元禄文化と化政文化のちがい

元禄文化は、5代将軍徳川綱吉のころに、上方(京都・大阪)の町人を中心に栄えた文化で、井原西鶴・松尾芭蕉・近松門左衛門らが活やくしました。化政文化は、11代将軍徳川家斉のころに、江戸の町人を中心に栄えた文化で、葛飾北斎・歌川広重の多色刷りの浮世絵や、十返舎一九・滝沢馬琴の小説、小林一茶の俳諧が人気を集めました。
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| 元禄文化 | 化政文化 | |
|---|---|---|
| 栄えた時期 | 5代将軍徳川綱吉のころ | 11代将軍徳川家斉のころ |
| 中心の地域 | 上方(京都・大阪)の町人 | 江戸に住む町人たち |
| おもな作家 | 井原西鶴・近松門左衛門・松尾芭蕉 | 十返舎一九・滝沢馬琴・小林一茶 |
| おもな浮世絵師 | 浮世絵を始めた菱川師宣 | 葛飾北斎・歌川広重・喜多川歌麿 |
見分けるときは、「いつ(どの将軍のころ)」と「どこ(上方か江戸か)」の2つを見ます。5代将軍の綱吉のころに上方で栄えたのが元禄文化、11代将軍の家斉のころに江戸で栄えたのが化政文化です。どちらも、町人が文化の中心になったところは同じです。
覚え方
元禄=上方(京都・大阪)/化政=江戸の町人
年の順に見る
- 1684年人形浄瑠璃
- 1688年元禄文化
- 1703年曽根崎心中
- 1716年享保の改革
- 1787年寛政の改革
- 1802年東海道中膝栗毛
- 1804年化政文化
- 1814年南総里見八犬伝
- 1831年富嶽三十六景
- 1833年東海道五十三次
元禄文化は、元禄という年号(1688〜1704年)を中心とした、17世紀の終わりから18世紀の初めの文化です。化政文化は、文化・文政という年号(1804〜1830年)のころを中心に栄えた文化です。二つの文化のはじまりは、100年あまりはなれています。そのあいだには、享保の改革や寛政の改革がありました。
元禄文化
17世紀の終わりごろ、5代将軍徳川綱吉の時代には、世の中が安定して商業がさかんになり、大阪や京都などの上方の町人が豊かになりました。こうした町人を担い手として栄えた文化を、そのころの年号から元禄文化といいます。
おもな人物と作品
| 分野 | 代表的な人物 | 代表作 |
|---|---|---|
| 浮世草子 | 井原西鶴 | 『日本永代蔵』 |
| 俳諧 | 松尾芭蕉 | 『おくのほそ道』 |
| 人形浄瑠璃の脚本 | 近松門左衛門 | 『曽根崎心中』 |
| 浮世絵 | 菱川師宣 | 『見返り美人図』 |
| 装飾画 | 尾形光琳 | 『燕子花図屏風』 |
井原西鶴は大阪の町人の家に生まれ、はじめは俳諧で名を知られました。のちに、町人のくらしやお金をめぐる成功と失敗を生き生きとえがいた、浮世草子とよばれる小説を書きました。『日本永代蔵』『世間胸算用』が代表作です。
松尾芭蕉は伊賀(三重県)に生まれ、それまでことば遊びの面が強かった俳諧を、自然や人生をしみじみと味わう芸術に高めました。1689年には弟子の曽良と東北・北陸をめぐる旅に出て、紀行文『おくのほそ道』を書きました。「古池や蛙飛びこむ水の音」や、平泉(岩手県)でよんだ「夏草や兵どもが夢の跡」、立石寺(山形県)でよんだ「閑さや岩にしみ入る蝉の声」がよく知られています。
近松門左衛門は、人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本を書きました。語り手の竹本義太夫と組んで大阪の竹本座で作品を上演し、1703年の『曽根崎心中』は大評判となりました。大阪で実際に起きた心中事件をもとに、義理と人情の間でなやむ町人の姿をえがいた作品です。人形浄瑠璃は、語り手が三味線に合わせて物語を語り、それに合わせて人形を動かして演じる芝居で、今は文楽とよばれています。
絵画では、菱川師宣が、町人の風俗をえがく浮世絵を始めた人とされます。代表作の『見返り美人図』は、歩きながら後ろをふり返る女性をえがいた絵です。京都の呉服屋の家に生まれた尾形光琳は、俵屋宗達の絵に学び、あざやかな色と大たんな構図で、はなやかな装飾画をえがきました。
元禄文化の中心は上方ですが、菱川師宣は江戸で活やくし、松尾芭蕉も江戸の深川の芭蕉庵に住んでいました。人物の出身や住んだ場所と、文化の中心の地域は、分けて覚えましょう。
化政文化
11代将軍徳川家斉のころ、年号が文化・文政だった時期を中心に栄えた文化を、化政文化といいます。元禄文化が上方の町人を中心としたのに対し、化政文化は江戸の町人が中心でした。町や村に寺子屋が広がり、町人や百姓の子どもたちが読み・書き・そろばんを習ったことで、読み書きのできる人がふえ、本や浮世絵が広く楽しまれる土台になりました。
小説
十返舎一九が1802年から出した『東海道中膝栗毛』は、江戸の弥次郎兵衛と喜多八(弥次さん・喜多さん)が、伊勢参りをめざして東海道を旅しながら失敗や笑いを起こすこっけいな話です。旅が流行していた江戸の人々の間で、大ベストセラーになりました。
滝沢馬琴は、1814年に『南総里見八犬伝』を書き始めました。不思議な玉を持つ8人の犬士が、安房(千葉県)の里見家のために活やくする長い物語です。晩年は目が見えなくなりましたが、家族に文字を書き取らせて書き続け、28年かけて完成させました。
俳諧・川柳・狂歌
小林一茶は、信濃の柏原(長野県)の農民の家に生まれた俳人です。スズメやカエルなどの小さな生き物や子どもへのやさしい気持ちを、わかりやすい日常の言葉でよみました。「やせがえる 負けるな一茶 これにあり」「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」などの句が有名です。このころは、川柳や狂歌も楽しまれました。
多色刷りの浮世絵
化政文化のころには、多色刷りの浮世絵(錦絵)が大量につくられました。葛飾北斎は、各地から見た富士山を大たんな構図でえがいた『富嶽三十六景』で知られ、大波の向こうに富士山が見える「神奈川沖浪裏」が特に有名です。歌川広重は、江戸の日本橋から京都の三条大橋までの宿場の風景と旅人のようすをえがいた『東海道五十三次』で人気を集めました。雨や雪、夕暮れなど、天気や時間による景色の変化を表すのが得意でした。
浮世絵の移り変わり
菱川師宣から北斎・広重・歌麿へ
- 1元禄文化のころ、菱川師宣が町人の風俗をえがき、木版画で安く大量に刷って浮世絵を広めた
- 2寛政のころ(1790年代)、喜多川歌麿が多色刷りの技術を生かした美人画(大首絵)で大人気になった
- 3化政文化のころ、多色刷りの浮世絵が大量につくられ、葛飾北斎・歌川広重の風景画が人気を集めた
- 4北斎や広重の作品は、ゴッホなどヨーロッパの画家にも影響をあたえた
菱川師宣は、本のさし絵で人気を集めたあと、町人の風俗や美人を題材にした絵を一枚の作品としてえがき、木版画で刷ることで浮世絵を広めました。ただし代表作の『見返り美人図』は、版画ではなく筆で直接えがいた肉筆画です。
喜多川歌麿は、女性の顔や上半身を大きくえがく「大首絵」で、表情やしぐさを細かく表しました。表では化政文化の浮世絵師に入っていますが、歌麿が人気になったのは寛政のころで、その作品は化政文化の浮世絵の流行を準備するものとなりました。北斎の作品はゴッホなどに影響をあたえ、広重の晩年の『名所江戸百景』の作品は、ゴッホが油絵でまねてえがいています。
入試のポイント
元禄文化
- 大阪や京都などの上方を中心に栄えました。
- 経済力をつけた町人が、文化の担い手となりました。
- 浮世草子の井原西鶴、俳諧の松尾芭蕉、脚本の近松門左衛門が活やくしました。
- 絵画では、菱川師宣の浮世絵や尾形光琳の装飾画が生まれました。
化政文化
- 江戸の町人を中心に栄えた文化です。
- 葛飾北斎や歌川広重の風景画など、多色刷りの浮世絵が大量につくられました。
- 十返舎一九や滝沢馬琴の小説、小林一茶の俳諧が人気を集めました。
よくあるまちがい
上方と江戸を取りちがえる
元禄文化は上方(京都・大阪)、化政文化は江戸が中心です。元禄文化の井原西鶴は大阪の町人で、近松門左衛門は大阪の竹本座で作品を上演した、と結びつけると、元禄=上方を思い出しやすくなります。
人物がどちらの文化か迷う
元禄文化は井原西鶴・松尾芭蕉・近松門左衛門・菱川師宣・尾形光琳、化政文化は十返舎一九・滝沢馬琴・小林一茶・葛飾北斎・歌川広重・喜多川歌麿です。浮世絵は、始めた菱川師宣が元禄文化、多色刷りの風景画や美人画をえがいた北斎・広重・歌麿が化政文化、と分けましょう。
松尾芭蕉と小林一茶を取りちがえる
どちらも俳諧(俳句)の人ですが、芭蕉は元禄文化、一茶は化政文化です。芭蕉は俳諧を芸術に高め、旅をして『おくのほそ道』を書きました。一茶は、小さな生き物や子どもへのやさしい気持ちを、わかりやすい言葉でよみました。「古池や」「夏草や」「閑さや」は芭蕉、「やせがえる」「雀の子」は一茶の句です。
確認問題
答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。
元禄文化
Q1大阪の町人で、元禄文化を代表する作家です。町人のくらしや金もうけ、恋のようすを生き生きとえがいた、浮世草子という小説を書きました。この作家はだれでしょう。
井原西鶴
井原西鶴は大阪の町人の家に生まれ、はじめは俳諧で名を知られました。
Q2俳諧(俳句)を芸術に高めた、元禄文化の俳人です。東北・北陸を旅して紀行文『おくのほそ道』を書き、「古池や蛙飛びこむ水の音」などの句を残しました。この俳人はだれでしょう。
松尾芭蕉
松尾芭蕉は伊賀(三重県)に生まれ、のちに江戸に出て深川の芭蕉庵に住みました。
Q3人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本を書いた、元禄文化の作家です。実際にあった心中事件をもとにした『曽根崎心中』などで、町人の義理と人情をえがきました。この作家はだれでしょう。
近松門左衛門
近松門左衛門は越前(福井県)の武士の家に生まれ、京都で公家に仕えたのち、人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本を書くようになりました。
化政文化
Q1江戸の浮世絵師で、いろいろな場所から見た富士山をえがいた『富嶽三十六景』で知られます。ヨーロッパの画家にも影響をあたえました。この人物はだれでしょう。
葛飾北斎
葛飾北斎は江戸に生まれ、90歳近くまで絵をかき続けた浮世絵師です。
Q2江戸の浮世絵師で、東海道の宿場の風景をえがいた『東海道五十三次』で知られます。ゴッホが作品をまねてえがいたことでも有名です。この人物はだれでしょう。
歌川広重
歌川広重は江戸の武士の家に生まれ、浮世絵師になりました。
Q3江戸時代後期の作家で、弥次郎兵衛と喜多八の2人が東海道を旅するようすをおもしろおかしく書いた『東海道中膝栗毛』で人気を集めました。この人物はだれでしょう。
十返舎一九
十返舎一九は駿府(静岡県)の生まれで、江戸で作家として活やくしました。
つぎのステップ
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