縄文時代と弥生時代のちがい

ちがい原始(旧石器〜古墳時代)文化・くらし

縄文時代と弥生時代のちがいの要点をまとめたイラスト

縄文時代は、狩りや漁、木の実の採集でくらし、縄文土器と竪穴住居を使った時代です。弥生時代は、大陸から伝わった米づくりが広まり、弥生土器や高床倉庫、金属器が使われた時代です。米をたくわえるようになったことで、弥生時代には身分や貧富の差が生まれました。

2026/09/20 公開・ふりがなつき

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旧石器きゅうせっき縄文じょうもん弥生やよい
石器せっき打製石器だせいせっき磨製石器ませいせっきも石包丁いしぼうちょうなど
土器どきなし縄文土器じょうもんどき弥生土器やよいどき
住まい洞くつ・移動竪穴住居たてあなじゅうきょ・定住ていじゅう竪穴住居たてあなじゅうきょ・むら
食べ物狩り・採集狩り・漁・採集米づくり
年表で「旧石器時代のくらし」を見る

見分けるときは、まず「食べ物をどうやって手に入れたか」を見ます。狩り・漁・採集が中心なのが縄文時代じょうもんじだい、米づくりが中心なのが弥生時代やよいじだいです。米づくりが伝わって広まったことが、2つの時代を分ける区切りになっています。

時代の流れを年表で見る

  1. 前13000年縄文土器じょうもんどきがつくられ始める
  2. 前11000年竪穴住居たてあなじゅうきょに住み、定住ていじゅうが始まる
  3. 前3500年三内丸山遺跡さんないまるやまいせき(青森県)
  4. 前300年米づくりが伝わり広まる
  5. 57年奴国なこくの王が漢かんに使いを送り金印きんいんを受ける
  6. 100年吉野ヶ里遺跡よしのがりいせき(佐賀県)
  7. 239年卑弥呼ひみこが魏ぎに使いを送る

縄文時代じょうもんじだいは1万年以上続き、そのあいだ、くらしの形は大きくは変わりませんでした。弥生時代やよいじだいになると、米づくりをきっかけに、数百年のあいだに、むらからくにへと社会が大きく変わっていきます。

縄文時代のくらし

氷期ひょうきが終わって気候が暖かくなり、森が広がると、人々はシカやイノシシを弓矢ゆみやで狩り、魚や貝をとり、クリやドングリを集めて食べるようになりました。食べ物を煮たりたくわえたりするために縄文土器じょうもんどきをつくり、石をみがいた磨製石器ませいせっきも使いました。

人々は竪穴住居に住み、むらをつくって定住ていじゅうしました。食べたあとの貝がらを捨てた場所が貝塚、まじないに使ったと考えられる人形が土偶です。青森県の三内丸山遺跡は、縄文時代じょうもんじだいの大きなむらのあとです。身分の差はまだ小さく、貧富の差もあまりなかったと考えられています。

弥生時代のくらし

米づくりは大陸たいりくや朝鮮半島から伝わり、九州北部から西日本、東日本へと広がりました。収穫した米は高床倉庫たかゆかそうこにたくわえ、石包丁いしぼうちょうで穂をつみ取りました。うすくて赤っぽい弥生土器のほか、青銅器せいどうき(銅鐸どうたく・銅剣どうけん・銅鏡どうきょう)や鉄器てっきも伝わりました。

静岡県の登呂遺跡は、弥生時代やよいじだいの水田すいでんやむらのあとが見つかった遺跡いせきです。

米づくりで社会はどう変わった?

縄文時代じょうもんじだいと弥生時代やよいじだいのいちばん大きなちがいは、社会のしくみです。米づくりから「くに」ができるまでの流れは、入試で原因と結果を問う形でよく出ます。

米づくりから「くに」へ

  1. 1米づくりが広まり、米をたくわえられるようになる
  2. 2たくわえを持つ者と持たない者の差(貧富の差・身分の差)が生まれる
  3. 3土地や水をめぐって、むらとむらの争いが起こる(堀や柵で囲んだ環濠集落かんごうしゅうらく)
  4. 4むらをまとめる指導者が現れ、小さな「くに」ができる

佐賀県の吉野ヶ里遺跡は、まわりを堀と柵で囲んだ大きなむらのあとで、争いがあったことを示しています。57年には奴国の王が漢に使いを送って金印を受け、239年には邪馬台国やまたいこくの卑弥呼が魏に使いを送りました。

入試のポイント

  • 縄文土器じょうもんどき(厚手・縄目の模様)と磨製石器ませいせっき、弓矢ゆみや
  • 竪穴住居たてあなじゅうきょに定住ていじゅう。貝塚かいづか・土偶どぐう
  • 狩り・漁・採集が中心で、身分や貧富の差は小さい
  • 米づくり(稲作いなさく)が広まり定住ていじゅう・むらができる
  • 弥生土器やよいどき・高床倉庫たかゆかそうこ・石包丁いしぼうちょう・青銅器せいどうき・鉄器てっき
  • 貧富や身分の差が生まれ、争いが起こり「くに」ができる

よくあるまちがい

縄文土器と弥生土器の特ちょうを逆に覚える

縄文土器じょうもんどきは厚手で黒っぽく、縄目の模様があります。弥生土器やよいどきはうすくてかたく、赤っぽい色です。弥生土器やよいどきのほうが高い温度で焼かれています。

竪穴住居を縄文時代だけのものと考える

竪穴住居たてあなじゅうきょは、弥生時代やよいじだいにも人々の住まいとして使われました。弥生時代やよいじだいに新しく登場したのは、米をたくわえる高床倉庫たかゆかそうこです。高床倉庫たかゆかそうこは住まいではなく、倉庫です。

遺跡の時代を取りちがえる

三内丸山遺跡さんないまるやまいせき(青森県)と大森貝塚おおもりかいづか(東京都きょうと)は縄文時代じょうもんじだい、登呂遺跡とろいせき(静岡県)と吉野ヶ里遺跡よしのがりいせき(佐賀県)は弥生時代やよいじだいです。岩宿遺跡いわじゅくいせき(群馬県ぐんまけん)は、縄文時代じょうもんじだいより前の旧石器時代きゅうせっきじだいの遺跡いせきです。

金属器を縄文時代のものと考える

青銅器せいどうきや鉄器てっきが伝わったのは弥生時代やよいじだいです。縄文時代じょうもんじだいの道具は、石器せっき(磨製石器ませいせっき)や弓矢ゆみや、縄文土器じょうもんどきが中心でした。

確認問題

答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。

  1. Q1青森県にある縄文時代じょうもんじだいの大きなむらのあとです。大型の竪穴住居たてあなじゅうきょや高い柱のあと、クリの栽培のあとなどが見つかり、縄文時代じょうもんじだいのイメージを変えました。この説明にあてはまる遺跡いせきを何といいますか。

    三内丸山遺跡さんないまるやまいせき

    三内丸山遺跡さんないまるやまいせき(青森県)(前3500年ごろ)。1500年以上続いたと考えられる大規模な集落で、長さ30メートルをこえる大型竪穴住居や、直径1メートルほどのクリの柱を6本立てた建物のあとが見つかっています。

  2. Q2静岡県にある弥生時代やよいじだいのむらのあとです。水田すいでんのあとや竪穴住居たてあなじゅうきょ、高床倉庫たかゆかそうこがまとまって見つかり、米づくりのくらしの様子がよくわかります。この説明にあてはまる遺跡いせきを何といいますか。

    登呂遺跡とろいせき

    登呂遺跡とろいせき(静岡県)(100年ごろ)。覚え方: 登呂=静岡=水田すいでんと高床倉庫たかゆかそうこ。「登」って「呂」(ろ)=田んぼ

  3. Q3佐賀県にある弥生時代やよいじだいの大きなむらのあとです。まわりを深い堀や柵で囲んだ環濠集落かんごうしゅうらくで、物見やぐらのあともあり、争いがあったことがわかります。この説明にあてはまる遺跡いせきを何といいますか。

    吉野ヶ里遺跡よしのがりいせき

    吉野ヶ里遺跡よしのがりいせき(佐賀県)(100年ごろ)。二重の堀に囲まれた広い集落で、物見やぐらや、矢じりが刺さった人骨、首のない人骨も見つかっており、むら同士の争いがあったことを示しています。

  4. Q4表面に縄目の模様がついた厚手の土器どきです。低い温度で焼かれ、黒っぽい色をしています。食べ物を煮たり、たくわえたりするのに使われました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    縄文土器じょうもんどきがつくられ始める

    覚え方: 縄文土器じょうもんどき=縄の目・厚手・黒っぽい。弥生土器やよいどき=うすくて赤っぽい、と対で覚える

原始(旧石器〜古墳時代)の一問一答でもっと解く

つぎのステップ

年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。