摂政と関白のちがい

摂政は、天皇が幼いときや女性のときに、天皇の代わりに政治を行う役職です。関白は、成人した天皇を助けて政治を行う役職です。皇族以外で初めて摂政になったのは藤原良房(866年)、初めて関白になったのは藤原基経(887年)で、ここから藤原氏の摂関政治が始まりました。
表でくらべる
| 摂政 | 関白 | |
|---|---|---|
| 役目 | 天皇が幼いときなどに代わって政治を行う | 成人した天皇を助けて政治を行う |
| 初めての人 | 聖徳太子(皇族)、藤原良房(皇族以外で初) | 藤原基経 |
| 年 | 866年 | 887年 |
見分けるときは、「天皇が何歳か」を見ます。天皇が幼くて自分で政治ができないときに、代わりに政治を行うのが摂政です。天皇が大人になったあと、そばで助けて政治を行うのが関白です。同じ人が、天皇が幼いうちは摂政、成人したら関白、と役職を変えることもありました。
図で見る:藤原氏が摂政・関白になれたわけ
摂政も関白も、天皇の親せきであることが大きな意味を持ちました。藤原氏は次のしくみで、天皇の母方の親せき(外戚)になりました。
藤原氏が力をのばしたしくみ
- 1藤原氏の娘を、天皇のきさきにする
- 2生まれた子(藤原氏の孫)を、天皇にする
- 3藤原氏は天皇の母方の親せき(外戚)になる
- 4天皇が幼いうちは摂政、成人したら関白として政治を行う
藤原良房は、孫にあたる幼い清和天皇の代わりに政治を行い、866年に皇族以外で初めて正式に摂政となりました。良房の養子の基経は887年、天皇が大人になってからも政治を助ける関白という役職に、初めて就きました。
摂政・関白が置かれた流れ
- 593年聖徳太子が摂政となる
- 866年藤原良房が摂政になる
- 887年藤原基経が関白となる
- 969年安和の変
- 1016年藤原道長が摂政になる
- 1086年院政
摂政という役職そのものは、飛鳥時代の聖徳太子が推古天皇の摂政になったのが最初です。聖徳太子は皇族でした。平安時代の藤原良房は「皇族以外で初めて」の摂政で、入試ではこの区別がよく問われます。
良房と基経のあと、藤原氏は安和の変などで他の有力な氏を退け、摂政・関白の地位を独占しました。藤原道長とその子の頼通のころが全盛期です。
年号の語呂合わせ866年
や(8)む(6)を得ず、む(6)すめの子の代わりに良房が摂政
摂政の仕事
摂政は、天皇が幼いときや女性のときに、天皇の代わりに政治を行います。天皇が自分で決められないことを、摂政が決めました。
藤原道長は、孫の後一条天皇が即位すると1016年に摂政となり、翌年には太政大臣になりました。1018年によんだ「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」の歌(望月の歌)は、藤原氏の栄華が頂点にあった自信を表すものとして有名です。
関白の仕事
関白は、成人した天皇のそばで、政治を助けます。天皇が自分で政治を行うようになっても、関白が重要なことがらに関わりました。
道長の子の藤原頼通は、摂政と関白をあわせて約50年にわたって務め、宇治に平等院鳳凰堂を建てました。摂政と関白をまとめて「摂関」といい、藤原氏がこの2つの役職について政治を行った時代を摂関政治といいます。
その後どうなった?
摂関政治の流れ
- 866年藤原良房が、皇族以外で初めて摂政になる
- 887年藤原基経が、初めて関白になる
- 11世紀前半藤原道長・頼通のころに、摂関政治が最も栄える
- 1068年藤原氏を外戚としない後三条天皇が即位し、自ら政治を行う。摂関政治がおとろえる
- 1086年白河上皇が院政を始める
頼通の娘に皇子が生まれなかったため、藤原氏を外戚としない後三条天皇が即位しました。天皇が自ら政治を行うようになると摂関政治はおとろえ、続く白河上皇の院政へと移っていきます。
入試のポイント
- 皇族以外で初めて摂政になったのが藤原良房(866年)、初めて関白になったのが藤原基経(887年)
- 摂政=天皇が幼いときや女性のときに代わって政治を行う、関白=成人した天皇を助けて政治を行う
- 藤原氏は娘を天皇のきさきにして外戚(天皇の母方の親せき)となることで力をのばした
- 他の有力な氏を退けた事件(応天門の変・安和の変など)が摂関政治を固めた
よくあるまちがい
摂政と関白の役目を逆に覚える
「幼い天皇の代わり=摂政」「成人した天皇を助ける=関白」です。摂政の「摂」には「代わりに行う」という意味があると考えると、思い出しやすくなります。
「初めての摂政」を藤原良房と答える
摂政そのものの最初は、飛鳥時代の聖徳太子(皇族)です。藤原良房は「皇族以外で初めて」の摂政です。問題文が「皇族以外で」と言っているかどうかを確かめましょう。
良房と基経、866年と887年を取りちがえる
良房が摂政(866年)、基経が関白(887年)です。年の順は「摂政が先、関白があと」で、良房の養子が基経です。
道長を関白だと思う
藤原道長は1016年に摂政となり、翌年には太政大臣になりました。摂政と関白を長く務めたのは、子の頼通です。
確認問題
答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。
Q1藤原良房が正式に摂政となったのは何年でしょう。
866年
藤原良房が摂政になる(866年)。藤原良房は、皇族以外の人物として初めて摂政になりました。ほかの年で習うこともあります(858年に幼い清和天皇の政治を代行し、866年(応天門の変の年)に正式に摂政となった)。ごろ合わせ: や(8)む(6)を得ず、む(6)すめの子の代わりに良房が摂政
Q2藤原基経が関白となったのは何年でしょう。
887年
藤原基経が関白となる(887年)。藤原基経が、成人した天皇を助けて政治を行う関白という役職に初めて就きました。
Q3摂政と関白のうち、役目が『天皇が幼いときなどに代わって政治を行う』なのはどちらでしょう。
摂政
摂政の役目は『天皇が幼いときなどに代わって政治を行う』です。ほかは関白が『成人した天皇を助けて政治を行う』です。
Q4摂政と関白のうち、役目が『成人した天皇を助けて政治を行う』なのはどちらでしょう。
関白
関白の役目は『成人した天皇を助けて政治を行う』です。ほかは摂政が『天皇が幼いときなどに代わって政治を行う』です。
つぎのステップ
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