ、航海も危険だったためです。これにより日本風の文化が育ちました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    遣唐使けんとうしの停止ていし

    奈良時代ならじだいから続いた遣唐使けんとうしは、唐とうの進んだ文化や制度を学ぶために送られていました。

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年号をこたえる

  1. 83『遣唐使けんとうしの停止ていし』が起きたのは何年でしょう。

    894年

    遣唐使けんとうしの停止ていし(894年)。菅原道真すがわらのみちざねの意見により、遣唐使けんとうしの派遣が取りやめになりました。ごろ合わせ: 白紙(894)に戻そう遣唐使けんとうし

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原因と結果

  1. 84『遣唐使けんとうしの停止ていし』の結果として起きたことは何でしょう。

    国風文化こくふうぶんか

    遣唐使けんとうしの停止ていし後、日本の風土や生活に合った文化が生まれました。「遣唐使けんとうしの停止ていし」のあとに起きたできごとです。

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文化・くらし54問

中学受験で押さえておきたいポイント5つ
  1. 1遣唐使けんとうしの停止ていしから国風文化こくふうぶんかへ

    遣唐使けんとうしの停止ていしは、唐とうの力がおとろえ、航海も危険だったためです。進言した菅原道真すがわらのみちざねとセットで覚えましょう。

    1. 遣唐使けんとうしの停止ていし(894年・菅原道真すがわらのみちざねが進言)
    2. 中国文化の影響がうすれる
    3. 日本風の国風文化こくふうぶんかが生まれる
    4. かな文字の発達で女性の文学が栄える
  2. 2紫式部むらさきしきぶと清少納言せいしょうなごんをくらべる

    2人ともかな文字を使い、一条天皇いちじょうてんのうのきさきに仕えた女性です。作品の種類と仕えた人のちがいがよく出ます。

    紫式部むらさきしきぶ清少納言せいしょうなごん
    作品源氏物語げんじものがたり枕草子まくらのそうし
    種類物語(長編小説)随筆ずいひつ
    仕えた人彰子しょうし(藤原道長ふじわらのみちながの娘むすめ)定子ていし
    特徴光源氏ひかるげんじが主人公・54帖「春はあけぼの」で始まる
  3. 3紀貫之きのつらゆきは2つの作品で出る

    紀貫之きのつらゆきは、905年に醍醐天皇だいごてんのうの命令めいれいでまとめた最初の勅撰和歌集ちょくせんわかしゅう『古今和歌集こきんわかしゅう』の編者です。女性のふりをしてかな文字で書いた『土佐日記とさにっき』の作者でもあります。

  4. 4最澄さいちょうと空海くうかいのちがい

    2人とも804年の遣唐使けんとうしとともに唐とうへ渡り、山の中で修行しゅぎょうする新しい仏教ぶっきょうを開きました。

    最澄さいちょう空海くうかい
    宗派しゅうは天台宗てんだいしゅう真言宗しんごんしゅう
    寺比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじ(滋賀県しがけん)高野山こうやさん金剛峯寺こんごうぶじ(和歌山県)
    おくり名伝教大師でんぎょうだいし弘法大師こうぼうだいし
  5. 5末法思想まっぽうしそうと浄土教じょうどきょうの建物

    1052年から末法まっぽうの世に入ると信じられ、阿弥陀仏あみだぶつにすがる浄土教じょうどきょうが広まりました。平等院鳳凰堂びょうどういんほうおうどう(1053年)を建てたのは藤原道長ふじわらのみちながではなく子の頼通よりみちで、中尊寺金色堂ちゅうそんじこんじきどう(1124年)は奥州藤原氏おうしゅうふじわらしの藤原清衡ふじわらのきよひらが平泉ひらいずみに建てました。

名前をこたえる

  1. 85唐とうで学んで帰国きこくし、比叡山ひえいざんに延暦寺えんりゃくじを建てて天台宗てんだいしゅうを開いた僧そうです。伝教大師でんぎょうだいしともよばれ、延暦寺えんりゃくじはのちに多くの僧そうを育てる仏教ぶっきょうの中心になりました。この僧そうはだれでしょう。

    最澄さいちょう

    最澄さいちょうは近江おうみ(滋賀県しがけん)に生まれ、若いころから比叡山ひえいざんで修行しゅぎょうしました。

    年表で見る読みもの: 天台宗と真言宗のちがい(最澄と空海)
  2. 86唐とうで密教みっきょうを学び、帰国きこくして真言宗しんごんしゅうを開いた僧そうです。高野山こうやさんに金剛峯寺こんごうぶじを建て、弘法大師こうぼうだいしともよばれます。書の名人としても知られています。この僧そうはだれでしょう。

    空海くうかい

    空海くうかいは讃岐(香川県)に生まれ、804年に遣唐使けんとうしとともに唐とうへ渡り、長安ちょうあんで密教みっきょうを学んで806年に帰国きこくしました。

    年表で見る読みもの: 天台宗と真言宗のちがい(最澄と空海)
  3. 87最澄さいちょうが比叡山ひえいざんに建てた天台宗てんだいしゅうの中心となる寺です。多くの僧そうがここで学び、鎌倉時代かまくらじだいに新しい仏教ぶっきょうを開いた法然ほうねん・親鸞しんらん・日蓮にちれんなども修行しゅぎょうしました。この説明にあてはまる寺を何といいますか。

    延暦寺えんりゃくじ

    延暦寺えんりゃくじは、最澄さいちょうが788年に比叡山ひえいざん(滋賀県しがけんと京都きょうと府の境)に建てた小さな堂から始まりました。

    年表で見る読みもの: 天台宗と真言宗のちがい(最澄と空海)
  4. 88最澄さいちょうの天台宗てんだいしゅうと空海くうかいの真言宗しんごんしゅうが開かれ、山の中で修行しゅぎょうし祈とうで願いをかなえる○○が貴族きぞくに広まった時期です。奈良ならの△△とはちがう新しい△△でした。この説明にあてはまる時期を何といいますか。

    平安初期へいあんしょきの仏教ぶっきょう(密教みっきょう)

    桓武天皇かんむてんのうは奈良ならの大寺院じいんが政治に関わることをきらい、新しい仏教ぶっきょうを求めました。

    年表で見る読みもの: 天台宗と真言宗のちがい(最澄と空海)
  5. 89唐とうで密教みっきょうを学んで帰った○○が△△を開き、高野山こうやさんに金剛峯寺こんごうぶじを建てました。○○は弘法大師こうぼうだいしともよばれ、書や文化でも活やくしました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    空海くうかいが真言宗しんごんしゅうを開く

    空海くうかいは804年に最澄さいちょうと同じ遣唐使船団で唐とうへ渡り、長安ちょうあんで密教みっきょうを本格的に学んで806年に帰国きこくしました。

    年表で見る読みもの: 天台宗と真言宗のちがい(最澄と空海)
  6. 90唐とうから帰った○○が、比叡山ひえいざんに延暦寺えんりゃくじを建てて△△を開きました。山の中で厳しい修行しゅぎょうをする新しい仏教ぶっきょうが広まりました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    最澄さいちょうが天台宗てんだいしゅうを開く

    奈良時代ならじだいの仏教ぶっきょうは都みやこの大寺院じいんが政治に深く関わっていたため、桓武天皇かんむてんのうは新しい仏教ぶっきょうを求めました。

    年表で見る読みもの: 天台宗と真言宗のちがい(最澄と空海)
  7. 91空海くうかいが和歌山県の高野山こうやさんに開いた真言宗しんごんしゅうの中心となる寺です。人里はなれた山の中で修行しゅぎょうする密教みっきょうの道場で、空海くうかいの墓所もあります。この説明にあてはまる寺を何といいますか。

    金剛峯寺こんごうぶじ

    816年、空海くうかいは嵯峨天皇から高野山こうやさんを与えられ、山の上に密教みっきょうの修行しゅぎょうの場として金剛峯寺こんごうぶじを開きました。

    年表で見る読みもの: 天台宗と真言宗のちがい(最澄と空海)
  8. 92醍醐天皇だいごてんのうの命令めいれいで『古今和歌集こきんわかしゅう』をまとめた歌人かじんです。土佐とさから京都きょうとへ帰る旅を、女性のふりをしてかな文字で書いた『土佐日記とさにっき』でも知られます。この歌人かじんはだれでしょう。

    紀貫之きのつらゆき

    紀貫之きのつらゆきは平安時代前期を代表する歌人かじんで、905年に醍醐天皇だいごてんのうの命令めいれいを受けて紀友則らとともに日本で最初の勅撰和歌集ちょくせんわかしゅう『古今和歌集こきんわかしゅう』を編集しました。

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  9. 93遣唐使けんとうしの停止ていし後、日本の風土や生活に合った文化が生まれました。かな文字・寝殿造しんでんづくり・大和絵やまとえ・十二単じゅうにひとえなどが特徴で、『源氏物語げんじものがたり』や『枕草子まくらのそうし』が書かれました。この説明にあてはまる文化を何といいますか。

    国風文化こくふうぶんか

    894年に遣唐使けんとうしが停止ていしされると、中国文化の影響がうすれ、それまでに取り入れた文化を日本の風土や貴族きぞくの生活に合わせて作りかえた国風文化こくふうぶんかが生まれました。

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  10. 94竹から生まれたかぐや姫が、貴公子たちの求婚を退けて月へ帰る物語です。かな文字で書かれた日本で最も古い物語といわれ、作者はわかっていません。この説明にあてはまる物語を何といいますか。

    竹取物語たけとりものがたり

    『竹取物語たけとりものがたり』は、竹取の翁が竹の中から見つけた小さな女の子・かぐや姫が、美しく成長して五人の貴公子や天皇てんのうからの求婚を難題を出して退け、最後に月の世界へ帰っていく物語です。

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  11. 95醍醐天皇だいごてんのうの命令めいれいで紀貫之きのつらゆきらがまとめた、日本で最初の勅撰和歌集ちょくせんわかしゅうです。かな文字で書かれた約1100首の和歌わかを収め、国風文化こくふうぶんかの始まりを告げる作品は何でしょう。

    古今和歌集こきんわかしゅう

    『古今和歌集こきんわかしゅう』は905年に醍醐天皇だいごてんのうの命令めいれいを受けて、紀貫之きのつらゆき・紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑の4人が編集した和歌集わかしゅうです。

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  12. 96紀貫之きのつらゆきが土佐とさから京都きょうとへ帰る55日間の旅を、女性のふりをしてかな文字で書いた日記です。かな文字による日記文学の始まりとなりました。この説明にあてはまる日記を何といいますか。

    土佐日記とさにっき

    紀貫之きのつらゆきは土佐とさ(高知県)の国司こくしの任期を終え、934年の末から翌年にかけて船で京都きょうとへ帰りました。

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  13. 97随筆ずいひつ『枕草子まくらのそうし』を書いた女性の作家です。一条天皇いちじょうてんのうのきさき・定子ていしに仕え、「春はあけぼの」で始まる文章で四季の美しさや宮中の暮らしを生き生きとえがきました。この作家はだれでしょう。

    清少納言せいしょうなごん

    清少納言せいしょうなごんは歌人かじん・清原元輔の娘むすめで、993年ごろから一条天皇いちじょうてんのうのきさきである定子ていしに仕えました。

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  14. 98長編小説『源氏物語げんじものがたり』を書いた女性の作家です。藤原道長ふじわらのみちながの娘むすめで一条天皇いちじょうてんのうのきさきの彰子しょうしに仕え、かな文字を使って貴族きぞくの暮らしや心を細やかにえがきました。この作家はだれでしょう。

    紫式部むらさきしきぶ

    紫式部むらさきしきぶは学者の家に生まれ、幼いころから漢文かんぶんをよく学びました。

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  15. 99平安時代へいあんじだいの貴族きぞくの屋敷の建て方です。中心の寝殿しんでんと左右の建物を渡り廊下でつなぎ、南に池のある庭をつくりました。国風文化こくふうぶんかを代表する建築様式は何でしょう。

    寝殿造しんでんづくり

    覚え方: 寝殿造しんでんづくり=平安へいあんの貴族きぞくの家。書院造しょいんづくり(室町むろまち・東山文化ひがしやまぶんか)とのちがいが頻出

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  16. 100清少納言せいしょうなごんが書いた日本で最初の随筆ずいひつです。「春はあけぼの」で始まり、四季の美しさや宮中での出来事を、するどい観察と明るい文章で自由に書いています。この説明にあてはまる随筆ずいひつを何といいますか。

    枕草子まくらのそうし

    『枕草子まくらのそうし』は、一条天皇いちじょうてんのうのきさき・定子ていしに仕えた清少納言せいしょうなごんが、宮中での暮らしや自然、人についての感想をかな文字で自由に書きつづった随筆ずいひつです。

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  17. 101紫式部むらさきしきぶが書いた長編小説です。光源氏ひかるげんじを主人公に、貴族きぞくの恋や人生を細やかにえがいた54帖の物語で、世界でも最も古い長編小説の一つといわれます。この説明にあてはまる長編小説を何といいますか。

    源氏物語げんじものがたり

    『源氏物語げんじものがたり』は、藤原道長ふじわらのみちながの娘むすめ・彰子しょうしに仕えた紫式部むらさきしきぶがかな文字で書いた長編物語です。

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  18. 102藤原ふじわら○○は三人目の娘むすめを天皇てんのうのきさきにした祝いの席で「この世をば わが世とぞ思ふ △△の…」とよみ、自分の栄華を満月にたとえました。このできごとは何でしょう。

    道長みちながが「望月もちづきの歌」をよむ

    1018年、道長みちながの三女・威子が後一条天皇いちじょうてんのうの皇后こうごうになり、道長みちながの三人の娘むすめが同時に皇后こうごうや皇太后こうたいごうの位に就くという前例のない状態になりました。

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  19. 1031052年から仏ほとけの教えがおとろえる「○○」の世に入ると信じられました。人々は不安になり、阿弥陀仏あみだぶつにすがって極楽浄土ごくらくじょうどへ行こうとする浄土教じょうどきょうが広まりました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    末法まっぽうの世が始まるとされる

    仏教ぶっきょうでは、釈迦の死後に時代が進むにつれて教えが正しく伝わらなくなり、やがて世の中が乱れる「末法まっぽう」の時代が来ると考えられていました。

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  20. 104藤原頼通ふじわらのよりみちが宇治うじに建てた阿弥陀堂あみだどうです。極楽浄土ごくらくじょうどをこの世に表そうとした建物で、中には仏師ぶっし・定朝じょうちょうの作った阿弥陀如来あみだにょらい像がまつられています。10円硬貨の絵柄は何でしょう。

    平等院鳳凰堂びょうどういんほうおうどう

    1052年から始まるとされた末法まっぽうの世への不安から、阿弥陀仏あみだぶつにすがって極楽浄土ごくらくじょうどへ行くことを願う浄土教じょうどきょうが広まりました。

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  21. 105奥州藤原氏おうしゅうふじわらしの藤原清衡ふじわらのきよひらが平泉ひらいずみに建てた阿弥陀堂あみだどうです。内も外も金箔でおおわれ、東北とうほく地方の金の豊かさと浄土教じょうどきょうの広がりを今に伝えています。この説明にあてはまる阿弥陀堂あみだどうを何といいますか。

    中尊寺金色堂ちゅうそんじこんじきどう

    後三年合戦ごさんねんかっせんのあと東北とうほく地方を治めた藤原清衡ふじわらのきよひらは、平泉ひらいずみ(岩手県)を拠点に奥州藤原氏おうしゅうふじわらしとして栄えました。

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  22. 106日本の風景や人物を日本風にえがく○○が生まれ、物語を絵と文で巻物に表した△△が作られました。『源氏物語げんじものがたり絵巻えまき』や『鳥獣戯画ちょうじゅうぎが』が有名です。この説明にあてはまる絵を何といいますか。

    大和絵やまとえと絵巻物えまきもの

    遣唐使けんとうしの停止ていし後、中国の風景をえがく唐絵に対して、日本の四季の風景や人物をやわらかな線と色でえがく大和絵やまとえが発達しました。

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  23. 107平清盛たいらのきよもりが平氏へいしの守り神としてあつく信仰し、海の上に社殿を整えた神社じんじゃです。瀬戸内海せとないかいの航路こうろの安全を願い、平氏へいしの栄えを示す平家納経へいけのうきょうがおさめられました。この説明にあてはまる神社じんじゃを何といいますか。

    厳島神社いつくしまじんじゃ

    厳島神社いつくしまじんじゃは広島県の宮島みやじまにある古い神社じんじゃで、平清盛たいらのきよもりが安芸あき(広島県)の国司こくしになったころから平氏へいしの守り神として深く信仰しました。

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  24. 108平清盛たいらのきよもりは瀬戸内海せとないかいの港・○○(今の神戸港)を整えて、中国の宋そうと貿易ぼうえきを行いました。宋銭そうせんや絹などが輸入され、平氏へいしの大きな収入になりました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    大輪田泊おおわだのとまりを修築しゅうちくし日宋貿易にっそうぼうえきを進める

    遣唐使けんとうしの停止ていし後も、中国との民間の貿易ぼうえきは続いていました。

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  25. 109『延暦寺えんりゃくじ』をつくった人物はだれでしょう。

    最澄さいちょう

    延暦寺えんりゃくじ(788年)。最澄さいちょうが比叡山ひえいざんに建てた天台宗てんだいしゅうの中心となる寺です。つくった人物は最澄さいちょうです。

    年表で見る読みもの: 天台宗と真言宗のちがい(最澄と空海)
  26. 110『金剛峯寺こんごうぶじ』をつくった人物はだれでしょう。

    空海くうかい

    金剛峯寺こんごうぶじ(816年)。空海くうかいが和歌山県の高野山こうやさんに開いた真言宗しんごんしゅうの中心となる寺です。つくった人物は空海くうかいです。

    年表で見る読みもの: 天台宗と真言宗のちがい(最澄と空海)
  27. 111『古今和歌集こきんわかしゅう』をつくった人物はだれでしょう。

    紀貫之きのつらゆき

    古今和歌集こきんわかしゅう(905年)。醍醐天皇だいごてんのうの命令めいれいで紀貫之きのつらゆきらがまとめた、日本で最初の勅撰和歌集ちょくせんわかしゅうです。つくった人物は紀貫之きのつらゆきです。

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  28. 112『土佐日記とさにっき』をつくった人物はだれでしょう。

    紀貫之きのつらゆき

    土佐日記とさにっき(935年ごろ)。紀貫之きのつらゆきが土佐とさから京都きょうとへ帰る55日間の旅を、女性のふりをしてかな文字で書いた日記です。つくった人物は紀貫之きのつらゆきです。

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  29. 113『枕草子まくらのそうし』をつくった人物はだれでしょう。

    清少納言せいしょうなごん

    枕草子まくらのそうし(1001年ごろ)。清少納言せいしょうなごんが書いた日本で最初の随筆ずいひつです。つくった人物は清少納言せいしょうなごんです。

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  30. 114『源氏物語げんじものがたり』をつくった人物はだれでしょう。

    紫式部むらさきしきぶ

    源氏物語げんじものがたり(1008年ごろ)。紫式部むらさきしきぶが書いた長編小説です。つくった人物は紫式部むらさきしきぶです。

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  31. 115『平等院鳳凰堂びょうどういんほうおうどう』をつくった人物はだれでしょう。

    藤原頼通ふじわらのよりみち

    平等院鳳凰堂びょうどういんほうおうどう(1053年)。藤原頼通ふじわらのよりみちが宇治うじに建てた阿弥陀堂あみだどうです。つくった人物は藤原頼通ふじわらのよりみちです。

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  32. 116『厳島神社いつくしまじんじゃ』をつくった人物はだれでしょう。

    平清盛たいらのきよもり

    厳島神社いつくしまじんじゃ(1168年ごろ)。平清盛たいらのきよもりが平氏へいしの守り神としてあつく信仰し、海の上に社殿を整えた神社じんじゃです。つくった人物は平清盛たいらのきよもりです。

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  33. 117『京都きょうとの東寺とうじ(教王護国寺きょうおうごこくじ)も○○の寺。綜芸種智院しゅげいしゅちいん・満濃池まんのういけも関連』という特徴にあてはまる人物はだれでしょう。

    空海くうかい

    唐とうで密教みっきょうを学び、帰国きこくして真言宗しんごんしゅうを開いた僧そうです。

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年号をこたえる

  1. 118『延暦寺えんりゃくじ』がつくられたのは何年でしょう。

    788年

    延暦寺えんりゃくじ(788年)。最澄さいちょうが比叡山ひえいざんに建てた天台宗てんだいしゅうの中心となる寺です。

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  2. 119空海くうかいが真言宗しんごんしゅうを開いたのは何年でしょう。

    806年

    空海くうかいが真言宗しんごんしゅうを開く(806年)。唐とうで密教みっきょうを学んで帰った空海くうかいが真言宗しんごんしゅうを開き、高野山こうやさんに金剛峯寺こんごうぶじを建てました。ごろ合わせ: 晴れろ(806)、高野の空に空海くうかいの真言宗しんごんしゅう

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  3. 120最澄さいちょうが天台宗てんだいしゅうを開いたのは何年でしょう。

    806年

    最澄さいちょうが天台宗てんだいしゅうを開く(806年)。唐とうから帰った最澄さいちょうが、比叡山ひえいざんに延暦寺えんりゃくじを建てて天台宗てんだいしゅうを開きました。ごろ合わせ: 晴れろ(806)、比叡の空に最澄さいちょうの天台宗てんだいしゅう。同じ年に空海くうかいが真言宗しんごんしゅう

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  4. 121『金剛峯寺こんごうぶじ』がつくられたのは何年でしょう。

    816年

    金剛峯寺こんごうぶじ(816年)。空海くうかいが和歌山県の高野山こうやさんに開いた真言宗しんごんしゅうの中心となる寺です。ごろ合わせ: 入ろ(816)う高野山こうやさん、空海くうかいの金剛峯寺こんごうぶじ

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  5. 122『古今和歌集こきんわかしゅう』がつくられたのは何年でしょう。

    905年

    古今和歌集こきんわかしゅう(905年)。醍醐天皇だいごてんのうの命令めいれいで紀貫之きのつらゆきらがまとめた、日本で最初の勅撰和歌集ちょくせんわかしゅうです。ごろ合わせ: 暮れご(905)ろに詠む古今和歌集こきんわかしゅう

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  6. 123道長みちながが「望月もちづきの歌」をよんだのは何年でしょう。

    1018年

    道長みちながが「望月もちづきの歌」をよむ(1018年)。藤原道長ふじわらのみちながは三人目の娘むすめを天皇てんのうのきさきにした祝いの席で「この世をば わが世とぞ思ふ 望月もちづきの…」とよみ、自分の栄華を満月にたとえました。ごろ合わせ: 遠い(101)や(8)、望月もちづきの歌で道長満足

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  7. 124末法まっぽうの世が始まるとされたのは何年でしょう。

    1052年

    末法まっぽうの世が始まるとされる(1052年)。1052年から仏ほとけの教えがおとろえる「末法まっぽう」の世に入ると信じられました。ごろ合わせ: 人(10)ご(5)に(2)まぎれて末法まっぽうの世

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  8. 125『平等院鳳凰堂びょうどういんほうおうどう』がつくられたのは何年でしょう。

    1053年

    平等院鳳凰堂びょうどういんほうおうどう(1053年)。藤原頼通ふじわらのよりみちが宇治うじに建てた阿弥陀堂あみだどうです。ごろ合わせ: 人(10)ご(5)み(3)にぎわう鳳凰堂。頼通よりみち・宇治うじ・阿弥陀あみだ・10円玉

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  9. 126『中尊寺金色堂ちゅうそんじこんじきどう』がつくられたのは何年でしょう。

    1124年

    中尊寺金色堂ちゅうそんじこんじきどう(1124年)。奥州藤原氏おうしゅうふじわらしの藤原清衡ふじわらのきよひらが平泉ひらいずみに建てた阿弥陀堂あみだどうです。ごろ合わせ: いい(11)西(24)方浄土を願う金色堂。奥州藤原氏おうしゅうふじわらし=清衡きよひら・基衡もとひら・秀衡ひでひらの三代

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原因と結果

  1. 127『平安初期へいあんしょきの仏教ぶっきょう(密教みっきょう)』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    最澄さいちょうが天台宗てんだいしゅうを開く

    唐とうから帰った最澄さいちょうが、比叡山ひえいざんに延暦寺えんりゃくじを建てて天台宗てんだいしゅうを開きました。「最澄さいちょうが天台宗てんだいしゅうを開く」が「平安初期へいあんしょきの仏教ぶっきょう(密教みっきょう)」のきっかけになりました。

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  2. 128空海くうかいが真言宗しんごんしゅうを開いた結果として起きたことは何でしょう。

    平安初期へいあんしょきの仏教ぶっきょう(密教みっきょう)

    最澄さいちょうの天台宗てんだいしゅうと空海くうかいの真言宗しんごんしゅうが開かれ、山の中で修行しゅぎょうし祈とうで願いをかなえる密教みっきょうが貴族きぞくに広まった時期です。「空海くうかいが真言宗しんごんしゅうを開く」のあとに起きたできごとです。

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  3. 129最澄さいちょうが天台宗てんだいしゅうを開いた結果として起きたことは何でしょう。

    平安初期へいあんしょきの仏教ぶっきょう(密教みっきょう)

    最澄さいちょうの天台宗てんだいしゅうと空海くうかいの真言宗しんごんしゅうが開かれ、山の中で修行しゅぎょうし祈とうで願いをかなえる密教みっきょうが貴族きぞくに広まった時期です。「最澄さいちょうが天台宗てんだいしゅうを開く」のあとに起きたできごとです。

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  4. 130『国風文化こくふうぶんか』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    遣唐使けんとうしの停止ていし

    菅原道真すがわらのみちざねの意見により、遣唐使けんとうしの派遣が取りやめになりました。「遣唐使けんとうしの停止ていし」が「国風文化こくふうぶんか」のきっかけになりました。

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  5. 131道長みちながが「望月もちづきの歌」をよんだきっかけとなったできごとは何でしょう。

    藤原道長ふじわらのみちながが摂政せっしょうになる

    藤原道長ふじわらのみちながは4人の娘むすめを天皇てんのうのきさきにして力を強め、1016年に摂政せっしょうとなりました。「藤原道長ふじわらのみちながが摂政せっしょうになる」が「道長みちながが「望月もちづきの歌」をよむ」のきっかけになりました。

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  6. 132末法まっぽうの世が始まるとされた結果として起きたことは何でしょう。

    平等院鳳凰堂びょうどういんほうおうどう

    藤原頼通ふじわらのよりみちが宇治うじに建てた阿弥陀堂あみだどうです。「末法まっぽうの世が始まるとされる」のあとに起きたできごとです。

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  7. 133『平等院鳳凰堂びょうどういんほうおうどう』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    末法まっぽうの世が始まるとされる

    1052年から仏ほとけの教えがおとろえる「末法まっぽう」の世に入ると信じられました。「末法まっぽうの世が始まるとされる」が「平等院鳳凰堂びょうどういんほうおうどう」のきっかけになりました。

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  8. 134『中尊寺金色堂ちゅうそんじこんじきどう』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    後三年合戦ごさんねんかっせん

    前九年合戦ぜんくねんかっせんのあと東北とうほくを治めた清原きよはら氏の一族争いに源義家みなもとのよしいえが加わり、藤原清衡ふじわらのきよひらを助けて勝利しました。「後三年合戦ごさんねんかっせん」が「中尊寺金色堂ちゅうそんじこんじきどう」のきっかけになりました。

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  9. 135大輪田泊おおわだのとまりを修築しゅうちくし日宋貿易にっそうぼうえきを進めたきっかけとなったできごとは何でしょう。

    平清盛たいらのきよもりが太政大臣だじょうだいじんになる

    平清盛たいらのきよもりは武士ぶしとして初めて太政大臣だじょうだいじんという最高の位に就きました。「平清盛たいらのきよもりが太政大臣だじょうだいじんになる」が「大輪田泊おおわだのとまりを修築しゅうちくし日宋貿易にっそうぼうえきを進める」のきっかけになりました。

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くらべて見分ける

  1. 136最澄さいちょうと空海くうかいのうち、開いた寺が『比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじ(滋賀県しがけん)』なのはどちらでしょう。

    最澄さいちょう

    最澄さいちょうの開いた寺は『比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじ(滋賀県しがけん)』です。ほかは空海くうかいが『高野山こうやさん金剛峯寺こんごうぶじ(和歌山県)』です。

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  2. 137最澄さいちょうと空海くうかいのうち、特徴が『のちに鎌倉仏教かまくらぶっきょうの開祖かいそを多く育てた』なのはどちらでしょう。

    最澄さいちょう

    最澄さいちょうの特徴は『のちに鎌倉仏教かまくらぶっきょうの開祖かいそを多く育てた』です。ほかは空海くうかいが『書にすぐれ「弘法こうぼうにも筆の誤り」のことわざで知られる』です。

    年表で見る読みもの: 天台宗と真言宗のちがい(最澄と空海)
  3. 138寝殿造しんでんづくりと書院造しょいんづくりのうち、特徴が『渡り廊下・池のある庭』なのはどちらでしょう。

    寝殿造しんでんづくり

    寝殿造しんでんづくりの特徴は『渡り廊下・池のある庭』です。ほかは書院造しょいんづくりが『畳・ふすま・床の間・障子』です。

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平安時代の読みもの

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