奈良時代の人物

奈良時代の人物で、中学受験によく出るのは行基・鑑真・聖武天皇です。このページでは10人を、何をした人か・入試のポイントといっしょにまとめました。

2026/09/19 更新・ふりがなつき

奈良時代の人物一覧

政治・外交(5人)

人物何をした人か
聖武天皇しょうむてんのう仏教ぶっきょうの力で国を守ろうと、全国に国分寺こくぶんじを建て、東大寺とうだいじに大仏だいぶつをつくらせた天皇てんのうです。
藤原不比等ふじわらのふひと中臣鎌足なかとみのかまたりの子で、大宝律令たいほうりつりょうや養老律令づくりの中心となった貴族きぞくです。
元明天皇げんめいてんのう710年に藤原京ふじわらきょうから平城京へいじょうきょうに都みやこを移した女性の天皇てんのうです。
阿倍仲麻呂あべのなかまろ遣唐使けんとうしの留学生りゅうがくせいとして唐とうにわたり、高い役人やくにんになった人物です。
和気清麻呂わけのきよまろ宇佐八幡宮うさはちまんぐうのお告げを確かめに行き、道鏡どうきょうが天皇てんのうになることを防いだ貴族きぞくです。

文化・宗教(5人)

人物何をした人か
行基ぎょうき各地を回って人々に仏教ぶっきょうを広め、橋や道、ため池をつくった僧そうです。
鑑真がんじん唐とうの高僧こうそうで、日本の求めに応じて何度も航海に失敗し、目が見えなくなりながらも来日らいにちしました。
道鏡どうきょう孝謙こうけん(称徳しょうとく)天皇てんのうに信頼されて法王という高い位につき、天皇てんのうの位までねらった僧そうです。
光明皇后こうみょうこうごう聖武天皇しょうむてんのうの皇后こうごうで、藤原不比等ふじわらのふひとの娘むすめです。
大伴家持おおとものやかもち奈良時代ならじだいの貴族きぞくで歌人かじんです。

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行基と鑑真

行基ぎょうき鑑真がんじん
出身日本(河内かわち)唐とう(中国)
おもな働き民衆みんしゅうに布教ふきょう・橋や池をつくる・大仏だいぶつづくりに協力戒律かいりつを伝える・唐招提寺とうしょうだいじを建てる
関係する寺東大寺とうだいじ(大仏だいぶつ)唐招提寺とうしょうだいじ
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人物をくわしく

  • 行基

    ぎょうき

    各地を回って人々に仏教ぶっきょうを広め、橋や道、ため池をつくった僧そうです。はじめは国に取りしまられましたが、のちに大仏だいぶつづくりに協力しました。

    • 行基ぎょうき=民衆みんしゅうに仏教ぶっきょうを広め、橋・道・ため池などをつくった僧そう
    • はじめは国に取りしまられたが、のちに大仏だいぶつづくりに協力し大僧正だいそうじょうに
    • 鑑真がんじん(唐とうから来た僧そう・戒律かいりつ)との区別:行基ぎょうきは日本の僧そう・社会事業
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  • 鑑真

    がんじん

    唐とうの高僧こうそうで、日本の求めに応じて何度も航海に失敗し、目が見えなくなりながらも来日らいにちしました。戒律かいりつを伝え、唐招提寺とうしょうだいじを建てました。

    • 鑑真がんじん=唐とうの僧そう・戒律かいりつを伝えた・唐招提寺とうしょうだいじを建てた
    • 5回失敗し失明、6回目(753)に来日らいにち
    • 唐招提寺とうしょうだいじの鑑真和上像がんじんわじょうぞう(日本最古の肖像彫刻)
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  • 聖武天皇

    しょうむてんのう

    仏教ぶっきょうの力で国を守ろうと、全国に国分寺こくぶんじを建て、東大寺とうだいじに大仏だいぶつをつくらせた天皇てんのうです。その遺品は正倉院しょうそういんに納められました。

    • 聖武天皇しょうむてんのう=国分寺建立こくぶんじこんりゅうの詔みことのり(741)・大仏造立だいぶつぞうりゅうの詔みことのり(743)・天平文化てんぴょうぶんか・正倉院しょうそういん
    • 皇后こうごうは光明皇后こうみょうこうごう(藤原不比等ふじわらのふひとの娘むすめ)。聖武の遺品→正倉院しょうそういん
    • 都みやこを転々とした(恭仁京くにきょう・難波宮なにわのみや・紫香楽宮しがらきのみや)あと平城京へいじょうきょうにもどった
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  • 藤原不比等

    ふじわらのふひと

    中臣鎌足なかとみのかまたりの子で、大宝律令たいほうりつりょうや養老律令づくりの中心となった貴族きぞくです。娘むすめを天皇てんのうのきさきにして、藤原氏ふじわらしが栄えるもとをつくりました。

    • 藤原不比等ふじわらのふひと=中臣鎌足なかとみのかまたりの子・大宝律令たいほうりつりょう(701)と養老律令(718)の中心
    • 娘むすめの光明子こうみょうしが聖武天皇しょうむてんのうの皇后こうごうになり、藤原氏ふじわらしが天皇てんのうの外戚がいせきとなる基礎を築いた
    • 4人の子=藤原四兄弟ふじわらしきょうだい(長屋王ながやおうの変へんで活やく、737年に天然痘てんねんとうで全員死亡)
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  • 元明天皇

    げんめいてんのう

    710年に藤原京ふじわらきょうから平城京へいじょうきょうに都みやこを移した女性の天皇てんのうです。和同開珎わどうかいちんの発行、古事記こじきの完成かんせいや風土記ふどきの編さんも、この天皇てんのうのときに行われました。

    • 平城京へいじょうきょう遷都せんと(710)を行った天皇てんのう=元明天皇げんめいてんのう(女性)
    • 和同開珎わどうかいちん(708)・古事記こじき(712)・風土記ふどき(713)も元明天皇げんめいてんのうのとき
    • 奈良時代ならじだいの初めは元げん明みん・元正と女性の天皇てんのうが続いた
    年表で見る読みもの: 古事記と日本書紀のちがい
  • 阿倍仲麻呂

    あべのなかまろ

    遣唐使けんとうしの留学生りゅうがくせいとして唐とうにわたり、高い役人やくにんになった人物です。帰国きこくの船が難破して日本にもどれず、唐とうで一生を終えました。

    • 阿倍仲麻呂あべのなかまろ=717年の遣唐使けんとうしで唐とうへ・唐とうの高官に・帰国きこくできず唐とうで死去
    • 「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」の歌
    • 同じ遣唐使けんとうしの吉備真備きびのまきび・玄昉げんぼうは帰国きこくして橘諸兄たちばなのもろえの政治を支えた
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  • 道鏡

    どうきょう

    孝謙こうけん(称徳しょうとく)天皇てんのうに信頼されて法王という高い位につき、天皇てんのうの位までねらった僧そうです。和気清麻呂わけのきよまろに阻まれ、天皇てんのうの死後に追放されました。

    • 道鏡どうきょう=称徳天皇しょうとくてんのうに信頼された僧そう・法王・天皇てんのうの位をねらった
    • 宇佐八幡宮神託事件うさはちまんぐうしんたくじけん(769)で和気清麻呂わけのきよまろに阻まれ、770年に下野薬師寺へ追放
    • 僧そうが政治に関わりすぎた例→桓武天皇かんむてんのうの遷都せんとの理由の一つ
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  • 光明皇后

    こうみょうこうごう

    聖武天皇しょうむてんのうの皇后こうごうで、藤原不比等ふじわらのふひとの娘むすめです。仏教ぶっきょうを深く信じ、貧しい人や病人を助ける悲田院ひでんいん・施薬院せやくいんをつくり、夫の遺品を正倉院しょうそういんに納めました。

    • 光明皇后こうみょうこうごう=藤原不比等ふじわらのふひとの娘むすめ・皇族こうぞく以外で初めての皇后こうごう
    • 悲田院ひでんいん(貧しい人の救済)・施薬院せやくいん(病人に薬)をつくった
    • 聖武天皇しょうむてんのうの遺品を東大寺とうだいじに納めた→正倉院しょうそういんの宝物ほうもつ
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  • 大伴家持

    おおとものやかもち

    奈良時代ならじだいの貴族きぞくで歌人かじんです。日本最古の和歌集わかしゅうである万葉集まんようしゅうをまとめた中心人物とされ、万葉集まんようしゅうには家持やかもちの歌が約470首と最も多く収められています。

    • 万葉集まんようしゅうの編さんの中心とされる人物=大伴家持おおとものやかもち
    • 万葉集まんようしゅうの歌人かじん:大伴家持おおとものやかもち・柿本人麻呂かきのもとのひとまろ・山上憶良やまのうえのおくら・山部赤人やまべのあかひと・額田王ぬかたのおおきみなど
    • 万葉集まんようしゅうは天皇てんのうから農民のうみん・防人さきもりまで幅広い身分の歌を収め、万葉がなで書かれた
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  • 和気清麻呂

    わけのきよまろ

    宇佐八幡宮うさはちまんぐうのお告げを確かめに行き、道鏡どうきょうが天皇てんのうになることを防いだ貴族きぞくです。のちに桓武天皇かんむてんのうに仕え、平安京へいあんきょうへの遷都せんとをすすめました。

    • 和気清麻呂わけのきよまろ=宇佐八幡宮うさはちまんぐうのお告げを確かめ、道鏡どうきょうの即位を防いだ
    • 道鏡どうきょうにうらまれて大隅に流されたが、のちに復帰
    • 桓武天皇かんむてんのうに平安京へいあんきょうへの遷都せんとをすすめた
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確認問題

答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。

  1. Q1各地を回って人々に仏教ぶっきょうを広め、橋や道、ため池をつくった僧そうです。はじめは国に取りしまられましたが、のちに大仏だいぶつづくりに協力しました。この僧そうはだれでしょう。

    行基ぎょうき

    行基ぎょうきは河内かわち(大阪おおさか府)に生まれた僧そうです。

  2. Q2唐とうの高僧こうそうで、日本の求めに応じて何度も航海に失敗し、目が見えなくなりながらも来日らいにちしました。戒律かいりつを伝え、唐招提寺とうしょうだいじを建てました。この人物はだれでしょう。

    鑑真がんじん

    鑑真がんじんは唐とうの揚州の高僧こうそうで、僧そうになるためのきまり(戒律かいりつ)にくわしい人でした。

  3. Q3仏教ぶっきょうの力で国を守ろうと、全国に国分寺こくぶんじを建て、東大寺とうだいじに大仏だいぶつをつくらせた天皇てんのうです。その遺品は正倉院しょうそういんに納められました。この天皇てんのうはだれでしょう。

    聖武天皇しょうむてんのう

    聖武天皇しょうむてんのうは724年に即位しました。

  4. Q4中臣鎌足なかとみのかまたりの子で、大宝律令たいほうりつりょうや養老律令づくりの中心となった貴族きぞくです。娘むすめを天皇てんのうのきさきにして、藤原氏ふじわらしが栄えるもとをつくりました。この貴族きぞくはだれでしょう。

    藤原不比等ふじわらのふひと

    藤原不比等ふじわらのふひとは、大化たいかの改新かいしんで活やくした中臣(藤原ふじわら)鎌足の子です。

  5. Q5和同開珎わどうかいちんがつくられ(708年)、古事記こじきが完成かんせいし(712年)、風土記ふどきをつくる命令めいれいが出された(713年)ときの天皇てんのうはだれでしょう。

    元明天皇げんめいてんのう

    元明天皇げんめいてんのうは天智天皇てんじてんのうの娘むすめで、文武天皇の母にあたります。

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奈良時代の読みもの

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