奈良時代の一問一答

奈良時代を表すイラスト

奈良時代(710年〜794年)の、中学受験でよく出るできごと・人物・文化を77問の一問一答にまとめました。問題をタップすると答えと解説が出ます。奈良時代は「律令国家と仏教の力で国を治める」時代です。

全77問・ふりがなつき・2026/10/11 更新

政治21問

中学受験で押さえておきたいポイント5つ
  1. 1都みやこの移り変わりは順番で

    平城京へいじょうきょうに都みやこを移したのは元明天皇げんめいてんのう(女性の天皇てんのう)、長岡京ながおかきょうと平安京へいあんきょうはどちらも桓武天皇かんむてんのうです。長岡京ながおかきょうと平安京へいあんきょうの10年の差にも注意しましょう。

    1. 694年藤原京ふじわらきょう
    2. 710年平城京へいじょうきょう(元明天皇げんめいてんのう)
    3. 784年長岡京ながおかきょう(桓武天皇かんむてんのう)
    4. 794年平安京へいあんきょう(桓武天皇かんむてんのう)
  2. 2藤原氏ふじわらしは天皇てんのうの親戚になって力をのばす

    藤原不比等ふじわらのふひとの娘むすめの宮子が聖武天皇しょうむてんのうの母、同じく娘むすめの光明子こうみょうしが聖武天皇しょうむてんのうの皇后こうごうになりました。こうして藤原氏ふじわらしは天皇てんのうの外戚がいせき(母方の親戚)となりました。

  3. 3政争は事件の順番が問われる

    権力をにぎった人は、長屋王ながやおう→藤原四兄弟ふじわらしきょうだい→橘諸兄たちばなのもろえ→藤原ふじわら仲麻呂なかまろ(恵美押勝)→道鏡どうきょうの順です。

    1. 長屋王ながやおうの変へん(729年)
    2. 藤原広嗣ふじわらのひろつぐの乱らん(740年)
    3. 恵美押勝の乱らん(764年)
    4. 道鏡事件どうきょうじけん(769年)
  4. 4聖武天皇しょうむてんのうが仏教ぶっきょうにたよったわけ

    長屋王ながやおうの変へんや天然痘てんねんとうの大流行だいりゅうこう、藤原広嗣ふじわらのひろつぐの乱らん、ききんが続き、世の中が不安になりました。そこで聖武天皇しょうむてんのうは仏教ぶっきょうの力で国を守ろう(鎮護国家ちんごこっか)と考えました。

  5. 5道鏡事件どうきょうじけんが遷都せんとにつながる

    道鏡どうきょうは称徳天皇しょうとくてんのうに信頼された僧そうです。お告げを確かめた和気清麻呂わけのきよまろは、のちに桓武天皇かんむてんのうに平安京へいあんきょうへの遷都せんとをすすめました。

    1. 道鏡どうきょうが法王となり天皇てんのうの位をねらう
    2. 和気清麻呂わけのきよまろが宇佐八幡宮うさはちまんぐうのお告げを確かめて防ぐ(769年)
    3. 僧そうが政治に口出しする弊害
    4. 桓武天皇かんむてんのうが長岡京ながおかきょうへ都みやこを移す(784年)

名前をこたえる

  1. 1中臣鎌足なかとみのかまたりの子で、大宝律令たいほうりつりょうや養老律令づくりの中心となった貴族きぞくです。娘むすめを天皇てんのうのきさきにして、藤原氏ふじわらしが栄えるもとをつくりました。この貴族きぞくはだれでしょう。

    藤原不比等ふじわらのふひと

    藤原不比等ふじわらのふひとは、大化たいかの改新かいしんで活やくした中臣(藤原ふじわら)鎌足の子です。

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  2. 2710年に藤原京ふじわらきょうから平城京へいじょうきょうに都みやこを移した女性の天皇てんのうです。和同開珎わどうかいちんの発行、古事記こじきの完成かんせいや風土記ふどきの編さんも、この天皇てんのうのときに行われました。この天皇てんのうはだれでしょう。

    元明天皇げんめいてんのう

    元明天皇げんめいてんのうは天智天皇てんじてんのうの娘むすめで、文武天皇の母にあたります。

    年表で見る読みもの: 古事記と日本書紀のちがい
  3. 3仏教ぶっきょうの力で国を守ろうと、全国に国分寺こくぶんじを建て、東大寺とうだいじに大仏だいぶつをつくらせた天皇てんのうです。その遺品は正倉院しょうそういんに納められました。この天皇てんのうはだれでしょう。

    聖武天皇しょうむてんのう

    聖武天皇しょうむてんのうは724年に即位しました。

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  4. 4元明天皇げんめいてんのうが、唐とうの都みやこの長安ちょうあんを手本にして、奈良ならに○○という新しい都みやこをつくり、藤原京ふじわらきょうから都みやこを移しました。ここから奈良時代ならじだいが始まります。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    平城京へいじょうきょうに都みやこを移す

    701年の大宝律令たいほうりつりょうで国のしくみが整うと、律令国家りつりょうこっかにふさわしい大きな都みやこが必要になりました。

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  5. 5藤原不比等ふじわらのふひとの4人の子が、皇族こうぞくの○○に反乱はんらんのうたがいをかけて自害に追いこみました。その後、藤原氏ふじわらしの光明子こうみょうしが皇后こうごうになりました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    長屋王ながやおうの変へん

    藤原不比等ふじわらのふひとの死後、天武天皇てんむてんのうの孫にあたる長屋王ながやおうが政治の中心にいました。

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  6. 6宇佐八幡宮うさはちまんぐうのお告げを確かめに行き、道鏡どうきょうが天皇てんのうになることを防いだ貴族きぞくです。のちに桓武天皇かんむてんのうに仕え、平安京へいあんきょうへの遷都せんとをすすめました。この貴族きぞくはだれでしょう。

    和気清麻呂わけのきよまろ

    和気清麻呂わけのきよまろは備前(岡山県)出身の貴族きぞくです。

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  7. 7九州きゅうしゅうから広がった○○が都みやこでも△△し、藤原四兄弟ふじわらしきょうだいをはじめ多くの人が亡くなりました。聖武天皇しょうむてんのうが仏教ぶっきょうにすがるきっかけの一つになりました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    天然痘てんねんとうの大流行だいりゅうこう

    735年、大陸たいりくから九州きゅうしゅうに入った天然痘てんねんとうは、737年には平城京へいじょうきょうにも広がりました。

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  8. 8「道鏡どうきょうを天皇てんのうにすれば国が安らかになる」という宇佐八幡宮うさはちまんぐうのお告げが伝えられましたが、和気清麻呂わけのきよまろがうそだと報告し、道鏡どうきょうは天皇てんのうになれませんでした。このできごとを何といいますか。

    宇佐八幡宮神託事件うさはちまんぐうしんたくじけん(道鏡事件どうきょうじけん)

    称徳天皇しょうとくてんのうの信頼を受けた僧そうの道鏡どうきょうは、太政大臣禅師、さらに法王という高い位につき、政治の実権じっけんをにぎりました。

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  9. 9桓武天皇かんむてんのうが、仏教勢力の強い平城京へいじょうきょうをはなれ、山城やましろの○○に都みやこを移しました。奈良時代ならじだいの終わりです。しかし10年後には平安京へいあんきょうへ再び移りました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    長岡京ながおかきょうに都みやこを移す

    道鏡事件どうきょうじけんのように、奈良ならの大きな寺が政治に強く関わるようになったため、桓武天皇かんむてんのうは政治を立て直そうと考え、784年、平城京へいじょうきょうの寺を残したまま、山城やましろ(京都きょうと府)の長岡京ながおかきょうに都みやこを移しました。

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  10. 10『○○に遷都せんとした天皇てんのうは元明天皇げんめいてんのう(女性の天皇てんのう)』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。

    平城京へいじょうきょうに都みやこを移す

    元明天皇げんめいてんのうが、唐とうの都みやこの長安ちょうあんを手本にして、奈良ならに平城京へいじょうきょうという新しい都みやこをつくり、藤原京ふじわらきょうから都みやこを移しました。

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  11. 11『藤原四兄弟ふじわらしきょうだい(武智麻呂むちまろ・房前ふささき・宇合うまかい・麻呂まろ)が○○を倒した』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。

    長屋王ながやおうの変へん

    藤原不比等ふじわらのふひとの4人の子が、皇族こうぞくの長屋王ながやおうに反乱はんらんのうたがいをかけて自害に追いこみました。

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  12. 12和同開珎わどうかいちんがつくられ(708年)、古事記こじきが完成かんせいし(712年)、風土記ふどきをつくる命令めいれいが出された(713年)ときの天皇てんのうはだれでしょう。

    元明天皇げんめいてんのう

    元明天皇げんめいてんのうは天智天皇てんじてんのうの娘むすめで、文武天皇の母にあたります。

    年表で見る読みもの: 古事記と日本書紀のちがい

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  1. 13平城京へいじょうきょうに都みやこを移したのは何年でしょう。

    710年

    平城京へいじょうきょうに都みやこを移す(710年)。元明天皇げんめいてんのうが、唐とうの都みやこの長安ちょうあんを手本にして、奈良ならに平城京へいじょうきょうという新しい都みやこをつくり、藤原京ふじわらきょうから都みやこを移しました。ごろ合わせ: なんと(710)見事な平城京へいじょうきょう

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  2. 14『長屋王ながやおうの変へん』が起きたのは何年でしょう。

    729年

    長屋王ながやおうの変へん(729年)。藤原不比等ふじわらのふひとの4人の子が、皇族こうぞくの長屋王ながやおうに反乱はんらんのうたがいをかけて自害に追いこみました。ごろ合わせ: なに苦(729)しむ長屋王ながやおう、藤原氏ふじわらしに追われて

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  3. 15『天然痘てんねんとうの大流行だいりゅうこう』が起きたのは何年でしょう。

    737年

    天然痘てんねんとうの大流行だいりゅうこう(737年)。九州きゅうしゅうから広がった天然痘てんねんとうが都みやこでも大流行だいりゅうこうし、藤原四兄弟ふじわらしきょうだいをはじめ多くの人が亡くなりました。ごろ合わせ: なみ(73)だな(7)がす都みやこ、天然痘てんねんとうでみんな苦しむ

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  4. 16『宇佐八幡宮神託事件うさはちまんぐうしんたくじけん(道鏡事件どうきょうじけん)』が起きたのは何年でしょう。

    769年

    宇佐八幡宮神託事件うさはちまんぐうしんたくじけん(道鏡事件どうきょうじけん)(769年)。「道鏡どうきょうを天皇てんのうにすれば国が安らかになる」という宇佐八幡宮うさはちまんぐうのお告げが伝えられましたが、和気清麻呂わけのきよまろがうそだと報告し、道鏡どうきょうは天皇てんのうになれませんでした。ごろ合わせ: なろく(769)ず、道鏡どうきょうは天皇てんのうになれず

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  5. 17長岡京ながおかきょうに都みやこを移したのは何年でしょう。

    784年

    長岡京ながおかきょうに都みやこを移す(784年)。桓武天皇かんむてんのうが、仏教勢力の強い平城京へいじょうきょうをはなれ、山城やましろの長岡京ながおかきょうに都みやこを移しました。ごろ合わせ: 悩(78)む都みやこ、し(4)ばらく長岡京ながおかきょう

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原因と結果

  1. 18平城京へいじょうきょうに都みやこを移した結果として起きたことは何でしょう。

    天平文化てんぴょうぶんか

    聖武天皇しょうむてんのうのころ、平城京へいじょうきょうを中心に栄えた文化です。「平城京へいじょうきょうに都みやこを移す」のあとに起きたできごとです。

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  2. 19『天然痘てんねんとうの大流行だいりゅうこう』の結果として起きたことは何でしょう。

    国分寺建立こくぶんじこんりゅうの詔みことのり

    聖武天皇しょうむてんのうが、仏教ぶっきょうの力で国を守るため、国ごとに国分寺こくぶんじと国分尼寺こくぶんにじを建てるよう命じました。「天然痘てんねんとうの大流行だいりゅうこう」のあとに起きたできごとです。

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  3. 20『宇佐八幡宮神託事件うさはちまんぐうしんたくじけん(道鏡事件どうきょうじけん)』の結果として起きたことは何でしょう。

    長岡京ながおかきょうに都みやこを移す

    桓武天皇かんむてんのうが、仏教勢力の強い平城京へいじょうきょうをはなれ、山城やましろの長岡京ながおかきょうに都みやこを移しました。「宇佐八幡宮神託事件うさはちまんぐうしんたくじけん(道鏡事件どうきょうじけん)」のあとに起きたできごとです。

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  4. 21長岡京ながおかきょうに都みやこを移したきっかけとなったできごとは何でしょう。

    宇佐八幡宮神託事件うさはちまんぐうしんたくじけん(道鏡事件どうきょうじけん)

    「道鏡どうきょうを天皇てんのうにすれば国が安らかになる」という宇佐八幡宮うさはちまんぐうのお告げが伝えられましたが、和気清麻呂わけのきよまろがうそだと報告し、道鏡どうきょうは天皇てんのうになれませんでした。「宇佐八幡宮神託事件うさはちまんぐうしんたくじけん(道鏡事件どうきょうじけん)」が「長岡京ながおかきょうに都みやこを移す」のきっかけになりました。

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外交・世界4問

中学受験で押さえておきたいポイント4つ
  1. 1717年の遣唐使けんとうしは3人セット

    奈良時代ならじだいには、唐とうの進んだ制度や文化を学ぶため遣唐使けんとうしが送られました。717年の遣唐使けんとうしに加わった3人の、その後のちがいが問われます。

    阿倍仲麻呂あべのなかまろ(留学生りゅうがくせい)
    唐とうで高い役人やくにんになり、日本に帰れなかった
    吉備真備きびのまきび(留学生りゅうがくせい)
    帰国きこくして聖武天皇しょうむてんのうに重く用いられた
    玄昉げんぼう(学問僧)
    帰国きこくして聖武天皇しょうむてんのうに重く用いられた
  2. 2阿倍仲麻呂あべのなかまろは唐とうで一生を終えた

    日本をなつかしんで詠んだ「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」の歌で知られます。

    1. 遣唐使けんとうしの留学生りゅうがくせいとして唐とうへ(717年)
    2. 唐とうの役人やくにんになり玄宗皇帝に仕える
    3. 帰国きこくの船が難破して唐とうにもどる(753年)
    4. 唐とうで亡くなる(770年)
  3. 3鑑真がんじんと同じころの遣唐使船

    753年、鑑真がんじんは遣唐使けんとうしの帰りの船で日本に着きましたが、同じころ帰国きこくしようとした阿倍仲麻呂あべのなかまろの船は難破しました。

  4. 4遣唐使けんとうしが天平文化てんぴょうぶんかの土台に

    遣唐使けんとうしがもたらした唐とうの文化が、天平文化てんぴょうぶんかの国際色の土台になりました。正倉院しょうそういんの宝物ほうもつがその例です。

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  1. 22遣唐使けんとうしの留学生りゅうがくせいとして唐とうにわたり、高い役人やくにんになった人物です。帰国きこくの船が難破して日本にもどれず、唐とうで一生を終えました。この人物はだれでしょう。

    阿倍仲麻呂あべのなかまろ

    阿倍仲麻呂あべのなかまろは717年、吉備真備きびのまきびや玄昉げんぼうとともに遣唐使けんとうしの留学生りゅうがくせいとして唐とうにわたりました。

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  2. 23717年の遣唐使けんとうしには、○○・吉備真備きびのまきび・玄昉げんぼうなど若い留学生りゅうがくせいが加わりました。唐とうで学んだ知識や文化が奈良時代ならじだいの政治や文化を支えました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    阿倍仲麻呂あべのなかまろらの遣唐使派遣けんとうしはけん

    奈良時代ならじだいには、唐とうの進んだ制度や文化を学ぶため、約20年に1度の割合で遣唐使けんとうしが送られました。

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年号をこたえる

  1. 24『阿倍仲麻呂あべのなかまろらの遣唐使派遣けんとうしはけん』が起きたのは何年でしょう。

    717年

    阿倍仲麻呂あべのなかまろらの遣唐使派遣けんとうしはけん(717年)。717年の遣唐使けんとうしには、阿倍仲麻呂あべのなかまろ・吉備真備きびのまきび・玄昉げんぼうなど若い留学生りゅうがくせいが加わりました。ごろ合わせ: な(7)い(1)な(7)いと嘆く仲麻呂なかまろ、唐とうへ出発

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原因と結果

  1. 25『阿倍仲麻呂あべのなかまろらの遣唐使派遣けんとうしはけん』の結果として起きたことは何でしょう。

    天平文化てんぴょうぶんか

    聖武天皇しょうむてんのうのころ、平城京へいじょうきょうを中心に栄えた文化です。「阿倍仲麻呂あべのなかまろらの遣唐使派遣けんとうしはけん」のあとに起きたできごとです。

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文化・くらし52問

中学受験で押さえておきたいポイント5つ
  1. 1古事記こじきと日本書紀にほんしょきのちがい

    2つをあわせて「記紀」とよびます。間の713年には、元明天皇げんめいてんのうが国ごとに風土記ふどきをつくるよう命じました。

    古事記こじき日本書紀にほんしょき
    完成かんせい年712年720年
    中心人物太安万侶おおのやすまろ(稗田阿礼ひえだのあれ)舎人親王とねりしんのう
    書き方日本語風の文漢文かんぶん・年代順(編年体へんねんたい)
    性格神話・物語が中心国の正式な歴史書
  2. 2国分寺こくぶんじから大仏だいぶつ開眼かいげんまでの流れ

    東大寺とうだいじは全国の国分寺こくぶんじの中心(総国分寺)です。大仏だいぶつ開眼かいげんのときの天皇てんのうは聖武天皇しょうむてんのうの娘むすめの孝謙天皇こうけんてんのうで、聖武は上皇じょうこうでした。

    1. 国分寺建立こくぶんじこんりゅうの詔みことのり(741年)
    2. 大仏造立だいぶつぞうりゅうの詔みことのり(743年・紫香楽宮しがらきのみや)
    3. 大仏開眼供養だいぶつかいげんくよう(752年・東大寺とうだいじ)
    4. 鑑真がんじんの来日らいにち(753年)
  3. 3行基ぎょうきと鑑真がんじんを区別する

    行基ぎょうきは日本の僧そうで、人々に仏教ぶっきょうを広め、橋や池をつくり、大仏だいぶつづくりに協力しました。鑑真がんじんは唐とうの僧そうで、5回の失敗と失明を乗りこえて来日らいにちし、戒律かいりつを伝えて唐招提寺とうしょうだいじを建てました。

  4. 4土地の法律は2つをくらべる

    口分田くぶんでんが足りなくなったのが始まりです。墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほうで公地公民こうちこうみんの原則がくずれ、荘園しょうえんが生まれました。

    三世一身法さんぜいっしんのほう墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほう
    年723年743年
    所有できる期間3代(または本人1代)永久
    当時の政治長屋王ながやおう聖武天皇しょうむてんのう・橘諸兄たちばなのもろえ
    結果開こんがあまり進まない貴族きぞくや寺が私有地しゆうち(荘園しょうえん)を広げる
  5. 5天平文化てんぴょうぶんかは仏教ぶっきょう中心で国際色ゆたか

    代表は東大寺とうだいじの大仏だいぶつ・正倉院しょうそういん・唐招提寺とうしょうだいじ・興福寺阿修羅像こうふくじあしゅらぞう・万葉集まんようしゅうなどです。万葉集まんようしゅう(大伴家持おおとものやかもちら・万葉がな)は、平安時代へいあんじだいの古今和歌集こきんわかしゅう(紀貫之きのつらゆき・かな文字)と区別しましょう。

名前をこたえる

  1. 26各地を回って人々に仏教ぶっきょうを広め、橋や道、ため池をつくった僧そうです。はじめは国に取りしまられましたが、のちに大仏だいぶつづくりに協力しました。この僧そうはだれでしょう。

    行基ぎょうき

    行基ぎょうきは河内かわち(大阪おおさか府)に生まれた僧そうです。

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  2. 27唐とうの高僧こうそうで、日本の求めに応じて何度も航海に失敗し、目が見えなくなりながらも来日らいにちしました。戒律かいりつを伝え、唐招提寺とうしょうだいじを建てました。この人物はだれでしょう。

    鑑真がんじん

    鑑真がんじんは唐とうの揚州の高僧こうそうで、僧そうになるためのきまり(戒律かいりつ)にくわしい人でした。

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  3. 28孝謙こうけん(称徳しょうとく)天皇てんのうに信頼されて法王という高い位につき、天皇てんのうの位までねらった僧そうです。和気清麻呂わけのきよまろに阻まれ、天皇てんのうの死後に追放されました。この僧そうはだれでしょう。

    道鏡どうきょう

    道鏡どうきょうは河内かわち(大阪おおさか府)出身の僧そうで、孝謙上皇こうけんじょうこうの病気を治したことから深く信頼されました。

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  4. 29聖武天皇しょうむてんのうの皇后こうごうで、藤原不比等ふじわらのふひとの娘むすめです。仏教ぶっきょうを深く信じ、貧しい人や病人を助ける悲田院ひでんいん・施薬院せやくいんをつくり、夫の遺品を正倉院しょうそういんに納めました。この人物はだれでしょう。

    光明皇后こうみょうこうごう

    光明皇后こうみょうこうごう(光明子こうみょうし)は藤原不比等ふじわらのふひとの娘むすめで、聖武天皇しょうむてんのうのきさきになりました。

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  5. 30稗田阿礼ひえだのあれが語り伝えた神話や天皇てんのうの記録を、太安万侶おおのやすまろが書きまとめて元明天皇げんめいてんのうに差し出した、日本で最も古い歴史書です。このできごとは何でしょう。

    古事記こじきの完成かんせい

    天武天皇てんむてんのうのころから、国のなりたちや天皇てんのうの系図を正しく残そうという動きがありました。

    年表で見る読みもの: 古事記と日本書紀のちがい
  6. 31元明天皇げんめいてんのうが全国の国ごとに、地名のいわれや産物、伝説などを書いて報告するよう命じました。こうして各地でつくられた地理書が○○です。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    風土記ふどきをつくる命令めいれい

    律令国家りつりょうこっかは、全国の様子を正しく知る必要がありました。

    年表で見る読みもの: 古事記と日本書紀のちがい
  7. 32奈良時代ならじだいの貴族きぞくで歌人かじんです。日本最古の和歌集わかしゅうである万葉集まんようしゅうをまとめた中心人物とされ、万葉集まんようしゅうには家持やかもちの歌が約470首と最も多く収められています。この歌人かじんはだれでしょう。

    大伴家持おおとものやかもち

    大伴家持おおとものやかもちは、古くから朝廷ちょうていに仕えた大伴おおとも氏の貴族きぞくで、父の大伴旅人も歌人かじんでした。

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  8. 33舎人親王とねりしんのうが中心となって、神代から持統天皇じとうてんのうまでの歴史を年代順に漢文かんぶんで書いた、日本で最初の正式な歴史書が完成かんせいしました。このできごとは何でしょう。

    日本書紀にほんしょきの完成かんせい

    古事記こじきが神話や物語を中心とした書物だったのに対し、日本書紀にほんしょきは中国の歴史書にならい、漢文かんぶんで年代順(編年体へんねんたい)に書かれた正式な国の歴史書です。

    年表で見る読みもの: 古事記と日本書紀のちがい
  9. 34人口がふえて口分田くぶんでんが足りなくなったため、新しく土地を切り開いた人には、3代(子・孫・ひ孫)まで土地を持つことを認めた法律です。このできごとを何といいますか。

    三世一身法さんぜいっしんのほう

    律令国家りつりょうこっかでは、6歳以上の人に口分田くぶんでんを配り、死ぬと国に返す班田収授法はんでんしゅうじゅのほうが行われていました。

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  10. 35聖武天皇しょうむてんのうのころ、平城京へいじょうきょうを中心に栄えた文化です。遣唐使けんとうしがもたらした唐とうの文化の影響が強く、仏教ぶっきょうと結びついた国際色ゆたかな文化は何でしょう。

    天平文化てんぴょうぶんか

    天平文化てんぴょうぶんかは、聖武天皇しょうむてんのうの年号「天平」からその名がついた、奈良時代ならじだいの文化です。

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  11. 36藤原氏ふじわらしの寺である興福寺こうふくじにある、3つの顔と6本の腕をもつ少年のような姿の仏像ぶつぞうです。麻布とうるしでつくる乾漆造かんしつづくりで、天平文化てんぴょうぶんかを代表する彫刻ちょうこくは何でしょう。

    興福寺阿修羅像こうふくじあしゅらぞう

    興福寺こうふくじは藤原不比等ふじわらのふひとが平城京へいじょうきょうに移した藤原氏ふじわらしの氏寺うじでらです。

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  12. 37聖武天皇しょうむてんのうが、仏教ぶっきょうの力で国を守るため、国ごとに○○と国分尼寺こくぶんにじを建てるよう命じました。都みやこの東大寺とうだいじは全国の○○の中心とされました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    国分寺建立こくぶんじこんりゅうの詔みことのり

    病気やききん、反乱はんらんが続いて世の中が乱れたため、聖武天皇しょうむてんのうは仏教ぶっきょうの力で国を安らかにしようと考えました(鎮護国家ちんごこっか)。

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  13. 38聖武天皇しょうむてんのうが、仏教ぶっきょうの力で国を守るため、紫香楽宮しがらきのみやで大きな仏像ぶつぞうをつくるよう命じました。のちに東大寺とうだいじの○○として奈良ならで完成かんせいします。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    大仏造立だいぶつぞうりゅうの詔みことのり

    国分寺建立こくぶんじこんりゅうの詔みことのりから2年後の743年、聖武天皇しょうむてんのうは近江おうみの紫香楽宮しがらきのみやで、大仏だいぶつ(盧舎那仏るしゃなぶつ)をつくる詔みことのりを出しました。

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  14. 39新しく切り開いた土地は、いつまでも自分のものにしてよいと認めた法律です。貴族きぞくや寺が私有地しゆうちを広げる荘園しょうえんのはじまりとなりました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほう

    三世一身法さんぜいっしんのほうでは期限が来ると土地を返さなければならないため、開こんはあまり進みませんでした。

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  15. 40約10年かけてつくられた○○の大仏だいぶつが完成かんせいし、仏ほとけの目を入れる開眼供養かいげんくようの式が行われました。インドの僧そうが筆をとり、1万人の僧そうが集まったといわれます。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    東大寺とうだいじの大仏開眼供養だいぶつかいげんくよう

    743年の詔みことのりから約10年、のべ260万人もの人々が働いて、高さ約15メートルの大仏だいぶつ(盧舎那仏るしゃなぶつ)が完成かんせいしました。

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  16. 41聖武天皇しょうむてんのうの命令めいれいでつくられた、高さ約15メートルの銅どうの○○です。のべ260万人が働いたといわれ、天平文化てんぴょうぶんかを代表する仏像ぶつぞうは何でしょう。

    東大寺とうだいじの大仏だいぶつ(盧舎那仏るしゃなぶつ)

    東大寺とうだいじの大仏だいぶつは、正式には盧舎那仏るしゃなぶつといい、宇宙全体を照らす仏ほとけとされます。

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  17. 42唐とうの高僧こうそう・○○が、5回の失敗と失明を乗りこえて、6回目の航海でついに日本に着きました。正しい仏教ぶっきょうのきまり(戒律かいりつ)を日本に伝えました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    鑑真がんじんの来日らいにち

    奈良時代ならじだいの日本には、僧そうになるための正式なきまり(戒律かいりつ)を授けられる僧そうがいませんでした。

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  18. 43東大寺とうだいじにある宝物庫ほうもつこで、聖武天皇しょうむてんのうの遺品など約9000点の宝物ほうもつが納められています。三角形の木材を組んだ校倉造あぜくらづくりの建物は何でしょう。

    正倉院しょうそういん

    756年に聖武天皇しょうむてんのうが亡くなると、光明皇后こうみょうこうごうはその遺品を東大寺とうだいじに納めました。

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  19. 44日本で最も古い和歌集わかしゅうで、約4500首を収めています。天皇てんのうや貴族きぞくだけでなく、農民のうみんや防人さきもりの歌もあり、万葉がなで書かれています。この説明にあてはまる作品を何といいますか。

    万葉集まんようしゅう

    万葉集まんようしゅうは全20巻、約4500首の和歌わかを集めた日本最古の歌集です。

    年表で見る読みもの: 古事記と日本書紀のちがい
  20. 45鑑真がんじんが平城京へいじょうきょうに開いた寺です。金堂こんどうは奈良時代ならじだいの建物がそのまま残る貴重なもので、目を閉じた鑑真和上像がんじんわじょうぞうが納められています。この説明にあてはまる寺を何といいますか。

    唐招提寺とうしょうだいじ

    鑑真がんじんは来日らいにち後、東大寺とうだいじで戒律かいりつを授けていましたが、759年、平城京へいじょうきょうの西に土地を与えられ、僧そうが戒律かいりつを学ぶための寺として唐招提寺とうしょうだいじを開きました。

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  21. 46重い税から逃げる農民のうみんがふえて、口分田くぶんでんを分けあたえるしくみが行われなくなりました。墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほうのあとは、貴族きぞくや寺が私有地しゆうちを広げていきました。この説明にあてはまる移り変わりを何といいますか。

    班田収授はんでんしゅうじゅのくずれと荘園しょうえんの始まり

    律令りつりょうのもとで農民のうみんは、口分田くぶんでんをもらうかわりに租そ・調・庸ようの税や兵役へいえき、労役を負担しました。

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  22. 47『万葉集まんようしゅう』をつくった人物はだれでしょう。

    大伴家持おおとものやかもち

    万葉集まんようしゅう(759年ごろ)。日本で最も古い和歌集わかしゅうで、約4500首を収めています。つくった人物は大伴家持おおとものやかもちです。

    年表で見る読みもの: 古事記と日本書紀のちがい
  23. 48『唐招提寺とうしょうだいじ』をつくった人物はだれでしょう。

    鑑真がんじん

    唐招提寺とうしょうだいじ(759年)。鑑真がんじんが平城京へいじょうきょうに開いた寺です。つくった人物は鑑真がんじんです。

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  24. 49『○○の3つの特色:①聖武天皇しょうむてんのうのころ ②仏教ぶっきょう中心 ③唐とうやシルクロードの影響で国際色ゆたか』という特徴にあてはまる文化は何でしょう。

    天平文化てんぴょうぶんか

    聖武天皇しょうむてんのうのころ、平城京へいじょうきょうを中心に栄えた文化です。

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  25. 50『○○づくりの目的=仏教ぶっきょうの力で国を守る(鎮護国家ちんごこっか)』という特徴にあてはまる仏像ぶつぞうは何でしょう。

    東大寺とうだいじの大仏だいぶつ(盧舎那仏るしゃなぶつ)

    聖武天皇しょうむてんのうの命令めいれいでつくられた、高さ約15メートルの銅どうの大仏だいぶつです。

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  26. 51『2度焼け落ち、現在の○○の頭部は江戸時代えどじだいのもの』という特徴にあてはまる仏像ぶつぞうは何でしょう。

    東大寺とうだいじの大仏だいぶつ(盧舎那仏るしゃなぶつ)

    聖武天皇しょうむてんのうの命令めいれいでつくられた、高さ約15メートルの銅どうの大仏だいぶつです。

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  27. 52万葉集まんようしゅうにもっとも多くの歌が収められ、万葉集まんようしゅうをまとめた中心人物とされる奈良時代ならじだいの歌人かじんはだれでしょう。

    大伴家持おおとものやかもち

    大伴家持おおとものやかもちは、古くから朝廷ちょうていに仕えた大伴おおとも氏の貴族きぞくで、父の大伴旅人も歌人かじんでした。

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年号をこたえる

  1. 53『古事記こじきの完成かんせい』が起きたのは何年でしょう。

    712年

    古事記こじきの完成かんせい(712年)。稗田阿礼ひえだのあれが語り伝えた神話や天皇てんのうの記録を、太安万侶おおのやすまろが書きまとめて元明天皇げんめいてんのうに差し出した、日本で最も古い歴史書です。ごろ合わせ: ない(71)、ふ(2)るい記録が。だから古事記こじきにまとめた

    年表で見る読みもの: 古事記と日本書紀のちがい
  2. 54『風土記ふどきをつくる命令めいれい』が起きたのは何年でしょう。

    713年

    風土記ふどきをつくる命令めいれい(713年)。元明天皇げんめいてんのうが全国の国ごとに、地名のいわれや産物、伝説などを書いて報告するよう命じました。ごろ合わせ: ないさ(713)、風土記ふどきにのらない土地は

    年表で見る読みもの: 古事記と日本書紀のちがい
  3. 55『日本書紀にほんしょきの完成かんせい』が起きたのは何年でしょう。

    720年

    日本書紀にほんしょきの完成かんせい(720年)。舎人親王とねりしんのうが中心となって、神代から持統天皇じとうてんのうまでの歴史を年代順に漢文かんぶんで書いた、日本で最初の正式な歴史書が完成かんせいしました。ごろ合わせ: なにを(720)書いたか日本書紀にほんしょき

    年表で見る読みもの: 古事記と日本書紀のちがい
  4. 56『三世一身法さんぜいっしんのほう』が起きたのは何年でしょう。

    723年

    三世一身法さんぜいっしんのほう(723年)。人口がふえて口分田くぶんでんが足りなくなったため、新しく土地を切り開いた人には、3代(子・孫・ひ孫)まで土地を持つことを認めた法律です。ごろ合わせ: なじみ(723)の土地を子に孫に

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  5. 57『興福寺阿修羅像こうふくじあしゅらぞう』がつくられたのは何年でしょう。

    734年

    興福寺阿修羅像こうふくじあしゅらぞう(734年)。藤原氏ふじわらしの寺である興福寺こうふくじにある、3つの顔と6本の腕をもつ少年のような姿の仏像ぶつぞうです。

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  6. 58『国分寺建立こくぶんじこんりゅうの詔みことのり』が起きたのは何年でしょう。

    741年

    国分寺建立こくぶんじこんりゅうの詔みことのり(741年)。聖武天皇しょうむてんのうが、仏教ぶっきょうの力で国を守るため、国ごとに国分寺こくぶんじと国分尼寺こくぶんにじを建てるよう命じました。ごろ合わせ: な(7)、よい(41)国にと国分寺こくぶんじの詔みことのり

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  7. 59『大仏造立だいぶつぞうりゅうの詔みことのり』が起きたのは何年でしょう。

    743年

    大仏造立だいぶつぞうりゅうの詔みことのり(743年)。聖武天皇しょうむてんのうが、仏教ぶっきょうの力で国を守るため、紫香楽宮しがらきのみやで大きな仏像ぶつぞうをつくるよう命じました。ごろ合わせ: なしさ(743)不安、大仏だいぶつつくれの詔みことのり

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  8. 60『墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほう』が起きたのは何年でしょう。

    743年

    墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほう(743年)。新しく切り開いた土地は、いつまでも自分のものにしてよいと認めた法律です。ごろ合わせ: 公地はなしさ(743)、墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほう

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  9. 61『東大寺とうだいじの大仏開眼供養だいぶつかいげんくよう』が起きたのは何年でしょう。

    752年

    東大寺とうだいじの大仏開眼供養だいぶつかいげんくよう(752年)。約10年かけてつくられた東大寺とうだいじの大仏だいぶつが完成かんせいし、仏ほとけの目を入れる開眼供養かいげんくようの式が行われました。ごろ合わせ: 難攻不落(752)奈良ならの大仏だいぶつ

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  10. 62『東大寺とうだいじの大仏だいぶつ(盧舎那仏るしゃなぶつ)』がつくられたのは何年でしょう。

    752年

    東大寺とうだいじの大仏だいぶつ(盧舎那仏るしゃなぶつ)(752年)。聖武天皇しょうむてんのうの命令めいれいでつくられた、高さ約15メートルの銅どうの大仏だいぶつです。

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  11. 63鑑真がんじんが6回目の航海で日本(薩摩)に着いたのは何年でしょう。

    753年

    鑑真がんじんの来日らいにち(753年)。唐とうの高僧こうそう・鑑真がんじんが、5回の失敗と失明を乗りこえて、6回目の航海でついに日本に着きました。ほかの年で習うこともあります(753年12月に薩摩(鹿児島県)に到着、平城京へいじょうきょうに入ったのは754年)。ごろ合わせ: 和み(753)輝く鑑真がんじん

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  12. 64『唐招提寺とうしょうだいじ』がつくられたのは何年でしょう。

    759年

    唐招提寺とうしょうだいじ(759年)。鑑真がんじんが平城京へいじょうきょうに開いた寺です。

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原因と結果

  1. 65『三世一身法さんぜいっしんのほう』の結果として起きたことは何でしょう。

    墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほう

    新しく切り開いた土地は、いつまでも自分のものにしてよいと認めた法律です。「三世一身法さんぜいっしんのほう」のあとに起きたできごとです。

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  2. 66『天平文化てんぴょうぶんか』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    平城京へいじょうきょうに都みやこを移す

    元明天皇げんめいてんのうが、唐とうの都みやこの長安ちょうあんを手本にして、奈良ならに平城京へいじょうきょうという新しい都みやこをつくり、藤原京ふじわらきょうから都みやこを移しました。「平城京へいじょうきょうに都みやこを移す」が「天平文化てんぴょうぶんか」のきっかけになりました。

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  3. 67『国分寺建立こくぶんじこんりゅうの詔みことのり』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    天然痘てんねんとうの大流行だいりゅうこう

    九州きゅうしゅうから広がった天然痘てんねんとうが都みやこでも大流行だいりゅうこうし、藤原四兄弟ふじわらしきょうだいをはじめ多くの人が亡くなりました。「天然痘てんねんとうの大流行だいりゅうこう」が「国分寺建立こくぶんじこんりゅうの詔みことのり」のきっかけになりました。

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  4. 68『国分寺建立こくぶんじこんりゅうの詔みことのり』の結果として起きたことは何でしょう。

    大仏造立だいぶつぞうりゅうの詔みことのり

    聖武天皇しょうむてんのうが、仏教ぶっきょうの力で国を守るため、紫香楽宮しがらきのみやで大きな仏像ぶつぞうをつくるよう命じました。「国分寺建立こくぶんじこんりゅうの詔みことのり」のあとに起きたできごとです。

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  5. 69『大仏造立だいぶつぞうりゅうの詔みことのり』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    国分寺建立こくぶんじこんりゅうの詔みことのり

    聖武天皇しょうむてんのうが、仏教ぶっきょうの力で国を守るため、国ごとに国分寺こくぶんじと国分尼寺こくぶんにじを建てるよう命じました。「国分寺建立こくぶんじこんりゅうの詔みことのり」が「大仏造立だいぶつぞうりゅうの詔みことのり」のきっかけになりました。

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  6. 70『大仏造立だいぶつぞうりゅうの詔みことのり』の結果として起きたことは何でしょう。

    東大寺とうだいじの大仏開眼供養だいぶつかいげんくよう

    約10年かけてつくられた東大寺とうだいじの大仏だいぶつが完成かんせいし、仏ほとけの目を入れる開眼供養かいげんくようの式が行われました。「大仏造立だいぶつぞうりゅうの詔みことのり」のあとに起きたできごとです。

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  7. 71『墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほう』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    三世一身法さんぜいっしんのほう

    人口がふえて口分田くぶんでんが足りなくなったため、新しく土地を切り開いた人には、3代(子・孫・ひ孫)まで土地を持つことを認めた法律です。「三世一身法さんぜいっしんのほう」が「墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほう」のきっかけになりました。

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  8. 72『墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほう』の結果として起きたことは何でしょう。

    班田収授はんでんしゅうじゅのくずれと荘園しょうえんの始まり

    重い税から逃げる農民のうみんがふえて班田収授法はんでんしゅうじゅのほうがくずれ、墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほうのあとは貴族きぞくや寺が私有地しゆうち(荘園しょうえん)を広げていきました。「墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほう」のあとに起きたできごとです。

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  9. 73『班田収授はんでんしゅうじゅのくずれと荘園しょうえんの始まり』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほう

    新しく切り開いた土地は、いつまでも自分のものにしてよいと認めた法律です。「墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほう」が「班田収授はんでんしゅうじゅのくずれと荘園しょうえんの始まり」のきっかけになりました。

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  10. 74『東大寺とうだいじの大仏開眼供養だいぶつかいげんくよう』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    大仏造立だいぶつぞうりゅうの詔みことのり

    聖武天皇しょうむてんのうが、仏教ぶっきょうの力で国を守るため、紫香楽宮しがらきのみやで大きな仏像ぶつぞうをつくるよう命じました。「大仏造立だいぶつぞうりゅうの詔みことのり」が「東大寺とうだいじの大仏開眼供養だいぶつかいげんくよう」のきっかけになりました。

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くらべて見分ける

  1. 75行基ぎょうきと鑑真がんじんのうち、おもな働きが『民衆みんしゅうに布教ふきょう・橋や池をつくる・大仏だいぶつづくりに協力』なのはどちらでしょう。

    行基ぎょうき

    行基ぎょうきのおもな働きは『民衆みんしゅうに布教ふきょう・橋や池をつくる・大仏だいぶつづくりに協力』です。ほかは鑑真がんじんが『戒律かいりつを伝える・唐招提寺とうしょうだいじを建てる』です。

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  2. 76古事記こじきと日本書紀にほんしょきのうち、特色が『神話・物語が中心』なのはどちらでしょう。

    古事記こじき

    古事記こじきの特色は『神話・物語が中心』です。ほかは日本書紀にほんしょきが『国の正式な歴史書』です。

    年表で見る読みもの: 古事記と日本書紀のちがい
  3. 77三世一身法さんぜいっしんのほうと墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほうのうち、結果が『開こんがあまり進まない』なのはどちらでしょう。

    三世一身法さんぜいっしんのほう

    三世一身法さんぜいっしんのほうの結果は『開こんがあまり進まない』です。ほかは墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほうが『貴族きぞくや寺が私有地しゆうち(荘園しょうえん)を広げる』です。

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奈良時代の読みもの

まぎらわしい用語のちがいを、表と図でくらべて読めます。

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