安土桃山時代の一問一答

安土桃山時代を表すイラスト

安土桃山時代(1573年〜1603年)の、中学受験でよく出るできごと・人物・文化を72問の一問一答にまとめました。問題をタップすると答えと解説が出ます。安土桃山時代は「信長・秀吉が天下を統一する」時代です。

全72問・ふりがなつき・2026/10/11 更新

政治35問

中学受験で押さえておきたいポイント5つ
  1. 1信長のぶながから秀吉ひでよし、そして家康へ

    本能寺ほんのうじの変へんのあと、豊臣秀吉とよとみひでよしが明智光秀あけちみつひでをやぶって信長のぶながの後継者となり、全国を統一とういつしました。年の順番を流れで覚えましょう。

    1. 長篠ながしのの戦い(1575年)
    2. 本能寺ほんのうじの変へん(1582年)
    3. 山崎やまざきの戦い(1582年)
    4. 豊臣秀吉とよとみひでよしの全国統一ぜんこくとういつ(1590年)
    5. 関ヶ原せきがはらの戦い(1600年)
  2. 2信長のぶながと秀吉ひでよしの政策をセットで

    楽市らくいち・楽座らくざは信長のぶなが、太閤検地たいこうけんちと刀狩令かたながりれいは秀吉ひでよしの政策です。だれが行ったかを取りちがえないようにしましょう。

    織田信長おだのぶなが
    長篠ながしのの戦いで鉄砲てっぽうを活用・安土城あづちじょうと楽市らくいち・楽座らくざ
    豊臣秀吉とよとみひでよし
    太閤検地たいこうけんち・刀狩令かたながりれい・バテレン追放令ついほうれい・全国統一ぜんこくとういつ(1590年)
  3. 3太閤検地たいこうけんちと刀狩令かたながりれいで武士ぶしと百姓ひゃくしょうを分けた

    太閤検地たいこうけんちで耕作する百姓ひゃくしょうを検地帳に記し、刀狩令かたながりれいで百姓ひゃくしょうから武器を取り上げました。こうして兵農分離へいのうぶんりが進み、江戸時代えどじだいの身分制度みぶんせいどのもとになりました。

    太閤検地たいこうけんち刀狩令かたながりれい
    出された年1582年1588年
    内容ものさしやますを統一とういつして田畑を調べ、石高で表した百姓ひゃくしょうから刀ややりなどの武器を取り上げた
    ねらい年貢ねんぐを確実に納めさせる一揆いっきを防ぎ、農業に専念させる
  4. 4秀吉ひでよしは関白かんぱくとして全国を治めた

    豊臣秀吉とよとみひでよしは征夷大将軍せいいたいしょうぐんにはならず、関白かんぱく・太政大臣だじょうだいじんとなって全国を治めました。征夷大将軍せいいたいしょうぐんになって幕府ばくふを開いたのは徳川家康とくがわいえやすです。

  5. 5関ヶ原せきがはらの戦いは東軍と西軍

    1600年、美濃の関ヶ原せきがはら(今の岐阜県)で、徳川家康とくがわいえやすの東軍が石田三成いしだみつなりを中心とする西軍に勝ちました。

    東軍西軍
    中心の人物徳川家康とくがわいえやす石田三成いしだみつなり
    結果勝ったやぶれた

名前をこたえる

  1. 1織田信長おだのぶながの家臣で、1582年に本能寺ほんのうじの変へんで主君の信長のぶながをおそい、自害させた武将です。その後まもなく、山崎やまざきの戦いで豊臣秀吉とよとみひでよしにやぶれました。この武将はだれでしょう。

    明智光秀あけちみつひで

    明智光秀あけちみつひでは、はじめ将軍しょうぐん足利義昭あしかがよしあきに仕え、のちに織田信長おだのぶながの家臣となりました。

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  2. 2尾張おわりの身分の低い家に生まれ、織田信長おだのぶながの家臣として出世し、信長のぶながの死後に全国を統一とういつした武将です。太閤検地たいこうけんちや刀狩を行い、朝鮮ちょうせんにも出兵しました。この武将はだれでしょう。

    豊臣秀吉とよとみひでよし

    秀吉ひでよしは尾張おわり(愛知県)の身分の低い家に生まれ、織田信長おだのぶながに仕えて、木下藤吉郎、羽柴秀吉と名を変えながら出世しました。

    年表で見る読みもの: 太閤検地と刀狩のちがい
  3. 3豊臣秀吉とよとみひでよしに仕えた五奉行ごぶぎょうの一人で、秀吉ひでよしの死後に徳川家康とくがわいえやすと対立し、関ヶ原せきがはらの戦いで西軍の中心となってやぶれた武将はだれでしょう。

    石田三成いしだみつなり

    石田三成いしだみつなりは近江おうみ(滋賀県しがけん)の出身で、若いころから豊臣秀吉とよとみひでよしに仕えました。

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  4. 4織田信長おだのぶながと徳川家康とくがわいえやすの連合軍が、大量の鉄砲てっぽうを使って、甲斐かいの武田勝頼の騎馬隊をやぶった戦いです。鉄砲てっぽうが戦い方を大きく変えたことを示しました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    長篠ながしのの戦い

    1575年、三河(愛知県)の長篠城をめぐって、織田信長おだのぶなが・徳川家康とくがわいえやすの連合軍と、武田信玄たけだしんげんの子の武田勝頼の軍が戦いました。

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  5. 5武士ぶしと百姓ひゃくしょう(農民のうみん)の身分をはっきり分け、武士ぶしは城下町じょうかまちに住んで戦いと政治を、百姓ひゃくしょうは村で農業をするようにしたことです。太閤検地たいこうけんちと刀狩で進みました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    兵農分離へいのうぶんり

    戦国時代せんごくじだいには、ふだんは農業をしながら戦いにも出る人が多くいました。

    年表で見る読みもの: 太閤検地と刀狩のちがい
  6. 6京都きょうとの○○にとまっていた織田信長おだのぶながが、家臣の明智光秀あけちみつひでにおそわれて自害したできごとです。天下統一を目前にした信長のぶながの歩みは、ここでとだえました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    本能寺ほんのうじの変へん

    1582年、織田信長おだのぶながは、中国地方の毛利氏と戦う羽柴(豊臣)秀吉ひでよしを助けに行く途中、京都きょうとの本能寺ほんのうじにとまっていました。

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  7. 7豊臣秀吉とよとみひでよしが全国の田畑の広さや土地のよしあしを調べ、とれる米の量を石高で表して、耕作する百姓ひゃくしょうに年貢ねんぐを納めさせた政策です。この政策を何といいますか。

    太閤検地たいこうけんち

    豊臣秀吉とよとみひでよしは1582年から、従えた土地で次々に検地(田畑の調査)を行いました。

    年表で見る読みもの: 太閤検地と刀狩のちがい
  8. 8本能寺ほんのうじの変へんのすぐ後、中国地方から急いで引き返した豊臣秀吉とよとみひでよしが、京都きょうとの○○で明智光秀あけちみつひでをやぶった戦いです。秀吉ひでよしが信長のぶながの後継者となるきっかけになりました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    山崎やまざきの戦い

    本能寺ほんのうじの変へんの知らせを受けたとき、秀吉ひでよし(当時は羽柴秀吉)は備中びっちゅう(岡山県)の高松城を攻めていました。

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  9. 9○○が、朝廷ちょうていから△△に任じられたできごとです。△△は、成人した天皇てんのうを助けて政治を行う役職です。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    豊臣秀吉とよとみひでよしが関白かんぱくになる

    関白かんぱくは天皇てんのうを助けて政治を行う最高の役職で、平安時代へいあんじだいには藤原氏ふじわらしがついていました。

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  10. 10豊臣秀吉とよとみひでよしが、百姓ひゃくしょうから刀や鉄砲てっぽうなどの武器を取り上げるよう命じた法令です。一揆いっきを防ぎ、百姓ひゃくしょうを農業に専念させるのがねらいでした。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    刀狩令かたながりれい

    戦国時代せんごくじだいには、百姓ひゃくしょうも刀ややりなどの武器を持ち、一揆いっきを起こしたり戦いに加わったりしていました。

    年表で見る読みもの: 太閤検地と刀狩のちがい
  11. 11○○が、関東かんとうの北条氏ほうじょうしをほろぼし、東北とうほくの大名だいみょうも従えて、全国を統一とういつしたできごとです。応仁おうにんの乱らんから続いた戦国せんごくの世が終わりました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    豊臣秀吉とよとみひでよしの全国統一ぜんこくとういつ

    秀吉ひでよしは本能寺ほんのうじの変へんの後、山崎やまざきの戦いで明智光秀あけちみつひでをやぶり、信長のぶながの後継者の地位を固めました。

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  12. 12豊臣秀吉とよとみひでよしが晩年に、幼い子の秀頼を支えるために整えたしくみです。有力な大名だいみょうの○○と、政治の実務を受け持つ△△が置かれました。この説明にあてはまるものを何といいますか。

    五大老ごたいろう・五奉行ごぶぎょう

    秀吉ひでよしには晩年に生まれた子の秀頼がいましたが、まだ幼かったため、秀吉ひでよしは死の前に政治のしくみを整えました。

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  13. 13豊臣秀吉とよとみひでよしの死後、徳川家康とくがわいえやすの東軍と、石田三成いしだみつなりを中心とする西軍が、美濃の○○で戦った天下分け目の戦いです。勝った家康が全国を治める力を手に入れました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    関ヶ原せきがはらの戦い

    秀吉ひでよしの死後、五大老ごたいろうの中で最も力のあった徳川家康とくがわいえやすと、豊臣氏を守ろうとする五奉行ごぶぎょうの石田三成いしだみつなりが対立しました。

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  14. 14『家臣の明智光秀あけちみつひでが、京都きょうとの○○にいた織田信長おだのぶながをおそったできごとです。』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。

    本能寺ほんのうじの変へん

    京都きょうとの本能寺ほんのうじにとまっていた織田信長おだのぶながが、家臣の明智光秀あけちみつひでにおそわれて自害したできごとです。

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  15. 15『おそわれた織田信長おだのぶながは、○○で自害しました。』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。

    本能寺ほんのうじの変へん

    京都きょうとの本能寺ほんのうじにとまっていた織田信長おだのぶながが、家臣の明智光秀あけちみつひでにおそわれて自害したできごとです。

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  16. 16『○○が、小田原おだわらの北条氏ほうじょうしをほろぼして全国を統一とういつしました。』という特徴にあてはまるできごとは何でしょう。

    豊臣秀吉とよとみひでよしの全国統一ぜんこくとういつ

    豊臣秀吉とよとみひでよしが、関東かんとうの北条氏ほうじょうしをほろぼし、東北とうほくの大名だいみょうも従えて、全国を統一とういつしたできごとです。

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  17. 17『○○には、徳川家康とくがわいえやすや前田利家などの有力な大名だいみょうが選ばれました。』という特徴にあてはまるものは何でしょう。

    五大老ごたいろう・五奉行ごぶぎょう

    豊臣秀吉とよとみひでよしが晩年に、幼い子の秀頼を支えるために整えたしくみです。

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  18. 181585年、織田信長おだのぶながのあとをついで天下統一を進めていた武将が、朝廷ちょうていから、成人した天皇てんのうを助けて政治を行う役職に任じられました。この武将は征夷大将軍せいいたいしょうぐんにはならず、この役職の力で全国を治めました。この説明にあてはまるできごとは何でしょう。

    豊臣秀吉とよとみひでよしが関白かんぱくになる

    関白かんぱくは天皇てんのうを助けて政治を行う最高の役職で、平安時代へいあんじだいには藤原氏ふじわらしがついていました。

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年号をこたえる

  1. 19『長篠ながしのの戦い』が起きたのは何年でしょう。

    1575年

    長篠ながしのの戦い(1575年)。織田信長おだのぶながと徳川家康とくがわいえやすの連合軍が、大量の鉄砲てっぽうを使って、甲斐かいの武田勝頼の騎馬隊をやぶった戦いです。ごろ合わせ: 以後(15)泣こ(75)う武田たけだの騎馬隊

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  2. 20『本能寺ほんのうじの変へん』が起きたのは何年でしょう。

    1582年

    本能寺ほんのうじの変へん(1582年)。京都きょうとの本能寺ほんのうじにとまっていた織田信長おだのぶながが、家臣の明智光秀あけちみつひでにおそわれて自害したできごとです。ごろ合わせ: 以後(15)は、に(82)げられぬ本能寺ほんのうじ

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  3. 21豊臣秀吉とよとみひでよしが太閤検地たいこうけんちを始めたのは何年でしょう。

    1582年

    太閤検地たいこうけんち(1582年)。豊臣秀吉とよとみひでよしが全国の田畑の広さや土地のよしあしを調べ、とれる米の量を石高で表して、耕作する百姓ひゃくしょうに年貢ねんぐを納めさせた政策です。ごろ合わせ: 以後(15)はつ(82)のものさし統一とういつ、太閤検地たいこうけんち

    年表で見る読みもの: 太閤検地と刀狩のちがい
  4. 22『山崎やまざきの戦い』が起きたのは何年でしょう。

    1582年

    山崎やまざきの戦い(1582年)。本能寺ほんのうじの変へんのすぐ後、中国地方から急いで引き返した豊臣秀吉とよとみひでよしが、京都きょうとの山崎やまざきで明智光秀あけちみつひでをやぶった戦いです。

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  5. 23豊臣秀吉とよとみひでよしが関白かんぱくになったのは何年でしょう。

    1585年

    豊臣秀吉とよとみひでよしが関白かんぱくになる(1585年)。豊臣秀吉とよとみひでよしが、朝廷ちょうていから関白かんぱくに任じられたできごとです。ごろ合わせ: 以後(15)はこ(85)ぶ出世の道、関白かんぱくに

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  6. 24『刀狩令かたながりれい』が起きたのは何年でしょう。

    1588年

    刀狩令かたながりれい(1588年)。豊臣秀吉とよとみひでよしが、百姓ひゃくしょうから刀や鉄砲てっぽうなどの武器を取り上げるよう命じた法令です。ごろ合わせ: 以後(15)はは(88)なす、百姓ひゃくしょうの刀

    年表で見る読みもの: 太閤検地と刀狩のちがい
  7. 25『豊臣秀吉とよとみひでよしの全国統一ぜんこくとういつ』が起きたのは何年でしょう。

    1590年

    豊臣秀吉とよとみひでよしの全国統一ぜんこくとういつ(1590年)。豊臣秀吉とよとみひでよしが、関東かんとうの北条氏ほうじょうしをほろぼし、東北とうほくの大名だいみょうも従えて、全国を統一とういつしたできごとです。ごろ合わせ: 以後(15)こわ(90)いものなし天下統一

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  8. 26『関ヶ原せきがはらの戦い』が起きたのは何年でしょう。

    1600年

    関ヶ原せきがはらの戦い(1600年)。豊臣秀吉とよとみひでよしの死後、徳川家康とくがわいえやすの東軍と、石田三成いしだみつなりを中心とする西軍が、美濃の関ヶ原せきがはらで戦った天下分け目の戦いです。ごろ合わせ: ヒーローおお(1600)ぜい、天下分け目の関ヶ原せきがはら

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原因と結果

  1. 27『兵農分離へいのうぶんり』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    太閤検地たいこうけんち

    豊臣秀吉とよとみひでよしが全国の田畑の広さや土地のよしあしを調べ、とれる米の量を石高で表して、耕作する百姓ひゃくしょうに年貢ねんぐを納めさせた政策です。「太閤検地たいこうけんち」が「兵農分離へいのうぶんり」のきっかけになりました。

    年表で見る読みもの: 太閤検地と刀狩のちがい
  2. 28『本能寺ほんのうじの変へん』の結果として起きたことは何でしょう。

    山崎やまざきの戦い

    本能寺ほんのうじの変へんのすぐ後、中国地方から急いで引き返した豊臣秀吉とよとみひでよしが、京都きょうとの山崎やまざきで明智光秀あけちみつひでをやぶった戦いです。「本能寺ほんのうじの変へん」のあとに起きたできごとです。

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  3. 29『太閤検地たいこうけんち』の結果として起きたことは何でしょう。

    兵農分離へいのうぶんり

    武士ぶしと百姓ひゃくしょう(農民のうみん)の身分をはっきり分け、武士ぶしは城下町じょうかまちに住んで戦いと政治を、百姓ひゃくしょうは村で農業をするようにしたことです。「太閤検地たいこうけんち」のあとに起きたできごとです。

    年表で見る読みもの: 太閤検地と刀狩のちがい
  4. 30『山崎やまざきの戦い』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    本能寺ほんのうじの変へん

    京都きょうとの本能寺ほんのうじにとまっていた織田信長おだのぶながが、家臣の明智光秀あけちみつひでにおそわれて自害したできごとです。「本能寺ほんのうじの変へん」が「山崎やまざきの戦い」のきっかけになりました。

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  5. 31『豊臣秀吉とよとみひでよしの全国統一ぜんこくとういつ』の結果として起きたことは何でしょう。

    文禄ぶんろくの役えき

    豊臣秀吉とよとみひでよしが、明みん(中国)を征服しようとして、大軍を朝鮮ちょうせんに送った1回目の出兵です。「豊臣秀吉とよとみひでよしの全国統一ぜんこくとういつ」のあとに起きたできごとです。

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  6. 32『関ヶ原せきがはらの戦い』の結果として起きたことは何でしょう。

    江戸幕府えどばくふが開かれる

    徳川家康とくがわいえやすが征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任じられて幕府ばくふを開いたできごとです。「関ヶ原せきがはらの戦い」のあとに起きたできごとです。

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くらべて見分ける

  1. 33桶狭間おけはざまの戦いと長篠ながしのの戦いのうち、勝ち方が『少ない兵へいで敵の本陣をおそった』なのはどちらでしょう。

    桶狭間おけはざまの戦い

    桶狭間おけはざまの戦いの勝ち方は『少ない兵へいで敵の本陣をおそった』です。ほかは長篠ながしのの戦いが『大量の鉄砲てっぽうを使った』です。

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  2. 34太閤検地たいこうけんちと刀狩令かたながりれいのうち、目的が『田畑を調べて、年貢ねんぐを確実に取る』なのはどちらでしょう。

    太閤検地たいこうけんち

    太閤検地たいこうけんちの目的は『田畑を調べて、年貢ねんぐを確実に取る』です。ほかは刀狩令かたながりれいが『百姓ひゃくしょうから武器を取り上げ、一揆いっきを防ぐ』です。

    年表で見る読みもの: 太閤検地と刀狩のちがい
  3. 35太閤検地たいこうけんちと刀狩令かたながりれいのうち、百姓ひゃくしょうへの影響が『検地帳に名前が記され、年貢ねんぐを納める義務を負った』なのはどちらでしょう。

    太閤検地たいこうけんち

    太閤検地たいこうけんちの百姓ひゃくしょうへの影響は『検地帳に名前が記され、年貢ねんぐを納める義務を負った』です。ほかは刀狩令かたながりれいが『武器を持てなくなり、農業に専念することになった』です。

    年表で見る読みもの: 太閤検地と刀狩のちがい

外交・世界13問

中学受験で押さえておきたいポイント3つ
  1. 1朝鮮出兵は2回

    豊臣秀吉とよとみひでよしは明みんの征服をめざして朝鮮ちょうせんに2回出兵しました。秀吉ひでよしが病死したため、日本軍にほんぐんは引きあげました。

    文禄ぶんろくの役えき慶長けいちょうの役えき
    年1592年1597年
    きっかけ明みんの征服をめざし、朝鮮ちょうせんに協力を求めたが断られた明みんとの仲直りの話し合いが失敗に終わった
  2. 2南蛮貿易なんばんぼうえきの相手はポルトガル・スペイン

    九州きゅうしゅうの平戸や長崎ながさきなどの港で行われ、パンやカステラ、カルタなどの南蛮文化が伝わりました。

    日本輸出:銀輸入:中国の生糸・鉄砲てっぽう・火薬かやくポルトガル・スペイン
  3. 3バテレン追放令ついほうれいでも貿易ぼうえきは続けた

    1587年に豊臣秀吉とよとみひでよしは宣教師せんきょうしを国外に追放するよう命じましたが、南蛮貿易なんばんぼうえきは続けたため、キリスト教きょうの取りしまりは徹底しませんでした。

名前をこたえる

  1. 36ポルトガル人やスペイン人(南蛮人)と行った貿易ぼうえきです。日本は銀を輸出し、中国の生糸や、鉄砲てっぽう・火薬かやくなどを輸入しました。この説明にあてはまる貿易ぼうえきを何といいますか。

    南蛮貿易なんばんぼうえき

    鉄砲てっぽうの伝来でんらいをきっかけに、ポルトガル人やスペイン人が日本に来るようになりました。

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  2. 37九州きゅうしゅうのキリシタン大名だいみょうが、ローマ教皇のもとに送った4人の少年の使節です。1582年に長崎ながさきを出発し、ヨーロッパを訪れて1590年に帰国きこくしました。この説明にあてはまる使節を何といいますか。

    天正遣欧使節てんしょうけんおうしせつ

    宣教師せんきょうしのすすめで、キリシタン大名だいみょうの大友宗麟・大村純忠・有馬晴信は、伊東マンショら4人の少年をヨーロッパに送りました。

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  3. 38豊臣秀吉とよとみひでよしが、明みん(中国)を征服しようとして、大軍を朝鮮ちょうせんに送った1回目の出兵です。はじめは勝ち進みましたが、朝鮮ちょうせんの水軍や明みんの援軍に苦しみました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    文禄ぶんろくの役えき

    全国を統一とういつした秀吉ひでよしは、明みんを征服しようと考え、朝鮮ちょうせんに協力を求めましたが断られました。

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  4. 39明みんとの仲直り(講和)の話し合いがまとまらず、豊臣秀吉とよとみひでよしがふたたび朝鮮ちょうせんに軍を送った2回目の出兵です。秀吉ひでよしが亡くなったため、日本軍にほんぐんは引きあげました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    慶長けいちょうの役えき

    文禄ぶんろくの役えきの後、秀吉ひでよしは明みんと講和の話し合いを進めましたが、明みんが秀吉ひでよしを日本の国王と認めるだけの内容だったため、話し合いは失敗に終わりました。

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  5. 40オランダの船リーフデ号が、豊後ぶんご(大分県)に流れ着いたできごとです。乗っていたウィリアム・アダムズとヤン・ヨーステンは、のちに徳川家康とくがわいえやすの外交の相談役になりました。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    オランダ船リーフデ号の漂着ひょうちゃく

    1600年、オランダの船リーフデ号が豊後ぶんご(大分県)の海岸に流れ着きました。

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年号をこたえる

  1. 41『文禄ぶんろくの役えき』が起きたのは何年でしょう。

    1592年

    文禄ぶんろくの役えき(1592年)。豊臣秀吉とよとみひでよしが、明みん(中国)を征服しようとして、大軍を朝鮮ちょうせんに送った1回目の出兵です。ごろ合わせ: 以後(15)くに(92)を出て朝鮮出兵(文禄ぶんろくの役えき)

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  2. 42『慶長けいちょうの役えき』が起きたのは何年でしょう。

    1597年

    慶長けいちょうの役えき(1597年)。明みんとの仲直り(講和)の話し合いがまとまらず、豊臣秀吉とよとみひでよしがふたたび朝鮮ちょうせんに軍を送った2回目の出兵です。ごろ合わせ: 以後(15)、くな(97)いよ二度目の出兵

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  3. 43『オランダ船リーフデ号の漂着ひょうちゃく』が起きたのは何年でしょう。

    1600年

    オランダ船リーフデ号の漂着ひょうちゃく(1600年)。オランダの船リーフデ号が、豊後ぶんご(大分県)に流れ着いたできごとです。

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原因と結果

  1. 44『南蛮貿易なんばんぼうえき』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    鉄砲伝来てっぽうでんらい

    種子島たねがしまに流れ着いた中国船に乗っていたポルトガル人が、日本に初めて鉄砲てっぽうを伝えました。「鉄砲伝来てっぽうでんらい」が「南蛮貿易なんばんぼうえき」のきっかけになりました。

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  2. 45『文禄ぶんろくの役えき』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    豊臣秀吉とよとみひでよしの全国統一ぜんこくとういつ

    豊臣秀吉とよとみひでよしが、関東かんとうの北条氏ほうじょうしをほろぼし、東北とうほくの大名だいみょうも従えて、全国を統一とういつしたできごとです。「豊臣秀吉とよとみひでよしの全国統一ぜんこくとういつ」が「文禄ぶんろくの役えき」のきっかけになりました。

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  3. 46『文禄ぶんろくの役えき』の結果として起きたことは何でしょう。

    慶長けいちょうの役えき

    明みんとの仲直り(講和)の話し合いがまとまらず、豊臣秀吉とよとみひでよしがふたたび朝鮮ちょうせんに軍を送った2回目の出兵です。「文禄ぶんろくの役えき」のあとに起きたできごとです。

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  4. 47『慶長けいちょうの役えき』の原因やきっかけになったできごとは何でしょう。

    文禄ぶんろくの役えき

    豊臣秀吉とよとみひでよしが、明みん(中国)を征服しようとして、大軍を朝鮮ちょうせんに送った1回目の出兵です。「文禄ぶんろくの役えき」が「慶長けいちょうの役えき」のきっかけになりました。

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くらべて見分ける

  1. 48文禄ぶんろくの役えきと慶長けいちょうの役えきのうち、終わり方が『明みんとの話し合いに入って休戦した』なのはどちらでしょう。

    文禄ぶんろくの役えき

    文禄ぶんろくの役えきの終わり方は『明みんとの話し合いに入って休戦した』です。ほかは慶長けいちょうの役えきが『豊臣秀吉とよとみひでよしが亡くなり、軍を引きあげた』です。

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文化・くらし24問

中学受験で押さえておきたいポイント2つ
  1. 1桃山文化ももやまぶんかは豪華で雄大

    大名だいみょうや大商人の富を背景にした文化です。天守のある城と、金箔を使った障壁画が代表です。

    安土城あづちじょう
    織田信長おだのぶながが琵琶湖のほとりに築いた
    大阪城おおさかじょう
    豊臣秀吉とよとみひでよしが石山本願寺の跡地に築いた
    狩野永徳かのうえいとく
    金箔の障壁画・唐獅子図屏風からじしずびょうぶ
    千利休せんのりきゅう
    わび茶(茶の湯)を大成
    出雲いずもの阿国おくに
    かぶき踊りを始め、歌舞伎のもとになった
  2. 2千利休せんのりきゅうとわび茶

    堺さかいの大商人の出身の千利休せんのりきゅうは、簡素な茶室や道具を用いるわび茶を大成しました。今の茶道のもとです。

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  1. 49堺さかいの大商人の出身で、織田信長おだのぶながや豊臣秀吉とよとみひでよしに仕え、質素な茶室や道具で心を通わせるわび茶(茶の湯)を大成した茶人はだれでしょう。

    千利休せんのりきゅう

    千利休せんのりきゅうは、貿易ぼうえきで栄えた堺さかい(大阪おおさか府)の商人の家に生まれ、若いころから茶の湯を学びました。

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  2. 50狩野派の画家で、織田信長おだのぶながや豊臣秀吉とよとみひでよしに仕え、安土城あづちじょうや大阪城おおさかじょうのふすまや屏風に、金箔を使った豪華な障壁画を描きました。代表作は「唐獅子図屏風からじしずびょうぶ」です。この人物はだれでしょう。

    狩野永徳かのうえいとく

    狩野永徳かのうえいとくは、室町時代むろまちじだいから続く画家の一族いちぞくである狩野派に生まれました。

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  3. 51織田信長おだのぶなが・豊臣秀吉とよとみひでよしのころに栄えた、大名だいみょうや大商人の力と富を示す豪華で雄大な文化です。天守のある城や金箔を使った障壁画がつくられ、千利休せんのりきゅうの茶の湯も生まれました。この説明にあてはまる文化を何といいますか。

    桃山文化ももやまぶんか

    天下統一を進めた信長のぶなが・秀吉ひでよしや、各地の大名だいみょう、堺などの大商人の豊かな財力を背景に、豪華で力強い文化が生まれました。

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  4. 52織田信長おだのぶながが琵琶湖のほとりに築いた、高くそびえる天主をもつ城です。城下町じょうかまちでは楽市らくいち・楽座らくざが行われました。この説明にあてはまる建物を何といいますか。

    安土城あづちじょう

    1576年、織田信長おだのぶながは近江おうみ(滋賀県しがけん)の安土山に城を築き始め、1579年に天主(天守)が完成かんせいしました。

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  5. 53織田信長おだのぶながが、安土城あづちじょうの城下町じょうかまちなどで市場の税をなくし、座(商工業者の同業者の団体)の特権を廃止はいしして、だれでも自由に商売できるようにした政策です。この政策を何といいますか。

    楽市らくいち・楽座らくざ

    室町時代むろまちじだいには、座とよばれる商工業者の団体が、寺社や貴族きぞくに税を納めるかわりに商売を独占していました。

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  6. 54千利休せんのりきゅうが大成した、質素な茶室で心をこめて客に茶をたててもてなす茶の湯の作法です。簡素で静かな美しさを大切にします。この説明にあてはまる作法を何といいますか。

    わび茶(茶の湯)

    茶を飲む習慣は鎌倉時代かまくらじだいに栄西えいさいが広め、室町時代むろまちじだいには茶会が開かれるようになりました。

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  7. 55豊臣秀吉とよとみひでよしが、石山本願寺の跡地に築いた大きな城です。全国統一ぜんこくとういつの拠点となり、金箔で飾られた豪華な天守がそびえていました。この説明にあてはまる建物を何といいますか。

    大阪城おおさかじょう

    1583年、豊臣秀吉とよとみひでよしは、織田信長おだのぶながと戦った石山本願寺のあった場所に城を築き始めました。

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  8. 56狩野永徳かのうえいとくが描いたとされる屏風で、金箔の地に2頭の唐獅子が力強く歩くすがたが描かれています。桃山文化ももやまぶんかの障壁画を代表する作品は何でしょう。

    唐獅子図屏風からじしずびょうぶ

    唐獅子は、ライオンをもとにした想像上の動物です。

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  9. 57豊臣秀吉とよとみひでよしが、キリスト教きょうの宣教師せんきょうし(バテレン)に国外へ出ていくよう命じた法令です。南蛮貿易なんばんぼうえきは続けたため、キリスト教きょうの禁止きんしは徹底しませんでした。この説明にあてはまるできごとを何といいますか。

    バテレン追放令ついほうれい

    秀吉ひでよしははじめ、信長のぶながと同じようにキリスト教きょうの布教ふきょうを認めていました。

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  10. 58港に着いた南蛮船や、日本の町を歩く南蛮人(ポルトガル人やスペイン人)のようすを描いた屏風です。南蛮貿易なんばんぼうえきのようすを今に伝えています。この説明にあてはまる屏風を何といいますか。

    南蛮屏風なんばんびょうぶ

    南蛮貿易なんばんぼうえきがさかんになると、日本の画家たちは、港に着いた大きな南蛮船や、めずらしい服を着た南蛮人、宣教師せんきょうしなどのようすを屏風に描きました。

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  11. 59兵庫ひょうご県にある、白い壁の美しさから白鷺城ともよばれる城です。今の天守は関ヶ原せきがはらの戦いの後に完成かんせいし、1993年に世界文化遺産に登録されました。この説明にあてはまる建物を何といいますか。

    姫路城ひめじじょう

    姫路城ひめじじょうは、播磨はりま(兵庫ひょうご県)の姫路にある城です。

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  12. 60○○が京都きょうとで始めた、はなやかな衣装で踊る芸能です。都みやこの人々の人気を集め、のちに江戸時代えどじだいに男性が演じる演劇のもとになりました。この説明にあてはまる芸能を何といいますか。

    かぶき踊り(出雲いずもの阿国おくに)

    出雲大社の巫女と名乗る阿国おくにという女性が、京都きょうとで、男装するなど人目をひくすがたで踊るかぶき踊りを始めました。

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  13. 61『安土城あづちじょう』をつくった人物はだれでしょう。

    織田信長おだのぶなが

    安土城あづちじょう(1576年)。織田信長おだのぶながが琵琶湖のほとりに築いた、高くそびえる天主をもつ城です。つくった人物は織田信長おだのぶながです。

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  14. 62『わび茶(茶の湯)』をつくった人物はだれでしょう。

    千利休せんのりきゅう

    わび茶(茶の湯)(1580年ごろ)。千利休せんのりきゅうが大成した、質素な茶室で心をこめて客に茶をたててもてなす茶の湯の作法です。つくった人物は千利休せんのりきゅうです。

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  15. 63『大阪城おおさかじょう』をつくった人物はだれでしょう。

    豊臣秀吉とよとみひでよし

    大阪城おおさかじょう(1583年)。豊臣秀吉とよとみひでよしが、石山本願寺の跡地に築いた大きな城です。つくった人物は豊臣秀吉とよとみひでよしです。

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  16. 64『唐獅子図屏風からじしずびょうぶ』をつくった人物はだれでしょう。

    狩野永徳かのうえいとく

    唐獅子図屏風からじしずびょうぶ(1585年ごろ)。狩野永徳かのうえいとくが描いたとされる屏風で、金箔の地に2頭の唐獅子が力強く歩くすがたが描かれています。つくった人物は狩野永徳かのうえいとくです。

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  17. 65『女性の○○が、男装するなど人目をひくすがたで演じました。』という特徴にあてはまる芸能は何でしょう。

    かぶき踊り(出雲いずもの阿国おくに)

    出雲いずもの阿国おくにが京都きょうとで始めた、はなやかな衣装で踊る芸能です。

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  1. 66『安土城あづちじょう』がつくられたのは何年でしょう。

    1576年

    安土城あづちじょう(1576年)。織田信長おだのぶながが琵琶湖のほとりに築いた、高くそびえる天主をもつ城です。

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  2. 67織田信長おだのぶながが安土あづちの城下町じょうかまちに楽市らくいち・楽座らくざの命令めいれいを出したのは何年でしょう。

    1577年

    楽市らくいち・楽座らくざ(1577年)。織田信長おだのぶながが、安土城あづちじょうの城下町じょうかまちなどで市場の税をなくし、座(商工業者の同業者の団体)の特権を廃止はいしして、だれでも自由に商売できるようにした政策です。ほかの年で習うこともあります(1567年に美濃の加納(岐阜県)にも楽市らくいちの命令めいれいを出している。安土あづちの城下町じょうかまちに出したのは1577年)。ごろ合わせ: 以後(15)なな(77)いろの店がならぶ楽市らくいち・楽座らくざ

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  3. 68『大阪城おおさかじょう』がつくられたのは何年でしょう。

    1583年

    大阪城おおさかじょう(1583年)。豊臣秀吉とよとみひでよしが、石山本願寺の跡地に築いた大きな城です。

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  4. 69『バテレン追放令ついほうれい』が起きたのは何年でしょう。

    1587年

    バテレン追放令ついほうれい(1587年)。豊臣秀吉とよとみひでよしが、キリスト教きょうの宣教師せんきょうし(バテレン)に国外へ出ていくよう命じた法令です。ごろ合わせ: 以後(15)はな(87)れよ宣教師せんきょうし、バテレン追放令ついほうれい

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  1. 70雪舟せっしゅうと狩野永徳かのうえいとくのうち、絵の特色が『墨でえがく水墨画すいぼくが』なのはどちらでしょう。

    雪舟せっしゅう

    雪舟せっしゅうの絵の特色は『墨でえがく水墨画すいぼくが』です。ほかは狩野永徳かのうえいとくが『金箔を使った豪華な障壁画』です。

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  2. 71東山文化ひがしやまぶんかと桃山文化ももやまぶんかのうち、特色が『禅宗ぜんしゅうの影響を受けた簡素な文化』なのはどちらでしょう。

    東山文化ひがしやまぶんか

    東山文化ひがしやまぶんかの特色は『禅宗ぜんしゅうの影響を受けた簡素な文化』です。ほかは桃山文化ももやまぶんかが『豪華で雄大な文化』です。

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  3. 72安土城あづちじょうと大阪城おおさかじょうのうち、場所が『琵琶湖のほとり(滋賀県しがけん)』なのはどちらでしょう。

    安土城あづちじょう

    安土城あづちじょうの場所は『琵琶湖のほとり(滋賀県しがけん)』です。ほかは大阪城おおさかじょうが『石山本願寺の跡(大阪おおさか府)』です。

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安土桃山時代の読みもの

まぎらわしい用語のちがいを、表と図でくらべて読めます。

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