元禄文化と化政文化のちがい

ちがい江戸時代後期文化・くらし

元禄文化と化政文化のちがいの要点をまとめたイラスト

元禄文化は、5代将軍徳川綱吉のころに、上方(京都・大阪)の町人を中心に栄えた文化で、井原西鶴・松尾芭蕉・近松門左衛門らが活やくしました。化政文化は、11代将軍徳川家斉のころに、江戸の町人を中心に栄えた文化で、葛飾北斎・歌川広重の多色刷りの浮世絵や、十返舎一九・滝沢馬琴の小説、小林一茶の俳諧が人気を集めました。

2026/10/11 公開・ふりがなつき

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元禄文化げんろくぶんか化政文化かせいぶんか
栄えた時期5代将軍しょうぐん徳川綱吉とくがわつなよしのころ11代将軍徳川家斉のころ
中心の地域上方(京都きょうと・大阪おおさか)の町人江戸えどに住む町人たち
おもな作家井原西鶴いはらさいかく・近松門左衛門ちかまつもんざえもん・松尾芭蕉まつおばしょう十返舎一九じっぺんしゃいっく・滝沢馬琴たきざわばきん・小林一茶こばやしいっさ
おもな浮世絵師浮世絵を始めた菱川師宣ひしかわもろのぶ葛飾北斎かつしかほくさい・歌川広重うたがわひろしげ・喜多川歌麿きたがわうたまろ
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見分けるときは、「いつ(どの将軍しょうぐんのころ)」と「どこ(上方か江戸えどか)」の2つを見ます。5代将軍しょうぐんの綱吉のころに上方で栄えたのが元禄文化げんろくぶんか、11代将軍しょうぐんの家斉のころに江戸えどで栄えたのが化政文化かせいぶんかです。どちらも、町人が文化の中心になったところは同じです。

覚え方

元禄=上方(京都きょうと・大阪おおさか)/化政=江戸えどの町人

年の順に見る

  1. 1684年人形浄瑠璃にんぎょうじょうるり
  2. 1688年元禄文化げんろくぶんか
  3. 1703年曽根崎心中そねざきしんじゅう
  4. 1716年享保きょうほうの改革かいかく
  5. 1787年寛政かんせいの改革かいかく
  6. 1802年東海道中膝栗毛とうかいどうちゅうひざくりげ
  7. 1804年化政文化かせいぶんか
  8. 1814年南総里見八犬伝なんそうさとみはっけんでん
  9. 1831年富嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい
  10. 1833年東海道五十三次とうかいどうごじゅうさんつぎ

元禄文化げんろくぶんかは、元禄という年号(1688〜1704年)を中心とした、17世紀せいきの終わりから18世紀せいきの初めの文化です。化政文化かせいぶんかは、文化・文政という年号(1804〜1830年)のころを中心に栄えた文化です。二つの文化のはじまりは、100年あまりはなれています。そのあいだには、享保の改革や寛政の改革がありました。

元禄文化

17世紀せいきの終わりごろ、5代将軍しょうぐん徳川綱吉の時代には、世の中が安定して商業がさかんになり、大阪おおさかや京都きょうとなどの上方の町人が豊かになりました。こうした町人を担い手として栄えた文化を、そのころの年号から元禄文化といいます。

おもな人物と作品

分野代表的な人物代表作
浮世草子井原西鶴いはらさいかく『日本永代蔵にっぽんえいたいぐら』
俳諧松尾芭蕉まつおばしょう『おくのほそ道』
人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりの脚本近松門左衛門ちかまつもんざえもん『曽根崎心中そねざきしんじゅう』
浮世絵菱川師宣ひしかわもろのぶ『見返みかえり美人図びじんず』
装飾画尾形光琳おがたこうりん『燕子花図屏風』
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井原西鶴は大阪おおさかの町人の家に生まれ、はじめは俳諧で名を知られました。のちに、町人のくらしやお金をめぐる成功と失敗を生き生きとえがいた、浮世草子とよばれる小説を書きました。『日本永代蔵にっぽんえいたいぐら』『世間胸算用』が代表作です。

松尾芭蕉は伊賀(三重県)に生まれ、それまでことば遊びの面が強かった俳諧を、自然や人生をしみじみと味わう芸術に高めました。1689年には弟子でしの曽良と東北とうほく・北陸をめぐる旅に出て、紀行文『おくのほそ道』を書きました。「古池や蛙飛びこむ水の音」や、平泉ひらいずみ(岩手県)でよんだ「夏草や兵どもが夢の跡」、立石寺(山形県)でよんだ「閑さや岩にしみ入る蝉の声」がよく知られています。

近松門左衛門は、人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりや歌舞伎の脚本を書きました。語り手の竹本義太夫と組んで大阪おおさかの竹本座で作品を上演し、1703年の『曽根崎心中』は大評判となりました。大阪おおさかで実際に起きた心中事件をもとに、義理と人情の間でなやむ町人の姿をえがいた作品です。人形浄瑠璃は、語り手が三味線に合わせて物語を語り、それに合わせて人形を動かして演じる芝居で、今は文楽とよばれています。

絵画では、菱川師宣が、町人の風俗をえがく浮世絵を始めた人とされます。代表作の『見返り美人図』は、歩きながら後ろをふり返る女性をえがいた絵です。京都きょうとの呉服屋の家に生まれた尾形光琳は、俵屋宗達たわらやそうたつの絵に学び、あざやかな色と大たんな構図で、はなやかな装飾画をえがきました。

元禄文化げんろくぶんかの中心は上方ですが、菱川師宣ひしかわもろのぶは江戸えどで活やくし、松尾芭蕉まつおばしょうも江戸えどの深川の芭蕉庵に住んでいました。人物の出身や住んだ場所と、文化の中心の地域は、分けて覚えましょう。

化政文化

11代将軍徳川家斉のころ、年号が文化・文政だった時期を中心に栄えた文化を、化政文化といいます。元禄文化げんろくぶんかが上方の町人を中心としたのに対し、化政文化かせいぶんかは江戸えどの町人が中心でした。町や村に寺子屋が広がり、町人や百姓ひゃくしょうの子どもたちが読み・書き・そろばんを習ったことで、読み書きのできる人がふえ、本や浮世絵が広く楽しまれる土台になりました。

小説

十返舎一九が1802年から出した『東海道中膝栗毛』は、江戸えどの弥次郎兵衛と喜多八(弥次さん・喜多さん)が、伊勢参りをめざして東海道を旅しながら失敗や笑いを起こすこっけいな話です。旅が流行していた江戸えどの人々の間で、大ベストセラーになりました。

滝沢馬琴は、1814年に『南総里見八犬伝』を書き始めました。不思議な玉を持つ8人の犬士が、安房(千葉県)の里見家のために活やくする長い物語です。晩年は目が見えなくなりましたが、家族に文字を書き取らせて書き続け、28年かけて完成かんせいさせました。

俳諧・川柳・狂歌

小林一茶は、信濃しなのの柏原(長野県)の農民のうみんの家に生まれた俳人です。スズメやカエルなどの小さな生き物や子どもへのやさしい気持ちを、わかりやすい日常の言葉でよみました。「やせがえる 負けるな一茶 これにあり」「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」などの句が有名です。このころは、川柳や狂歌も楽しまれました。

多色刷りの浮世絵

化政文化かせいぶんかのころには、多色刷りの浮世絵(錦絵)が大量につくられました。葛飾北斎は、各地から見た富士山を大たんな構図でえがいた『富嶽三十六景』で知られ、大波の向こうに富士山が見える「神奈川沖浪裏」が特に有名です。歌川広重は、江戸えどの日本橋から京都きょうとの三条大橋までの宿場の風景と旅人のようすをえがいた『東海道五十三次』で人気を集めました。雨や雪、夕暮れなど、天気や時間による景色の変へん化を表すのが得意でした。

浮世絵の移り変わり

菱川師宣ひしかわもろのぶから北斎・広重・歌麿へ

  1. 1元禄文化げんろくぶんかのころ、菱川師宣ひしかわもろのぶが町人の風俗をえがき、木版画で安く大量に刷って浮世絵を広めた
  2. 2寛政かんせいのころ(1790年代)、喜多川歌麿きたがわうたまろが多色刷りの技術を生かした美人画(大首絵)で大人気になった
  3. 3化政文化かせいぶんかのころ、多色刷りの浮世絵が大量につくられ、葛飾北斎かつしかほくさい・歌川広重うたがわひろしげの風景画が人気を集めた
  4. 4北斎や広重の作品は、ゴッホなどヨーロッパの画家にも影響をあたえた

菱川師宣ひしかわもろのぶは、本のさし絵で人気を集めたあと、町人の風俗や美人を題材にした絵を一枚の作品としてえがき、木版画で刷ることで浮世絵を広めました。ただし代表作の『見返みかえり美人図びじんず』は、版画ではなく筆で直接えがいた肉筆画です。

喜多川歌麿は、女性の顔や上半身を大きくえがく「大首絵」で、表情やしぐさを細かく表しました。表では化政文化かせいぶんかの浮世絵師に入っていますが、歌麿が人気になったのは寛政かんせいのころで、その作品は化政文化かせいぶんかの浮世絵の流行を準備するものとなりました。北斎の作品はゴッホなどに影響をあたえ、広重の晩年の『名所江戸百景』の作品は、ゴッホが油絵でまねてえがいています。

入試のポイント

元禄文化

  • 大阪おおさかや京都きょうとなどの上方を中心に栄えました。
  • 経済力をつけた町人が、文化の担い手となりました。
  • 浮世草子の井原西鶴いはらさいかく、俳諧の松尾芭蕉まつおばしょう、脚本の近松門左衛門ちかまつもんざえもんが活やくしました。
  • 絵画では、菱川師宣ひしかわもろのぶの浮世絵や尾形光琳おがたこうりんの装飾画が生まれました。

化政文化

  • 江戸えどの町人を中心に栄えた文化です。
  • 葛飾北斎かつしかほくさいや歌川広重うたがわひろしげの風景画など、多色刷りの浮世絵が大量につくられました。
  • 十返舎一九じっぺんしゃいっくや滝沢馬琴たきざわばきんの小説、小林一茶こばやしいっさの俳諧が人気を集めました。

よくあるまちがい

上方と江戸を取りちがえる

元禄文化げんろくぶんかは上方(京都きょうと・大阪おおさか)、化政文化かせいぶんかは江戸えどが中心です。元禄文化げんろくぶんかの井原西鶴いはらさいかくは大阪おおさかの町人で、近松門左衛門ちかまつもんざえもんは大阪おおさかの竹本座で作品を上演した、と結びつけると、元禄=上方を思い出しやすくなります。

人物がどちらの文化か迷う

元禄文化げんろくぶんかは井原西鶴いはらさいかく・松尾芭蕉まつおばしょう・近松門左衛門ちかまつもんざえもん・菱川師宣ひしかわもろのぶ・尾形光琳おがたこうりん、化政文化かせいぶんかは十返舎一九じっぺんしゃいっく・滝沢馬琴たきざわばきん・小林一茶こばやしいっさ・葛飾北斎かつしかほくさい・歌川広重うたがわひろしげ・喜多川歌麿きたがわうたまろです。浮世絵は、始めた菱川師宣ひしかわもろのぶが元禄文化げんろくぶんか、多色刷りの風景画や美人画をえがいた北斎・広重・歌麿が化政文化かせいぶんか、と分けましょう。

松尾芭蕉と小林一茶を取りちがえる

どちらも俳諧(俳句)の人ですが、芭蕉は元禄文化げんろくぶんか、一茶は化政文化かせいぶんかです。芭蕉は俳諧を芸術に高め、旅をして『おくのほそ道』を書きました。一茶は、小さな生き物や子どもへのやさしい気持ちを、わかりやすい言葉でよみました。「古池や」「夏草や」「閑さや」は芭蕉、「やせがえる」「雀の子」は一茶の句です。

確認問題

答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。

元禄文化

  1. Q1大阪おおさかの町人で、元禄文化げんろくぶんかを代表する作家です。町人のくらしや金もうけ、恋のようすを生き生きとえがいた、浮世草子という小説を書きました。この作家はだれでしょう。

    井原西鶴いはらさいかく

    井原西鶴いはらさいかくは大阪おおさかの町人の家に生まれ、はじめは俳諧で名を知られました。

  2. Q2俳諧(俳句)を芸術に高めた、元禄文化げんろくぶんかの俳人です。東北とうほく・北陸を旅して紀行文『おくのほそ道』を書き、「古池や蛙飛びこむ水の音」などの句を残しました。この俳人はだれでしょう。

    松尾芭蕉まつおばしょう

    松尾芭蕉まつおばしょうは伊賀(三重県)に生まれ、のちに江戸えどに出て深川の芭蕉庵に住みました。

  3. Q3人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりや歌舞伎の脚本を書いた、元禄文化げんろくぶんかの作家です。実際にあった心中事件をもとにした『曽根崎心中そねざきしんじゅう』などで、町人の義理と人情をえがきました。この作家はだれでしょう。

    近松門左衛門ちかまつもんざえもん

    近松門左衛門ちかまつもんざえもんは越前えちぜん(福井県)の武士ぶしの家に生まれ、京都きょうとで公家くげに仕えたのち、人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりや歌舞伎の脚本を書くようになりました。

江戸時代前期の一問一答でもっと解く

化政文化

  1. Q1江戸えどの浮世絵師で、いろいろな場所から見た富士山をえがいた『富嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』で知られます。ヨーロッパの画家にも影響をあたえました。この人物はだれでしょう。

    葛飾北斎かつしかほくさい

    葛飾北斎かつしかほくさいは江戸えどに生まれ、90歳近くまで絵をかき続けた浮世絵師です。

  2. Q2江戸えどの浮世絵師で、東海道の宿場の風景をえがいた『東海道五十三次とうかいどうごじゅうさんつぎ』で知られます。ゴッホが作品をまねてえがいたことでも有名です。この人物はだれでしょう。

    歌川広重うたがわひろしげ

    歌川広重うたがわひろしげは江戸えどの武士ぶしの家に生まれ、浮世絵師になりました。

  3. Q3江戸時代後期の作家で、弥次郎兵衛と喜多八の2人が東海道を旅するようすをおもしろおかしく書いた『東海道中膝栗毛とうかいどうちゅうひざくりげ』で人気を集めました。この人物はだれでしょう。

    十返舎一九じっぺんしゃいっく

    十返舎一九じっぺんしゃいっくは駿府(静岡県)の生まれで、江戸えどで作家として活やくしました。

江戸時代後期の一問一答でもっと解く

つぎのステップ

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