飛鳥時代の一問一答

飛鳥時代を表すイラスト

飛鳥時代(592年〜710年)の、中学受験でよく出るできごと・人物・文化を57問の一問一答にまとめました。問題をタップすると答えと解説が出ます。飛鳥時代は「天皇中心の国づくりが始まる」時代です。

全57問・ふりがなつき・2026/10/11 更新

政治29問

中学受験で押さえておきたいポイント5つ
  1. 1聖徳太子しょうとくたいしの政治は年の順で

    推古天皇すいこてんのう(日本初の女性天皇)の摂政せっしょうとして、蘇我馬子そがのうまこと協力しました。目的は豪族ごうぞくの力をおさえ、天皇てんのう中心の国づくりを進めることです。

    1. 593年聖徳太子しょうとくたいしが摂政せっしょうになる
    2. 603年冠位十二階かんいじゅうにかい
    3. 604年十七条じゅうしちじょうの憲法けんぽう
    4. 607年小野妹子おののいもこを隋ずいに送る
  2. 2冠位十二階かんいじゅうにかいと十七条じゅうしちじょうの憲法けんぽう

    十七条じゅうしちじょうの憲法けんぽうは役人やくにんの心構えを示したもので、今の憲法けんぽうとはちがいます。

    冠位十二階かんいじゅうにかい十七条じゅうしちじょうの憲法けんぽう
    年603年604年
    対象役人やくにんの位役人やくにんの心構え
    ねらい家がらでなく能力で人材登用天皇てんのう中心・和を重んじる
  3. 3大化たいかの改新かいしんの流れ

    「大化たいか」は日本で最初の元号げんごうです。中臣鎌足なかとみのかまたりはのちに「藤原ふじわら」の姓をあたえられ、藤原氏ふじわらしの祖となりました。

    1. 蘇我氏そがしが天皇てんのうをしのぐ力をもつ
    2. 中大兄皇子なかのおおえのおうじと中臣鎌足なかとみのかまたりが蘇我入鹿そがのいるかをたおす(645年)
    3. 改新かいしんの詔みことのりで公地公民こうちこうみんの方針(646年)
    4. 律令国家りつりょうこっかの土台になる
  4. 4壬申じんしんの乱らんは弟と子の争い

    672年、天智天皇てんじてんのう(中大兄皇子なかのおおえのおうじ)の死後に、弟の大海人皇子おおあまのおうじと子の大友皇子おおとものおうじがあとつぎをめぐって戦いました。勝った大海人皇子おおあまのおうじが天武天皇てんむてんのうとなり、天皇てんのうの力を強めました。

  5. 5律令国家りつりょうこっかの完成かんせいまでの年

    大宝律令たいほうりつりょうは唐とうの律令りつりょうを手本にしました。律りつは刑罰けいばつのきまり、令りょうは政治のきまりで、中央に二官八省にかんはっしょう、地方に国・郡・里が置かれました。

    1. 645年大化たいかの改新かいしん
    2. 672年壬申じんしんの乱らん
    3. 694年持統天皇じとうてんのうが藤原京ふじわらきょうに都みやこを移す
    4. 701年大宝律令たいほうりつりょうが完成かんせい

名前をこたえる

  1. 1仏教ぶっきょうの受け入れをめぐって物部守屋もののべのもりやをほろぼし、大きな力をもった豪族ごうぞくです。推古天皇すいこてんのうのもとで聖徳太子しょうとくたいしと協力して政治を行いました。この豪族ごうぞくはだれでしょう。

    蘇我馬子そがのうまこ

    587年に物部守屋もののべのもりやをほろぼす(仏教受け入れ派の勝利)。

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  2. 2日本で最初の女性の天皇てんのうです。592年に即位し、おいの聖徳太子しょうとくたいしを摂政せっしょうにして政治を任せました。この天皇てんのうはだれでしょう。

    推古天皇すいこてんのう

    日本初の女性天皇(592年即位)。

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  3. 3推古天皇すいこてんのうの摂政せっしょうとして、冠位十二階かんいじゅうにかいや十七条じゅうしちじょうの憲法けんぽうを定め、遣隋使けんずいしを送って天皇てんのう中心の国づくりを進めました。仏教ぶっきょうをあつく信じ、法隆寺ほうりゅうじを建てました。この人物はだれでしょう。

    聖徳太子しょうとくたいし(厩戸皇子うまやどのおうじ)

    用明天皇の子で、厩戸皇子うまやどのおうじともよばれます。

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  4. 4推古天皇すいこてんのうが即位すると、おいの○○(厩戸皇子うまやどのおうじ)が△△となり、天皇てんのうを助けて政治を行うことになりました。このできごとは何でしょう。

    聖徳太子しょうとくたいしが摂政せっしょうとなる

    ごろ合わせ: 国民(593)歓迎 太子たいしの政治

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  5. 5日本で初めての女性の天皇てんのうである○○のもとで、おいの△△が摂政せっしょうとして政治を行いました。蘇我馬子そがのうまこと協力して、天皇てんのう中心の国づくりを進めました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    推古天皇すいこてんのうと聖徳太子しょうとくたいしの政治

    推古天皇すいこてんのう(初の女性天皇)+摂政せっしょうの聖徳太子しょうとくたいし+蘇我馬子そがのうまこ。

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  6. 6聖徳太子しょうとくたいしが、家がらではなく本人の能力や手がらによって役人やくにんの位を決める制度をつくりました。位は12段階で、冠かんむりの色で区別しました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    冠位十二階かんいじゅうにかいが定められる

    ごろ合わせ: 老齢(60)でも見(3)やすい 冠かんむりの色

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  7. 7聖徳太子しょうとくたいしが、役人やくにんが守るべき心構えを17条にまとめました。「和を大切にせよ」「仏教ぶっきょうを敬え」「天皇てんのうの命令めいれいには必ず従え」などが書かれています。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    十七条じゅうしちじょうの憲法けんぽう(憲法けんぽう十七条じゅうしちじょう)が定められる

    ごろ合わせ: 群れよ(604)る民に 憲法けんぽう十七条じゅうしちじょう

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  8. 8蘇我馬子そがのうまこの孫で、父の蝦夷えみしとともに天皇てんのうをしのぐ力をもちました。聖徳太子しょうとくたいしの子の山背大兄王やましろのおおえのおうをほろぼしましたが、645年に中大兄皇子なかのおおえのおうじらにたおされました。この人物はだれでしょう。

    蘇我入鹿そがのいるか

    蘇我蝦夷そがのえみしの子、馬子うまこの孫。

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  9. 9中大兄皇子なかのおおえのおうじとともに蘇我氏そがしをたおし、大化たいかの改新かいしんを進めました。死ぬ直前に「藤原ふじわら」の姓をあたえられ、平安時代へいあんじだいに栄える藤原氏ふじわらしの祖となりました。この人物はだれでしょう。

    中臣鎌足なかとみのかまたり(藤原鎌足ふじわらのかまたり)

    覚え方: 中臣鎌足なかとみのかまたり→藤原鎌足ふじわらのかまたり。藤原氏ふじわらしの祖。子は藤原不比等ふじわらのふひと(大宝律令たいほうりつりょう)

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  10. 10中臣鎌足なかとみのかまたりとともに蘇我氏そがしをたおし、大化たいかの改新かいしんを進めました。白村江はくすきのえの戦いに敗れたあと都みやこを近江おうみ(滋賀県しがけん)に移し、668年に即位して○○となりました。この人物はだれでしょう。

    中大兄皇子なかのおおえのおうじ(天智天皇てんじてんのう)

    皇太子として長く政治を動かし、公地公民こうちこうみんの方針を打ち出しました。

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  11. 11天智天皇てんじてんのうの弟です。壬申じんしんの乱らんに勝って即位し、天皇てんのうの力を強めて律令りつりょうや歴史書づくりを命じるなど、律令国家りつりょうこっかの土台を固めました。この人物はだれでしょう。

    天武天皇てんむてんのう(大海人皇子おおあまのおうじ)

    壬申じんしんの乱らん(672年)に勝って即位。

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  12. 12天智天皇てんじてんのうの娘むすめで、天武天皇てんむてんのうの皇后こうごうです。天武天皇てんむてんのうの死後に即位し、694年に日本初の本格的な都みやこである藤原京ふじわらきょうをつくりました。この皇后こうごうはだれでしょう。

    持統天皇じとうてんのう

    天武天皇てんむてんのうの皇后こうごうで、天智天皇てんじてんのうの娘むすめ。

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  13. 13大化たいかの改新かいしんから大宝律令たいほうりつりょうまで、中国の唐とうを手本に、法律(律令りつりょう)にもとづいて天皇てんのうが全国を治めるしくみをつくっていった時期は何でしょう。

    律令国家りつりょうこっかづくり(律令政治りつりょうせいじ)

    律りつ=刑罰けいばつのきまり、令りょう=政治のきまり。

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  14. 14○○と中臣鎌足なかとみのかまたりが、大きな力をもっていた蘇我蝦夷そがのえみし・入鹿いるかの親子をたおし、天皇てんのう中心の国づくりを進めた改革かいかくです。「△△」は日本で最初の元号げんごうです。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    大化たいかの改新かいしん(中大兄皇子なかのおおえのおうじらが蘇我氏そがしを滅ぼす)

    聖徳太子しょうとくたいしの死後、蘇我氏そがしは天皇てんのうをしのぐほどの力をもち、太子たいしの子の山背大兄王やましろのおおえのおうをほろぼしました。

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  15. 15天智天皇てんじてんのうの死後、弟の大海人皇子おおあまのおうじと子の大友皇子おおとものおうじがあとつぎをめぐって戦い、大海人皇子おおあまのおうじが勝って天武天皇てんむてんのうとなりました。このできごとは何でしょう。

    壬申じんしんの乱らんが起こる

    ごろ合わせ: ろく(6)でもない(7)二人(2)の皇子おうじ

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  16. 16持統天皇じとうてんのうが、唐とうの都みやこを手本にした日本で最初の本格的な都みやこである○○に都みやこを移しました。碁盤の目のように道が整えられていました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    都みやこが藤原京ふじわらきょうに移される

    ごろ合わせ: 無(6)理だ苦し(94)い 藤原京ふじわらきょう

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  17. 17唐とうの法律を手本にした○○が完成かんせいし、律令りつりょうにもとづいて天皇てんのうが全国を治めるしくみが整いました。中央に二官八省にかんはっしょう、地方に国・郡・里が置かれました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    大宝律令たいほうりつりょうが完成かんせいする

    ごろ合わせ: なれ一番(701)の 律令国家りつりょうこっか

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  18. 18摂政せっしょうに聖徳太子しょうとくたいし、大臣だいじんに蘇我馬子そがのうまこをおいて政治を行った、飛鳥時代あすかじだいの始まりの天皇てんのうはだれでしょう。

    推古天皇すいこてんのう

    日本で最初の女性の天皇てんのうです。

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  19. 19593年、推古天皇すいこてんのうが即位すると、おいの皇子おうじが、天皇てんのうに代わって政治を行う役えきにつきました。このできごとは何でしょう。

    聖徳太子しょうとくたいしが摂政せっしょうとなる

    ごろ合わせ: 国民(593)歓迎 太子たいしの政治

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  20. 20日本で初めての女性の天皇てんのうのもとで、おいが摂政せっしょうとなり、蘇我馬子そがのうまこと協力して冠位十二階かんいじゅうにかいや十七条じゅうしちじょうの憲法けんぽうを定め、天皇てんのう中心の国づくりを進めました。この時期の政治を何といいますか。

    推古天皇すいこてんのうと聖徳太子しょうとくたいしの政治

    蘇我馬子そがのうまこと協力して、天皇てんのう中心の国づくりを進めました。

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  21. 21蘇我馬子そがのうまこの孫で、父の蝦夷えみしとともに天皇てんのうをしのぐ力をもちましたが、645年に中大兄皇子なかのおおえのおうじと中臣鎌足なかとみのかまたりにたおされました。この人物はだれでしょう。

    蘇我入鹿そがのいるか

    聖徳太子しょうとくたいしの子の山背大兄王やましろのおおえのおうをほろぼしましたが、645年に中大兄皇子なかのおおえのおうじらにたおされました。

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年号をこたえる

  1. 22聖徳太子しょうとくたいしが摂政せっしょうとなったのは何年でしょう。

    593年

    聖徳太子しょうとくたいしが摂政せっしょうとなる(593年)。推古天皇すいこてんのうが即位すると、おいの聖徳太子しょうとくたいし(厩戸皇子うまやどのおうじ)が摂政せっしょうとなり、天皇てんのうを助けて政治を行うことになりました。ごろ合わせ: 国民(593)歓迎 太子たいしの政治

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  2. 23冠位十二階かんいじゅうにかいが定められたのは何年でしょう。

    603年

    冠位十二階かんいじゅうにかいが定められる(603年)。聖徳太子しょうとくたいしが、家がらではなく本人の能力や手がらによって役人やくにんの位を決める制度をつくりました。ごろ合わせ: 老齢(60)でも見(3)やすい 冠かんむりの色

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  3. 24十七条じゅうしちじょうの憲法けんぽう(憲法けんぽう十七条じゅうしちじょう)が定められたのは何年でしょう。

    604年

    十七条じゅうしちじょうの憲法けんぽう(憲法けんぽう十七条じゅうしちじょう)が定められる(604年)。聖徳太子しょうとくたいしが、役人やくにんが守るべき心構えを17条にまとめました。ごろ合わせ: 群れよ(604)る民に 憲法けんぽう十七条じゅうしちじょう

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  4. 25『大化たいかの改新かいしん(中大兄皇子なかのおおえのおうじらが蘇我氏そがしを滅ぼす)』が起きたのは何年でしょう。

    645年

    大化たいかの改新かいしん(中大兄皇子なかのおおえのおうじらが蘇我氏そがしを滅ぼす)(645年)。中大兄皇子なかのおおえのおうじと中臣鎌足なかとみのかまたりが、大きな力をもっていた蘇我蝦夷そがのえみし・入鹿いるかの親子をたおし、天皇てんのう中心の国づくりを進めた改革かいかくです。ごろ合わせ: 蒸し(64)殺(5)して大化たいかの改新かいしん

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  5. 26壬申じんしんの乱らんが起こったのは何年でしょう。

    672年

    壬申じんしんの乱らんが起こる(672年)。天智天皇てんじてんのうの死後、弟の大海人皇子おおあまのおうじと子の大友皇子おおとものおうじがあとつぎをめぐって戦い、大海人皇子おおあまのおうじが勝って天武天皇てんむてんのうとなりました。ごろ合わせ: ろく(6)でもない(7)二人(2)の皇子おうじ

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  6. 27都みやこが藤原京ふじわらきょうに移されたのは何年でしょう。

    694年

    都みやこが藤原京ふじわらきょうに移される(694年)。持統天皇じとうてんのうが、唐とうの都みやこを手本にした日本で最初の本格的な都みやこである藤原京ふじわらきょうに都みやこを移しました。ごろ合わせ: 無(6)理だ苦し(94)い 藤原京ふじわらきょう

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  7. 28大宝律令たいほうりつりょうが完成かんせいしたのは何年でしょう。

    701年

    大宝律令たいほうりつりょうが完成かんせいする(701年)。唐とうの法律を手本にした大宝律令たいほうりつりょうが完成かんせいし、律令りつりょうにもとづいて天皇てんのうが全国を治めるしくみが整いました。ごろ合わせ: なれ一番(701)の 律令国家りつりょうこっか

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原因と結果

  1. 29『大化たいかの改新かいしん(中大兄皇子なかのおおえのおうじらが蘇我氏そがしを滅ぼす)』の結果として起きたことは何でしょう。

    律令国家りつりょうこっかづくり(律令政治りつりょうせいじ)

    大化たいかの改新かいしんから大宝律令たいほうりつりょうまで、中国の唐とうを手本に、法律(律令りつりょう)にもとづいて天皇てんのうが全国を治めるしくみをつくっていった時期です。「大化たいかの改新かいしん(中大兄皇子なかのおおえのおうじらが蘇我氏そがしを滅ぼす)」のあとに起きたできごとです。

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外交・世界17問

中学受験で押さえておきたいポイント5つ
  1. 1遣隋使けんずいしと遣唐使けんとうしを区別する

    607年の小野妹子おののいもこは2回目の遣隋使けんずいしです。犬上御田鍬いぬがみのみたすきは614年に最後の遣隋使けんずいし、630年に最初の遣唐使けんとうしになりました。

    遣隋使けんずいし遣唐使けんとうし
    相手の国隋ずい唐とう
    第1回600年630年(犬上御田鍬いぬがみのみたすき)
    覚えたい人物小野妹子おののいもこ(607年)犬上御田鍬いぬがみのみたすき
  2. 2小野妹子おののいもこは対等な国交を求めた

    小野妹子おののいもこは「日出づる処の天子てんし」と書かれた国書こくしょを、隋ずいの皇帝こうてい煬帝ようだいに届けました。同行した留学生りゅうがくせいや僧そうは、帰国きこく後に大化たいかの改新かいしんで活躍しました。

  3. 3隋ずいから唐とうへ

    隋ずいは約30年で滅び、唐とうにかわりました。遣唐使けんとうしは894年に停止ていしされるまで続きました。

    1. 589年隋ずいが中国を統一とういつ
    2. 618年隋ずいが滅び、唐とうが建国けんこく
    3. 907年唐とうが滅びる
  4. 4白村江はくすきのえの戦いの原因と結果

    百済くだらを助けるための出兵でしたが、唐とうと新羅の連合軍に大敗しました。その後、676年に新羅が朝鮮半島を統一とういつしました。

    1. 百済くだらがほろぼされる(660年)
    2. 百済くだらの復興のため日本が出兵
    3. 白村江はくすきのえの戦いで唐とう・新羅に大敗(663年)
    4. 大宰府だざいふに水城みずき・山城やましろを築いて守りを固める
  5. 5世界三大宗教は順番で

    仏教ぶっきょう(前5世紀せいきごろ)、キリスト教きょう(1世紀せいき)、イスラム教きょう(7世紀せいき)の順です。イスラム教きょうはアラビア半島のムハンマドが610年ごろ開き、遣隋使けんずいしとほぼ同じころです。

名前をこたえる

  1. 30607年に遣隋使けんずいしとして隋ずいにわたり、隋ずいの皇帝こうてい煬帝ようだいに国書こくしょを届けました。翌年、隋ずいの使者とともに帰国きこくし、再び隋ずいへ向かいました。この人物はだれでしょう。

    小野妹子おののいもこ

    607年の遣隋使けんずいし。相手は隋ずいの煬帝ようだい。

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  2. 31614年に最後の遣隋使けんずいし、630年に最初の遣唐使けんとうしとして中国にわたった人物です。隋ずいと唐とうの両方に使いをした唯一の人として知られます。この人物はだれでしょう。

    犬上御田鍬いぬがみのみたすき

    630年の第1回遣唐使けんとうし。

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  3. 32中国を統一とういつした隋ずいに、日本から最初の使いが送られました。607年の小野妹子おののいもこより前の、記録に残る第1回の○○です。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    隋ずいに使いが送られる(第1回遣隋使けんずいし)

    覚え方: 600年に最初の遣隋使けんずいし、607年に小野妹子おののいもこ。「0」から「7」へ

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  4. 33聖徳太子しょうとくたいしは○○を隋ずいに送り、対等な国交を求めました。隋ずいの進んだ制度や文化を学ぶため、多くの留学生りゅうがくせいや僧そうも同行しました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    小野妹子おののいもこが隋ずいに送られる(遣隋使けんずいし)

    国書こくしょには「日出づる処の天子てんし、書を日没する処の天子てんしに致す」と書かれ、隋ずいの皇帝こうてい煬帝ようだいを怒らせたと伝えられますが、隋ずいからも使者が送られ、交流は続きました。

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  5. 34618年から907年まで続いた中国の王朝です。都みやこの長安ちょうあんは世界有数の大都市で、日本は遣唐使けんとうしを通じて律令りつりょうや仏教ぶっきょう、文化を取り入れました。この説明にあてはまる王朝を何といいますか。

    唐とう

    618〜907年。都みやこは長安ちょうあん。

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  6. 35隋ずいにかわって唐とうが中国を治めるようになりました。唐とうは約300年続く大国で、日本は遣唐使けんとうしを送って制度や文化を学びました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    唐とうが建国けんこくされる

    覚え方: 隋ずい(589〜618)→唐とう(618〜907)。遣隋使けんずいしは隋ずいへ、遣唐使けんとうしは唐とうへ

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  7. 36隋ずいにかわって中国を治めた唐とうに、○○が最初の△△として送られました。△△は894年に停止ていしされるまで十数回続き、唐とうの文化や制度を日本に伝えました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    犬上御田鍬いぬがみのみたすきが唐とうに送られる(第1回遣唐使けんとうし)

    ごろ合わせ: む(6)かって みれ(30)よ 唐とうの国

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  8. 37滅ぼされた百済くだらを助けるために朝鮮半島へ送った○○が、唐とうと新羅の連合軍に大敗しました。その後、九州きゅうしゅうの大宰府だざいふに水城みずきや山城やましろを築いて防備を固めました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    白村江はくすきのえの戦いで日本軍にほんぐんが敗れる

    ごろ合わせ: 無残(663)に大敗 白村江はくすきのえ

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  9. 38600年、589年に中国を統一とういつした王朝に、日本から記録に残る最初の使いが送られました。このできごとは何でしょう。

    隋ずいに使いが送られる(第1回遣隋使けんずいし)

    中国を統一とういつした隋ずいに、日本から最初の使いが送られました。

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  10. 39日本が630年から使いを送って律令りつりょうや都みやこのつくりを学び、663年の白村江はくすきのえの戦いでは新羅と組んで日本軍にほんぐんをやぶった中国の王朝は何でしょう。

    唐とう

    618年から907年まで続いた中国の王朝です。

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  11. 40618年、隋ずいにかわって中国を治める王朝がおこりました。この王朝は907年まで約300年続き、日本は630年から使いを送って制度や文化を学びました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    唐とうが建国けんこくされる

    隋ずいにかわって唐とうが中国を治めるようになりました。

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  12. 41630年、隋ずいにかわって中国を治めた王朝に、日本から最初の使いが送られました。この使いは894年に停止ていしされるまで十数回続きました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    犬上御田鍬いぬがみのみたすきが唐とうに送られる(第1回遣唐使けんとうし)

    ごろ合わせ: む(6)かって みれ(30)よ 唐とうの国

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年号をこたえる

  1. 42隋ずいに使いが送られた(第1回遣隋使けんずいし)のは何年でしょう。

    600年

    隋ずいに使いが送られる(第1回遣隋使けんずいし)(600年)。中国を統一とういつした隋ずいに、日本から最初の使いが送られました。

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  2. 43小野妹子おののいもこが隋ずいに送られた(遣隋使けんずいし)のは何年でしょう。

    607年

    小野妹子おののいもこが隋ずいに送られる(遣隋使けんずいし)(607年)。聖徳太子しょうとくたいしは小野妹子おののいもこを隋ずいに送り、対等な国交を求めました。ごろ合わせ: 蒸れな(607)がら船に 小野妹子おののいもこ

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  3. 44唐とうが建国けんこくされたのは何年でしょう。

    618年

    唐とうが建国けんこくされる(618年)。隋ずいにかわって唐とうが中国を治めるようになりました。

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  4. 45犬上御田鍬いぬがみのみたすきが唐とうに送られた(第1回遣唐使けんとうし)のは何年でしょう。

    630年

    犬上御田鍬いぬがみのみたすきが唐とうに送られる(第1回遣唐使けんとうし)(630年)。隋ずいにかわって中国を治めた唐とうに、犬上御田鍬いぬがみのみたすきが最初の遣唐使けんとうしとして送られました。ごろ合わせ: む(6)かって みれ(30)よ 唐とうの国

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  5. 46白村江はくすきのえの戦いで日本軍にほんぐんが敗れたのは何年でしょう。

    663年

    白村江はくすきのえの戦いで日本軍にほんぐんが敗れる(663年)。滅ぼされた百済くだらを助けるために朝鮮半島へ送った日本軍にほんぐんが、唐とうと新羅の連合軍に大敗しました。ごろ合わせ: 無残(663)に大敗 白村江はくすきのえ

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文化・くらし11問

中学受験で押さえておきたいポイント5つ
  1. 1飛鳥文化あすかぶんかと白鳳文化はくほうぶんかのちがい

    飛鳥文化あすかぶんかのあとが白鳳文化はくほうぶんか、そのあとが天平文化てんぴょうぶんかの順です。

    飛鳥文化あすかぶんか白鳳文化はくほうぶんか
    ころ聖徳太子しょうとくたいしのころ天武てんむ・持統天皇じとうてんのうのころ
    特色日本で最初の仏教ぶっきょう文化唐とうの影響を受ける
    代表法隆寺ほうりゅうじ・釈迦三尊像しゃかさんぞんぞう・弥勒菩薩像みろくぼさつぞう薬師寺やくしじ・高松塚古墳たかまつづかこふんの壁画へきが
  2. 2法隆寺ほうりゅうじは世界最古の木造建築

    聖徳太子しょうとくたいしが奈良なら県の斑鳩いかるがに建てた寺で、現存する世界最古の木造建築です。1993年に日本で初めて世界文化遺産に登録されました。

  3. 3仏像ぶつぞうは寺・作者とセットで

    どちらも飛鳥文化あすかぶんかの作品で、写真で問われやすいです。

    釈迦三尊像しゃかさんぞんぞう
    法隆寺ほうりゅうじの金堂こんどう。鞍作鳥くらつくりのとり(止利仏師とりぶっし)がつくった
    弥勒菩薩像みろくぼさつぞう
    広隆寺こうりゅうじ(京都きょうと)・中宮寺ちゅうぐうじ(奈良なら)。片足を組んで考える姿
  4. 4法隆寺ほうりゅうじと薬師寺やくしじを区別する

    天平文化てんぴょうぶんかの東大寺とうだいじともまちがえないようにしましょう。

    法隆寺ほうりゅうじ薬師寺やくしじ
    文化飛鳥文化あすかぶんか白鳳文化はくほうぶんか
    建てた人聖徳太子しょうとくたいし天武天皇てんむてんのうが建て始めた
    ポイント現存する世界最古の木造建築東塔とうとうが当時のまま残る
  5. 5和同開珎わどうかいちんは708年

    武蔵むさし国(埼玉県さいたまけん秩父ちちぶ)から銅どうが献上されたことを記念して、唐とうの貨幣にならってつくられました。それ以前の富本銭が最古の貨幣とされます。

名前をこたえる

  1. 47聖徳太子しょうとくたいしのころに栄えた、日本で最初の仏教ぶっきょう文化です。法隆寺ほうりゅうじや釈迦三尊像しゃかさんぞんぞうなど、渡来人とらいじんの技術でつくられた寺や仏像ぶつぞうが残っています。この説明にあてはまる仏教ぶっきょう文化を何といいますか。

    飛鳥文化あすかぶんか

    日本初の仏教ぶっきょう文化。中心は聖徳太子しょうとくたいし。

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  2. 48聖徳太子しょうとくたいしが奈良ならの斑鳩いかるがに建てた寺です。現存する世界最古の木造建築で、1993年に日本で初めて世界文化遺産に登録されました。この説明にあてはまる寺を何といいますか。

    法隆寺ほうりゅうじ

    覚え方: 法隆寺ほうりゅうじ=聖徳太子しょうとくたいし=飛鳥文化あすかぶんか=世界最古の木造建築

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  3. 49片足を組み、ほおに指をあてて考える姿の仏像ぶつぞうです。京都きょうとの○○と奈良ならの△△にあり、飛鳥文化あすかぶんかを代表する作品として写真でよく出題されます。この説明にあてはまる仏像ぶつぞうを何といいますか。

    弥勒菩薩像みろくぼさつぞう(広隆寺こうりゅうじ・中宮寺ちゅうぐうじ)

    半跏思惟像はんかしいぞう(片足を組んで考える姿)。

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  4. 50○○の金堂こんどうにある飛鳥文化あすかぶんかを代表する仏像ぶつぞうです。渡来人とらいじんの子孫である鞍作鳥くらつくりのとり(止利仏師とりぶっし)がつくったと伝えられます。この説明にあてはまる仏像ぶつぞうを何といいますか。

    法隆寺ほうりゅうじの釈迦三尊像しゃかさんぞんぞう

    法隆寺ほうりゅうじ金堂こんどう。作者は鞍作鳥くらつくりのとり(止利仏師とりぶっし)。

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  5. 51大化たいかの改新かいしんから平城京へいじょうきょうに都みやこが移るまでの、天武てんむ・持統天皇じとうてんのうのころに栄えた文化です。唐とうの影響を受け、高松塚古墳たかまつづかこふんの壁画へきがや薬師寺やくしじが代表は何でしょう。

    白鳳文化はくほうぶんか

    飛鳥文化あすかぶんかのあと、天平文化てんぴょうぶんかの前。

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  6. 52天武天皇てんむてんのうが皇后こうごう(のちの持統天皇じとうてんのう)の病気回復をいのって建て始めた寺です。白鳳文化はくほうぶんかの代表で、東塔とうとうは当時のまま残っています。この説明にあてはまる寺を何といいますか。

    薬師寺やくしじ

    白鳳文化はくほうぶんかの寺。天武天皇てんむてんのうが発願。

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  7. 53奈良なら県明日香村あすかむらの古墳こふんの石室にえがかれた○○です。色あざやかな女性の群像や星の図があり、白鳳文化はくほうぶんかを代表する作品として1972年に発見されました。この説明にあてはまる絵を何といいますか。

    高松塚古墳たかまつづかこふんの壁画へきが

    奈良なら県明日香村あすかむら。白鳳文化はくほうぶんか。

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  8. 54武蔵むさし国(埼玉県さいたまけん秩父ちちぶ)から銅どうが献上されたことを記念して、唐とうの貨幣にならった○○がつくられました。都みやこの造営ぞうえいなどに使われました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    和同開珎わどうかいちんがつくられる

    ごろ合わせ: なまるは(708)秩父ちちぶ 銅どうのゼニ

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  9. 55『法隆寺ほうりゅうじ』をつくった人物はだれでしょう。

    聖徳太子しょうとくたいし(厩戸皇子うまやどのおうじ)

    法隆寺ほうりゅうじ(607年ごろ)。聖徳太子しょうとくたいしが奈良ならの斑鳩いかるがに建てた寺です。つくった人物は聖徳太子しょうとくたいし(厩戸皇子うまやどのおうじ)です。

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年号をこたえる

  1. 56『法隆寺ほうりゅうじの釈迦三尊像しゃかさんぞんぞう』がつくられたのは何年でしょう。

    623年

    法隆寺ほうりゅうじの釈迦三尊像しゃかさんぞんぞう(623年)。法隆寺ほうりゅうじの金堂こんどうにある飛鳥文化あすかぶんかを代表する仏像ぶつぞうです。

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  2. 57和同開珎わどうかいちんがつくられたのは何年でしょう。

    708年

    和同開珎わどうかいちんがつくられる(708年)。武蔵むさし国(埼玉県さいたまけん秩父ちちぶ)から銅どうが献上されたことを記念して、唐とうの貨幣にならった和同開珎わどうかいちんがつくられました。ごろ合わせ: なまるは(708)秩父ちちぶ 銅どうのゼニ

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