縄文時代と弥生時代のちがい

縄文時代は、狩りや漁、木の実の採集でくらし、縄文土器と竪穴住居を使った時代です。弥生時代は、大陸から伝わった米づくりが広まり、弥生土器や高床倉庫、金属器が使われた時代です。米をたくわえるようになったことで、弥生時代には身分や貧富の差が生まれました。
表でくらべる
| 旧石器 | 縄文 | 弥生 | |
|---|---|---|---|
| 石器 | 打製石器 | 磨製石器も | 石包丁など |
| 土器 | なし | 縄文土器 | 弥生土器 |
| 住まい | 洞くつ・移動 | 竪穴住居・定住 | 竪穴住居・むら |
| 食べ物 | 狩り・採集 | 狩り・漁・採集 | 米づくり |
見分けるときは、まず「食べ物をどうやって手に入れたか」を見ます。狩り・漁・採集が中心なのが縄文時代、米づくりが中心なのが弥生時代です。米づくりが伝わって広まったことが、2つの時代を分ける区切りになっています。
時代の流れを年表で見る
- 前13000年縄文土器がつくられ始める
- 前11000年竪穴住居に住み、定住が始まる
- 前3500年三内丸山遺跡(青森県)
- 前300年米づくりが伝わり広まる
- 57年奴国の王が漢に使いを送り金印を受ける
- 100年吉野ヶ里遺跡(佐賀県)
- 239年卑弥呼が魏に使いを送る
縄文時代は1万年以上続き、そのあいだ、くらしの形は大きくは変わりませんでした。弥生時代になると、米づくりをきっかけに、数百年のあいだに、むらからくにへと社会が大きく変わっていきます。
縄文時代のくらし
氷期が終わって気候が暖かくなり、森が広がると、人々はシカやイノシシを弓矢で狩り、魚や貝をとり、クリやドングリを集めて食べるようになりました。食べ物を煮たりたくわえたりするために縄文土器をつくり、石をみがいた磨製石器も使いました。
人々は竪穴住居に住み、むらをつくって定住しました。食べたあとの貝がらを捨てた場所が貝塚、まじないに使ったと考えられる人形が土偶です。青森県の三内丸山遺跡は、縄文時代の大きなむらのあとです。身分の差はまだ小さく、貧富の差もあまりなかったと考えられています。
弥生時代のくらし
米づくりは大陸や朝鮮半島から伝わり、九州北部から西日本、東日本へと広がりました。収穫した米は高床倉庫にたくわえ、石包丁で穂をつみ取りました。うすくて赤っぽい弥生土器のほか、青銅器(銅鐸・銅剣・銅鏡)や鉄器も伝わりました。
静岡県の登呂遺跡は、弥生時代の水田やむらのあとが見つかった遺跡です。
米づくりで社会はどう変わった?
縄文時代と弥生時代のいちばん大きなちがいは、社会のしくみです。米づくりから「くに」ができるまでの流れは、入試で原因と結果を問う形でよく出ます。
米づくりから「くに」へ
- 1米づくりが広まり、米をたくわえられるようになる
- 2たくわえを持つ者と持たない者の差(貧富の差・身分の差)が生まれる
- 3土地や水をめぐって、むらとむらの争いが起こる(堀や柵で囲んだ環濠集落)
- 4むらをまとめる指導者が現れ、小さな「くに」ができる
佐賀県の吉野ヶ里遺跡は、まわりを堀と柵で囲んだ大きなむらのあとで、争いがあったことを示しています。57年には奴国の王が漢に使いを送って金印を受け、239年には邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送りました。
入試のポイント
- 縄文土器(厚手・縄目の模様)と磨製石器、弓矢
- 竪穴住居に定住。貝塚・土偶
- 狩り・漁・採集が中心で、身分や貧富の差は小さい
- 米づくり(稲作)が広まり定住・むらができる
- 弥生土器・高床倉庫・石包丁・青銅器・鉄器
- 貧富や身分の差が生まれ、争いが起こり「くに」ができる
よくあるまちがい
縄文土器と弥生土器の特ちょうを逆に覚える
縄文土器は厚手で黒っぽく、縄目の模様があります。弥生土器はうすくてかたく、赤っぽい色です。弥生土器のほうが高い温度で焼かれています。
竪穴住居を縄文時代だけのものと考える
竪穴住居は、弥生時代にも人々の住まいとして使われました。弥生時代に新しく登場したのは、米をたくわえる高床倉庫です。高床倉庫は住まいではなく、倉庫です。
遺跡の時代を取りちがえる
三内丸山遺跡(青森県)と大森貝塚(東京都)は縄文時代、登呂遺跡(静岡県)と吉野ヶ里遺跡(佐賀県)は弥生時代です。岩宿遺跡(群馬県)は、縄文時代より前の旧石器時代の遺跡です。
金属器を縄文時代のものと考える
青銅器や鉄器が伝わったのは弥生時代です。縄文時代の道具は、石器(磨製石器)や弓矢、縄文土器が中心でした。
確認問題
答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。
Q1青森県にある縄文時代の大きなむらのあとです。大型の竪穴住居や高い柱のあと、クリの栽培のあとなどが見つかり、縄文時代のイメージを変えました。この説明にあてはまる遺跡を何といいますか。
三内丸山遺跡
三内丸山遺跡(青森県)(前3500年ごろ)。1500年以上続いたと考えられる大規模な集落で、長さ30メートルをこえる大型竪穴住居や、直径1メートルほどのクリの柱を6本立てた建物のあとが見つかっています。
Q2静岡県にある弥生時代のむらのあとです。水田のあとや竪穴住居、高床倉庫がまとまって見つかり、米づくりのくらしの様子がよくわかります。この説明にあてはまる遺跡を何といいますか。
登呂遺跡
登呂遺跡(静岡県)(100年ごろ)。覚え方: 登呂=静岡=水田と高床倉庫。「登」って「呂」(ろ)=田んぼ
Q3佐賀県にある弥生時代の大きなむらのあとです。まわりを深い堀や柵で囲んだ環濠集落で、物見やぐらのあともあり、争いがあったことがわかります。この説明にあてはまる遺跡を何といいますか。
吉野ヶ里遺跡
吉野ヶ里遺跡(佐賀県)(100年ごろ)。二重の堀に囲まれた広い集落で、物見やぐらや、矢じりが刺さった人骨、首のない人骨も見つかっており、むら同士の争いがあったことを示しています。
Q4表面に縄目の模様がついた厚手の土器です。低い温度で焼かれ、黒っぽい色をしています。食べ物を煮たり、たくわえたりするのに使われました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
縄文土器がつくられ始める
覚え方: 縄文土器=縄の目・厚手・黒っぽい。弥生土器=うすくて赤っぽい、と対で覚える
つぎのステップ
年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。