奈良時代の一問一答

奈良時代(710年〜794年)の、中学受験でよく出るできごと・人物・文化を77問の一問一答にまとめました。問題をタップすると答えと解説が出ます。奈良時代は「律令国家と仏教の力で国を治める」時代です。
フラッシュカードクイズ
カードをタップすると答えがめくれます。「覚えた」「まだ」に分けて、まだのカードだけくり返せます。
政治21問
中学受験で押さえておきたいポイント5つ
1都の移り変わりは順番で
平城京に都を移したのは元明天皇(女性の天皇)、長岡京と平安京はどちらも桓武天皇です。長岡京と平安京の10年の差にも注意しましょう。
- 694年藤原京
- 710年平城京(元明天皇)
- 784年長岡京(桓武天皇)
- 794年平安京(桓武天皇)
2藤原氏は天皇の親戚になって力をのばす
藤原不比等の娘の宮子が聖武天皇の母、同じく娘の光明子が聖武天皇の皇后になりました。こうして藤原氏は天皇の外戚(母方の親戚)となりました。
3政争は事件の順番が問われる
権力をにぎった人は、長屋王→藤原四兄弟→橘諸兄→藤原仲麻呂(恵美押勝)→道鏡の順です。
- 長屋王の変(729年)
- 藤原広嗣の乱(740年)
- 恵美押勝の乱(764年)
- 道鏡事件(769年)
4聖武天皇が仏教にたよったわけ
長屋王の変や天然痘の大流行、藤原広嗣の乱、ききんが続き、世の中が不安になりました。そこで聖武天皇は仏教の力で国を守ろう(鎮護国家)と考えました。
5道鏡事件が遷都につながる
道鏡は称徳天皇に信頼された僧です。お告げを確かめた和気清麻呂は、のちに桓武天皇に平安京への遷都をすすめました。
- 道鏡が法王となり天皇の位をねらう
- 和気清麻呂が宇佐八幡宮のお告げを確かめて防ぐ(769年)
- 僧が政治に口出しする弊害
- 桓武天皇が長岡京へ都を移す(784年)
名前をこたえる
1中臣鎌足の子で、大宝律令や養老律令づくりの中心となった貴族です。娘を天皇のきさきにして、藤原氏が栄えるもとをつくりました。この貴族はだれでしょう。
2710年に藤原京から平城京に都を移した女性の天皇です。和同開珎の発行、古事記の完成や風土記の編さんも、この天皇のときに行われました。この天皇はだれでしょう。
3仏教の力で国を守ろうと、全国に国分寺を建て、東大寺に大仏をつくらせた天皇です。その遺品は正倉院に納められました。この天皇はだれでしょう。
4元明天皇が、唐の都の長安を手本にして、奈良に○○という新しい都をつくり、藤原京から都を移しました。ここから奈良時代が始まります。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
5藤原不比等の4人の子が、皇族の○○に反乱のうたがいをかけて自害に追いこみました。その後、藤原氏の光明子が皇后になりました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
6宇佐八幡宮のお告げを確かめに行き、道鏡が天皇になることを防いだ貴族です。のちに桓武天皇に仕え、平安京への遷都をすすめました。この貴族はだれでしょう。
7九州から広がった○○が都でも△△し、藤原四兄弟をはじめ多くの人が亡くなりました。聖武天皇が仏教にすがるきっかけの一つになりました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
8「道鏡を天皇にすれば国が安らかになる」という宇佐八幡宮のお告げが伝えられましたが、和気清麻呂がうそだと報告し、道鏡は天皇になれませんでした。このできごとを何といいますか。
9桓武天皇が、仏教勢力の強い平城京をはなれ、山城の○○に都を移しました。奈良時代の終わりです。しかし10年後には平安京へ再び移りました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
長岡京に都を移す
道鏡事件のように、奈良の大きな寺が政治に強く関わるようになったため、桓武天皇は政治を立て直そうと考え、784年、平城京の寺を残したまま、山城(京都府)の長岡京に都を移しました。
年表で見る10『○○に遷都した天皇は元明天皇(女性の天皇)』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。
11『藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)が○○を倒した』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。
12和同開珎がつくられ(708年)、古事記が完成し(712年)、風土記をつくる命令が出された(713年)ときの天皇はだれでしょう。
年号をこたえる
13平城京に都を移したのは何年でしょう。
14『長屋王の変』が起きたのは何年でしょう。
15『天然痘の大流行』が起きたのは何年でしょう。
16『宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)』が起きたのは何年でしょう。
769年
宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)(769年)。「道鏡を天皇にすれば国が安らかになる」という宇佐八幡宮のお告げが伝えられましたが、和気清麻呂がうそだと報告し、道鏡は天皇になれませんでした。ごろ合わせ: なろく(769)ず、道鏡は天皇になれず
年表で見る17長岡京に都を移したのは何年でしょう。
原因と結果
18平城京に都を移した結果として起きたことは何でしょう。
19『天然痘の大流行』の結果として起きたことは何でしょう。
20『宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)』の結果として起きたことは何でしょう。
21長岡京に都を移したきっかけとなったできごとは何でしょう。
宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)
「道鏡を天皇にすれば国が安らかになる」という宇佐八幡宮のお告げが伝えられましたが、和気清麻呂がうそだと報告し、道鏡は天皇になれませんでした。「宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)」が「長岡京に都を移す」のきっかけになりました。
年表で見る
外交・世界4問
中学受験で押さえておきたいポイント4つ
1717年の遣唐使は3人セット
奈良時代には、唐の進んだ制度や文化を学ぶため遣唐使が送られました。717年の遣唐使に加わった3人の、その後のちがいが問われます。
- 阿倍仲麻呂(留学生)
- 唐で高い役人になり、日本に帰れなかった
- 吉備真備(留学生)
- 帰国して聖武天皇に重く用いられた
- 玄昉(学問僧)
- 帰国して聖武天皇に重く用いられた
2阿倍仲麻呂は唐で一生を終えた
日本をなつかしんで詠んだ「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」の歌で知られます。
- 遣唐使の留学生として唐へ(717年)
- 唐の役人になり玄宗皇帝に仕える
- 帰国の船が難破して唐にもどる(753年)
- 唐で亡くなる(770年)
3鑑真と同じころの遣唐使船
753年、鑑真は遣唐使の帰りの船で日本に着きましたが、同じころ帰国しようとした阿倍仲麻呂の船は難破しました。
4遣唐使が天平文化の土台に
遣唐使がもたらした唐の文化が、天平文化の国際色の土台になりました。正倉院の宝物がその例です。
名前をこたえる
22遣唐使の留学生として唐にわたり、高い役人になった人物です。帰国の船が難破して日本にもどれず、唐で一生を終えました。この人物はだれでしょう。
23717年の遣唐使には、○○・吉備真備・玄昉など若い留学生が加わりました。唐で学んだ知識や文化が奈良時代の政治や文化を支えました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
年号をこたえる
24『阿倍仲麻呂らの遣唐使派遣』が起きたのは何年でしょう。
原因と結果
25『阿倍仲麻呂らの遣唐使派遣』の結果として起きたことは何でしょう。
文化・くらし52問
中学受験で押さえておきたいポイント5つ
1古事記と日本書紀のちがい
2つをあわせて「記紀」とよびます。間の713年には、元明天皇が国ごとに風土記をつくるよう命じました。
古事記 日本書紀 完成年 712年 720年 中心人物 太安万侶(稗田阿礼) 舎人親王 書き方 日本語風の文 漢文・年代順(編年体) 性格 神話・物語が中心 国の正式な歴史書 2国分寺から大仏開眼までの流れ
東大寺は全国の国分寺の中心(総国分寺)です。大仏開眼のときの天皇は聖武天皇の娘の孝謙天皇で、聖武は上皇でした。
- 国分寺建立の詔(741年)
- 大仏造立の詔(743年・紫香楽宮)
- 大仏開眼供養(752年・東大寺)
- 鑑真の来日(753年)
3行基と鑑真を区別する
行基は日本の僧で、人々に仏教を広め、橋や池をつくり、大仏づくりに協力しました。鑑真は唐の僧で、5回の失敗と失明を乗りこえて来日し、戒律を伝えて唐招提寺を建てました。
4土地の法律は2つをくらべる
口分田が足りなくなったのが始まりです。墾田永年私財法で公地公民の原則がくずれ、荘園が生まれました。
三世一身法 墾田永年私財法 年 723年 743年 所有できる期間 3代(または本人1代) 永久 当時の政治 長屋王 聖武天皇・橘諸兄 結果 開こんがあまり進まない 貴族や寺が私有地(荘園)を広げる 5天平文化は仏教中心で国際色ゆたか
代表は東大寺の大仏・正倉院・唐招提寺・興福寺阿修羅像・万葉集などです。万葉集(大伴家持ら・万葉がな)は、平安時代の古今和歌集(紀貫之・かな文字)と区別しましょう。
名前をこたえる
26各地を回って人々に仏教を広め、橋や道、ため池をつくった僧です。はじめは国に取りしまられましたが、のちに大仏づくりに協力しました。この僧はだれでしょう。
27唐の高僧で、日本の求めに応じて何度も航海に失敗し、目が見えなくなりながらも来日しました。戒律を伝え、唐招提寺を建てました。この人物はだれでしょう。
28孝謙(称徳)天皇に信頼されて法王という高い位につき、天皇の位までねらった僧です。和気清麻呂に阻まれ、天皇の死後に追放されました。この僧はだれでしょう。
29聖武天皇の皇后で、藤原不比等の娘です。仏教を深く信じ、貧しい人や病人を助ける悲田院・施薬院をつくり、夫の遺品を正倉院に納めました。この人物はだれでしょう。
30稗田阿礼が語り伝えた神話や天皇の記録を、太安万侶が書きまとめて元明天皇に差し出した、日本で最も古い歴史書です。このできごとは何でしょう。
31元明天皇が全国の国ごとに、地名のいわれや産物、伝説などを書いて報告するよう命じました。こうして各地でつくられた地理書が○○です。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
32奈良時代の貴族で歌人です。日本最古の和歌集である万葉集をまとめた中心人物とされ、万葉集には家持の歌が約470首と最も多く収められています。この歌人はだれでしょう。
33舎人親王が中心となって、神代から持統天皇までの歴史を年代順に漢文で書いた、日本で最初の正式な歴史書が完成しました。このできごとは何でしょう。
34人口がふえて口分田が足りなくなったため、新しく土地を切り開いた人には、3代(子・孫・ひ孫)まで土地を持つことを認めた法律です。このできごとを何といいますか。
35聖武天皇のころ、平城京を中心に栄えた文化です。遣唐使がもたらした唐の文化の影響が強く、仏教と結びついた国際色ゆたかな文化は何でしょう。
36藤原氏の寺である興福寺にある、3つの顔と6本の腕をもつ少年のような姿の仏像です。麻布とうるしでつくる乾漆造で、天平文化を代表する彫刻は何でしょう。
37聖武天皇が、仏教の力で国を守るため、国ごとに○○と国分尼寺を建てるよう命じました。都の東大寺は全国の○○の中心とされました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
38聖武天皇が、仏教の力で国を守るため、紫香楽宮で大きな仏像をつくるよう命じました。のちに東大寺の○○として奈良で完成します。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
39新しく切り開いた土地は、いつまでも自分のものにしてよいと認めた法律です。貴族や寺が私有地を広げる荘園のはじまりとなりました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
40約10年かけてつくられた○○の大仏が完成し、仏の目を入れる開眼供養の式が行われました。インドの僧が筆をとり、1万人の僧が集まったといわれます。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
41聖武天皇の命令でつくられた、高さ約15メートルの銅の○○です。のべ260万人が働いたといわれ、天平文化を代表する仏像は何でしょう。
42唐の高僧・○○が、5回の失敗と失明を乗りこえて、6回目の航海でついに日本に着きました。正しい仏教のきまり(戒律)を日本に伝えました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
43東大寺にある宝物庫で、聖武天皇の遺品など約9000点の宝物が納められています。三角形の木材を組んだ校倉造の建物は何でしょう。
44日本で最も古い和歌集で、約4500首を収めています。天皇や貴族だけでなく、農民や防人の歌もあり、万葉がなで書かれています。この説明にあてはまる作品を何といいますか。
45鑑真が平城京に開いた寺です。金堂は奈良時代の建物がそのまま残る貴重なもので、目を閉じた鑑真和上像が納められています。この説明にあてはまる寺を何といいますか。
46重い税から逃げる農民がふえて、口分田を分けあたえるしくみが行われなくなりました。墾田永年私財法のあとは、貴族や寺が私有地を広げていきました。この説明にあてはまる移り変わりを何といいますか。
47『万葉集』をつくった人物はだれでしょう。
48『唐招提寺』をつくった人物はだれでしょう。
49『○○の3つの特色:①聖武天皇のころ ②仏教中心 ③唐やシルクロードの影響で国際色ゆたか』という特徴にあてはまる文化は何でしょう。
50『○○づくりの目的=仏教の力で国を守る(鎮護国家)』という特徴にあてはまる仏像は何でしょう。
51『2度焼け落ち、現在の○○の頭部は江戸時代のもの』という特徴にあてはまる仏像は何でしょう。
52万葉集にもっとも多くの歌が収められ、万葉集をまとめた中心人物とされる奈良時代の歌人はだれでしょう。
年号をこたえる
53『古事記の完成』が起きたのは何年でしょう。
712年
古事記の完成(712年)。稗田阿礼が語り伝えた神話や天皇の記録を、太安万侶が書きまとめて元明天皇に差し出した、日本で最も古い歴史書です。ごろ合わせ: ない(71)、ふ(2)るい記録が。だから古事記にまとめた
年表で見る読みもの: 古事記と日本書紀のちがい54『風土記をつくる命令』が起きたのは何年でしょう。
713年
風土記をつくる命令(713年)。元明天皇が全国の国ごとに、地名のいわれや産物、伝説などを書いて報告するよう命じました。ごろ合わせ: ないさ(713)、風土記にのらない土地は
年表で見る読みもの: 古事記と日本書紀のちがい55『日本書紀の完成』が起きたのは何年でしょう。
720年
日本書紀の完成(720年)。舎人親王が中心となって、神代から持統天皇までの歴史を年代順に漢文で書いた、日本で最初の正式な歴史書が完成しました。ごろ合わせ: なにを(720)書いたか日本書紀
年表で見る読みもの: 古事記と日本書紀のちがい56『三世一身法』が起きたのは何年でしょう。
723年
三世一身法(723年)。人口がふえて口分田が足りなくなったため、新しく土地を切り開いた人には、3代(子・孫・ひ孫)まで土地を持つことを認めた法律です。ごろ合わせ: なじみ(723)の土地を子に孫に
年表で見る57『興福寺阿修羅像』がつくられたのは何年でしょう。
58『国分寺建立の詔』が起きたのは何年でしょう。
59『大仏造立の詔』が起きたのは何年でしょう。
60『墾田永年私財法』が起きたのは何年でしょう。
61『東大寺の大仏開眼供養』が起きたのは何年でしょう。
62『東大寺の大仏(盧舎那仏)』がつくられたのは何年でしょう。
63鑑真が6回目の航海で日本(薩摩)に着いたのは何年でしょう。
753年
鑑真の来日(753年)。唐の高僧・鑑真が、5回の失敗と失明を乗りこえて、6回目の航海でついに日本に着きました。ほかの年で習うこともあります(753年12月に薩摩(鹿児島県)に到着、平城京に入ったのは754年)。ごろ合わせ: 和み(753)輝く鑑真
年表で見る64『唐招提寺』がつくられたのは何年でしょう。
原因と結果
65『三世一身法』の結果として起きたことは何でしょう。
66『天平文化』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。
67『国分寺建立の詔』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。
68『国分寺建立の詔』の結果として起きたことは何でしょう。
69『大仏造立の詔』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。
70『大仏造立の詔』の結果として起きたことは何でしょう。
71『墾田永年私財法』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。
三世一身法
人口がふえて口分田が足りなくなったため、新しく土地を切り開いた人には、3代(子・孫・ひ孫)まで土地を持つことを認めた法律です。「三世一身法」が「墾田永年私財法」のきっかけになりました。
年表で見る72『墾田永年私財法』の結果として起きたことは何でしょう。
班田収授のくずれと荘園の始まり
重い税から逃げる農民がふえて班田収授法がくずれ、墾田永年私財法のあとは貴族や寺が私有地(荘園)を広げていきました。「墾田永年私財法」のあとに起きたできごとです。
年表で見る73『班田収授のくずれと荘園の始まり』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。
74『東大寺の大仏開眼供養』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。
くらべて見分ける
75行基と鑑真のうち、おもな働きが『民衆に布教・橋や池をつくる・大仏づくりに協力』なのはどちらでしょう。
76古事記と日本書紀のうち、特色が『神話・物語が中心』なのはどちらでしょう。
77三世一身法と墾田永年私財法のうち、結果が『開こんがあまり進まない』なのはどちらでしょう。
奈良時代の読みもの
まぎらわしい用語のちがいを、表と図でくらべて読めます。