奈良時代の文化(天平文化)
奈良時代の文化は、天平文化です。聖武天皇のころ、平城京を中心に栄えた文化です。
奈良時代の文化の特色
天平文化
聖武天皇のころ、平城京を中心に栄えた文化です。遣唐使がもたらした唐の文化の影響が強く、仏教と結びついた国際色ゆたかな文化です。
天平文化は、聖武天皇の年号「天平」からその名がついた、奈良時代の文化です。遣唐使を通じて唐の文化がさかんに取り入れられ、さらにシルクロードを通ってインドや西アジアの文化も伝わったため、国際色ゆたかな文化になりました。また聖武天皇が仏教で国を守ろうとしたため、東大寺の大仏、唐招提寺、興福寺の阿修羅像など、仏教に関わる建物や仏像が多くつくられました。文学では古事記・日本書紀・風土記・万葉集がまとめられ、正倉院には天皇の宝物が今も残されています。
- 天平文化の3つの特色:①聖武天皇のころ ②仏教中心 ③唐やシルクロードの影響で国際色ゆたか
- 代表:東大寺大仏・正倉院・唐招提寺・興福寺阿修羅像・万葉集・古事記・日本書紀・風土記
- 飛鳥文化(法隆寺・仏教伝来直後)、国風文化(平安中期・日本風)との違い
- 正倉院の宝物はシルクロードを通って伝わった品も多く「シルクロードの終着点」とよばれる
代表的な作品・建物

東大寺の大仏(盧舎那仏)
とうだいじのだいぶつ(るしゃなぶつ)
聖武天皇の命令でつくられた、高さ約15メートルの銅の大仏です。のべ260万人が働いたといわれ、天平文化を代表する仏像です。
関係する人物: 聖武天皇・行基
- 東大寺大仏=聖武天皇の命令・行基の協力・752年開眼・盧舎那仏
- 大仏づくりの目的=仏教の力で国を守る(鎮護国家)
- 2度焼け落ち、現在の大仏の頭部は江戸時代のもの

正倉院
しょうそういん
東大寺にある宝物庫で、聖武天皇の遺品など約9000点の宝物が納められています。三角形の木材を組んだ校倉造の建物です。
関係する人物: 聖武天皇・光明皇后
- 正倉院=東大寺の宝物庫・校倉造・聖武天皇の遺品を光明皇后が納めた
- シルクロードを通って伝わった品(ガラスの器・五絃琵琶など)→天平文化の国際色
- 校倉造=三角形の木材を組んだ高床の建て方

唐招提寺
とうしょうだいじ
鑑真が平城京に開いた寺です。金堂は奈良時代の建物がそのまま残る貴重なもので、目を閉じた鑑真和上像が納められています。
関係する人物: 鑑真
- 唐招提寺=鑑真が759年に建てた寺・奈良時代の金堂が現存
- 鑑真和上像=日本最古の肖像彫刻(目を閉じている)
- 東大寺(聖武天皇・大仏)と唐招提寺(鑑真・戒律)の区別

万葉集
まんようしゅう
日本で最も古い和歌集で、約4500首を収めています。天皇や貴族だけでなく、農民や防人の歌もあり、万葉がなで書かれています。
関係する人物: 大伴家持
- 万葉集=日本最古の和歌集・大伴家持らが編さん・万葉がな
- 作者の身分が幅広い(天皇〜農民・防人)のが特色
- 山上憶良「貧窮問答歌」→農民の重い負担がわかる

興福寺阿修羅像
こうふくじあしゅらぞう
藤原氏の寺である興福寺にある、3つの顔と6本の腕をもつ少年のような姿の仏像です。麻布とうるしでつくる乾漆造で、天平文化を代表する彫刻です。
関係する人物: 光明皇后
- 興福寺阿修羅像=天平文化の彫刻・3つの顔と6本の腕・乾漆造
- 興福寺は藤原氏の氏寺(藤原不比等が平城京に移した)
- 天平の仏像の技法:乾漆造(阿修羅像)・塑造(東大寺法華堂の執金剛神像など)
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古事記と日本書紀のちがい
| 古事記 | 日本書紀 | |
|---|---|---|
| 完成年 | 712年 | 720年 |
| 中心人物 | 太安万侶(稗田阿礼) | 舎人親王 |
| 書き方 | 日本語風の文 | 漢文・年代順(編年体) |
| 特色 | 神話・物語が中心 | 国の正式な歴史書 |
行基と鑑真
| 行基 | 鑑真 | |
|---|---|---|
| 出身 | 日本(河内) | 唐(中国) |
| おもな働き | 民衆に布教・橋や池をつくる・大仏づくりに協力 | 戒律を伝える・唐招提寺を建てる |
| 関係する寺 | 東大寺(大仏) | 唐招提寺 |
文化・宗教のできごと
- 712年古事記の完成稗田阿礼が語り伝えた神話や天皇の記録を、太安万侶が書きまとめて元明天皇に差し出した、日本で最も古い歴史書です。
- 713年風土記をつくる命令元明天皇が全国の国ごとに、地名のいわれや産物、伝説などを書いて報告するよう命じました。
- 720年日本書紀の完成舎人親王が中心となって、神代から持統天皇までの歴史を年代順に漢文で書いた、日本で最初の正式な歴史書が完成しました。
- 741年国分寺建立の詔聖武天皇が、仏教の力で国を守るため、国ごとに国分寺と国分尼寺を建てるよう命じました。
- 743年大仏造立の詔聖武天皇が、仏教の力で国を守るため、紫香楽宮で大きな仏像をつくるよう命じました。
- 752年東大寺の大仏開眼供養約10年かけてつくられた東大寺の大仏が完成し、仏の目を入れる開眼供養の式が行われました。
- 753年鑑真の来日唐の高僧・鑑真が、5回の失敗と失明を乗りこえて、6回目の航海でついに日本に着きました。
文化をになった人物
行基各地を回って人々に仏教を広め、橋や道、ため池をつくった僧です。
鑑真唐の高僧で、日本の求めに応じて何度も航海に失敗し、目が見えなくなりながらも来日しました。
道鏡孝謙(称徳)天皇に信頼されて法王という高い位につき、天皇の位までねらった僧です。
光明皇后聖武天皇の皇后で、藤原不比等の娘です。
大伴家持奈良時代の貴族で歌人です。
確認問題
答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。
Q1稗田阿礼が語り伝えた神話や天皇の記録を、太安万侶が書きまとめて元明天皇に差し出した、日本で最も古い歴史書です。このできごとは何でしょう。
古事記の完成
天武天皇のころから、国のなりたちや天皇の系図を正しく残そうという動きがありました。
Q2舎人親王が中心となって、神代から持統天皇までの歴史を年代順に漢文で書いた、日本で最初の正式な歴史書が完成しました。このできごとは何でしょう。
日本書紀の完成
古事記が神話や物語を中心とした書物だったのに対し、日本書紀は中国の歴史書にならい、漢文で年代順(編年体)に書かれた正式な国の歴史書です。
Q3『○○の3つの特色:①聖武天皇のころ ②仏教中心 ③唐やシルクロードの影響で国際色ゆたか』という特徴にあてはまる文化は何でしょう。
天平文化
聖武天皇のころ、平城京を中心に栄えた文化です。
Q4聖武天皇が、仏教の力で国を守るため、国ごとに○○と国分尼寺を建てるよう命じました。都の東大寺は全国の○○の中心とされました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
国分寺建立の詔
病気やききん、反乱が続いて世の中が乱れたため、聖武天皇は仏教の力で国を安らかにしようと考えました(鎮護国家)。
Q5聖武天皇が、仏教の力で国を守るため、紫香楽宮で大きな仏像をつくるよう命じました。のちに東大寺の○○として奈良で完成します。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
大仏造立の詔
国分寺建立の詔から2年後の743年、聖武天皇は近江の紫香楽宮で、大仏(盧舎那仏)をつくる詔を出しました。
前後の時代の文化
奈良時代の読みもの
つぎのステップ
年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。