江戸時代前期の一問一答

江戸時代前期(1603年〜1745年)の、中学受験でよく出るできごと・人物・文化を107問の一問一答にまとめました。問題をタップすると答えと解説が出ます。江戸時代前期は「幕藩体制と鎖国のしくみが整い、町人の元禄文化が栄える」時代です。
フラッシュカードクイズ
カードをタップすると答えがめくれます。「覚えた」「まだ」に分けて、まだのカードだけくり返せます。
政治42問
中学受験で押さえておきたいポイント6つ
1江戸幕府のはじまりから大阪の陣まで
徳川家康は関ヶ原の戦いに勝ち、1603年に征夷大将軍となって江戸幕府を開きました。大阪の陣で豊臣氏がほろびました。
- 関ヶ原の戦い(1600年)
- 江戸幕府が開かれる(1603年)
- 大阪の陣(1614〜1615年)
- 武家諸法度(1615年)
- 参勤交代の制度化(1635年)
2親藩・譜代・外様の大名
大名は徳川家との関係で3つに分けられ、置かれる場所や役職が決められました。
親藩 譜代大名 外様大名 どんな大名か 徳川家の親類 関ヶ原の戦いの前から徳川家に仕えていた 関ヶ原の戦いのあとに徳川家に従った 置かれた場所・役目 尾張・紀伊・水戸は御三家 老中などの役職についた 江戸から遠い土地に置かれた 3武家諸法度と参勤交代
武家諸法度は大名を取りしまるきまりです。1635年に3代将軍家光が改め、参勤交代を制度として定めました。大名は1年おきに江戸と領地を行き来し、妻と子は江戸に住まわされました。
4将軍と政治をセットで
3代家光・5代綱吉・8代吉宗の取りちがえがよく出ます。代の数と政治を結びつけて覚えましょう。
- 徳川家康(初代)
- 征夷大将軍になり江戸幕府を開く(1603年)
- 徳川家光(3代)
- 参勤交代を制度化・ポルトガル船の来航禁止
- 徳川綱吉(5代)
- 生類憐みの令(1685年)・朱子学を重んじる
- 徳川吉宗(8代)
- 享保の改革(1716年)・目安箱・公事方御定書
5享保の改革は徳川吉宗
8代将軍徳川吉宗が幕府の財政を立て直すために行いました。目安箱・上米の制・公事方御定書が代表です。
- 目安箱
- 庶民の意見を聞く。投書から小石川養生所ができた
- 上米の制
- 大名に米を納めさせ、江戸にいる期間を半年に
- 公事方御定書
- 裁判や刑罰の基準をまとめた
6五人組と寺請制度
五人組は年貢の納入や犯罪に共同で責任を負わせるしくみ、寺請制度はすべての人を寺の信者として登録させるしくみです。
名前をこたえる
1江戸幕府を開いた初代将軍です。関ヶ原の戦いに勝って1603年に征夷大将軍となり、大阪の陣で豊臣氏を滅ぼして、260年あまり続く幕府の土台をつくりました。この初代将軍はだれでしょう。
2江戸幕府の2代将軍です。父の家康とともに大阪の陣で豊臣氏を滅ぼし、武家諸法度を出して大名の取りしまりを強めました。この将軍はだれでしょう。
3将軍(幕府)と大名(藩)が、それぞれの領地と人々を治めた江戸時代の政治のしくみです。幕府は強い力で大名をおさえ、全国を支配しました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
4徳川家康が征夷大将軍に任じられて幕府を開いたできごとです。こののち1867年の大政奉還まで約260年間、徳川家の将軍が全国を治める時代が続きます。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
5○○の社会を、武士・百姓・町人などの身分に分けたしくみです。身分は親から子へ受けつがれ、人口の大部分を百姓がしめていました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
6江戸幕府の3代将軍です。参勤交代を制度として定め、キリスト教の禁止と鎖国を完成させて、幕府の支配のしくみを固めました。この将軍はだれでしょう。
7江戸幕府が大名を取りしまるために出したきまりです。城を新しく築くことや、大名どうしが勝手に結婚することなどを禁じ、破った大名はきびしく罰しました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
8江戸幕府が、天皇や公家の行いを取りしまるために出したきまりです。天皇は学問にはげむべきことなどを定め、朝廷が政治に関わらないようにしました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
9幕府や藩が、百姓を5戸ほどずつの組に分け、年貢を納めることや犯罪を防ぐことに、組で共同の責任を負わせたしくみです。町にもつくられました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
10大名に、1年おきに江戸と自分の領地を行き来させた制度です。大名の妻と子は江戸に住まわされ、行列の費用などで大名の財政は苦しくなりました。この説明にあてはまる制度を何といいますか。
111637年、今の長崎県と熊本県の人々が、重い年貢とキリスト教の取りしまりに反対して起こした大きな一揆です。このできごとを何といいますか。
12江戸幕府の5代将軍です。学問(儒学)を重んじる政治を行い、生類憐みの令で生き物の命を大切にさせました。元禄文化が栄えたころの将軍はだれでしょう。
13朱子学者で、6代・7代将軍に仕えて政治を行いました。小判の質をもとにもどし、長崎での貿易を制限して、金や銀が外国に流れ出るのをおさえました。この人物はだれでしょう。
14江戸幕府の8代将軍です。紀伊藩の藩主から将軍となり、享保の改革を行って幕府の財政を立て直しました。米の値段に気を配ったので「米将軍」とよばれました。この将軍はだれでしょう。
155代将軍徳川綱吉が出した、犬をはじめとする生き物の命を大切にするよう命じた法令です。行きすぎた取りしまりで人々を苦しめ、綱吉の死後に廃止されました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
166代将軍家宣と7代将軍家継のときに、学者の新井白石が中心となって行った政治です。小判の質をもとにもどし、長崎での貿易を制限しました。この説明にあてはまる政治を何といいますか。
178代将軍徳川吉宗が行った政治の○○です。倹約をすすめ、新田開発や上米の制で米を集めて、苦しくなっていた幕府の財政を立て直しました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
188代将軍徳川吉宗が、庶民の意見や願いを聞くために江戸の評定所の前に置いた投書箱です。投書をもとに、貧しい病人のための小石川養生所がつくられました。この説明にあてはまる投書箱を何といいますか。
目安箱
享保の改革の中で、徳川吉宗は1721年、江戸の評定所(幕府の裁判所)の前に目安箱を置き、庶民が政治への意見や不満を投書できるようにしました。
年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)198代将軍吉宗が、大名に石高1万石につき100石の米を幕府に納めさせたきまりです。そのかわりに、参勤交代で江戸にいる期間を1年から半年に短くしました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
208代将軍吉宗が、裁判や刑罰を公平に行うための基準としてまとめさせた法律の書物です。それまでの判決の例をもとに作られました。この説明にあてはまる書物を何といいますか。
21江戸幕府は、全国の大名を、徳川家の親類、関ヶ原の戦いの前からの家来、関ヶ原の戦いのあとに従った者の3つに分け、信用しきれない大名は江戸から遠い土地に置きました。この大名の分け方を何といいますか。
22豊臣秀吉の子の秀頼を、徳川家康が1614年と1615年の2度にわたって攻めた戦いです。京都の方広寺の鐘に刻まれた文字に家康が言いがかりをつけたことがきっかけで、秀頼と母の淀殿は自害し、豊臣氏は滅びました。この説明にあてはまる戦いを何といいますか。
23『1615年、2代将軍秀忠の名で最初の○○が出されました。』という特徴にあてはまるものは何でしょう。
24江戸幕府は大名の置き場所を工夫し、徳川家の親類は尾張・紀伊・水戸などの重要な土地に置き、老中などの役職には古くからの家来の大名をつけ、関ヶ原の戦いのあとに従った大名は江戸から遠い土地に置きました。この説明にあてはまる大名の分け方を何といいますか。
年号をこたえる
25江戸幕府が開かれたのは何年でしょう。
26最初の武家諸法度が出されたのは何年でしょう。
27禁中並公家諸法度が出されたのは何年でしょう。
28大阪夏の陣で豊臣氏が滅びたのは何年でしょう。
1615年
大阪の陣(冬の陣・夏の陣)(1615年)。徳川家康が、大阪城にいた豊臣秀頼を2度にわたって攻めた戦いです。ほかの年で習うこともあります(冬の陣は1614年、夏の陣は1615年。豊臣氏が滅びたのは1615年)。ごろ合わせ: ひろいご(1615)てんの大阪城もおちる大阪の陣
年表で見る29徳川家光が参勤交代を制度として定めたのは何年でしょう。
30『島原・天草一揆』が起きたのは何年でしょう。
1637年
島原・天草一揆(1637年)。1637年、今の長崎県と熊本県の人々が、重い年貢とキリスト教の取りしまりに反対して起こした大きな一揆です。ごろ合わせ: ひとむざんな(1637)島原・天草一揆
年表で見る31徳川綱吉が最初の生類憐みの令を出したのは何年でしょう。
1685年
生類憐みの令(1685年)。5代将軍徳川綱吉が出した、犬をはじめとする生き物の命を大切にするよう命じた法令です。ほかの年で習うこともあります(1685年ごろから何度も出された、生き物を守る法令をまとめてよぶ名。1687年とする教材もある)。ごろ合わせ: いろはご(1685)めん、犬をいじめちゃ生類憐みの令
年表で見る32徳川吉宗が8代将軍となり、享保の改革を始めたのは何年でしょう。
33徳川吉宗が目安箱を設けたのは何年でしょう。
1721年
目安箱(1721年)。8代将軍徳川吉宗が、庶民の意見や願いを聞くために江戸の評定所の前に置いた投書箱です。ごろ合わせ: ひなんにひと(1721)こと、目安箱
年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)34徳川吉宗が上米の制を定めたのは何年でしょう。
1722年
上米の制(1722年)。8代将軍吉宗が、大名に石高1万石につき100石の米を幕府に納めさせたきまりです。ごろ合わせ: ひなんにふ(1722)まんの大名、上米の制
年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)35公事方御定書が完成したのは何年でしょう。
1742年
公事方御定書(1742年)。8代将軍吉宗が、裁判や刑罰を公平に行うための基準としてまとめさせた法律の書物です。ごろ合わせ: ひなんしに(1742)来ても、裁きは公事方御定書
年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)
原因と結果
36江戸幕府が開かれたきっかけとなったできごとは何でしょう。
37『島原・天草一揆』の結果として起きたことは何でしょう。
くらべて見分ける
38『若年寄』の仕事は何でしょう。
39親藩・譜代大名・外様大名のうち、おもな家が『尾張・紀伊・水戸の徳川家(御三家)』なのは何でしょう。
40武家諸法度と禁中並公家諸法度のうち、おもな中身が『城の新築や大名どうしの勝手な結婚を禁じる』なのはどちらでしょう。
41『享保の改革』の中心人物は何でしょう。
42『享保の改革』のおもな政策は何でしょう。
目安箱・上米の制・公事方御定書
『享保の改革』のおもな政策は目安箱・上米の制・公事方御定書です。ほかは寛政の改革が倹約令・囲い米・朱子学以外の学問の禁止、天保の改革が株仲間の解散・人返しの法です。
年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)
外交・世界21問
中学受験で押さえておきたいポイント4つ
1鎖国が完成するまで
キリスト教を禁じるため、幕府は外国との行き来をしだいにきびしく制限しました。年の順番を流れで覚えましょう。
- スペイン船の来航禁止(1624年)
- 日本人の海外渡航・帰国の禁止(1635年)
- 島原・天草一揆(1637年)
- ポルトガル船の来航禁止(1639年)
- オランダ商館が出島に(1641年)
2鎖国の中の4つの窓口
鎖国のあいだも、4つの窓口で外国や周りの地域とつながっていました。
- 長崎
- オランダと中国の船が貿易した
- 対馬藩(宗氏)
- 朝鮮との貿易と外交の窓口
- 薩摩藩
- 琉球王国を通して中国の品物を手に入れた
- 松前藩
- 蝦夷地のアイヌの人々と交易した
3朱印船貿易と日本町
江戸時代の初め、幕府の朱印状を持つ船が東南アジアと貿易し、各地に日本町ができました。日本人の海外渡航と帰国が禁じられて終わりました。
4島原・天草一揆
重い年貢とキリスト教の信者へのきびしい取りしまりが原因で、人々は天草四郎をかしらに原城にたてこもりました。このあとポルトガル船の来航が禁じられました。
名前をこたえる
43朱印船貿易がさかんになったころ、東南アジアの各地に日本人が移り住んでつくった町です。シャム(タイ)のアユタヤの○○では、山田長政が活やくしました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
44江戸幕府が発行した海外渡航の許可証を持つ船が、東南アジアの国々と行った貿易です。日本からは銀を多く輸出し、生糸などを輸入しました。この説明にあてはまる貿易を何といいますか。
45朝鮮から日本に送られた使節です。豊臣秀吉の朝鮮出兵でとだえた国交が回復して1607年に初めて来日し、江戸時代を通じて12回、おもに将軍の代がわりを祝って来ました。この説明にあてはまる使節を何といいますか。
461624年、3代将軍家光のときに、江戸幕府が、キリスト教の布教を続けようとするヨーロッパの国との行き来を断ったできごとです。このできごとを何といいますか。
47江戸幕府が、外国へ行くことを全面的に禁じ、外国に住んでいる人がもどってくることも許さなくしたできごとです。これにより朱印船貿易は終わりました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
48島原・天草一揆のあとの1639年、江戸幕府が、キリスト教の布教を続けていたヨーロッパの国との行き来を断ったできごとです。このできごとを何といいますか。
49江戸幕府がキリスト教を禁じ、外国との行き来や貿易をきびしく制限するしくみ(○○)が整ったことです。ヨーロッパの国ではオランダだけが、長崎で貿易を許されました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
50平戸にあったオランダの商館を、長崎の○○に移させたできごとです。○○は扇の形をした人工の島で、オランダ人はここから自由に外へ出られませんでした。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
51○○のあいだも外国との行き来が続けられた、長崎・対馬・薩摩・松前の4か所の△△です。オランダ・中国・朝鮮・琉球、アイヌの人々と交流しました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
52蝦夷地(北海道)のアイヌの人々が、首長○○を中心に、不公平な取り引きを押しつける松前藩と戦ったできごとです。アイヌの人々は敗れ、松前藩の支配が強まりました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。
531609年、今の鹿児島県を治めていた島津氏が、幕府の許しを得て南の島々の国に兵を送り、首里城を落として、その国を従えました。その国は形の上では独立した国として残され、中国への使いと貿易も続けました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
54『シャムのアユタヤでは、山田長政が○○のかしらとして活やくしました。』という特徴にあてはまるものは何でしょう。
年号をこたえる
55最初の朝鮮通信使が来日したのは何年でしょう。
56薩摩藩が琉球王国に兵を送って支配したのは何年でしょう。
57『スペイン船の来航禁止』が起きたのは何年でしょう。
1624年
スペイン船の来航禁止(1624年)。1624年、3代将軍家光のときに、江戸幕府が、キリスト教の布教を続けようとするヨーロッパの国との行き来を断ったできごとです。ごろ合わせ: いちろにし(1624)へ帰れスペイン船
年表で見る58日本人の海外渡航と帰国が全面的に禁じられたのは何年でしょう。
1635年
日本人の海外渡航・帰国の禁止(1635年)。江戸幕府が、外国へ行くことを全面的に禁じ、外国に住んでいる人がもどってくることも許さなくしたできごとです。ごろ合わせ: いろさんご(1635)の海へも行けない、海外渡航禁止
年表で見る59『ポルトガル船の来航禁止』が起きたのは何年でしょう。
1639年
ポルトガル船の来航禁止(1639年)。島原・天草一揆のあとの1639年、江戸幕府が、キリスト教の布教を続けていたヨーロッパの国との行き来を断ったできごとです。ごろ合わせ: いろさく(1639)らも見ずに去れ、ポルトガル船
年表で見る60ポルトガル船の来航を禁止して鎖国が完成したとされるのは何年でしょう。
1639年
鎖国の完成(1639年)。江戸幕府がキリスト教を禁じ、外国との行き来や貿易をきびしく制限するしくみ(鎖国)が整ったことです。ほかの年で習うこともあります(ポルトガル船の来航を禁止した1639年を鎖国の完成とすることが多い。オランダ商館を出島に移した1641年を完成とする教材もある)。
年表で見る61オランダ商館が出島に移されたのは何年でしょう。
62『シャクシャインの戦い』が起きたのは何年でしょう。
1669年
シャクシャインの戦い(1669年)。蝦夷地(北海道)のアイヌの人々が、首長シャクシャインを中心に、不公平な取り引きを押しつける松前藩と戦ったできごとです。ごろ合わせ: ひとむろく(1669)にも戦う、シャクシャイン
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原因と結果
63『ポルトガル船の来航禁止』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。
島原・天草一揆
1637年、今の長崎県と熊本県の人々が、重い年貢とキリスト教の取りしまりに反対して起こした大きな一揆です。「島原・天草一揆」が「ポルトガル船の来航禁止」のきっかけになりました。
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文化・くらし44問
中学受験で押さえておきたいポイント2つ
1元禄文化は上方の町人の文化
大阪や京都などの上方を中心に、経済力をつけた町人が文化の担い手となりました。人物と作品をセットで覚えましょう。
- 井原西鶴
- 浮世草子『日本永代蔵』
- 松尾芭蕉
- 俳諧『おくのほそ道』
- 近松門左衛門
- 人形浄瑠璃の脚本『曽根崎心中』
- 菱川師宣
- 浮世絵『見返り美人図』
- 尾形光琳
- 装飾画『燕子花図屏風』
2農業と交通の発達
新田開発と農具の改良で米の生産がふえ、五街道や航路が整って三都が栄えました。
- 備中ぐわ
- 田畑を深く耕すくわ
- 千歯こき
- 稲の穂からもみをこき落とす農具
- 江戸
- 将軍のおひざもと
- 大阪
- 天下の台所
- 京都
- 天皇や公家が住み、西陣織などの工芸がさかん
名前をこたえる
64江戸時代の初めに京都で活やくした画家です。金地の屏風に風神と雷神を大たんにえがいた『風神雷神図屏風』が代表作で、のちの尾形光琳に大きな影響を与えました。この画家はだれでしょう。
65江戸時代の前半に、幕府や藩、商人が、あれ地や湖・沼・海辺を切り開いて新しい田畑をつくったことです。このころ全国の耕地はおよそ2倍に増えました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
66江戸の日本橋を起点に、東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道が幕府によって整えられたことです。街道には宿場や関所が置かれました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
67江戸で活やくした元禄文化の画家で、町の人々の風俗をえがいた浮世絵を始めた人とされます。代表作は『見返り美人図』です。この人物はだれでしょう。
681637年に九州で起きたキリスト教信者らの一揆で、人々のかしらとなった少年です。16歳ほどで、原城にたてこもった人々を率いましたが、幕府の大軍に敗れました。この少年はだれでしょう。
69キリストやマリアの像を刻んだ板を人々に踏ませ、キリスト教の信者を見つけ出したやり方です。長崎など九州で、毎年行われました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
70俵屋宗達がえがいた屏風絵です。金色の地に、風袋をかついだ神と太鼓を背負った神が向かい合う姿を大たんにえがいています。国宝として、京都の建仁寺に伝わっています。この説明にあてはまる屏風絵を何といいますか。
71初代将軍徳川家康をまつる神社で、3代将軍家光が今のような豪華な建物に建て直しました。はなやかな彫刻でかざられた陽明門が有名です。この説明にあてはまる建物を何といいますか。
72すべての人をどこかの寺の信者として登録させ、キリスト教の信者でないことを寺に証明させたしくみです。寺は、人々の戸籍をあつかう役所のような役割を持ちました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
73大阪の町人で、元禄文化を代表する作家です。町人のくらしや金もうけ、恋のようすを生き生きとえがいた、浮世草子という小説を書きました。この作家はだれでしょう。
74俳諧(俳句)を芸術に高めた、元禄文化の俳人です。東北・北陸を旅して紀行文『おくのほそ道』を書き、「古池や蛙飛びこむ水の音」などの句を残しました。この俳人はだれでしょう。
75大名が、領地で集めた年貢米や特産物をたくわえて売るために、大阪や江戸に置いた倉庫つきの屋敷です。とくに大阪の中之島に多く集まりました。この説明にあてはまる屋敷を何といいますか。
76人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本を書いた、元禄文化の作家です。実際にあった心中事件をもとにした『曽根崎心中』などで、町人の義理と人情をえがきました。この作家はだれでしょう。
77京都の呉服屋の家に生まれた元禄文化の画家です。俵屋宗達の絵に学び、あざやかな色と大たんな構図で、はなやかな装飾画をえがきました。この画家はだれでしょう。
78商人の河村瑞賢が開いた、東北地方の米を船で運ぶための海の道です。○○は日本海から瀬戸内海を通って大阪へ、△△は太平洋を通って江戸へ結びました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
79語り手が三味線に合わせて物語を語り、それに合わせて、木でつくった小さな役者をあやつって演じる芝居です。元禄のころ大阪で人気を集め、今の文楽に受けつがれています。この説明にあてはまる芝居を何といいますか。
805代将軍綱吉のころ、大阪や京都(上方)を中心に栄えた、町人が生み出した活気のある文化です。井原西鶴・松尾芭蕉・近松門左衛門らが活やくしました。この説明にあてはまる文化を何といいますか。
81井原西鶴が書いた浮世草子です。お金をもうけて成功した町人や、ぜいたくをして落ちぶれた町人の話を通して、町人の生き方をえがいています。この説明にあてはまる浮世草子を何といいますか。
82菱川師宣がえがいた、歩きながらふり返る女性の姿の絵です。版画ではなく筆で直接えがいた肉筆の浮世絵で、切手の図がらにもなりました。この説明にあてはまる絵を何といいますか。
83松尾芭蕉が、弟子の曽良と江戸から東北・北陸をめぐった旅をもとに書いた紀行文です。旅の中でよんだ俳諧(俳句)がおさめられています。この説明にあてはまる紀行文を何といいますか。
おくのほそ道
1689年、松尾芭蕉は弟子の河合曽良とともに江戸の深川を出発し、東北地方から北陸地方をめぐって、美濃(岐阜県)の大垣まで約150日の旅をしました。
年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい84江戸時代中ごろに、さつまいもの栽培を広めた学者です。ききんに備えてさつまいもの栽培を広めることを8代将軍吉宗に認められ、のちに吉宗の命令でオランダ語も学びました。この学者はだれでしょう。
85江戸時代に、田畑を深く耕すくわや、稲の穂からもみを効率よく落とす道具など、新しい道具が広まり、農業の生産が大きく増えたことです。これを何といいますか。
86近松門左衛門が書いた人形浄瑠璃の作品です。大阪で実際に起きた、若い男女がいっしょに命を絶った事件をもとに、町人の義理と人情をえがき、大評判となりました。この説明にあてはまる作品を何といいますか。
878代将軍吉宗が、キリスト教に関係のない、中国語に訳されたヨーロッパの本の輸入を認めたできごとです。のちに蘭学が発達するきっかけとなりました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。
88西日本でウンカなどの害虫が大発生して稲がかれ、多くの人がうえに苦しんだききんです。翌年には江戸で初めての大きな打ちこわしが起こりました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
8917世紀後半から18世紀にかけて、交通が整い商業がさかんになって、町が大きくなりました。とくに、「将軍のおひざもと」とよばれた政治の中心、「天下の台所」とよばれた商業の中心、天皇や公家が住む古くからの町の3つが栄えました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
90『風神雷神図屏風』をつくった人物はだれでしょう。
91『日本永代蔵』をつくった人物はだれでしょう。
92『見返り美人図』をつくった人物はだれでしょう。
93『おくのほそ道』をつくった人物はだれでしょう。
94『曽根崎心中』をつくった人物はだれでしょう。
9517世紀後半から18世紀にかけて、人口100万人ほどの大都市になった政治の中心、全国の物資が集まる商業の中心、西陣織などの工芸がさかんな古くからの町の3つの都市が栄えました。この説明にあてはまるものを何といいますか。
年号をこたえる
96徳川家光が今のような豪華な社殿に建て直したのは何年でしょう。
1636年
日光東照宮(1636年)。初代将軍徳川家康をまつる神社で、3代将軍家光が今のような豪華な建物に建て直しました。ほかの年で習うこともあります(最初の社殿は1617年(2代秀忠のとき)に家康をまつって建てられ、1636年に3代将軍家光が今のような豪華な社殿に建て直した。寛永期(江戸時代の初め)の建築で、豪華な桃山文化の流れをくむ)。
年表で見る97河村瑞賢が西廻り航路を開いたのは何年でしょう。
1672年
西廻り航路・東廻り航路(1672年)。商人の河村瑞賢が開いた、東北地方の米を船で運ぶための海の道です。ほかの年で習うこともあります(東廻り航路は1671年、西廻り航路は1672年に開かれた)。ごろ合わせ: いちろなに(1672)わへ、西廻り航路
年表で見る98『日本永代蔵』がつくられたのは何年でしょう。
99『曽根崎心中』がつくられたのは何年でしょう。
100徳川吉宗が、キリスト教に関係のない漢訳洋書の輸入を認めたのは何年でしょう。
1720年
漢訳洋書の輸入制限をゆるめる(1720年)。8代将軍吉宗が、キリスト教に関係のない、中国語に訳されたヨーロッパの本の輸入を認めたできごとです。ごろ合わせ: ひとなにを(1720)学ぶ? 洋書の輸入をゆるめる
年表で見る101『享保のききん』が起きたのは何年でしょう。
くらべて見分ける
102『東海道』の結んだところは何でしょう。
103『浮世草子』の代表的な人物は何でしょう。
104『浮世草子』の代表作は何でしょう。
105『備中ぐわ』の使いみちは何でしょう。
106江戸・大阪・京都のうち、役割が『幕府が置かれた政治の中心』なのは何でしょう。
107享保のききん・天明のききん・天保のききんのうち、そのころの政治が『8代将軍吉宗の享保の改革』なのは何でしょう。