奈良時代の人物
奈良時代の人物で、中学受験によく出るのは行基・鑑真・聖武天皇です。このページでは10人を、何をした人か・入試のポイントといっしょにまとめました。
奈良時代の人物一覧
政治・外交(5人)
| 人物 | 何をした人か |
|---|---|
| 聖武天皇 | 仏教の力で国を守ろうと、全国に国分寺を建て、東大寺に大仏をつくらせた天皇です。 |
| 藤原不比等 | 中臣鎌足の子で、大宝律令や養老律令づくりの中心となった貴族です。 |
| 元明天皇 | 710年に藤原京から平城京に都を移した女性の天皇です。 |
| 阿倍仲麻呂 | 遣唐使の留学生として唐にわたり、高い役人になった人物です。 |
| 和気清麻呂 | 宇佐八幡宮のお告げを確かめに行き、道鏡が天皇になることを防いだ貴族です。 |
文化・宗教(5人)
| 人物 | 何をした人か |
|---|---|
| 行基 | 各地を回って人々に仏教を広め、橋や道、ため池をつくった僧です。 |
| 鑑真 | 唐の高僧で、日本の求めに応じて何度も航海に失敗し、目が見えなくなりながらも来日しました。 |
| 道鏡 | 孝謙(称徳)天皇に信頼されて法王という高い位につき、天皇の位までねらった僧です。 |
| 光明皇后 | 聖武天皇の皇后で、藤原不比等の娘です。 |
| 大伴家持 | 奈良時代の貴族で歌人です。 |
表でくらべる
行基と鑑真
| 行基 | 鑑真 | |
|---|---|---|
| 出身 | 日本(河内) | 唐(中国) |
| おもな働き | 民衆に布教・橋や池をつくる・大仏づくりに協力 | 戒律を伝える・唐招提寺を建てる |
| 関係する寺 | 東大寺(大仏) | 唐招提寺 |
人物をくわしく

行基
ぎょうき
各地を回って人々に仏教を広め、橋や道、ため池をつくった僧です。はじめは国に取りしまられましたが、のちに大仏づくりに協力しました。
- 行基=民衆に仏教を広め、橋・道・ため池などをつくった僧
- はじめは国に取りしまられたが、のちに大仏づくりに協力し大僧正に
- 鑑真(唐から来た僧・戒律)との区別:行基は日本の僧・社会事業

鑑真
がんじん
唐の高僧で、日本の求めに応じて何度も航海に失敗し、目が見えなくなりながらも来日しました。戒律を伝え、唐招提寺を建てました。
- 鑑真=唐の僧・戒律を伝えた・唐招提寺を建てた
- 5回失敗し失明、6回目(753)に来日
- 唐招提寺の鑑真和上像(日本最古の肖像彫刻)

聖武天皇
しょうむてんのう
仏教の力で国を守ろうと、全国に国分寺を建て、東大寺に大仏をつくらせた天皇です。その遺品は正倉院に納められました。
- 聖武天皇=国分寺建立の詔(741)・大仏造立の詔(743)・天平文化・正倉院
- 皇后は光明皇后(藤原不比等の娘)。聖武の遺品→正倉院
- 都を転々とした(恭仁京・難波宮・紫香楽宮)あと平城京にもどった

藤原不比等
ふじわらのふひと
中臣鎌足の子で、大宝律令や養老律令づくりの中心となった貴族です。娘を天皇のきさきにして、藤原氏が栄えるもとをつくりました。
- 藤原不比等=中臣鎌足の子・大宝律令(701)と養老律令(718)の中心
- 娘の光明子が聖武天皇の皇后になり、藤原氏が天皇の外戚となる基礎を築いた
- 4人の子=藤原四兄弟(長屋王の変で活やく、737年に天然痘で全員死亡)

元明天皇
げんめいてんのう
710年に藤原京から平城京に都を移した女性の天皇です。和同開珎の発行、古事記の完成や風土記の編さんも、この天皇のときに行われました。
- 平城京遷都(710)を行った天皇=元明天皇(女性)
- 和同開珎(708)・古事記(712)・風土記(713)も元明天皇のとき
- 奈良時代の初めは元明・元正と女性の天皇が続いた

阿倍仲麻呂
あべのなかまろ
遣唐使の留学生として唐にわたり、高い役人になった人物です。帰国の船が難破して日本にもどれず、唐で一生を終えました。
- 阿倍仲麻呂=717年の遣唐使で唐へ・唐の高官に・帰国できず唐で死去
- 「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」の歌
- 同じ遣唐使の吉備真備・玄昉は帰国して橘諸兄の政治を支えた

道鏡
どうきょう
孝謙(称徳)天皇に信頼されて法王という高い位につき、天皇の位までねらった僧です。和気清麻呂に阻まれ、天皇の死後に追放されました。
- 道鏡=称徳天皇に信頼された僧・法王・天皇の位をねらった
- 宇佐八幡宮神託事件(769)で和気清麻呂に阻まれ、770年に下野薬師寺へ追放
- 僧が政治に関わりすぎた例→桓武天皇の遷都の理由の一つ

光明皇后
こうみょうこうごう
聖武天皇の皇后で、藤原不比等の娘です。仏教を深く信じ、貧しい人や病人を助ける悲田院・施薬院をつくり、夫の遺品を正倉院に納めました。
- 光明皇后=藤原不比等の娘・皇族以外で初めての皇后
- 悲田院(貧しい人の救済)・施薬院(病人に薬)をつくった
- 聖武天皇の遺品を東大寺に納めた→正倉院の宝物

大伴家持
おおとものやかもち
奈良時代の貴族で歌人です。日本最古の和歌集である万葉集をまとめた中心人物とされ、万葉集には家持の歌が約470首と最も多く収められています。
- 万葉集の編さんの中心とされる人物=大伴家持
- 万葉集の歌人:大伴家持・柿本人麻呂・山上憶良・山部赤人・額田王など
- 万葉集は天皇から農民・防人まで幅広い身分の歌を収め、万葉がなで書かれた

和気清麻呂
わけのきよまろ
宇佐八幡宮のお告げを確かめに行き、道鏡が天皇になることを防いだ貴族です。のちに桓武天皇に仕え、平安京への遷都をすすめました。
- 和気清麻呂=宇佐八幡宮のお告げを確かめ、道鏡の即位を防いだ
- 道鏡にうらまれて大隅に流されたが、のちに復帰
- 桓武天皇に平安京への遷都をすすめた
確認問題
答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。
Q1各地を回って人々に仏教を広め、橋や道、ため池をつくった僧です。はじめは国に取りしまられましたが、のちに大仏づくりに協力しました。この僧はだれでしょう。
行基
行基は河内(大阪府)に生まれた僧です。
Q2唐の高僧で、日本の求めに応じて何度も航海に失敗し、目が見えなくなりながらも来日しました。戒律を伝え、唐招提寺を建てました。この人物はだれでしょう。
鑑真
鑑真は唐の揚州の高僧で、僧になるためのきまり(戒律)にくわしい人でした。
Q3仏教の力で国を守ろうと、全国に国分寺を建て、東大寺に大仏をつくらせた天皇です。その遺品は正倉院に納められました。この天皇はだれでしょう。
聖武天皇
聖武天皇は724年に即位しました。
Q4中臣鎌足の子で、大宝律令や養老律令づくりの中心となった貴族です。娘を天皇のきさきにして、藤原氏が栄えるもとをつくりました。この貴族はだれでしょう。
藤原不比等
藤原不比等は、大化の改新で活やくした中臣(藤原)鎌足の子です。
Q5和同開珎がつくられ(708年)、古事記が完成し(712年)、風土記をつくる命令が出された(713年)ときの天皇はだれでしょう。
元明天皇
元明天皇は天智天皇の娘で、文武天皇の母にあたります。
奈良時代の読みもの
つぎのステップ
年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。