原始(旧石器〜古墳時代)の一問一答

原始(旧石器〜古墳時代)を表すイラスト

原始(旧石器〜古墳時代、前30000年〜592年)の、中学受験でよく出るできごと・人物・文化を58問の一問一答にまとめました。問題をタップすると答えと解説が出ます。原始(旧石器〜古墳時代)は「移動の暮らしから定住・稲作へ進み、大和政権が国土をまとめる」時代です。

全58問・ふりがなつき・2026/10/11 更新

政治10問

中学受験で押さえておきたいポイント5つ
  1. 1「むらからくにへ」の流れ

    米づくりが始まったことが、争いと「くに」の誕生につながりました。佐賀県の吉野ヶ里遺跡よしのがりいせき(堀と柵で囲んだ環濠集落かんごうしゅうらく)が、争いがあった証拠です。

    1. 米づくりが広まる
    2. 米のたくわえができる
    3. 貧富の差が生まれる
    4. 土地や水をめぐる争い
    5. 各地に小さな「くに」ができる
  2. 2卑弥呼ひみこは邪馬台国やまたいこくの女王

    3世紀せいき、30ほどの国をまとめていたとされる邪馬台国やまたいこくを、女王の卑弥呼ひみこがまじないによって治めました。邪馬台国やまたいこくの場所は九州きゅうしゅう説と近畿(大和やまと)説があり、まだわかっていません。

  3. 3大和政権やまとせいけんのしくみ

    奈良盆地を中心に、各地の豪族ごうぞくをしたがえていきました。同じ形の前方後円墳ぜんぽうこうえんふんが各地に広がったことが、その力の広がりを示しています。

    中心
    奈良盆地
    王の呼び名
    大王おおきみ(おおきみ)
    豪族ごうぞくの治め方
    氏姓制度しせいせいど
    5世紀せいきの支配しはい
    九州きゅうしゅうから東北とうほく地方の南部まで
  4. 4東と西に同じ大王おおきみの名

    ワカタケル大王おおきみは雄略天皇ゆうりゃくてんのうで、中国の歴史書に出てくる倭王武わおうぶと同じ人物と考えられています。大和政権やまとせいけんの力が関東かんとうから九州きゅうしゅうまでおよんでいた証拠です。

    稲荷山古墳いなりやまこふん(埼玉県さいたまけん)
    鉄剣てっけんに「ワカタケル大王おおきみ」
    江田船山古墳えたふなやまこふん(熊本県)
    鉄刀に同じ大王おおきみの名
  5. 5氏と姓のちがい

    氏(うじ)は血のつながりによる一族いちぞくのまとまり、姓(かばね)は家がらや役えき目を示す称号です。飛鳥時代あすかじだいの冠位十二階かんいじゅうにかいは、この家がら重視をあらためるものでした。

名前をこたえる

  1. 1米のたくわえをめぐって貧富の差が生まれ、むら同士が土地や水を取り合って争うようになりました。強いむらが弱いむらをしたがえ、各地に小さな「くに」ができました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    むらからくにへ(争いと小さな国)

    たくわえ→貧富の差→争い→小さな国、という順。

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  2. 2佐賀県にある弥生時代やよいじだいの大きなむらのあとです。まわりを深い堀や柵で囲んだ環濠集落かんごうしゅうらくで、物見やぐらのあともあり、争いがあったことがわかります。この説明にあてはまる遺跡いせきを何といいますか。

    吉野ヶ里遺跡よしのがりいせき

    吉野ヶ里遺跡よしのがりいせき(佐賀県)(100年ごろ)。二重の堀に囲まれた広い集落で、物見やぐらや、矢じりが刺さった人骨、首のない人骨も見つかっており、むら同士の争いがあったことを示しています。

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  3. 33世紀せいきの邪馬台国やまたいこくの女王です。まじない(神のお告げ)によって国を治め、239年に魏ぎへ使いを送りました。死ぬと大きな墓がつくられたと伝えられます。この女王はだれでしょう。

    卑弥呼ひみこ

    『魏志ぎし』倭人伝わじんでんによると、卑弥呼ひみこは年をとっても夫を持たず、弟が政治を助けました。

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  4. 43世紀せいきごろ、30ほどの国をまとめていたとされる国です。女王の卑弥呼ひみこがまじないによって国を治めました。場所は九州きゅうしゅう説と近畿説があり、まだわかっていません。この説明にあてはまる国を何といいますか。

    邪馬台国やまたいこく

    中国の歴史書『魏志ぎし』倭人伝わじんでんには、倭わでは争いが続いたため、諸国が共同で卑弥呼ひみこを女王に立てたところ国がまとまった、と書かれています。

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  5. 5各地の王や豪族ごうぞくが大きな古墳こふんをつくった時代です。奈良盆地の○○が力を広げ、5世紀せいきには九州きゅうしゅうから東北南部までの豪族ごうぞくをしたがえました。この説明にあてはまる時代を何といいますか。

    古墳時代こふんじだい(大和政権やまとせいけんの広がり)

    3世紀後半、奈良なら県を中心に前方後円墳ぜんぽうこうえんふんがつくられ始め、やがて全国に広がりました。

    年表で見る読みもの: 土偶と埴輪のちがい
  6. 6奈良盆地を中心とする○○が、5世紀せいきごろまでに九州きゅうしゅうから東北とうほく地方の南部までの豪族ごうぞくをしたがえました。王は大王おおきみとよばれました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    大和政権やまとせいけんが各地の豪族ごうぞくをしたがえる

    覚え方: 大和政権やまとせいけん=奈良なら=大王おおきみ=5世紀せいきに九州きゅうしゅう〜東北南部

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  7. 75世紀せいきの大和政権やまとせいけんの大王おおきみです。稲荷山古墳いなりやまこふんの鉄剣てっけんに名が刻まれた「○○」であり、中国の歴史書に出てくる倭王武わおうぶと同じ人物と考えられています。この大王おおきみはだれでしょう。

    雄略天皇ゆうりゃくてんのう(ワカタケル大王おおきみ)

    ワカタケル大王おおきみ=雄略天皇ゆうりゃくてんのう=倭王武わおうぶ。

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  8. 8大和政権やまとせいけんは、豪族ごうぞくを血のつながりで氏(うじ)というグループに分け、家がらや役えき目を示す姓(かばね)をあたえて治めました。このできごとは何でしょう。

    氏姓制度しせいせいどで豪族ごうぞくを治める

    覚え方: 氏=グループ、姓=家がらの称号。「氏」と「姓」で豪族ごうぞくをまとめる

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  9. 9埼玉県さいたまけんの○○から出た△△に「□□」の名が刻まれていました。熊本県の江田船山古墳えたふなやまこふんの鉄刀にも同じ名があり、大和政権やまとせいけんの力が関東かんとうから九州きゅうしゅうまでおよんでいた証拠です。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    稲荷山古墳いなりやまこふんの鉄剣てっけん(ワカタケル大王おおきみ)

    覚え方: 埼玉さいたま(稲荷山)と熊本(江田船山)に同じ「ワカタケル」。東と西で大王おおきみの力を証明

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年号をこたえる

  1. 10稲荷山古墳いなりやまこふんの鉄剣てっけんに刻まれた「辛亥年」が示すと考えられているのは何年でしょう。

    471年

    稲荷山古墳いなりやまこふんの鉄剣てっけん(ワカタケル大王おおきみ)(471年)。埼玉県さいたまけんの稲荷山古墳いなりやまこふんから出た鉄剣てっけんに「ワカタケル大王おおきみ」の名が刻まれていました。ほかの年で習うこともあります(刻まれた「辛亥年」を471年とする説が有力)。

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外交・世界14問

中学受験で押さえておきたいポイント5つ
  1. 1中国の歴史書は3つを順番に

    『漢書かんじょ』地理志ちりしが、日本について書かれた最も古い記録です。3つの歴史書の順番と内容をセットで覚えましょう。

    歴史書時期内容
    『漢書かんじょ』地理志ちりし紀元きげん前1世紀せいきごろ倭わは100余りの国に分かれる
    『後漢書ごかんじょ』東夷伝とういでん57年奴国なこくの王が金印きんいんを受ける
    『魏志ぎし』倭人伝わじんでん239年卑弥呼ひみこが魏ぎに使いを送る
  2. 257年と239年を取りちがえない

    57年は奴国なこくの王が漢かん(後漢ごかん)の光武帝こうぶていから金印きんいんを、239年は卑弥呼ひみこが魏ぎから「親魏倭王しんぎわおう」の称号と銅鏡どうきょうを受けました。金印きんいん「漢委奴国王」は福岡県の志賀島しかのしまで見つかっています。

  3. 34世紀せいきは朝鮮半島、5世紀せいきは中国

    大和政権やまとせいけんは朝鮮半島で戦い、そのあと中国の皇帝こうていに使いを送りました。倭わの五王ごおうは、朝鮮半島での立場を認めてもらうために使いを送ったのです。

    4世紀せいきの終わりごろ5世紀せいき
    相手朝鮮半島の高句麗中国の南朝なんちょう(宋そう)
    できごと百済くだら・伽耶とともに高句麗と戦う倭わの五王ごおうが使いを送る(478年の倭王武わおうぶなど)
    証拠・記録好太王こうたいおう(広開土王こうかいどおう)碑ひ『宋書そうじょ』倭国伝わこくでん
  4. 4中国の王朝の順番

    日本の弥生時代やよいじだいは中国の漢かんの時代にあたり、奴国なこくの金印きんいんも漢かん(後漢ごかん)から受けたものです。

    1. 秦しん(前221年に統一とういつ・始皇帝しこうてい)
    2. 漢かん(前漢ぜんかん・後漢ごかん)
    3. 三国
    4. 隋ずい(589年に統一とういつ)
  5. 5儒教と仏教ぶっきょうは大陸たいりくで生まれた

    日本が縄文時代じょうもんじだいのころ、中国で孔子こうしが儒教を、インドでシャカが仏教ぶっきょうを開きました。どちらものちに日本へ伝わり、仏教ぶっきょうは538年に伝わりました。

名前をこたえる

  1. 11中国の歴史書『○○』△△に、紀元きげん前1世紀せいきごろの倭わ(日本)は100あまりの国に分かれ、楽浪郡らくろうぐんに使いを送っていたと書かれています。日本について書かれた最も古い記録です。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    倭わが100余りの国に分かれていた(『漢書かんじょ』地理志ちりし)

    覚え方: 漢書かんじょ(前1世紀せいき・100余国)→後漢書ごかんじょ(57年・金印きんいん)→魏志ぎし倭人伝わじんでん(239年・卑弥呼ひみこ)の順

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  2. 12九州北部にあった○○の王が中国の漢かん(後漢ごかん)に使いを送り、皇帝こうていから△△を授けられました。この△△は江戸時代えどじだいに福岡県の志賀島しかのしまで見つかっています。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    奴国なこくの王が漢かんに使いを送り金印きんいんを受ける

    中国の歴史書『後漢書ごかんじょ』に、57年に倭わの奴国なこくの王が使いを送り、光武帝こうぶていから印を授けられたと書かれています。

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  3. 13邪馬台国やまたいこくの女王○○が中国の魏ぎに使いを送り、皇帝こうていから「親魏倭王しんぎわおう」の称号と金印きんいん、たくさんの銅鏡どうきょうを授けられました。このできごとは何でしょう。

    卑弥呼ひみこが魏ぎに使いを送る

    ごろ合わせ: 文(23)く(9)ださいね 卑弥呼ひみこより

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  4. 145世紀せいき、倭わの五王ごおうとよばれる大和政権やまとせいけんの王たちが○○にたびたび使いを送りました。478年の△△は、ワカタケル大王おおきみ(雄略天皇ゆうりゃくてんのう)と考えられています。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    倭王武わおうぶが中国の南朝なんちょうに使いを送る

    覚え方: 倭わの五王ごおう=5世紀せいき=南朝なんちょう(宋そう)。武=ワカタケル=雄略天皇ゆうりゃくてんのう

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  5. 15長く分かれていた中国を隋ずいが統一とういつしました。日本は聖徳太子しょうとくたいしの時代に遣隋使けんずいしを送り、隋ずいの制度や文化を学びました。隋ずいは618年に滅び、唐とうにかわります。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    隋ずいが中国を統一とういつする

    覚え方: 隋ずい(589〜618)は短命。遣隋使けんずいし(600・607)はこの間に

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  6. 16秦しんのあと約400年続いた中国の王朝です。日本の弥生時代やよいじだいにあたり、奴国なこくの王はこの王朝に使いを送って金印きんいんを受けました。この説明にあてはまる王朝を何といいますか。

    漢かん(前漢ぜんかん・後漢ごかん)

    『漢書かんじょ』『後漢書ごかんじょ』に日本のことが書かれています。

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  7. 1757年、奴国なこくの王に金印きんいんを授けたのは、この王朝の光武帝こうぶていでした。紀元きげん前202年から220年まで、前期と後期を合わせて約400年続いた中国の王朝は何でしょう。

    漢かん(前漢ぜんかん・後漢ごかん)

    秦しんのあと約400年続いた中国の王朝です。

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  8. 18239年、邪馬台国やまたいこくの女王が中国の魏ぎに使いを送り、皇帝こうていから「親魏倭王しんぎわおう」の称号と銅鏡どうきょうを授けられました。このことは『魏志ぎし』倭人伝わじんでんに記されています。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    卑弥呼ひみこが魏ぎに使いを送る

    ごろ合わせ: 文(23)く(9)ださいね 卑弥呼ひみこより

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  9. 19589年、長く分かれていた中国が一つの王朝にまとめられました。この王朝は約30年で唐とうにかわり、日本は聖徳太子しょうとくたいしの時代に使いを送りました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    隋ずいが中国を統一とういつする

    長く分かれていた中国を隋ずいが統一とういつしました。

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年号をこたえる

  1. 20奴国なこくの王が漢かんに使いを送り金印きんいんを受けたのは何年でしょう。

    57年

    奴国なこくの王が漢かんに使いを送り金印きんいんを受ける(57年)。九州北部にあった奴国なこくの王が中国の漢かん(後漢ごかん)に使いを送り、皇帝こうていから金印きんいんを授けられました。ごろ合わせ: こんな(57)に豪華 漢かんの金印きんいん

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  2. 21卑弥呼ひみこが魏ぎに使いを送ったのは何年でしょう。

    239年

    卑弥呼ひみこが魏ぎに使いを送る(239年)。邪馬台国やまたいこくの女王卑弥呼が中国の魏ぎに使いを送り、皇帝こうていから「親魏倭王しんぎわおう」の称号と金印きんいん、たくさんの銅鏡どうきょうを授けられました。ごろ合わせ: 文(23)く(9)ださいね 卑弥呼ひみこより

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  3. 22倭王武わおうぶが中国の南朝なんちょうに使いを送ったのは何年でしょう。

    478年

    倭王武わおうぶが中国の南朝なんちょうに使いを送る(478年)。5世紀せいき、倭わの五王ごおうとよばれる大和政権やまとせいけんの王たちが中国の南朝なんちょうにたびたび使いを送りました。

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  4. 23隋ずいが中国を統一とういつしたのは何年でしょう。

    589年

    隋ずいが中国を統一とういつする(589年)。長く分かれていた中国を隋ずいが統一とういつしました。

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くらべて見分ける

  1. 24『漢書かんじょ』地理志ちりしに書かれている内容は何でしょう。

    倭わは100余国に分かれる

    『漢書かんじょ』地理志ちりしに書かれている内容は「倭わは100余国に分かれる」です。ほかは『後漢書ごかんじょ』東夷伝とういでんが「奴国なこくの王が金印きんいんを受ける」、『魏志ぎし』倭人伝わじんでんが「卑弥呼ひみこが魏ぎに使いを送る」です。

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文化・くらし34問

中学受験で押さえておきたいポイント5つ
  1. 13つの時代のくらしをくらべる

    道具・土器どき・住まい・食べ物のちがいを、時代ごとに整理しておきましょう。

    旧石器きゅうせっき縄文じょうもん弥生やよい
    石器せっき打製石器だせいせっき磨製石器ませいせっきも石包丁いしぼうちょうなど
    土器どきなし縄文土器じょうもんどき弥生土器やよいどき
    住まい洞くつ・移動竪穴住居たてあなじゅうきょ・定住ていじゅう竪穴住居たてあなじゅうきょ・むら
    食べ物狩り・採集狩り・漁・採集米づくり
  2. 2縄文土器じょうもんどきと弥生土器やよいどき

    2つの土器どきのちがいをくらべる問題がよく出ます。

    縄文土器じょうもんどき弥生土器やよいどき
    模様縄目の模様少ない・かざりがシンプル
    厚さ厚手うすい
    色黒っぽい赤っぽい
    焼き方低温高温
  3. 3遺跡いせきは県と時代をセットで

    どの県にあるか、何がわかった遺跡いせきかを組み合わせて覚えましょう。

    岩宿遺跡いわじゅくいせき(群馬県ぐんまけん)
    旧石器きゅうせっき。相沢忠洋あいざわただひろが打製石器だせいせっきを発見
    三内丸山遺跡さんないまるやまいせき(青森県)
    縄文じょうもん。大型竪穴住居やクリの栽培のあと
    大森貝塚おおもりかいづか(東京都きょうと)
    縄文じょうもん。1877年にモースが発見
    登呂遺跡とろいせき(静岡県)
    弥生やよい。水田すいでん・高床倉庫たかゆかそうこのあと
    吉野ヶ里遺跡よしのがりいせき(佐賀県)
    弥生やよい。堀と柵で囲んだ環濠集落かんごうしゅうらく
  4. 4土偶どぐうと埴輪はにわを取りちがえない

    土偶どぐうは縄文時代じょうもんじだいにまじない・いのりに使った人の形の焼き物です。埴輪はにわは古墳時代こふんじだいに古墳こふんのまわりに並べたもので、人・馬・家などの形があります。

  5. 5渡来人とらいじんと仏教ぶっきょうの伝来でんらい

    渡来人とらいじんは漢字かんじ・儒教・機織り・須恵器すえきなどを伝え、仏教ぶっきょうは538年に百済くだらから伝わりました。仏教ぶっきょうの受け入れをめぐり、賛成の蘇我氏そがしと反対の物部氏もののべしが対立しました。

    1. 百済くだらから仏教ぶっきょうが伝わる(538年)
    2. 賛成の蘇我氏そがしと反対の物部氏もののべしが対立
    3. 蘇我氏そがしが物部氏もののべしをほろぼす(587年)

名前をこたえる

  1. 25石を打ち欠いてつくった、するどい刃をもつ石器せっきです。旧石器時代きゅうせっきじだいの人々は、○○をやりの先などにつけて、大型の動物の狩りに使いました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    打製石器だせいせっきが使われる

    打製石器だせいせっきは、石を別の石などで打ち欠いて形をととのえた道具です。

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  2. 26石を打ち欠いてつくった打製石器だせいせっきを使い、ナウマンゾウやオオツノジカなどの大きな動物を追って移動しながらくらしていました。まだ土器どきはありません。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    旧石器時代きゅうせっきじだいのくらし

    日本列島にほんれっとうはまだ大陸たいりくと地続きの時期があり、大型の動物とともに人々がわたってきたと考えられています。

    年表で見る読みもの: 縄文時代と弥生時代のちがい
  3. 27長野県の○○で、ナウマンゾウやオオツノジカの化石と打製石器だせいせっきがいっしょに見つかった遺跡いせきです。人が大型動物を狩っていた証拠とされます。この説明にあてはまる遺跡いせきを何といいますか。

    野尻湖遺跡のじりこいせき

    野尻湖遺跡のじりこいせき(長野県)(前28000年ごろ)。ナウマンゾウ・オオツノジカの化石と石器せっきが同じ場所から出た。

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  4. 28群馬県ぐんまけんの○○で、相沢忠洋あいざわただひろが関東かんとうローム層の中から打製石器だせいせっきを見つけた遺跡いせきです。これで日本にも旧石器時代きゅうせっきじだいがあったことがわかりました。この説明にあてはまる遺跡いせきを何といいますか。

    岩宿遺跡いわじゅくいせき

    岩宿遺跡いわじゅくいせき(群馬県ぐんまけん)(前25000年ごろ)。それまで日本列島にほんれっとうには旧石器時代きゅうせっきじだいはなかったと考えられていましたが、1946年、行商をしながら遺跡いせきを調べていた相沢忠洋あいざわただひろが、火山灰が積もってできた関東かんとうローム層の中から打製石器だせいせっきを発見しました。

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  5. 29表面に縄目の模様がついた厚手の土器どきです。低い温度で焼かれ、黒っぽい色をしています。食べ物を煮たり、たくわえたりするのに使われました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    縄文土器じょうもんどきがつくられ始める

    覚え方: 縄文土器じょうもんどき=縄の目・厚手・黒っぽい。弥生土器やよいどき=うすくて赤っぽい、と対で覚える

    年表で見る読みもの: 縄文時代と弥生時代のちがい
  6. 30石の表面をみがいてつくった○○や、すばやい動物をとらえるための△△が使われるようになりました。石おのや石さじなども登場します。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    磨製石器ませいせっきと弓矢ゆみやが使われる

    覚え方: 旧石器きゅうせっき=打つ(打製)、縄文じょうもん=みがく(磨製)。「縄」の時代はていねいに

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  7. 31約1万年前に氷期ひょうきが終わって気候が暖かくなり、海面が上がって○○は大陸たいりくから切りはなされました。森が広がり、縄文時代じょうもんじだいのくらしが始まります。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    現在の日本列島にほんれっとうが形づくられる

    覚え方: 氷期ひょうきの終わり=列島の形成=縄文じょうもんの始まり。約1万年前

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  8. 32縄文時代じょうもんじだいの人々が食べた貝のからや、魚や動物の骨、こわれた土器どきなどを捨てた場所です。当時の食べ物やくらし、海岸線の位置を知る手がかりになります。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    貝塚かいづかがつくられる

    縄文時代じょうもんじだいの人々は、海や川の近くでは貝や魚をたくさんとって食べました。

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  9. 33青森県にある縄文時代じょうもんじだいの大きなむらのあとです。大型の竪穴住居たてあなじゅうきょや高い柱のあと、クリの栽培のあとなどが見つかり、縄文時代じょうもんじだいのイメージを変えました。この説明にあてはまる遺跡いせきを何といいますか。

    三内丸山遺跡さんないまるやまいせき

    三内丸山遺跡さんないまるやまいせき(青森県)(前3500年ごろ)。1500年以上続いたと考えられる大規模な集落で、長さ30メートルをこえる大型竪穴住居や、直径1メートルほどのクリの柱を6本立てた建物のあとが見つかっています。

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  10. 34土でつくった人の形の焼き物です。女性の形が多く、食べ物がたくさんとれることや、けがや病気がなおることをいのるまじないに使ったと考えられています。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    土偶どぐうがつくられる

    覚え方: 土偶どぐう(縄文じょうもん・いのり)と埴輪はにわ(古墳こふん・古墳こふんのまわり)を取りちがえない

    年表で見る読みもの: 土偶と埴輪のちがい
  11. 35東京都きょうとにある縄文時代じょうもんじだいの貝塚かいづかです。1877年にアメリカ人のモースが汽車の窓から見つけ、日本で初めて学問として発掘された遺跡いせきになりました。この説明にあてはまる貝塚かいづかを何といいますか。

    大森貝塚おおもりかいづか

    大森貝塚おおもりかいづか(東京都きょうと)(前3000年ごろ)。覚え方: 大森貝塚おおもりかいづか=モース=東京。「森」で「モー」スが発見

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  12. 36大陸たいりくや朝鮮半島から○○が伝わり、九州北部から東へ広まりました。水田すいでんのそばに定住ていじゅうし、くらしが大きく変わったので、弥生時代やよいじだいの始まりとされます。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    米づくりが伝わり広まる

    覚え方: 縄文じょうもん(狩り・採集)→弥生やよい(米づくり)。稲作いなさくが「時代の区切り」

    年表で見る読みもの: 縄文時代と弥生時代のちがい
  13. 37福岡県にある、日本で最も古い時期の水田すいでんのあとが見つかった遺跡いせきです。米づくりが九州北部から始まったことを示しています。この説明にあてはまる遺跡いせきを何といいますか。

    板付遺跡いたづけいせき

    板付遺跡いたづけいせき(福岡県)(前300年ごろ)。覚え方: 板付(福岡)=最古級の水田すいでん。米づくりは九州北部から

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  14. 38うすくてかたく、赤っぽい色の○○がつくられました。収穫した米は、ねずみや湿気を防ぐため、床を高くした△△にたくわえました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    弥生土器やよいどきと高床倉庫たかゆかそうこ

    覚え方: 弥生土器やよいどき=うすい・赤い・かざり少なめ。東京の「弥生やよい」で見つかったのが名前の由来

    年表で見る読みもの: 縄文時代と弥生時代のちがい
  15. 39静岡県にある弥生時代やよいじだいのむらのあとです。水田すいでんのあとや竪穴住居たてあなじゅうきょ、高床倉庫たかゆかそうこがまとまって見つかり、米づくりのくらしの様子がよくわかります。この説明にあてはまる遺跡いせきを何といいますか。

    登呂遺跡とろいせき

    登呂遺跡とろいせき(静岡県)(100年ごろ)。覚え方: 登呂=静岡=水田すいでんと高床倉庫たかゆかそうこ。「登」って「呂」(ろ)=田んぼ

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  16. 40前が四角く後ろが丸い、かぎ穴の形をした王や豪族ごうぞくの墓です。まわりに埴輪はにわが並べられ、中には鏡や剣、まが玉などがおさめられました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    前方後円墳ぜんぽうこうえんふんがつくられ始める

    覚え方: 前が「方」(四角)、後ろが「円」(丸)。かぎ穴の形

    年表で見る読みもの: 土偶と埴輪のちがい
  17. 41漢字かんじや儒教、機織り、須恵器すえき、ため池をつくる技術などを伝え、大和政権やまとせいけんの記録や財政も担いました。朝鮮半島や中国から日本に移り住んだ人々を何といいますか。

    渡来人とらいじんが大陸たいりくの文化を伝える

    覚え方: 渡来人とらいじんが伝えたもの: 漢字かんじ・儒教・機織り・須恵器すえき・仏教ぶっきょう(538)

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  18. 42大阪府堺市にある日本最大の前方後円墳ぜんぽうこうえんふんです。全長は約486メートルで、仁徳天皇にんとくてんのうの墓と伝えられます。2019年に百舌鳥もず・古市古墳群ふるいちこふんぐんとして世界文化遺産に登録されました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    大仙古墳だいせんこふん(仁徳天皇陵古墳にんとくてんのうりょうこふん)がつくられる

    覚え方: 大仙=大阪おおさか・堺さかい=日本最大=仁徳天皇陵。「大」きい「仙」(せん)

    年表で見る読みもの: 土偶と埴輪のちがい
  19. 43朝鮮半島の百済くだらの王から、大和政権やまとせいけんに仏像ぶつぞうや経典きょうてんが送られ、○○が正式に伝わりました。受け入れに賛成する蘇我氏そがしと反対する物部氏もののべしが対立しました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    仏教ぶっきょうが伝わる

    百済くだらの聖明王せいめいおうが欽明天皇きんめいてんのうに仏像ぶつぞう・経典きょうてんを送ったのが仏教公伝とされます。

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  20. 44旧石器時代きゅうせっきじだいの人々は、打製石器だせいせっきをつけたやりを持ち、集団で大きなえものを追いつめてしとめました。えものを追って移動し、洞くつや簡単なテントに住みました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    ナウマンゾウやオオツノジカの狩り

    旧石器時代きゅうせっきじだいには土器どきがなく、人々は狩りと採集で食べ物を手に入れていました。

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  21. 45旧石器時代きゅうせっきじだいは寒い時代で、海面がいまより低く、ナウマンゾウなどの大型の動物と、それを追う人々が、歩いて大陸たいりくからわたってくることができました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    氷期ひょうきで日本列島にほんれっとうが大陸たいりくと陸続りくつづきになる

    氷期ひょうきには地球全体が寒く、陸の上に氷が増えたぶん海面がいまより100メートル以上低くなっていました。

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  22. 46縄目の模様がついた厚手の土器どきや、みがいてつくった石器せっき、弓矢ゆみやを使い、狩りや漁、木の実の採集をしてくらしました。竪穴住居たてあなじゅうきょに定住ていじゅうし、貝塚かいづかや土偶どぐうが残っています。この説明にあてはまるくらしを何といいますか。

    縄文時代じょうもんじだいのくらし

    氷期ひょうきが終わって気候が暖かくなり、森が広がると、人々はシカやイノシシを弓矢ゆみやで狩り、魚や貝をとり、クリやドングリを集めて食べるようになりました。

    年表で見る読みもの: 縄文時代と弥生時代のちがい
  23. 47縄文時代じょうもんじだいになると、人々は地面をほり下げて柱を立て、草などで屋根をふいた住まいをつくり、移動をやめて同じ場所でくらし続けるようになりました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    竪穴住居たてあなじゅうきょに住み、定住ていじゅうが始まる

    氷期ひょうきが終わって気候があたたかくなると、木の実や魚、貝、シカやイノシシなどの小型の動物が手に入りやすくなりました。

    年表で見る読みもの: 縄文時代と弥生時代のちがい
  24. 48大陸たいりくから伝わった米づくりが広まり、人々は水田すいでんのそばにむらをつくって定住ていじゅうしました。うすくてかたい赤っぽい土器どきや高床倉庫たかゆかそうこ、金属器が使われ、身分や貧富の差が生まれました。この説明にあてはまるくらしを何といいますか。

    弥生時代やよいじだいのくらし

    米づくりは九州北部から西日本、東日本へと広がりました。

    年表で見る読みもの: 縄文時代と弥生時代のちがい
  25. 49弥生時代やよいじだいに大陸たいりくから金属の道具が伝わりました。銅どうでつくったつりがね形の道具や剣・鏡は祭りや宝物ほうもつに、じょうぶな鉄でつくった道具は農具のうぐや武器に使われました。これらの道具を何といいますか。

    青銅器せいどうき(銅鐸どうたく・銅剣どうけん・銅鏡どうきょう)と鉄器てっき

    大陸たいりくから金属器が伝わりました。

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  26. 50『○○だけを使っていた時代が旧石器時代きゅうせっきじだい』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。

    打製石器だせいせっきが使われる

    石を打ち欠いてつくった、するどい刃をもつ石器せっきです。

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  27. 51『内陸の○○から、当時の海岸線がいまより内陸にあったことが分かる』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。

    貝塚かいづかがつくられる

    貝塚かいづかは、縄文時代じょうもんじだいの人々が食べた貝のからや、魚や動物の骨、こわれた土器どきなどを捨てた場所です。

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  28. 52『島根県の荒神谷遺跡から大量の○○が出土』という特徴にあてはまるものは何でしょう。

    青銅器せいどうき(銅鐸どうたく・銅剣どうけん・銅鏡どうきょう)と鉄器てっき

    大陸たいりくから金属器が伝わりました。

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  29. 53長野県の野尻湖のじりこでは、氷期ひょうきに大陸たいりくからわたってきた大型の動物のきばや角の化石が、石器せっきといっしょに見つかっています。旧石器時代きゅうせっきじだいの人々がこれを行っていたことを示しています。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    ナウマンゾウやオオツノジカの狩り

    旧石器時代きゅうせっきじだいには土器どきがなく、人々は狩りと採集で食べ物を手に入れていました。

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  30. 54受け入れをめぐって蘇我氏そがしと物部氏もののべしが対立するきっかけにもなった、538年に朝鮮半島の百済くだらの聖明王せいめいおうから欽明天皇きんめいてんのうへ仏像ぶつぞうや経典きょうてんが送られたできごとは何でしょう。

    仏教ぶっきょうが伝わる

    百済くだらの聖明王せいめいおうが欽明天皇きんめいてんのうに仏像ぶつぞう・経典きょうてんを送ったのが仏教公伝とされます。

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年号をこたえる

  1. 55仏教ぶっきょうが正式に伝わった年として、多くの教科書がのせているのは何年でしょう。

    538年

    仏教ぶっきょうが伝わる(538年)。朝鮮半島の百済くだらの王から、大和政権やまとせいけんに仏像ぶつぞうや経典きょうてんが送られ、仏教ぶっきょうが正式に伝わりました。ほかの年で習うこともあります(538年説(『上宮聖徳法王帝説』)と552年説(『日本書紀にほんしょき』)がある)。ごろ合わせ: 百済くだらの仏ほとけにご参拝(538)

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くらべて見分ける

  1. 56打製石器だせいせっきと磨製石器ませいせっきのうち、おもな使い道が『狩りのやりの先・ナイフ』なのはどちらでしょう。

    打製石器だせいせっき

    打製石器だせいせっきのおもな使い道は『狩りのやりの先・ナイフ』です。ほかは磨製石器ませいせっきが『木を切るおの・弓矢ゆみやの矢じりなど』です。

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  2. 57土偶どぐうと埴輪はにわのうち、用途が『まじない・いのり』なのはどちらでしょう。

    土偶どぐう

    土偶どぐうの用途は『まじない・いのり』です。ほかは埴輪はにわが『古墳こふんのまわりに並べる』です。

    年表で見る読みもの: 土偶と埴輪のちがい
  3. 58土偶どぐうと埴輪はにわのうち、形が『人(女性が多い)』なのはどちらでしょう。

    土偶どぐう

    土偶どぐうの形は『人(女性が多い)』です。ほかは埴輪はにわが『人・馬・家・円筒』です。

    年表で見る読みもの: 土偶と埴輪のちがい

原始(旧石器〜古墳時代)の読みもの

まぎらわしい用語のちがいを、表と図でくらべて読めます。

読みものの一覧

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