江戸時代前期の一問一答

江戸時代前期を表すイラスト

江戸時代前期(1603年〜1745年)の、中学受験でよく出るできごと・人物・文化を107問の一問一答にまとめました。問題をタップすると答えと解説が出ます。江戸時代前期は「幕藩体制と鎖国のしくみが整い、町人の元禄文化が栄える」時代です。

全107問・ふりがなつき・2026/10/11 更新

政治42問

中学受験で押さえておきたいポイント6つ
  1. 1江戸幕府えどばくふのはじまりから大阪おおさかの陣まで

    徳川家康とくがわいえやすは関ヶ原せきがはらの戦いに勝ち、1603年に征夷大将軍せいいたいしょうぐんとなって江戸幕府えどばくふを開きました。大阪おおさかの陣で豊臣氏がほろびました。

    1. 関ヶ原せきがはらの戦い(1600年)
    2. 江戸幕府えどばくふが開かれる(1603年)
    3. 大阪おおさかの陣(1614〜1615年)
    4. 武家諸法度ぶけしょはっと(1615年)
    5. 参勤交代さんきんこうたいの制度化(1635年)
  2. 2親藩しんぱん・譜代ふだい・外様とざまの大名だいみょう

    大名だいみょうは徳川とくがわ家との関係で3つに分けられ、置かれる場所や役職が決められました。

    親藩しんぱん譜代ふだい大名だいみょう外様とざま大名だいみょう
    どんな大名だいみょうか徳川とくがわ家の親類関ヶ原せきがはらの戦いの前から徳川とくがわ家に仕えていた関ヶ原せきがはらの戦いのあとに徳川とくがわ家に従った
    置かれた場所・役えき目尾張おわり・紀伊きい・水戸は御三家老中ろうじゅうなどの役職についた江戸えどから遠い土地に置かれた
  3. 3武家諸法度ぶけしょはっとと参勤交代さんきんこうたい

    武家諸法度ぶけしょはっとは大名だいみょうを取りしまるきまりです。1635年に3代将軍家光が改め、参勤交代さんきんこうたいを制度として定めました。大名だいみょうは1年おきに江戸えどと領地りょうちを行き来し、妻と子は江戸えどに住まわされました。

  4. 4将軍しょうぐんと政治をセットで

    3代家光・5代綱吉・8代吉宗の取りちがえがよく出ます。代の数と政治を結びつけて覚えましょう。

    徳川家康とくがわいえやす(初代)
    征夷大将軍せいいたいしょうぐんになり江戸幕府えどばくふを開く(1603年)
    徳川家光とくがわいえみつ(3代)
    参勤交代さんきんこうたいを制度化・ポルトガル船の来航禁止らいこうきんし
    徳川綱吉とくがわつなよし(5代)
    生類憐しょうるいあわれみの令りょう(1685年)・朱子学を重んじる
    徳川吉宗とくがわよしむね(8代)
    享保きょうほうの改革かいかく(1716年)・目安箱めやすばこ・公事方御定書くじかたおさだめがき
  5. 5享保きょうほうの改革かいかくは徳川吉宗とくがわよしむね

    8代将軍しょうぐん徳川吉宗とくがわよしむねが幕府ばくふの財政を立て直すために行いました。目安箱めやすばこ・上米あげまいの制・公事方御定書くじかたおさだめがきが代表です。

    目安箱めやすばこ
    庶民しょみんの意見を聞く。投書から小石川養生所ができた
    上米あげまいの制
    大名だいみょうに米を納めさせ、江戸えどにいる期間を半年に
    公事方御定書くじかたおさだめがき
    裁判や刑罰けいばつの基準をまとめた
  6. 6五人組ごにんぐみと寺請制度てらうけせいど

    五人組ごにんぐみは年貢ねんぐの納入や犯罪に共同で責任を負わせるしくみ、寺請制度てらうけせいどはすべての人を寺の信者しんじゃとして登録させるしくみです。

名前をこたえる

  1. 1江戸幕府えどばくふを開いた初代将軍しょうぐんです。関ヶ原せきがはらの戦いに勝って1603年に征夷大将軍せいいたいしょうぐんとなり、大阪おおさかの陣で豊臣氏を滅ぼして、260年あまり続く幕府ばくふの土台をつくりました。この初代将軍しょうぐんはだれでしょう。

    徳川家康とくがわいえやす

    徳川家康とくがわいえやすは三河(愛知県)の小さな大名だいみょうの家に生まれ、少年時代を人質として過ごしました。

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  2. 2江戸幕府えどばくふの2代将軍しょうぐんです。父の家康とともに大阪おおさかの陣で豊臣氏を滅ぼし、武家諸法度ぶけしょはっとを出して大名だいみょうの取りしまりを強めました。この将軍しょうぐんはだれでしょう。

    徳川秀忠とくがわひでただ

    徳川秀忠とくがわひでただは家康の三男で、1605年に家康から将軍職をゆずられました。

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  3. 3将軍しょうぐん(幕府ばくふ)と大名だいみょう(藩)が、それぞれの領地りょうちと人々を治めた江戸時代えどじだいの政治のしくみです。幕府ばくふは強い力で大名だいみょうをおさえ、全国を支配しはいしました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    幕藩体制ばくはんたいせい

    江戸時代えどじだいには、将軍しょうぐんが直接治める幕府領(天領)と、大名だいみょうが治める領地りょうち(藩)がありました。

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  4. 4徳川家康とくがわいえやすが征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任じられて幕府ばくふを開いたできごとです。こののち1867年の大政奉還たいせいほうかんまで約260年間、徳川とくがわ家の将軍しょうぐんが全国を治める時代が続きます。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    江戸幕府えどばくふが開かれる

    1600年の関ヶ原せきがはらの戦いに勝った徳川家康とくがわいえやすは、1603年に朝廷ちょうていから征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任じられ、江戸えどに幕府ばくふを開きました。

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  5. 5○○の社会を、武士ぶし・百姓ひゃくしょう・町人などの身分に分けたしくみです。身分は親から子へ受けつがれ、人口の大部分を百姓ひゃくしょうがしめていました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    江戸時代えどじだいの身分制度みぶんせいど

    江戸時代えどじだいの人々は、武士ぶし・百姓ひゃくしょう・町人などの身分に分けられ、身分は親から子へ受けつがれました。

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  6. 6江戸幕府えどばくふの3代将軍しょうぐんです。参勤交代さんきんこうたいを制度として定め、キリスト教きょうの禁止きんしと鎖国さこくを完成かんせいさせて、幕府ばくふの支配しはいのしくみを固めました。この将軍しょうぐんはだれでしょう。

    徳川家光とくがわいえみつ

    徳川家光とくがわいえみつは2代将軍秀忠の子で、1623年に3代将軍しょうぐんとなりました。

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  7. 7江戸幕府えどばくふが大名だいみょうを取りしまるために出したきまりです。城を新しく築くことや、大名だいみょうどうしが勝手に結婚することなどを禁じ、破った大名だいみょうはきびしく罰しました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    武家諸法度ぶけしょはっと

    大阪おおさかの陣で豊臣氏を滅ぼした1615年、幕府ばくふは2代将軍秀忠の名で武家諸法度ぶけしょはっとを出しました。

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  8. 8江戸幕府えどばくふが、天皇てんのうや公家くげの行いを取りしまるために出したきまりです。天皇てんのうは学問にはげむべきことなどを定め、朝廷ちょうていが政治に関わらないようにしました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    禁中並公家諸法度きんちゅうならびにくげしょはっと

    1615年、幕府ばくふは武家諸法度ぶけしょはっとと同じ年に、天皇てんのうや公家くげに向けた禁中並公家諸法度きんちゅうならびにくげしょはっとを出しました。

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  9. 9幕府ばくふや藩が、百姓ひゃくしょうを5戸ほどずつの組に分け、年貢ねんぐを納めることや犯罪を防ぐことに、組で共同の責任を負わせたしくみです。町にもつくられました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    五人組ごにんぐみ

    幕府ばくふや藩は、村の百姓ひゃくしょうを近所の5戸ほどずつの組に分けました。

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  10. 10大名だいみょうに、1年おきに江戸えどと自分の領地りょうちを行き来させた制度です。大名だいみょうの妻と子は江戸えどに住まわされ、行列の費用などで大名だいみょうの財政は苦しくなりました。この説明にあてはまる制度を何といいますか。

    参勤交代さんきんこうたい

    1635年、3代将軍しょうぐん徳川家光とくがわいえみつは武家諸法度ぶけしょはっとを改め、大名だいみょうが1年おきに江戸えどと領地りょうちを行き来する参勤交代さんきんこうたいを制度として定めました。

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  11. 111637年、今の長崎ながさき県と熊本県の人々が、重い年貢ねんぐとキリスト教きょうの取りしまりに反対して起こした大きな一揆いっきです。このできごとを何といいますか。

    島原しまばら・天草一揆あまくさいっき

    島原しまばらと天草では、領主が重い年貢ねんぐを取り立て、キリスト教きょうの信者しんじゃをきびしく取りしまっていました。

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  12. 12江戸幕府えどばくふの5代将軍しょうぐんです。学問(儒学)を重んじる政治を行い、生類憐しょうるいあわれみの令りょうで生き物の命を大切にさせました。元禄文化げんろくぶんかが栄えたころの将軍しょうぐんはだれでしょう。

    徳川綱吉とくがわつなよし

    徳川綱吉とくがわつなよしは3代将軍家光の子で、1680年に5代将軍しょうぐんとなりました。

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  13. 13朱子学者で、6代・7代将軍しょうぐんに仕えて政治を行いました。小判の質をもとにもどし、長崎ながさきでの貿易ぼうえきを制限して、金や銀が外国がいこくに流れ出るのをおさえました。この人物はだれでしょう。

    新井白石あらいはくせき

    新井白石あらいはくせきは朱子学を学んだ学者で、甲府藩主だった徳川家宣に仕えました。

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  14. 14江戸幕府えどばくふの8代将軍しょうぐんです。紀伊藩の藩主から将軍しょうぐんとなり、享保きょうほうの改革かいかくを行って幕府ばくふの財政を立て直しました。米の値段に気を配ったので「米将軍」とよばれました。この将軍しょうぐんはだれでしょう。

    徳川吉宗とくがわよしむね

    徳川吉宗とくがわよしむねは御三家の一つ紀伊藩(和歌山県)の藩主でしたが、7代将軍家継が幼くして亡くなると、1716年に8代将軍しょうぐんとなりました。

    年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)
  15. 155代将軍しょうぐん徳川綱吉とくがわつなよしが出した、犬をはじめとする生き物の命を大切にするよう命じた法令です。行きすぎた取りしまりで人々を苦しめ、綱吉の死後に廃止はいしされました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    生類憐しょうるいあわれみの令りょう

    5代将軍しょうぐん徳川綱吉とくがわつなよしは、儒学や仏教ぶっきょうの考えから命を大切にすることを重んじ、1685年ごろから生き物の殺生を禁じる法令を次々に出しました。

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  16. 166代将軍家宣と7代将軍家継のときに、学者の新井白石あらいはくせきが中心となって行った政治です。小判の質をもとにもどし、長崎ながさきでの貿易ぼうえきを制限しました。この説明にあてはまる政治を何といいますか。

    正徳しょうとくの治

    5代将軍綱吉が亡くなると、6代将軍家宣は朱子学者の新井白石あらいはくせきを重く用いました。

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  17. 178代将軍しょうぐん徳川吉宗とくがわよしむねが行った政治の○○です。倹約をすすめ、新田開発しんでんかいはつや上米あげまいの制で米を集めて、苦しくなっていた幕府ばくふの財政を立て直しました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    享保きょうほうの改革かいかく

    江戸時代えどじだいの半ばになると、幕府ばくふは収入が減り、財政が苦しくなっていました。

    年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)
  18. 188代将軍しょうぐん徳川吉宗とくがわよしむねが、庶民しょみんの意見や願いを聞くために江戸えどの評定所の前に置いた投書箱です。投書をもとに、貧しい病人のための小石川養生所がつくられました。この説明にあてはまる投書箱を何といいますか。

    目安箱めやすばこ

    享保きょうほうの改革かいかくの中で、徳川吉宗とくがわよしむねは1721年、江戸えどの評定所(幕府ばくふの裁判所)の前に目安箱めやすばこを置き、庶民しょみんが政治への意見や不満を投書できるようにしました。

    年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)
  19. 198代将軍吉宗が、大名だいみょうに石高1万石につき100石の米を幕府ばくふに納めさせたきまりです。そのかわりに、参勤交代さんきんこうたいで江戸えどにいる期間を1年から半年に短くしました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    上米あげまいの制

    享保きょうほうの改革かいかくのころ、幕府ばくふは家来の旗本や御家人ごけにんに給料の米をはらうのにも困るほど財政が苦しくなっていました。

    年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)
  20. 208代将軍吉宗が、裁判や刑罰けいばつを公平に行うための基準としてまとめさせた法律の書物です。それまでの判決の例をもとに作られました。この説明にあてはまる書物を何といいますか。

    公事方御定書くじかたおさだめがき

    それまでの幕府ばくふの裁判は、役人やくにんがそのつど判断していたため、同じような事件でも判決がちがうことがありました。

    年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)
  21. 21江戸幕府えどばくふは、全国の大名だいみょうを、徳川とくがわ家の親類、関ヶ原せきがはらの戦いの前からの家来、関ヶ原せきがはらの戦いのあとに従った者の3つに分け、信用しきれない大名だいみょうは江戸えどから遠い土地に置きました。この大名だいみょうの分け方を何といいますか。

    親藩しんぱん・譜代ふだい・外様とざまの大名だいみょう

    江戸幕府えどばくふは、全国の大名だいみょうを徳川とくがわ家との関係によって3つに分けました。

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  22. 22豊臣秀吉とよとみひでよしの子の秀頼を、徳川家康とくがわいえやすが1614年と1615年の2度にわたって攻めた戦いです。京都きょうとの方広寺の鐘に刻まれた文字に家康が言いがかりをつけたことがきっかけで、秀頼と母の淀殿は自害し、豊臣氏は滅びました。この説明にあてはまる戦いを何といいますか。

    大阪おおさかの陣(冬の陣・夏の陣)

    関ヶ原せきがはらの戦いのあとも、豊臣秀吉とよとみひでよしの子の秀頼は大阪城おおさかじょうに住み、大きな力を持っていました。

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  23. 23『1615年、2代将軍秀忠の名で最初の○○が出されました。』という特徴にあてはまるものは何でしょう。

    武家諸法度ぶけしょはっと

    江戸幕府えどばくふが大名だいみょうを取りしまるために出したきまりです。

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  24. 24江戸幕府えどばくふは大名だいみょうの置き場所を工夫し、徳川とくがわ家の親類は尾張おわり・紀伊きい・水戸などの重要な土地に置き、老中ろうじゅうなどの役職には古くからの家来の大名だいみょうをつけ、関ヶ原せきがはらの戦いのあとに従った大名だいみょうは江戸えどから遠い土地に置きました。この説明にあてはまる大名だいみょうの分け方を何といいますか。

    親藩しんぱん・譜代ふだい・外様とざまの大名だいみょう

    江戸幕府えどばくふは、全国の大名だいみょうを徳川とくがわ家との関係によって3つに分けました。

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年号をこたえる

  1. 25江戸幕府えどばくふが開かれたのは何年でしょう。

    1603年

    江戸幕府えどばくふが開かれる(1603年)。徳川家康とくがわいえやすが征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任じられて幕府ばくふを開いたできごとです。ごろ合わせ: ひとむれさ(1603)わぐ江戸幕府えどばくふ

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  2. 26最初の武家諸法度ぶけしょはっとが出されたのは何年でしょう。

    1615年

    武家諸法度ぶけしょはっと(1615年)。江戸幕府えどばくふが大名だいみょうを取りしまるために出したきまりです。ごろ合わせ: いろいご(1615)うかく、武家諸法度ぶけしょはっと

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  3. 27禁中並公家諸法度きんちゅうならびにくげしょはっとが出されたのは何年でしょう。

    1615年

    禁中並公家諸法度きんちゅうならびにくげしょはっと(1615年)。江戸幕府えどばくふが、天皇てんのうや公家くげの行いを取りしまるために出したきまりです。

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  4. 28大阪夏の陣で豊臣氏が滅びたのは何年でしょう。

    1615年

    大阪おおさかの陣(冬の陣・夏の陣)(1615年)。徳川家康とくがわいえやすが、大阪城おおさかじょうにいた豊臣秀頼を2度にわたって攻めた戦いです。ほかの年で習うこともあります(冬の陣は1614年、夏の陣は1615年。豊臣氏が滅びたのは1615年)。ごろ合わせ: ひろいご(1615)てんの大阪城おおさかじょうもおちる大阪おおさかの陣

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  5. 29徳川家光とくがわいえみつが参勤交代さんきんこうたいを制度として定めたのは何年でしょう。

    1635年

    参勤交代さんきんこうたい(1635年)。大名だいみょうに、1年おきに江戸えどと自分の領地りょうちを行き来させた制度です。ごろ合わせ: いちろうさんこ(1635)い、江戸えどへ参勤交代さんきんこうたい

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  6. 30『島原しまばら・天草一揆あまくさいっき』が起きたのは何年でしょう。

    1637年

    島原しまばら・天草一揆あまくさいっき(1637年)。1637年、今の長崎ながさき県と熊本県の人々が、重い年貢ねんぐとキリスト教きょうの取りしまりに反対して起こした大きな一揆いっきです。ごろ合わせ: ひとむざんな(1637)島原しまばら・天草一揆あまくさいっき

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  7. 31徳川綱吉とくがわつなよしが最初の生類憐しょうるいあわれみの令りょうを出したのは何年でしょう。

    1685年

    生類憐しょうるいあわれみの令りょう(1685年)。5代将軍しょうぐん徳川綱吉とくがわつなよしが出した、犬をはじめとする生き物の命を大切にするよう命じた法令です。ほかの年で習うこともあります(1685年ごろから何度も出された、生き物を守る法令をまとめてよぶ名。1687年とする教材もある)。ごろ合わせ: いろはご(1685)めん、犬をいじめちゃ生類憐しょうるいあわれみの令りょう

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  8. 32徳川吉宗とくがわよしむねが8代将軍しょうぐんとなり、享保きょうほうの改革かいかくを始めたのは何年でしょう。

    1716年

    享保きょうほうの改革かいかく(1716年)。8代将軍しょうぐん徳川吉宗とくがわよしむねが行った政治の改革かいかくです。ごろ合わせ: ひなんいろ(1716)いろ、享保きょうほうの改革かいかく

    年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)
  9. 33徳川吉宗とくがわよしむねが目安箱めやすばこを設けたのは何年でしょう。

    1721年

    目安箱めやすばこ(1721年)。8代将軍しょうぐん徳川吉宗とくがわよしむねが、庶民しょみんの意見や願いを聞くために江戸えどの評定所の前に置いた投書箱です。ごろ合わせ: ひなんにひと(1721)こと、目安箱めやすばこ

    年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)
  10. 34徳川吉宗とくがわよしむねが上米あげまいの制を定めたのは何年でしょう。

    1722年

    上米あげまいの制(1722年)。8代将軍吉宗が、大名だいみょうに石高1万石につき100石の米を幕府ばくふに納めさせたきまりです。ごろ合わせ: ひなんにふ(1722)まんの大名だいみょう、上米あげまいの制

    年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)
  11. 35公事方御定書くじかたおさだめがきが完成かんせいしたのは何年でしょう。

    1742年

    公事方御定書くじかたおさだめがき(1742年)。8代将軍吉宗が、裁判や刑罰けいばつを公平に行うための基準としてまとめさせた法律の書物です。ごろ合わせ: ひなんしに(1742)来ても、裁きは公事方御定書くじかたおさだめがき

    年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)

原因と結果

  1. 36江戸幕府えどばくふが開かれたきっかけとなったできごとは何でしょう。

    関ヶ原せきがはらの戦い

    豊臣秀吉とよとみひでよしの死後、徳川家康とくがわいえやすの東軍と、石田三成いしだみつなりを中心とする西軍が、美濃の関ヶ原せきがはらで戦った天下分け目の戦いです。「関ヶ原せきがはらの戦い」が「江戸幕府えどばくふが開かれる」のきっかけになりました。

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  2. 37『島原しまばら・天草一揆あまくさいっき』の結果として起きたことは何でしょう。

    ポルトガル船の来航禁止らいこうきんし

    島原しまばら・天草一揆あまくさいっきのあとの1639年、江戸幕府えどばくふが、キリスト教きょうの布教ふきょうを続けていたヨーロッパの国との行き来を断ったできごとです。「島原しまばら・天草一揆あまくさいっき」のあとに起きたできごとです。

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くらべて見分ける

  1. 38『若年寄』の仕事は何でしょう。

    老中ろうじゅうを助け、旗本などを取りしまる

    『若年寄』の仕事は「老中ろうじゅうを助け、旗本などを取りしまる」です。

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  2. 39親藩しんぱん・譜代ふだい大名だいみょう・外様とざま大名だいみょうのうち、おもな家が『尾張おわり・紀伊きい・水戸の徳川とくがわ家(御三家)』なのは何でしょう。

    親藩しんぱん

    親藩しんぱんのおもな家は『尾張おわり・紀伊きい・水戸の徳川とくがわ家(御三家)』です。ほかは譜代ふだい大名だいみょうが『井伊家・酒井家など』、外様とざま大名だいみょうが『島津家・毛利家・前田家・伊達家など』です。

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  3. 40武家諸法度ぶけしょはっとと禁中並公家諸法度きんちゅうならびにくげしょはっとのうち、おもな中身が『城の新築や大名だいみょうどうしの勝手な結婚を禁じる』なのはどちらでしょう。

    武家諸法度ぶけしょはっと

    武家諸法度ぶけしょはっとのおもな中身は『城の新築や大名だいみょうどうしの勝手な結婚を禁じる』です。ほかは禁中並公家諸法度きんちゅうならびにくげしょはっとが『天皇てんのうは学問にはげむべきことなどを定める』です。

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  4. 41『享保きょうほうの改革かいかく』の中心人物は何でしょう。

    8代将軍しょうぐん徳川吉宗とくがわよしむね

    『享保きょうほうの改革かいかく』の中心人物は8代将軍しょうぐん徳川吉宗とくがわよしむねです。ほかは寛政かんせいの改革かいかくが老中ろうじゅう松平定信まつだいらさだのぶ、天保てんぽうの改革かいかくが老中ろうじゅう水野忠邦みずのただくにです。

    年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)
  5. 42『享保きょうほうの改革かいかく』のおもな政策は何でしょう。

    目安箱めやすばこ・上米あげまいの制・公事方御定書くじかたおさだめがき

    『享保きょうほうの改革かいかく』のおもな政策は目安箱めやすばこ・上米あげまいの制・公事方御定書くじかたおさだめがきです。ほかは寛政かんせいの改革かいかくが倹約令・囲い米・朱子学以外の学問の禁止きんし、天保てんぽうの改革かいかくが株仲間の解散・人返しの法です。

    年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)

外交・世界21問

中学受験で押さえておきたいポイント4つ
  1. 1鎖国さこくが完成かんせいするまで

    キリスト教きょうを禁じるため、幕府ばくふは外国がいこくとの行き来をしだいにきびしく制限しました。年の順番を流れで覚えましょう。

    1. スペイン船の来航禁止らいこうきんし(1624年)
    2. 日本人にほんじんの海外渡航かいがいとこう・帰国きこくの禁止きんし(1635年)
    3. 島原しまばら・天草一揆あまくさいっき(1637年)
    4. ポルトガル船の来航禁止らいこうきんし(1639年)
    5. オランダ商館しょうかんが出島でじまに(1641年)
  2. 2鎖国さこくの中の4つの窓口まどぐち

    鎖国さこくのあいだも、4つの窓口まどぐちで外国がいこくや周りの地域とつながっていました。

    長崎ながさき
    オランダと中国の船が貿易ぼうえきした
    対馬藩(宗しゅう氏)
    朝鮮ちょうせんとの貿易ぼうえきと外交の窓口まどぐち
    薩摩藩さつまはん
    琉球王国りゅうきゅうおうこくを通して中国の品物を手に入れた
    松前藩
    蝦夷地のアイヌの人々と交易した
  3. 3朱印船貿易しゅいんせんぼうえきと日本町にほんまち

    江戸時代えどじだいの初め、幕府ばくふの朱印状を持つ船が東南アジアと貿易ぼうえきし、各地に日本町にほんまちができました。日本人にほんじんの海外渡航かいがいとこうと帰国きこくが禁じられて終わりました。

  4. 4島原しまばら・天草一揆あまくさいっき

    重い年貢ねんぐとキリスト教きょうの信者しんじゃへのきびしい取りしまりが原因で、人々は天草四郎あまくさしろうをかしらに原城にたてこもりました。このあとポルトガル船の来航が禁じられました。

名前をこたえる

  1. 43朱印船貿易しゅいんせんぼうえきがさかんになったころ、東南アジアの各地に日本人にほんじんが移り住んでつくった町です。シャム(タイ)のアユタヤの○○では、山田長政が活やくしました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    日本町にほんまち

    朱印船貿易しゅいんせんぼうえきがさかんになると、多くの日本人にほんじんが東南アジアに渡り、ルソンのマニラ、シャムのアユタヤ、安南のホイアンなどに日本町にほんまちをつくりました。

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  2. 44江戸幕府えどばくふが発行した海外渡航かいがいとこうの許可証を持つ船が、東南アジアの国々と行った貿易ぼうえきです。日本からは銀を多く輸出し、生糸などを輸入しました。この説明にあてはまる貿易ぼうえきを何といいますか。

    朱印船貿易しゅいんせんぼうえき

    徳川家康とくがわいえやすは外国がいこくとの貿易ぼうえきに力を入れ、大名だいみょうや大商人に朱印状という海外渡航かいがいとこうの許可証をあたえました。

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  3. 45朝鮮ちょうせんから日本に送られた使節です。豊臣秀吉とよとみひでよしの朝鮮出兵でとだえた国交が回復して1607年に初めて来日らいにちし、江戸時代えどじだいを通じて12回、おもに将軍しょうぐんの代がわりを祝って来ました。この説明にあてはまる使節を何といいますか。

    朝鮮通信使ちょうせんつうしんし

    豊臣秀吉とよとみひでよしの朝鮮出兵(文禄ぶんろく・慶長けいちょうの役えき)によって、日本と朝鮮ちょうせんの国交はとだえていました。

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  4. 461624年、3代将軍家光のときに、江戸幕府えどばくふが、キリスト教きょうの布教ふきょうを続けようとするヨーロッパの国との行き来を断ったできごとです。このできごとを何といいますか。

    スペイン船の来航禁止らいこうきんし

    幕府ばくふは1612年から1613年にかけて禁教令を出し、キリスト教きょうを禁じていました。

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  5. 47江戸幕府えどばくふが、外国がいこくへ行くことを全面的に禁じ、外国がいこくに住んでいる人がもどってくることも許さなくしたできごとです。これにより朱印船貿易しゅいんせんぼうえきは終わりました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    日本人にほんじんの海外渡航かいがいとこう・帰国きこくの禁止きんし

    3代将軍しょうぐん徳川家光とくがわいえみつのとき、幕府ばくふはキリスト教きょうの取りしまりと貿易ぼうえきの管理を強めました。

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  6. 48島原しまばら・天草一揆あまくさいっきのあとの1639年、江戸幕府えどばくふが、キリスト教きょうの布教ふきょうを続けていたヨーロッパの国との行き来を断ったできごとです。このできごとを何といいますか。

    ポルトガル船の来航禁止らいこうきんし

    島原しまばら・天草一揆あまくさいっきに大きなショックを受けた幕府ばくふは、キリスト教きょうの布教ふきょうを続けるポルトガルを日本から遠ざけることにしました。

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  7. 49江戸幕府えどばくふがキリスト教きょうを禁じ、外国がいこくとの行き来や貿易ぼうえきをきびしく制限するしくみ(○○)が整ったことです。ヨーロッパの国ではオランダだけが、長崎ながさきで貿易ぼうえきを許されました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    鎖国さこくの完成かんせい

    江戸幕府えどばくふは、キリスト教きょうが広まることをおそれ、また貿易ぼうえきの利益を幕府ばくふが独り占めするため、外国がいこくとの行き来を少しずつ制限していきました。

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  8. 50平戸にあったオランダの商館しょうかんを、長崎ながさきの○○に移させたできごとです。○○は扇の形をした人工の島で、オランダ人はここから自由に外へ出られませんでした。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    オランダ商館しょうかんが出島でじまに移される

    出島でじまは、もとはポルトガル人を住まわせるために、長崎ながさきの港に築かれた扇形の人工の島です。

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  9. 51○○のあいだも外国がいこくとの行き来が続けられた、長崎ながさき・対馬つしま・薩摩・松前の4か所の△△です。オランダ・中国・朝鮮ちょうせん・琉球りゅうきゅう、アイヌの人々と交流しました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    鎖国さこくの中の4つの窓口まどぐち

    鎖国さこくのもとでも、日本は外国がいこくとの交流を完全にやめたわけではありません。

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  10. 52蝦夷地(北海道)のアイヌの人々が、首長○○を中心に、不公平な取り引きを押しつける松前藩と戦ったできごとです。アイヌの人々は敗れ、松前藩の支配しはいが強まりました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    シャクシャインの戦い

    蝦夷地の南部を領地りょうちとした松前藩は、アイヌの人々との交易を独り占めしていました。

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  11. 531609年、今の鹿児島県を治めていた島津氏が、幕府ばくふの許しを得て南の島々の国に兵へいを送り、首里城を落として、その国を従えました。その国は形の上では独立した国として残され、中国への使いと貿易ぼうえきも続けました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    薩摩藩さつまはんが琉球王国りゅうきゅうおうこくを支配しはいする

    1609年、薩摩藩さつまはんの島津氏は幕府ばくふの許しを得て琉球王国りゅうきゅうおうこくに兵へいを送り、首里城を落として琉球りゅうきゅうを支配しはい下に置きました。

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  12. 54『シャムのアユタヤでは、山田長政が○○のかしらとして活やくしました。』という特徴にあてはまるものは何でしょう。

    日本町にほんまち

    朱印船貿易しゅいんせんぼうえきがさかんになったころ、東南アジアの各地に日本人にほんじんが移り住んでつくった町です。

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年号をこたえる

  1. 55最初の朝鮮通信使ちょうせんつうしんしが来日らいにちしたのは何年でしょう。

    1607年

    朝鮮通信使ちょうせんつうしんし(1607年)。朝鮮ちょうせんから日本に送られた使節です。ごろ合わせ: ひとむれな(1607)す朝鮮通信使ちょうせんつうしんし

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  2. 56薩摩藩さつまはんが琉球王国りゅうきゅうおうこくに兵へいを送って支配しはいしたのは何年でしょう。

    1609年

    薩摩藩さつまはんが琉球王国りゅうきゅうおうこくを支配しはいする(1609年)。薩摩藩さつまはん(鹿児島県)の島津氏が琉球王国りゅうきゅうおうこくに兵へいを送り、支配しはい下に置いたできごとです。ごろ合わせ: ひとむれく(1609)る薩摩の兵へい、琉球りゅうきゅうへ

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  3. 57『スペイン船の来航禁止らいこうきんし』が起きたのは何年でしょう。

    1624年

    スペイン船の来航禁止らいこうきんし(1624年)。1624年、3代将軍家光のときに、江戸幕府えどばくふが、キリスト教きょうの布教ふきょうを続けようとするヨーロッパの国との行き来を断ったできごとです。ごろ合わせ: いちろにし(1624)へ帰れスペイン船

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  4. 58日本人にほんじんの海外渡航かいがいとこうと帰国きこくが全面的に禁じられたのは何年でしょう。

    1635年

    日本人にほんじんの海外渡航かいがいとこう・帰国きこくの禁止きんし(1635年)。江戸幕府えどばくふが、外国がいこくへ行くことを全面的に禁じ、外国がいこくに住んでいる人がもどってくることも許さなくしたできごとです。ごろ合わせ: いろさんご(1635)の海へも行けない、海外渡航かいがいとこう禁止きんし

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  5. 59『ポルトガル船の来航禁止らいこうきんし』が起きたのは何年でしょう。

    1639年

    ポルトガル船の来航禁止らいこうきんし(1639年)。島原しまばら・天草一揆あまくさいっきのあとの1639年、江戸幕府えどばくふが、キリスト教きょうの布教ふきょうを続けていたヨーロッパの国との行き来を断ったできごとです。ごろ合わせ: いろさく(1639)らも見ずに去れ、ポルトガル船

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  6. 60ポルトガル船の来航を禁止きんしして鎖国さこくが完成かんせいしたとされるのは何年でしょう。

    1639年

    鎖国さこくの完成かんせい(1639年)。江戸幕府えどばくふがキリスト教きょうを禁じ、外国がいこくとの行き来や貿易ぼうえきをきびしく制限するしくみ(鎖国さこく)が整ったことです。ほかの年で習うこともあります(ポルトガル船の来航を禁止きんしした1639年を鎖国さこくの完成かんせいとすることが多い。オランダ商館しょうかんを出島でじまに移した1641年を完成かんせいとする教材もある)。

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  7. 61オランダ商館しょうかんが出島でじまに移されたのは何年でしょう。

    1641年

    オランダ商館しょうかんが出島でじまに移される(1641年)。平戸にあったオランダの商館しょうかんを、長崎ながさきの出島でじまに移させたできごとです。ごろ合わせ: いろよい(1641)返事でオランダ商館しょうかんは出島でじまへ

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  8. 62『シャクシャインの戦い』が起きたのは何年でしょう。

    1669年

    シャクシャインの戦い(1669年)。蝦夷地(北海道)のアイヌの人々が、首長シャクシャインを中心に、不公平な取り引きを押しつける松前藩と戦ったできごとです。ごろ合わせ: ひとむろく(1669)にも戦う、シャクシャイン

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原因と結果

  1. 63『ポルトガル船の来航禁止らいこうきんし』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    島原しまばら・天草一揆あまくさいっき

    1637年、今の長崎ながさき県と熊本県の人々が、重い年貢ねんぐとキリスト教きょうの取りしまりに反対して起こした大きな一揆いっきです。「島原しまばら・天草一揆あまくさいっき」が「ポルトガル船の来航禁止らいこうきんし」のきっかけになりました。

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文化・くらし44問

中学受験で押さえておきたいポイント2つ
  1. 1元禄文化げんろくぶんかは上方の町人の文化

    大阪おおさかや京都きょうとなどの上方を中心に、経済力をつけた町人が文化の担い手となりました。人物と作品をセットで覚えましょう。

    井原西鶴いはらさいかく
    浮世草子『日本永代蔵にっぽんえいたいぐら』
    松尾芭蕉まつおばしょう
    俳諧『おくのほそ道』
    近松門左衛門ちかまつもんざえもん
    人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりの脚本『曽根崎心中そねざきしんじゅう』
    菱川師宣ひしかわもろのぶ
    浮世絵『見返みかえり美人図びじんず』
    尾形光琳おがたこうりん
    装飾画『燕子花図屏風』
  2. 2農業と交通の発達

    新田開発しんでんかいはつと農具のうぐの改良かいりょうで米の生産がふえ、五街道ごかいどうや航路こうろが整って三都さんとが栄えました。

    備中びっちゅうぐわ
    田畑を深く耕すくわ
    千歯せんばこき
    稲の穂からもみをこき落とす農具のうぐ
    江戸えど
    将軍しょうぐんのおひざもと
    大阪おおさか
    天下の台所
    京都きょうと
    天皇てんのうや公家くげが住み、西陣織などの工芸がさかん

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  1. 64江戸時代えどじだいの初めに京都きょうとで活やくした画家です。金地の屏風に風神と雷神を大たんにえがいた『風神雷神図屏風ふうじんらいじんずびょうぶ』が代表作で、のちの尾形光琳おがたこうりんに大きな影響を与えました。この画家はだれでしょう。

    俵屋宗達たわらやそうたつ

    俵屋宗達たわらやそうたつは、京都きょうとで「俵屋」という絵の店を開いていたとされる画家ですが、生まれた年や亡くなった年はわかっていません。

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  2. 65江戸時代えどじだいの前半に、幕府ばくふや藩、商人が、あれ地や湖・沼・海辺を切り開いて新しい田畑をつくったことです。このころ全国の耕地はおよそ2倍に増えました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    新田開発しんでんかいはつ

    戦乱がおさまった江戸時代えどじだいには、幕府ばくふや藩が年貢ねんぐを増やすため、新しい田畑の開発に力を入れました。

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  3. 66江戸えどの日本橋を起点に、東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道が幕府ばくふによって整えられたことです。街道には宿場や関所が置かれました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    五街道ごかいどうの整備せいび

    江戸幕府えどばくふは、江戸えどと各地を結ぶ交通路として、江戸えどの日本橋を起点とする五街道ごかいどうを整えました。

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  4. 67江戸えどで活やくした元禄文化げんろくぶんかの画家で、町の人々の風俗をえがいた浮世絵を始めた人とされます。代表作は『見返みかえり美人図びじんず』です。この人物はだれでしょう。

    菱川師宣ひしかわもろのぶ

    菱川師宣ひしかわもろのぶは安房(千葉県)の縫箔師(着物に刺しゅうなどをする職人)の家に生まれ、江戸えどに出て絵を学びました。

    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  5. 681637年に九州きゅうしゅうで起きたキリスト教きょう信者しんじゃらの一揆いっきで、人々のかしらとなった少年です。16歳ほどで、原城にたてこもった人々を率いましたが、幕府ばくふの大軍に敗れました。この少年はだれでしょう。

    天草四郎あまくさしろう(益田時貞ますだときさだ)

    天草四郎あまくさしろうは本名を益田時貞ますだときさだといい、キリスト教きょうの信者しんじゃの家に生まれたとされます。

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  6. 69キリストやマリアの像を刻んだ板を人々に踏ませ、キリスト教きょうの信者しんじゃを見つけ出したやり方です。長崎ながさきなど九州きゅうしゅうで、毎年行われました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    絵踏えぶみ

    幕府ばくふはキリスト教きょうの信者しんじゃを見つけ出すため、キリストや聖母マリアの像を刻んだ銅どうや木の板を人々に踏ませました。

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  7. 70俵屋宗達たわらやそうたつがえがいた屏風絵です。金色の地に、風袋をかついだ神と太鼓を背負った神が向かい合う姿を大たんにえがいています。国宝として、京都きょうとの建仁寺けんにんじに伝わっています。この説明にあてはまる屏風絵を何といいますか。

    風神雷神図屏風ふうじんらいじんずびょうぶ

    風神雷神図屏風ふうじんらいじんずびょうぶは、江戸時代えどじだいの初めに京都きょうとで活やくした俵屋宗達たわらやそうたつの代表作です。

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  8. 71初代将軍しょうぐん徳川家康とくがわいえやすをまつる神社じんじゃで、3代将軍家光が今のような豪華な建物に建て直しました。はなやかな彫刻ちょうこくでかざられた陽明門が有名です。この説明にあてはまる建物を何といいますか。

    日光東照宮にっこうとうしょうぐう

    1616年に徳川家康とくがわいえやすが亡くなると、翌年、家康を神としてまつる東照宮が日光(栃木県)に建てられました。

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  9. 72すべての人をどこかの寺の信者しんじゃとして登録させ、キリスト教きょうの信者しんじゃでないことを寺に証明させたしくみです。寺は、人々の戸籍こせきをあつかう役所のような役割を持ちました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    寺請制度てらうけせいど(宗門改しゅうもんあらため)

    幕府ばくふはキリスト教きょうをなくすため、人々の信じる宗しゅう教きょうを調べる宗門改しゅうもんあらためを行いました。

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  10. 73大阪おおさかの町人で、元禄文化げんろくぶんかを代表する作家です。町人のくらしや金もうけ、恋のようすを生き生きとえがいた、浮世草子という小説を書きました。この作家はだれでしょう。

    井原西鶴いはらさいかく

    井原西鶴いはらさいかくは大阪おおさかの町人の家に生まれ、はじめは俳諧で名を知られました。

    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  11. 74俳諧(俳句)を芸術に高めた、元禄文化げんろくぶんかの俳人です。東北とうほく・北陸を旅して紀行文『おくのほそ道』を書き、「古池や蛙飛びこむ水の音」などの句を残しました。この俳人はだれでしょう。

    松尾芭蕉まつおばしょう

    松尾芭蕉まつおばしょうは伊賀(三重県)に生まれ、のちに江戸えどに出て深川の芭蕉庵に住みました。

    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  12. 75大名だいみょうが、領地りょうちで集めた年貢米や特産物をたくわえて売るために、大阪おおさかや江戸えどに置いた倉庫つきの屋敷です。とくに大阪おおさかの中之島に多く集まりました。この説明にあてはまる屋敷を何といいますか。

    蔵屋敷くらやしき

    大名だいみょうは年貢ねんぐとして集めた米を売ってお金にかえ、藩の費用にあてていました。

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  13. 76人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりや歌舞伎の脚本を書いた、元禄文化げんろくぶんかの作家です。実際にあった心中事件をもとにした『曽根崎心中そねざきしんじゅう』などで、町人の義理と人情をえがきました。この作家はだれでしょう。

    近松門左衛門ちかまつもんざえもん

    近松門左衛門ちかまつもんざえもんは越前えちぜん(福井県)の武士ぶしの家に生まれ、京都きょうとで公家くげに仕えたのち、人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりや歌舞伎の脚本を書くようになりました。

    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  14. 77京都きょうとの呉服屋の家に生まれた元禄文化げんろくぶんかの画家です。俵屋宗達たわらやそうたつの絵に学び、あざやかな色と大たんな構図で、はなやかな装飾画をえがきました。この画家はだれでしょう。

    尾形光琳おがたこうりん

    尾形光琳おがたこうりんは京都きょうとの大きな呉服屋の家に生まれ、若いころから絵や工芸に親しみました。

    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  15. 78商人の河村瑞賢が開いた、東北とうほく地方の米を船で運ぶための海の道です。○○は日本海から瀬戸内海せとないかいを通って大阪おおさかへ、△△は太平洋を通って江戸えどへ結びました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    西廻にしまわり航路こうろ・東廻ひがしまわり航路こうろ

    江戸時代えどじだいには、重い米や品物を大量に運ぶのに船が使われました。

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  16. 79語り手が三味線に合わせて物語を語り、それに合わせて、木でつくった小さな役えき者をあやつって演じる芝居です。元禄のころ大阪おおさかで人気を集め、今の文楽に受けつがれています。この説明にあてはまる芝居を何といいますか。

    人形浄瑠璃にんぎょうじょうるり

    人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりは、語り手(太夫)が三味線に合わせて物語を語り、それに合わせて人形遣いが人形を動かして演じる芝居です。

    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  17. 805代将軍綱吉のころ、大阪おおさかや京都きょうと(上方)を中心に栄えた、町人が生み出した活気のある文化です。井原西鶴いはらさいかく・松尾芭蕉まつおばしょう・近松門左衛門ちかまつもんざえもんらが活やくしました。この説明にあてはまる文化を何といいますか。

    元禄文化げんろくぶんか

    17世紀せいきの終わりごろ、5代将軍しょうぐん徳川綱吉とくがわつなよしの時代には、世の中が安定して商業がさかんになり、大阪おおさかや京都きょうとなどの上方の町人が豊かになりました。

    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  18. 81井原西鶴いはらさいかくが書いた浮世草子です。お金をもうけて成功した町人や、ぜいたくをして落ちぶれた町人の話を通して、町人の生き方をえがいています。この説明にあてはまる浮世草子を何といいますか。

    日本永代蔵にっぽんえいたいぐら

    『日本永代蔵にっぽんえいたいぐら』は、1688年に出版された井原西鶴いはらさいかくの浮世草子です。

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  19. 82菱川師宣ひしかわもろのぶがえがいた、歩きながらふり返る女性の姿の絵です。版画ではなく筆で直接えがいた肉筆の浮世絵で、切手の図がらにもなりました。この説明にあてはまる絵を何といいますか。

    見返みかえり美人図びじんず

    見返みかえり美人図びじんずは、浮世絵を始めた人とされる菱川師宣ひしかわもろのぶの代表作です。

    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  20. 83松尾芭蕉まつおばしょうが、弟子でしの曽良と江戸えどから東北とうほく・北陸をめぐった旅をもとに書いた紀行文です。旅の中でよんだ俳諧(俳句)がおさめられています。この説明にあてはまる紀行文を何といいますか。

    おくのほそ道

    1689年、松尾芭蕉まつおばしょうは弟子でしの河合曽良とともに江戸えどの深川を出発し、東北とうほく地方から北陸地方をめぐって、美濃(岐阜県)の大垣まで約150日の旅をしました。

    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  21. 84江戸時代えどじだい中ごろに、さつまいもの栽培を広めた学者です。ききんに備えてさつまいもの栽培を広めることを8代将軍吉宗に認められ、のちに吉宗の命令めいれいでオランダ語も学びました。この学者はだれでしょう。

    青木昆陽あおきこんよう

    青木昆陽あおきこんようは江戸えどの商人の家に生まれ、京都きょうとで儒学を学びました。

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  22. 85江戸時代えどじだいに、田畑を深く耕すくわや、稲の穂からもみを効率よく落とす道具など、新しい道具が広まり、農業の生産が大きく増えたことです。これを何といいますか。

    農具のうぐの改良かいりょう(備中びっちゅうぐわ・千歯せんばこき)

    江戸時代えどじだいには、農業の技術が大きく進みました。

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  23. 86近松門左衛門ちかまつもんざえもんが書いた人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりの作品です。大阪おおさかで実際に起きた、若い男女がいっしょに命を絶った事件をもとに、町人の義理と人情をえがき、大評判となりました。この説明にあてはまる作品を何といいますか。

    曽根崎心中そねざきしんじゅう

    1703年、大阪おおさかの曽根崎で、しょう油屋の手代の徳兵衛と遊女のお初が心中する事件が起こりました。

    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  24. 878代将軍吉宗が、キリスト教きょうに関係のない、中国語に訳されたヨーロッパの本の輸入を認めたできごとです。のちに蘭学らんがくが発達するきっかけとなりました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    漢訳洋書かんやくようしょの輸入制限ゆにゅうせいげんをゆるめる

    鎖国さこくのもとでは、キリスト教きょうが広まるのを防ぐため、ヨーロッパの書物を中国語に訳した漢訳洋書かんやくようしょの輸入も禁じられていました。

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  25. 88西日本でウンカなどの害虫が大発生して稲がかれ、多くの人がうえに苦しんだききんです。翌年には江戸えどで初めての大きな打ちこわしが起こりました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    享保きょうほうのききん

    1732年、西日本を中心にウンカなどの害虫が大発生し、稲が育たずに米がほとんどとれなくなりました。

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  26. 8917世紀後半から18世紀せいきにかけて、交通が整い商業がさかんになって、町が大きくなりました。とくに、「将軍しょうぐんのおひざもと」とよばれた政治の中心、「天下の台所」とよばれた商業の中心、天皇てんのうや公家くげが住む古くからの町の3つが栄えました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    三都さんとの発展はってん(江戸えど・大阪おおさか・京都きょうと)

    江戸時代えどじだいには、交通が整い商業がさかんになって、都市が大きく発展はってんしました。

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  27. 90『風神雷神図屏風ふうじんらいじんずびょうぶ』をつくった人物はだれでしょう。

    俵屋宗達たわらやそうたつ

    風神雷神図屏風ふうじんらいじんずびょうぶ(1630年ごろ)。俵屋宗達たわらやそうたつがえがいた屏風絵です。つくった人物は俵屋宗達たわらやそうたつです。

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  28. 91『日本永代蔵にっぽんえいたいぐら』をつくった人物はだれでしょう。

    井原西鶴いはらさいかく

    日本永代蔵にっぽんえいたいぐら(1688年)。井原西鶴いはらさいかくが書いた浮世草子です。つくった人物は井原西鶴いはらさいかくです。

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  29. 92『見返みかえり美人図びじんず』をつくった人物はだれでしょう。

    菱川師宣ひしかわもろのぶ

    見返みかえり美人図びじんず(1690年ごろ)。菱川師宣ひしかわもろのぶがえがいた、歩きながらふり返る女性の姿の絵です。つくった人物は菱川師宣ひしかわもろのぶです。

    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  30. 93『おくのほそ道』をつくった人物はだれでしょう。

    松尾芭蕉まつおばしょう

    おくのほそ道(1694年ごろ)。松尾芭蕉まつおばしょうが、弟子でしの曽良と江戸えどから東北とうほく・北陸をめぐった旅をもとに書いた紀行文です。つくった人物は松尾芭蕉まつおばしょうです。

    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  31. 94『曽根崎心中そねざきしんじゅう』をつくった人物はだれでしょう。

    近松門左衛門ちかまつもんざえもん

    曽根崎心中そねざきしんじゅう(1703年)。近松門左衛門ちかまつもんざえもんが書いた人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりの作品です。つくった人物は近松門左衛門ちかまつもんざえもんです。

    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  32. 9517世紀後半から18世紀せいきにかけて、人口100万人ほどの大都市になった政治の中心、全国の物資が集まる商業の中心、西陣織などの工芸がさかんな古くからの町の3つの都市が栄えました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    三都さんとの発展はってん(江戸えど・大阪おおさか・京都きょうと)

    江戸時代えどじだいには、交通が整い商業がさかんになって、都市が大きく発展はってんしました。

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  1. 96徳川家光とくがわいえみつが今のような豪華な社殿に建て直したのは何年でしょう。

    1636年

    日光東照宮にっこうとうしょうぐう(1636年)。初代将軍しょうぐん徳川家康とくがわいえやすをまつる神社じんじゃで、3代将軍家光が今のような豪華な建物に建て直しました。ほかの年で習うこともあります(最初の社殿は1617年(2代秀忠のとき)に家康をまつって建てられ、1636年に3代将軍家光が今のような豪華な社殿に建て直した。寛永期(江戸時代えどじだいの初め)の建築で、豪華な桃山文化ももやまぶんかの流れをくむ)。

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  2. 97河村瑞賢が西廻にしまわり航路こうろを開いたのは何年でしょう。

    1672年

    西廻にしまわり航路こうろ・東廻ひがしまわり航路こうろ(1672年)。商人の河村瑞賢が開いた、東北とうほく地方の米を船で運ぶための海の道です。ほかの年で習うこともあります(東廻ひがしまわり航路こうろは1671年、西廻にしまわり航路こうろは1672年に開かれた)。ごろ合わせ: いちろなに(1672)わへ、西廻にしまわり航路こうろ

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  3. 98『日本永代蔵にっぽんえいたいぐら』がつくられたのは何年でしょう。

    1688年

    日本永代蔵にっぽんえいたいぐら(1688年)。井原西鶴いはらさいかくが書いた浮世草子です。

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  4. 99『曽根崎心中そねざきしんじゅう』がつくられたのは何年でしょう。

    1703年

    曽根崎心中そねざきしんじゅう(1703年)。近松門左衛門ちかまつもんざえもんが書いた人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりの作品です。

    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  5. 100徳川吉宗とくがわよしむねが、キリスト教きょうに関係のない漢訳洋書かんやくようしょの輸入を認めたのは何年でしょう。

    1720年

    漢訳洋書かんやくようしょの輸入制限ゆにゅうせいげんをゆるめる(1720年)。8代将軍吉宗が、キリスト教きょうに関係のない、中国語に訳されたヨーロッパの本の輸入を認めたできごとです。ごろ合わせ: ひとなにを(1720)学ぶ? 洋書の輸入をゆるめる

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  6. 101『享保きょうほうのききん』が起きたのは何年でしょう。

    1732年

    享保きょうほうのききん(1732年)。西日本でウンカなどの害虫が大発生して稲がかれ、多くの人がうえに苦しんだききんです。ごろ合わせ: ひとなみに(1732)食えぬ、享保きょうほうのききん

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  1. 102『東海道』の結んだところは何でしょう。

    江戸えどから海沿いを通って京都きょうとまで

    『東海道』の結んだところは「江戸えどから海沿いを通って京都きょうとまで」です。

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  2. 103『浮世草子』の代表的な人物は何でしょう。

    井原西鶴いはらさいかく

    『浮世草子』の代表的な人物は井原西鶴いはらさいかくです。

    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  3. 104『浮世草子』の代表作は何でしょう。

    『日本永代蔵にっぽんえいたいぐら』

    『浮世草子』の代表作は『日本永代蔵にっぽんえいたいぐら』です。

    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  4. 105『備中びっちゅうぐわ』の使いみちは何でしょう。

    田畑を深く耕す

    『備中びっちゅうぐわ』の使いみちは「田畑を深く耕す」です。

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  5. 106江戸えど・大阪おおさか・京都きょうとのうち、役割が『幕府ばくふが置かれた政治の中心』なのは何でしょう。

    江戸えど

    江戸えどの役割は『幕府ばくふが置かれた政治の中心』です。ほかは大阪おおさかが『全国の物資が集まる商業の中心』、京都きょうとが『天皇てんのうや公家くげが住む古くからの都みやこ』です。

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  6. 107享保きょうほうのききん・天明てんめいのききん・天保てんぽうのききんのうち、そのころの政治が『8代将軍吉宗の享保きょうほうの改革かいかく』なのは何でしょう。

    享保きょうほうのききん

    享保きょうほうのききんのそのころの政治は『8代将軍吉宗の享保きょうほうの改革かいかく』です。ほかは天明てんめいのききんが『老中ろうじゅう田沼意次たぬまおきつぐの政治』、天保てんぽうのききんが『11代将軍家斉のころ』です。

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