原始(旧石器〜古墳時代)の一問一答

原始(旧石器〜古墳時代、前30000年〜592年)の、中学受験でよく出るできごと・人物・文化を58問の一問一答にまとめました。問題をタップすると答えと解説が出ます。原始(旧石器〜古墳時代)は「移動の暮らしから定住・稲作へ進み、大和政権が国土をまとめる」時代です。
フラッシュカードクイズ
カードをタップすると答えがめくれます。「覚えた」「まだ」に分けて、まだのカードだけくり返せます。
政治10問
中学受験で押さえておきたいポイント5つ
1「むらからくにへ」の流れ
米づくりが始まったことが、争いと「くに」の誕生につながりました。佐賀県の吉野ヶ里遺跡(堀と柵で囲んだ環濠集落)が、争いがあった証拠です。
- 米づくりが広まる
- 米のたくわえができる
- 貧富の差が生まれる
- 土地や水をめぐる争い
- 各地に小さな「くに」ができる
2卑弥呼は邪馬台国の女王
3世紀、30ほどの国をまとめていたとされる邪馬台国を、女王の卑弥呼がまじないによって治めました。邪馬台国の場所は九州説と近畿(大和)説があり、まだわかっていません。
3大和政権のしくみ
奈良盆地を中心に、各地の豪族をしたがえていきました。同じ形の前方後円墳が各地に広がったことが、その力の広がりを示しています。
- 中心
- 奈良盆地
- 王の呼び名
- 大王(おおきみ)
- 豪族の治め方
- 氏姓制度
- 5世紀の支配
- 九州から東北地方の南部まで
4東と西に同じ大王の名
ワカタケル大王は雄略天皇で、中国の歴史書に出てくる倭王武と同じ人物と考えられています。大和政権の力が関東から九州までおよんでいた証拠です。
- 稲荷山古墳(埼玉県)
- 鉄剣に「ワカタケル大王」
- 江田船山古墳(熊本県)
- 鉄刀に同じ大王の名
5氏と姓のちがい
氏(うじ)は血のつながりによる一族のまとまり、姓(かばね)は家がらや役目を示す称号です。飛鳥時代の冠位十二階は、この家がら重視をあらためるものでした。
名前をこたえる
1米のたくわえをめぐって貧富の差が生まれ、むら同士が土地や水を取り合って争うようになりました。強いむらが弱いむらをしたがえ、各地に小さな「くに」ができました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
2佐賀県にある弥生時代の大きなむらのあとです。まわりを深い堀や柵で囲んだ環濠集落で、物見やぐらのあともあり、争いがあったことがわかります。この説明にあてはまる遺跡を何といいますか。
吉野ヶ里遺跡
吉野ヶ里遺跡(佐賀県)(100年ごろ)。二重の堀に囲まれた広い集落で、物見やぐらや、矢じりが刺さった人骨、首のない人骨も見つかっており、むら同士の争いがあったことを示しています。
年表で見る33世紀の邪馬台国の女王です。まじない(神のお告げ)によって国を治め、239年に魏へ使いを送りました。死ぬと大きな墓がつくられたと伝えられます。この女王はだれでしょう。
43世紀ごろ、30ほどの国をまとめていたとされる国です。女王の卑弥呼がまじないによって国を治めました。場所は九州説と近畿説があり、まだわかっていません。この説明にあてはまる国を何といいますか。
5各地の王や豪族が大きな古墳をつくった時代です。奈良盆地の○○が力を広げ、5世紀には九州から東北南部までの豪族をしたがえました。この説明にあてはまる時代を何といいますか。
6奈良盆地を中心とする○○が、5世紀ごろまでに九州から東北地方の南部までの豪族をしたがえました。王は大王とよばれました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
75世紀の大和政権の大王です。稲荷山古墳の鉄剣に名が刻まれた「○○」であり、中国の歴史書に出てくる倭王武と同じ人物と考えられています。この大王はだれでしょう。
8大和政権は、豪族を血のつながりで氏(うじ)というグループに分け、家がらや役目を示す姓(かばね)をあたえて治めました。このできごとは何でしょう。
9埼玉県の○○から出た△△に「□□」の名が刻まれていました。熊本県の江田船山古墳の鉄刀にも同じ名があり、大和政権の力が関東から九州までおよんでいた証拠です。この説明にあてはまるものを何といいますか。
年号をこたえる
10稲荷山古墳の鉄剣に刻まれた「辛亥年」が示すと考えられているのは何年でしょう。
471年
稲荷山古墳の鉄剣(ワカタケル大王)(471年)。埼玉県の稲荷山古墳から出た鉄剣に「ワカタケル大王」の名が刻まれていました。ほかの年で習うこともあります(刻まれた「辛亥年」を471年とする説が有力)。
年表で見る
外交・世界14問
中学受験で押さえておきたいポイント5つ
1中国の歴史書は3つを順番に
『漢書』地理志が、日本について書かれた最も古い記録です。3つの歴史書の順番と内容をセットで覚えましょう。
歴史書 時期 内容 『漢書』地理志 紀元前1世紀ごろ 倭は100余りの国に分かれる 『後漢書』東夷伝 57年 奴国の王が金印を受ける 『魏志』倭人伝 239年 卑弥呼が魏に使いを送る 257年と239年を取りちがえない
57年は奴国の王が漢(後漢)の光武帝から金印を、239年は卑弥呼が魏から「親魏倭王」の称号と銅鏡を受けました。金印「漢委奴国王」は福岡県の志賀島で見つかっています。
34世紀は朝鮮半島、5世紀は中国
大和政権は朝鮮半島で戦い、そのあと中国の皇帝に使いを送りました。倭の五王は、朝鮮半島での立場を認めてもらうために使いを送ったのです。
4世紀の終わりごろ 5世紀 相手 朝鮮半島の高句麗 中国の南朝(宋) できごと 百済・伽耶とともに高句麗と戦う 倭の五王が使いを送る(478年の倭王武など) 証拠・記録 好太王(広開土王)碑 『宋書』倭国伝 4中国の王朝の順番
日本の弥生時代は中国の漢の時代にあたり、奴国の金印も漢(後漢)から受けたものです。
- 秦(前221年に統一・始皇帝)
- 漢(前漢・後漢)
- 三国
- 隋(589年に統一)
5儒教と仏教は大陸で生まれた
日本が縄文時代のころ、中国で孔子が儒教を、インドでシャカが仏教を開きました。どちらものちに日本へ伝わり、仏教は538年に伝わりました。
名前をこたえる
11中国の歴史書『○○』△△に、紀元前1世紀ごろの倭(日本)は100あまりの国に分かれ、楽浪郡に使いを送っていたと書かれています。日本について書かれた最も古い記録です。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
12九州北部にあった○○の王が中国の漢(後漢)に使いを送り、皇帝から△△を授けられました。この△△は江戸時代に福岡県の志賀島で見つかっています。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
13邪馬台国の女王○○が中国の魏に使いを送り、皇帝から「親魏倭王」の称号と金印、たくさんの銅鏡を授けられました。このできごとは何でしょう。
145世紀、倭の五王とよばれる大和政権の王たちが○○にたびたび使いを送りました。478年の△△は、ワカタケル大王(雄略天皇)と考えられています。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
15長く分かれていた中国を隋が統一しました。日本は聖徳太子の時代に遣隋使を送り、隋の制度や文化を学びました。隋は618年に滅び、唐にかわります。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
16秦のあと約400年続いた中国の王朝です。日本の弥生時代にあたり、奴国の王はこの王朝に使いを送って金印を受けました。この説明にあてはまる王朝を何といいますか。
1757年、奴国の王に金印を授けたのは、この王朝の光武帝でした。紀元前202年から220年まで、前期と後期を合わせて約400年続いた中国の王朝は何でしょう。
18239年、邪馬台国の女王が中国の魏に使いを送り、皇帝から「親魏倭王」の称号と銅鏡を授けられました。このことは『魏志』倭人伝に記されています。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
19589年、長く分かれていた中国が一つの王朝にまとめられました。この王朝は約30年で唐にかわり、日本は聖徳太子の時代に使いを送りました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
年号をこたえる
20奴国の王が漢に使いを送り金印を受けたのは何年でしょう。
21卑弥呼が魏に使いを送ったのは何年でしょう。
239年
卑弥呼が魏に使いを送る(239年)。邪馬台国の女王卑弥呼が中国の魏に使いを送り、皇帝から「親魏倭王」の称号と金印、たくさんの銅鏡を授けられました。ごろ合わせ: 文(23)く(9)ださいね 卑弥呼より
年表で見る22倭王武が中国の南朝に使いを送ったのは何年でしょう。
23隋が中国を統一したのは何年でしょう。
くらべて見分ける
24『漢書』地理志に書かれている内容は何でしょう。
倭は100余国に分かれる
『漢書』地理志に書かれている内容は「倭は100余国に分かれる」です。ほかは『後漢書』東夷伝が「奴国の王が金印を受ける」、『魏志』倭人伝が「卑弥呼が魏に使いを送る」です。
年表で見る
文化・くらし34問
中学受験で押さえておきたいポイント5つ
13つの時代のくらしをくらべる
道具・土器・住まい・食べ物のちがいを、時代ごとに整理しておきましょう。
旧石器 縄文 弥生 石器 打製石器 磨製石器も 石包丁など 土器 なし 縄文土器 弥生土器 住まい 洞くつ・移動 竪穴住居・定住 竪穴住居・むら 食べ物 狩り・採集 狩り・漁・採集 米づくり 2縄文土器と弥生土器
2つの土器のちがいをくらべる問題がよく出ます。
縄文土器 弥生土器 模様 縄目の模様 少ない・かざりがシンプル 厚さ 厚手 うすい 色 黒っぽい 赤っぽい 焼き方 低温 高温 3遺跡は県と時代をセットで
どの県にあるか、何がわかった遺跡かを組み合わせて覚えましょう。
- 岩宿遺跡(群馬県)
- 旧石器。相沢忠洋が打製石器を発見
- 三内丸山遺跡(青森県)
- 縄文。大型竪穴住居やクリの栽培のあと
- 大森貝塚(東京都)
- 縄文。1877年にモースが発見
- 登呂遺跡(静岡県)
- 弥生。水田・高床倉庫のあと
- 吉野ヶ里遺跡(佐賀県)
- 弥生。堀と柵で囲んだ環濠集落
4土偶と埴輪を取りちがえない
土偶は縄文時代にまじない・いのりに使った人の形の焼き物です。埴輪は古墳時代に古墳のまわりに並べたもので、人・馬・家などの形があります。
5渡来人と仏教の伝来
渡来人は漢字・儒教・機織り・須恵器などを伝え、仏教は538年に百済から伝わりました。仏教の受け入れをめぐり、賛成の蘇我氏と反対の物部氏が対立しました。
- 百済から仏教が伝わる(538年)
- 賛成の蘇我氏と反対の物部氏が対立
- 蘇我氏が物部氏をほろぼす(587年)
名前をこたえる
25石を打ち欠いてつくった、するどい刃をもつ石器です。旧石器時代の人々は、○○をやりの先などにつけて、大型の動物の狩りに使いました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
26石を打ち欠いてつくった打製石器を使い、ナウマンゾウやオオツノジカなどの大きな動物を追って移動しながらくらしていました。まだ土器はありません。この説明にあてはまるものを何といいますか。
27長野県の○○で、ナウマンゾウやオオツノジカの化石と打製石器がいっしょに見つかった遺跡です。人が大型動物を狩っていた証拠とされます。この説明にあてはまる遺跡を何といいますか。
28群馬県の○○で、相沢忠洋が関東ローム層の中から打製石器を見つけた遺跡です。これで日本にも旧石器時代があったことがわかりました。この説明にあてはまる遺跡を何といいますか。
岩宿遺跡
岩宿遺跡(群馬県)(前25000年ごろ)。それまで日本列島には旧石器時代はなかったと考えられていましたが、1946年、行商をしながら遺跡を調べていた相沢忠洋が、火山灰が積もってできた関東ローム層の中から打製石器を発見しました。
年表で見る29表面に縄目の模様がついた厚手の土器です。低い温度で焼かれ、黒っぽい色をしています。食べ物を煮たり、たくわえたりするのに使われました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
30石の表面をみがいてつくった○○や、すばやい動物をとらえるための△△が使われるようになりました。石おのや石さじなども登場します。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
31約1万年前に氷期が終わって気候が暖かくなり、海面が上がって○○は大陸から切りはなされました。森が広がり、縄文時代のくらしが始まります。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
32縄文時代の人々が食べた貝のからや、魚や動物の骨、こわれた土器などを捨てた場所です。当時の食べ物やくらし、海岸線の位置を知る手がかりになります。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
33青森県にある縄文時代の大きなむらのあとです。大型の竪穴住居や高い柱のあと、クリの栽培のあとなどが見つかり、縄文時代のイメージを変えました。この説明にあてはまる遺跡を何といいますか。
三内丸山遺跡
三内丸山遺跡(青森県)(前3500年ごろ)。1500年以上続いたと考えられる大規模な集落で、長さ30メートルをこえる大型竪穴住居や、直径1メートルほどのクリの柱を6本立てた建物のあとが見つかっています。
年表で見る34土でつくった人の形の焼き物です。女性の形が多く、食べ物がたくさんとれることや、けがや病気がなおることをいのるまじないに使ったと考えられています。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
35東京都にある縄文時代の貝塚です。1877年にアメリカ人のモースが汽車の窓から見つけ、日本で初めて学問として発掘された遺跡になりました。この説明にあてはまる貝塚を何といいますか。
36大陸や朝鮮半島から○○が伝わり、九州北部から東へ広まりました。水田のそばに定住し、くらしが大きく変わったので、弥生時代の始まりとされます。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
37福岡県にある、日本で最も古い時期の水田のあとが見つかった遺跡です。米づくりが九州北部から始まったことを示しています。この説明にあてはまる遺跡を何といいますか。
38うすくてかたく、赤っぽい色の○○がつくられました。収穫した米は、ねずみや湿気を防ぐため、床を高くした△△にたくわえました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
39静岡県にある弥生時代のむらのあとです。水田のあとや竪穴住居、高床倉庫がまとまって見つかり、米づくりのくらしの様子がよくわかります。この説明にあてはまる遺跡を何といいますか。
40前が四角く後ろが丸い、かぎ穴の形をした王や豪族の墓です。まわりに埴輪が並べられ、中には鏡や剣、まが玉などがおさめられました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
41漢字や儒教、機織り、須恵器、ため池をつくる技術などを伝え、大和政権の記録や財政も担いました。朝鮮半島や中国から日本に移り住んだ人々を何といいますか。
42大阪府堺市にある日本最大の前方後円墳です。全長は約486メートルで、仁徳天皇の墓と伝えられます。2019年に百舌鳥・古市古墳群として世界文化遺産に登録されました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
43朝鮮半島の百済の王から、大和政権に仏像や経典が送られ、○○が正式に伝わりました。受け入れに賛成する蘇我氏と反対する物部氏が対立しました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
44旧石器時代の人々は、打製石器をつけたやりを持ち、集団で大きなえものを追いつめてしとめました。えものを追って移動し、洞くつや簡単なテントに住みました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
45旧石器時代は寒い時代で、海面がいまより低く、ナウマンゾウなどの大型の動物と、それを追う人々が、歩いて大陸からわたってくることができました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
46縄目の模様がついた厚手の土器や、みがいてつくった石器、弓矢を使い、狩りや漁、木の実の採集をしてくらしました。竪穴住居に定住し、貝塚や土偶が残っています。この説明にあてはまるくらしを何といいますか。
縄文時代のくらし
氷期が終わって気候が暖かくなり、森が広がると、人々はシカやイノシシを弓矢で狩り、魚や貝をとり、クリやドングリを集めて食べるようになりました。
年表で見る読みもの: 縄文時代と弥生時代のちがい47縄文時代になると、人々は地面をほり下げて柱を立て、草などで屋根をふいた住まいをつくり、移動をやめて同じ場所でくらし続けるようになりました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
48大陸から伝わった米づくりが広まり、人々は水田のそばにむらをつくって定住しました。うすくてかたい赤っぽい土器や高床倉庫、金属器が使われ、身分や貧富の差が生まれました。この説明にあてはまるくらしを何といいますか。
49弥生時代に大陸から金属の道具が伝わりました。銅でつくったつりがね形の道具や剣・鏡は祭りや宝物に、じょうぶな鉄でつくった道具は農具や武器に使われました。これらの道具を何といいますか。
50『○○だけを使っていた時代が旧石器時代』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。
51『内陸の○○から、当時の海岸線がいまより内陸にあったことが分かる』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。
52『島根県の荒神谷遺跡から大量の○○が出土』という特徴にあてはまるものは何でしょう。
53長野県の野尻湖では、氷期に大陸からわたってきた大型の動物のきばや角の化石が、石器といっしょに見つかっています。旧石器時代の人々がこれを行っていたことを示しています。この説明にあてはまるものを何といいますか。
54受け入れをめぐって蘇我氏と物部氏が対立するきっかけにもなった、538年に朝鮮半島の百済の聖明王から欽明天皇へ仏像や経典が送られたできごとは何でしょう。
年号をこたえる
55仏教が正式に伝わった年として、多くの教科書がのせているのは何年でしょう。
538年
仏教が伝わる(538年)。朝鮮半島の百済の王から、大和政権に仏像や経典が送られ、仏教が正式に伝わりました。ほかの年で習うこともあります(538年説(『上宮聖徳法王帝説』)と552年説(『日本書紀』)がある)。ごろ合わせ: 百済の仏にご参拝(538)
年表で見る
くらべて見分ける
56打製石器と磨製石器のうち、おもな使い道が『狩りのやりの先・ナイフ』なのはどちらでしょう。
57土偶と埴輪のうち、用途が『まじない・いのり』なのはどちらでしょう。
58土偶と埴輪のうち、形が『人(女性が多い)』なのはどちらでしょう。
原始(旧石器〜古墳時代)の読みもの
まぎらわしい用語のちがいを、表と図でくらべて読めます。