太閤検地と刀狩のちがい

ちがい安土桃山時代政治

太閤検地と刀狩のちがいの要点をまとめたイラスト

太閤検地は、豊臣秀吉が1582年に始めた田畑の調査で、とれる米の量を石高で表し、耕作する百姓に年貢を納めさせました。刀狩令は、秀吉が1588年に出した法令で、百姓から刀や鉄砲などの武器を取り上げました。2つの政策で武士と百姓の身分が分けられ、兵農分離が進みました。

2026/10/11 公開・ふりがなつき

表でくらべる

太閤検地たいこうけんち刀狩令かたながりれい
年1582年1588年
目的田畑を調べて、年貢ねんぐを確実に取る百姓ひゃくしょうから武器を取り上げ、一揆いっきを防ぐ
百姓ひゃくしょうへの影響検地帳に名前が記され、年貢ねんぐを納める義務を負った武器を持てなくなり、農業に専念することになった
年表で「太閤検地」を見る

見分けるときは、「何を調べたか・何を取り上げたか」を見ます。田畑を調べて、とれる米の量と耕作する人を記録したのが太閤検地たいこうけんち、百姓ひゃくしょうから刀ややりなどの武器を取り上げたのが刀狩令かたながりれいです。どちらも豊臣秀吉とよとみひでよしの政策で、百姓ひゃくしょうのくらしを大きく変えました。

表の「1582年」は、太閤検地たいこうけんちを始めた年です。太閤検地たいこうけんちは1回で終わったのではなく、秀吉ひでよしが亡くなる1598年まで全国で続けられました。

年の順に見る

  1. 1582年本能寺ほんのうじの変へん
  2. 1582年山崎やまざきの戦い
  3. 1582年太閤検地たいこうけんち
  4. 1585年豊臣秀吉とよとみひでよしが関白かんぱくになる
  5. 1587年バテレン追放令ついほうれい
  6. 1588年刀狩令かたながりれい
  7. 1590年豊臣秀吉とよとみひでよしの全国統一ぜんこくとういつ

1582年、本能寺の変で織田信長おだのぶなががたおれました。中国地方で毛利氏と戦っていた秀吉ひでよしは、急いで京都きょうとへ引き返し、山崎の戦いで明智光秀あけちみつひでをやぶって、信長のぶながの後継者として力を強めました。

秀吉ひでよしは同じ1582年から、従えた土地で次々に検地を始めます。1585年には関白となり、1587年にバテレン追放令、1588年に刀狩令かたながりれいを出しました。そして1590年、小田原おだわらの北条氏ほうじょうしをほろぼして全国統一を成しとげます。太閤検地たいこうけんちは全国統一ぜんこくとういつの前に始まり、統一とういつのあとも続けられたことになります。

太閤検地:田畑を同じものさしで調べる

検地とは、田畑の調査のことです。それまでは、田畑の広さをはかるものさしや、米の量をはかるますが、地域ごとにばらばらでした。秀吉ひでよしはこれを統一とういつし、全国の田畑を同じ基準で調べられるようにしました。

検地では、田畑の面積と土地のよしあしを調べ、その田畑からとれる米の量を石高で表しました。そして田畑ごとに、実際に耕作する百姓ひゃくしょうの名前を検地帳に記し、その百姓ひゃくしょうに年貢ねんぐを納める義務を負わせました。

こうして、だれがどの田畑を耕し、どれだけ年貢ねんぐを納めるのかがはっきりしました。これによって、貴族きぞくや寺社が土地を持つ荘園しょうえんのしくみはなくなりました。

「太閤」とは、関白かんぱくを退いた人をさす呼び名です。秀吉ひでよしは関白かんぱくの位をおいの秀次にゆずったあと太閤とよばれたので、この検地を太閤検地たいこうけんちといいます。

年号の語呂合わせ1582年

以後(15)はつ(82)のものさし統一とういつ、太閤検地たいこうけんち

刀狩令:百姓から武器を取り上げる

戦国時代せんごくじだいには、百姓ひゃくしょうも刀ややりなどの武器を持ち、一揆いっきを起こしたり、戦いに加わったりしていました。ふだんは農業をしながら、戦いにも出る人が多くいたのです。

秀吉ひでよしは1588年に刀狩令かたながりれいを出し、百姓ひゃくしょうから刀や鉄砲てっぽうなどの武器を取り上げました。ねらいは、百姓ひゃくしょうの一揆いっきを防ぎ、百姓ひゃくしょうを農業に専念させることでした。

ただし表向きには、取り上げた刀を、京都きょうとの方広寺に造る大仏だいぶつのくぎなどに使うと説明しました。入試では、この「方広寺の大仏だいぶつ」という説明もよく問われます。

年号の語呂合わせ1588年

以後(15)はは(88)なす、百姓ひゃくしょうの刀

2つで進んだ兵農分離

太閤検地たいこうけんちと刀狩令かたながりれいは、別々の政策ですが、合わさって1つの大きな変へん化を生みました。それが兵農分離です。武士ぶしと百姓ひゃくしょうの身分をはっきり分け、武士ぶしは城下町じょうかまちに住んで戦いと政治を、百姓ひゃくしょうは村で農業をするようにしたことをいいます。

太閤検地たいこうけんちで

  1. 1582年〜田畑を調べ、耕作する百姓ひゃくしょうの名前を検地帳に記す
  2. 百姓ひゃくしょうは土地に結びつけられ、年貢ねんぐを納める義務を負う

刀狩令かたながりれいで

  1. 1588年百姓ひゃくしょうから刀や鉄砲てっぽうなどの武器を取り上げる
  2. 百姓ひゃくしょうは武器を持てなくなり、農業に専念する

さらに秀吉ひでよしは1591年、武士ぶしが百姓ひゃくしょうや町人になったり、百姓ひゃくしょうが商人になったりすることを禁じました。こうして武士ぶしと百姓ひゃくしょうの身分が分けられていきました。

覚え方

検地で百姓ひゃくしょうを土地に結びつけ、刀狩で武器を取り上げて兵農分離へいのうぶんり

江戸時代の身分制度へ

兵農分離へいのうぶんりは、江戸時代の身分制度のもとになりました。江戸時代えどじだいの人々は、武士ぶし・百姓ひゃくしょう・町人などの身分に分けられ、身分は親から子へ受けつがれました。

武士ぶしは名字を名のり刀を差すことを許され、政治を行う身分とされました。人口のおよそ85%は百姓ひゃくしょうで、村に住んで年貢ねんぐを納め、武士ぶしの生活を支えました。秀吉ひでよしの太閤検地たいこうけんちと刀狩令かたながりれいで分けられた武士ぶしと百姓ひゃくしょうの身分が、江戸時代えどじだいの身分制度みぶんせいどのもとになったのです。

入試のポイント

  • ものさしやますを統一とういつして、全国の田畑を調べた政策です。
  • 田畑からとれる米の量を、石高で表しました。
  • 実際に耕作する百姓ひゃくしょうの名前を検地帳に記し、年貢ねんぐを納めさせました。
  • この政策によって、荘園しょうえんのしくみがなくなりました。
  • 百姓ひゃくしょうから刀ややりなどの武器を取り上げた法令です。
  • 百姓ひゃくしょうの一揆いっきを防ぎ、農業に専念させることがねらいでした。
  • 取り上げた武器は、方広寺の大仏だいぶつをつくるのに使うと説明されました。
  • 武士ぶしと百姓ひゃくしょうの身分を分け、それぞれの仕事をはっきりさせたことです。
  • 太閤検地たいこうけんちと刀狩令かたながりれいによって進みました。
  • 江戸時代えどじだいの身分制度みぶんせいどのもとになりました。

よくあるまちがい

どちらが先か、を逆に覚える

太閤検地たいこうけんちを始めたのが1582年、刀狩令かたながりれいが1588年なので、太閤検地たいこうけんちのほうが先に始まりました。太閤検地たいこうけんちは1598年まで続いたので、刀狩令かたながりれいが出たときも検地は続いていました。「始まったのは太閤検地たいこうけんちが先」と覚えておきましょう。

織田信長の政策と取りちがえる

太閤検地たいこうけんちと刀狩令かたながりれいは、どちらも豊臣秀吉とよとみひでよしの政策です。信長のぶながは1582年の本能寺ほんのうじの変へんでたおれており、刀狩令かたながりれいの1588年には、もういません。「太閤」は秀吉ひでよしの呼び名なので、太閤検地たいこうけんちが秀吉ひでよしの政策だと結びつけて覚えましょう(豊臣秀吉)。

楽市・楽座も秀吉の政策だと思う

楽市・楽座は、織田信長の政策です。安土城あづちじょうの城下町じょうかまちなどで市場の税をなくし、座の特権を廃止はいしして、だれでも自由に商売できるようにしました。商売を自由にした信長のぶながの楽市らくいち・楽座らくざと、百姓ひゃくしょうを土地と農業に結びつけた秀吉ひでよしの太閤検地たいこうけんち・刀狩令かたながりれいを、セットで区別しておきましょう。

確認問題

答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。

  1. Q1豊臣秀吉とよとみひでよしが太閤検地たいこうけんちを始めたのは何年でしょう。

    1582年

    太閤検地たいこうけんち(1582年)。豊臣秀吉とよとみひでよしが全国の田畑の広さや土地のよしあしを調べ、とれる米の量を石高で表して、耕作する百姓ひゃくしょうに年貢ねんぐを納めさせた政策です。ごろ合わせ: 以後(15)はつ(82)のものさし統一とういつ、太閤検地たいこうけんち

  2. Q2『刀狩令かたながりれい』が起きたのは何年でしょう。

    1588年

    刀狩令かたながりれい(1588年)。豊臣秀吉とよとみひでよしが、百姓ひゃくしょうから刀や鉄砲てっぽうなどの武器を取り上げるよう命じた法令です。ごろ合わせ: 以後(15)はは(88)なす、百姓ひゃくしょうの刀

  3. Q3『太閤検地たいこうけんち』の結果として起きたことは何でしょう。

    兵農分離へいのうぶんり

    武士ぶしと百姓ひゃくしょう(農民のうみん)の身分をはっきり分け、武士ぶしは城下町じょうかまちに住んで戦いと政治を、百姓ひゃくしょうは村で農業をするようにしたことです。「太閤検地たいこうけんち」のあとに起きたできごとです。

  4. Q4太閤検地たいこうけんちと刀狩令かたながりれいのうち、目的が『百姓ひゃくしょうから武器を取り上げ、一揆いっきを防ぐ』なのはどちらでしょう。

    刀狩令かたながりれい

    刀狩令かたながりれいの目的は『百姓ひゃくしょうから武器を取り上げ、一揆いっきを防ぐ』です。ほかは太閤検地たいこうけんちが『田畑を調べて、年貢ねんぐを確実に取る』です。

安土桃山時代の一問一答でもっと解く

つぎのステップ

年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。