摂政と関白のちがい

ちがい平安時代政治

摂政と関白のちがいの要点をまとめたイラスト

摂政は、天皇が幼いときや女性のときに、天皇の代わりに政治を行う役職です。関白は、成人した天皇を助けて政治を行う役職です。皇族以外で初めて摂政になったのは藤原良房(866年)、初めて関白になったのは藤原基経(887年)で、ここから藤原氏の摂関政治が始まりました。

2026/09/14 公開・ふりがなつき

表でくらべる

摂政せっしょう関白かんぱく
役えき目天皇てんのうが幼いときなどに代わって政治を行う成人した天皇てんのうを助けて政治を行う
初めての人聖徳太子しょうとくたいし(皇族こうぞく)、藤原良房ふじわらのよしふさ(皇族こうぞく以外で初)藤原基経ふじわらのもとつね
年866年887年
年表で「藤原良房が摂政になる」を見る

見分けるときは、「天皇てんのうが何歳か」を見ます。天皇てんのうが幼くて自分で政治ができないときに、代わりに政治を行うのが摂政せっしょうです。天皇てんのうが大人になったあと、そばで助けて政治を行うのが関白かんぱくです。同じ人が、天皇てんのうが幼いうちは摂政せっしょう、成人したら関白かんぱく、と役職を変えることもありました。

図で見る:藤原氏が摂政・関白になれたわけ

摂政せっしょうも関白かんぱくも、天皇てんのうの親せきであることが大きな意味を持ちました。藤原氏ふじわらしは次のしくみで、天皇てんのうの母方の親せき(外戚がいせき)になりました。

藤原氏ふじわらしが力をのばしたしくみ

  1. 1藤原氏ふじわらしの娘むすめを、天皇てんのうのきさきにする
  2. 2生まれた子(藤原氏ふじわらしの孫)を、天皇てんのうにする
  3. 3藤原氏ふじわらしは天皇てんのうの母方の親せき(外戚がいせき)になる
  4. 4天皇てんのうが幼いうちは摂政せっしょう、成人したら関白かんぱくとして政治を行う

藤原良房ふじわらのよしふさは、孫にあたる幼い清和天皇の代わりに政治を行い、866年に皇族こうぞく以外で初めて正式に摂政せっしょうとなりました。良房の養子の基経は887年、天皇てんのうが大人になってからも政治を助ける関白かんぱくという役職に、初めて就きました。

摂政・関白が置かれた流れ

  1. 593年聖徳太子しょうとくたいしが摂政せっしょうとなる
  2. 866年藤原良房ふじわらのよしふさが摂政せっしょうになる
  3. 887年藤原基経ふじわらのもとつねが関白かんぱくとなる
  4. 969年安和の変へん
  5. 1016年藤原道長ふじわらのみちながが摂政せっしょうになる
  6. 1086年院政いんせい

摂政せっしょうという役職そのものは、飛鳥時代あすかじだいの聖徳太子が推古天皇すいこてんのうの摂政せっしょうになったのが最初です。聖徳太子しょうとくたいしは皇族こうぞくでした。平安時代へいあんじだいの藤原良房ふじわらのよしふさは「皇族こうぞく以外で初めて」の摂政せっしょうで、入試ではこの区別がよく問われます。

良房と基経のあと、藤原氏ふじわらしは安和の変などで他の有力な氏を退け、摂政せっしょう・関白かんぱくの地位を独占しました。藤原道長とその子の頼通よりみちのころが全盛期です。

年号の語呂合わせ866年

や(8)む(6)を得ず、む(6)すめの子の代わりに良房が摂政せっしょう

摂政の仕事

摂政せっしょうは、天皇てんのうが幼いときや女性のときに、天皇てんのうの代わりに政治を行います。天皇てんのうが自分で決められないことを、摂政せっしょうが決めました。

藤原道長ふじわらのみちながは、孫の後一条天皇いちじょうてんのうが即位すると1016年に摂政せっしょうとなり、翌年には太政大臣だじょうだいじんになりました。1018年によんだ「この世をば わが世とぞ思ふ 望月もちづきの かけたることも なしと思へば」の歌(望月の歌)は、藤原氏ふじわらしの栄華が頂点にあった自信を表すものとして有名です。

関白の仕事

関白かんぱくは、成人した天皇てんのうのそばで、政治を助けます。天皇てんのうが自分で政治を行うようになっても、関白かんぱくが重要なことがらに関わりました。

道長みちながの子の藤原頼通は、摂政せっしょうと関白かんぱくをあわせて約50年にわたって務め、宇治うじに平等院鳳凰堂を建てました。摂政せっしょうと関白かんぱくをまとめて「摂関」といい、藤原氏ふじわらしがこの2つの役職について政治を行った時代を摂関政治といいます。

その後どうなった?

摂関政治せっかんせいじの流れ

  1. 866年藤原良房ふじわらのよしふさが、皇族こうぞく以外で初めて摂政せっしょうになる
  2. 887年藤原基経ふじわらのもとつねが、初めて関白かんぱくになる
  3. 11世紀前半藤原道長ふじわらのみちなが・頼通よりみちのころに、摂関政治せっかんせいじが最も栄える
  4. 1068年藤原氏ふじわらしを外戚がいせきとしない後三条天皇が即位し、自ら政治を行う。摂関政治せっかんせいじがおとろえる
  5. 1086年白河上皇しらかわじょうこうが院政いんせいを始める

頼通よりみちの娘むすめに皇子おうじが生まれなかったため、藤原氏ふじわらしを外戚がいせきとしない後三条天皇が即位しました。天皇てんのうが自ら政治を行うようになると摂関政治せっかんせいじはおとろえ、続く白河上皇しらかわじょうこうの院政へと移っていきます。

入試のポイント

  • 皇族こうぞく以外で初めて摂政せっしょうになったのが藤原良房ふじわらのよしふさ(866年)、初めて関白かんぱくになったのが藤原基経ふじわらのもとつね(887年)
  • 摂政せっしょう=天皇てんのうが幼いときや女性のときに代わって政治を行う、関白かんぱく=成人した天皇てんのうを助けて政治を行う
  • 藤原氏ふじわらしは娘むすめを天皇てんのうのきさきにして外戚がいせき(天皇てんのうの母方の親せき)となることで力をのばした
  • 他の有力な氏を退けた事件(応天門の変へん・安和の変など)が摂関政治せっかんせいじを固めた

よくあるまちがい

摂政と関白の役目を逆に覚える

「幼い天皇てんのうの代わり=摂政せっしょう」「成人した天皇てんのうを助ける=関白かんぱく」です。摂政せっしょうの「摂」には「代わりに行う」という意味があると考えると、思い出しやすくなります。

「初めての摂政」を藤原良房と答える

摂政せっしょうそのものの最初は、飛鳥時代あすかじだいの聖徳太子しょうとくたいし(皇族こうぞく)です。藤原良房ふじわらのよしふさは「皇族こうぞく以外で初めて」の摂政せっしょうです。問題文が「皇族こうぞく以外で」と言っているかどうかを確かめましょう。

良房と基経、866年と887年を取りちがえる

良房が摂政せっしょう(866年)、基経が関白かんぱく(887年)です。年の順は「摂政せっしょうが先、関白かんぱくがあと」で、良房の養子が基経です。

道長を関白だと思う

藤原道長ふじわらのみちながは1016年に摂政せっしょうとなり、翌年には太政大臣だじょうだいじんになりました。摂政せっしょうと関白かんぱくを長く務めたのは、子の頼通よりみちです。

確認問題

答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。

  1. Q1藤原良房ふじわらのよしふさが正式に摂政せっしょうとなったのは何年でしょう。

    866年

    藤原良房ふじわらのよしふさが摂政せっしょうになる(866年)。藤原良房ふじわらのよしふさは、皇族こうぞく以外の人物として初めて摂政せっしょうになりました。ほかの年で習うこともあります(858年に幼い清和天皇の政治を代行し、866年(応天門の変へんの年)に正式に摂政せっしょうとなった)。ごろ合わせ: や(8)む(6)を得ず、む(6)すめの子の代わりに良房が摂政せっしょう

  2. Q2藤原基経ふじわらのもとつねが関白かんぱくとなったのは何年でしょう。

    887年

    藤原基経ふじわらのもとつねが関白かんぱくとなる(887年)。藤原基経ふじわらのもとつねが、成人した天皇てんのうを助けて政治を行う関白かんぱくという役職に初めて就きました。

  3. Q3摂政せっしょうと関白かんぱくのうち、役えき目が『天皇てんのうが幼いときなどに代わって政治を行う』なのはどちらでしょう。

    摂政せっしょう

    摂政せっしょうの役えき目は『天皇てんのうが幼いときなどに代わって政治を行う』です。ほかは関白かんぱくが『成人した天皇てんのうを助けて政治を行う』です。

  4. Q4摂政せっしょうと関白かんぱくのうち、役えき目が『成人した天皇てんのうを助けて政治を行う』なのはどちらでしょう。

    関白かんぱく

    関白かんぱくの役えき目は『成人した天皇てんのうを助けて政治を行う』です。ほかは摂政せっしょうが『天皇てんのうが幼いときなどに代わって政治を行う』です。

平安時代の一問一答でもっと解く

つぎのステップ

年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。