江戸時代の人物
江戸時代の人物で、中学受験によく出るのは徳川家康・徳川家光・松尾芭蕉・徳川綱吉・近松門左衛門・徳川吉宗・田沼意次・本居宣長・杉田玄白・伊能忠敬・松平定信・葛飾北斎・水野忠邦・ペリー・歌川広重・井伊直弼・勝海舟・坂本龍馬・徳川慶喜です。このページでは40人を、何をした人か・入試のポイントといっしょにまとめました。
江戸時代の人物一覧
政治・外交(18人)
| 人物 | 何をした人か |
|---|---|
| 徳川家康 | 江戸幕府を開いた初代将軍です。 |
| 徳川家光 | 江戸幕府の3代将軍です。 |
| 徳川綱吉 | 江戸幕府の5代将軍です。 |
| 徳川吉宗 | 江戸幕府の8代将軍です。 |
| 田沼意次 | 10代将軍徳川家治のもとで老中となった人物です。 |
| 松平定信 | 8代将軍徳川吉宗の孫で、白河藩主から老中となり、寛政の改革を行った人物です。 |
| 水野忠邦 | 12代将軍徳川家慶のもとで老中となり、天保の改革を行った人物です。 |
| ペリー | アメリカの東インド艦隊司令長官で、1853年に軍艦を率いて浦賀に来て開国を求めた人物です。 |
| 井伊直弼 | 彦根藩主で、幕府の大老となった人物です。 |
| 勝海舟 | 幕府の家臣で、咸臨丸で太平洋をわたった人物です。 |
| 坂本龍馬 | 土佐藩出身の武士で、対立していた薩摩藩と長州藩の仲立ちをして薩長同盟を結ばせた人物です。 |
| 徳川慶喜 | 江戸幕府の15代将軍で、最後の将軍です。 |
| 新井白石 | 朱子学者で、6代・7代将軍に仕えて政治を行いました。 |
| 間宮林蔵 | 幕府の命令で樺太(サハリン)を探検し、樺太が大陸から離れた島であることを確かめた人物です。 |
| 大塩平八郎 | 大阪町奉行所の元役人で、陽明学の学者です。 |
| ハリス | 日米和親条約にもとづいて下田に来た、アメリカの初代総領事です。 |
| 吉田松陰 | 長州藩の武士で、萩の松下村塾で多くの若者を教えた人物です。 |
| 徳川秀忠 | 江戸幕府の2代将軍です。 |
文化・宗教(22人)
| 人物 | 何をした人か |
|---|---|
| 松尾芭蕉 | 俳諧(俳句)を芸術に高めた、元禄文化の俳人です。 |
| 近松門左衛門 | 人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本を書いた、元禄文化の作家です。 |
| 本居宣長 | 伊勢の松坂(三重県)の医者で、日本の古典を学び、『古事記』を35年かけて研究して『古事記伝』を書き、国学を大成した人物です。 |
| 杉田玄白 | 小浜藩の医者で、前野良沢らとオランダ語の解剖書をほん訳し、1774年に『解体新書』を出版しました。 |
| 伊能忠敬 | 50歳から天文学と測量を学び、17年かけて全国の海岸線を歩いて測量した人物です。 |
| 葛飾北斎 | 江戸の浮世絵師で、いろいろな場所から見た富士山をえがいた『富嶽三十六景』で知られます。 |
| 歌川広重 | 江戸の浮世絵師で、東海道の宿場の風景をえがいた『東海道五十三次』で知られます。 |
| 菱川師宣 | 江戸で活やくした元禄文化の画家で、町の人々の風俗をえがいた浮世絵を始めた人とされます。 |
| 天草四郎 | 1637年に九州で起きたキリスト教信者らの一揆で、人々のかしらとなった少年です。 |
| 井原西鶴 | 大阪の町人で、元禄文化を代表する作家です。 |
| 尾形光琳 | 京都の呉服屋の家に生まれた元禄文化の画家です。 |
| 青木昆陽 | 江戸時代中ごろに、さつまいもの栽培を広めた学者です。 |
| 前野良沢 | 中津藩の医者で、長崎でオランダ語を学び、杉田玄白らとともにオランダ語の解剖書をほん訳して『解体新書』を出版するときの中心になった人物です。 |
| 喜多川歌麿 | 江戸時代後期の浮世絵師で、女性の顔や上半身を大きくえがいた美人画(大首絵)で大人気になりました。 |
| 小林一茶 | 信濃の農民の家に生まれた俳人で、小さな生き物や子どもへのやさしい気持ちを、わかりやすい言葉の俳句によみました。 |
| 十返舎一九 | 江戸時代後期の作家で、弥次郎兵衛と喜多八の2人が東海道を旅するようすをおもしろおかしく書いた『東海道中膝栗毛』で人気を集めました。 |
| 滝沢馬琴 | 江戸時代後期の作家で、8人の犬士が活やくする長編小説『南総里見八犬伝』を、28年かけて書き上げました。 |
| シーボルト | オランダ商館の医者として長崎に来たドイツ人で、鳴滝塾を開いて、高野長英など多くの日本人に西洋の医学を教えました。 |
| 高野長英 | シーボルトの鳴滝塾で学んだ医者・蘭学者です。 |
| 俵屋宗達 | 江戸時代の初めに京都で活やくした画家です。 |
| 与謝蕪村 | 絵のような美しい景色を俳句によんだ俳人で、すぐれた画家でもありました。 |
| 渡辺崋山 | 田原藩の家老で、画家・蘭学者でもあった人物です。 |
表でくらべる
田沼意次と松平定信
| 田沼意次 | 松平定信 | |
|---|---|---|
| 政治の方針 | 商業をさかんにして収入をふやす | 倹約を命じて農村を立て直す |
| おもな政策 | 株仲間の奨励・長崎貿易の拡大 | 囲い米・棄捐令・寛政異学の禁 |
葛飾北斎と歌川広重
| 葛飾北斎 | 歌川広重 | |
|---|---|---|
| 代表作 | 富嶽三十六景 | 東海道五十三次 |
| えがいたもの | いろいろな場所から見た富士山 | 東海道の宿場とその周りの風景 |
人物をくわしく

徳川家康
とくがわいえやす
江戸幕府を開いた初代将軍です。関ヶ原の戦いに勝って1603年に征夷大将軍となり、大阪の陣で豊臣氏を滅ぼして、260年あまり続く幕府の土台をつくりました。
- 1600年の関ヶ原の戦いで、石田三成らの西軍をやぶりました。
- 1603年に征夷大将軍となり、江戸に幕府を開きました。
- 将軍職を2年で子の秀忠にゆずり、大御所として実権をにぎり続けました。

徳川家光
とくがわいえみつ
江戸幕府の3代将軍です。参勤交代を制度として定め、キリスト教の禁止と鎖国を完成させて、幕府の支配のしくみを固めました。
- 1635年に武家諸法度を改め、参勤交代を制度として定めました。
- 島原・天草一揆のあと、1639年にポルトガル船の来航を禁止しました。
- 祖父の家康をまつる日光東照宮を、豪華な社殿に建て直しました。

松尾芭蕉
まつおばしょう
俳諧(俳句)を芸術に高めた、元禄文化の俳人です。東北・北陸を旅して紀行文『おくのほそ道』を書き、「古池や蛙飛びこむ水の音」などの句を残しました。
- 伊賀(三重県)の出身で、俳諧を芸術として完成させました。
- 弟子の曽良と東北・北陸をめぐり、『おくのほそ道』を書きました。
- 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」は、山形の立石寺でよんだ句です。

徳川綱吉
とくがわつなよし
江戸幕府の5代将軍です。学問(儒学)を重んじる政治を行い、生類憐みの令で生き物の命を大切にさせました。元禄文化が栄えたころの将軍です。
- 生類憐みの令を出し、とくに犬を大切にさせたので「犬公方」とよばれました。
- 儒学の一つである朱子学を重んじ、江戸の湯島に聖堂を建てました。
- 金の量を減らした小判を大量につくり、物価が上がる原因となりました。

近松門左衛門
ちかまつもんざえもん
人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本を書いた、元禄文化の作家です。実際にあった心中事件をもとにした『曽根崎心中』などで、町人の義理と人情をえがきました。
- 人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本を書きました。
- 代表作に『曽根崎心中』『国性爺合戦』があります。
- 語り手の竹本義太夫と組み、大阪の竹本座で作品を上演しました。

徳川吉宗
とくがわよしむね
江戸幕府の8代将軍です。紀伊藩の藩主から将軍となり、享保の改革を行って幕府の財政を立て直しました。米の値段に気を配ったので「米将軍」とよばれました。
- 御三家の紀伊藩(和歌山県)の藩主から、8代将軍となりました。
- 庶民の意見を聞くため、江戸の評定所の前に目安箱を置きました。
- 裁判の基準となる公事方御定書をまとめさせました。

田沼意次
たぬまおきつぐ
10代将軍徳川家治のもとで老中となった人物です。株仲間を認めて税を取り、長崎貿易をさかんにするなど、商業の力で幕府の財政を立て直そうとしました。
- 商人の株仲間を認めて、営業税を取りました。
- 長崎貿易で、銅や俵物(海産物)を輸出して金や銀を輸入しました。
- 印旛沼の干拓を進め、蝦夷地の調査も行いました。

本居宣長
もとおりのりなが
伊勢の松坂(三重県)の医者で、日本の古典を学び、『古事記』を35年かけて研究して『古事記伝』を書き、国学を大成した人物です。
- 『古事記』を研究して『古事記伝』を書き、国学を大成しました。
- 伊勢の松坂(三重県)の医者でした。
- 国学者の賀茂真淵に教えを受けました。

杉田玄白
すぎたげんぱく
小浜藩の医者で、前野良沢らとオランダ語の解剖書をほん訳し、1774年に『解体新書』を出版しました。蘭学がさかんになるきっかけをつくりました。
- 前野良沢らとオランダ語の解剖書をほん訳し、『解体新書』を出版しました。
- 晩年に、ほん訳の苦労を『蘭学事始』に書き残しました。
- 小浜藩の医者でした。

伊能忠敬
いのうただたか
50歳から天文学と測量を学び、17年かけて全国の海岸線を歩いて測量した人物です。死後、正確な日本地図が完成しました。
- 50歳から天文学と測量を学び、全国を歩いて測量しました。
- 1800年の蝦夷地から始めて、17年かけて全国の海岸線を測量しました。
- 死後の1821年に、弟子が日本地図を完成させました。

松平定信
まつだいらさだのぶ
8代将軍徳川吉宗の孫で、白河藩主から老中となり、寛政の改革を行った人物です。ききんへの備えや倹約を進めました。
- 8代将軍徳川吉宗の孫で、白河藩の藩主でした。
- 老中として、1787年から寛政の改革を行いました。
- 囲い米や棄捐令、寛政異学の禁などの政策を行いました。

葛飾北斎
かつしかほくさい
江戸の浮世絵師で、いろいろな場所から見た富士山をえがいた『富嶽三十六景』で知られます。ヨーロッパの画家にも影響をあたえました。
- 各地から見た富士山をえがいた『富嶽三十六景』で知られる浮世絵師です。
- 大波の向こうに富士山が見える「神奈川沖浪裏」をえがきました。
- 作品はゴッホなど、ヨーロッパの画家にも影響をあたえました。

水野忠邦
みずのただくに
12代将軍徳川家慶のもとで老中となり、天保の改革を行った人物です。株仲間を解散させましたが、改革は2年ほどで失敗しました。
- 老中として、1841年から天保の改革を行いました。
- 物価を下げるために、株仲間を解散させました。
- 江戸・大阪の周りを幕府の領地にしようとした上知令が反対を受け、老中をやめさせられました。

ペリー
ぺりー
アメリカの東インド艦隊司令長官で、1853年に軍艦を率いて浦賀に来て開国を求めた人物です。翌年、日米和親条約を結びました。
- アメリカの東インド艦隊司令長官として、1853年に浦賀に来ました。
- 1854年に再び来て、日米和親条約を結びました。

歌川広重
うたがわひろしげ
江戸の浮世絵師で、東海道の宿場の風景をえがいた『東海道五十三次』で知られます。ゴッホが作品をまねてえがいたことでも有名です。
- 東海道の宿場の風景をえがいた『東海道五十三次』で知られる浮世絵師です。
- 晩年の『名所江戸百景』の作品は、ゴッホが油絵でまねてえがきました。

井伊直弼
いいなおすけ
彦根藩主で、幕府の大老となった人物です。朝廷の許しなく日米修好通商条約を結び、反対する人々を安政の大獄で処罰しましたが、桜田門外で暗殺されました。
- 彦根藩の藩主で、幕府の大老になりました。
- 朝廷の許しを得ないまま、日米修好通商条約を結びました。
- 反対する人々を処罰した安政の大獄を行いました。

勝海舟
かつかいしゅう
幕府の家臣で、咸臨丸で太平洋をわたった人物です。戊辰戦争では西郷隆盛と話し合い、江戸城を戦わずに明けわたしました。
- 咸臨丸で太平洋を横断した幕府の家臣です。
- 新政府軍の西郷隆盛と話し合い、江戸城を戦わずに明けわたしました。
- 坂本龍馬の先生として知られます。

坂本龍馬
さかもとりょうま
土佐藩出身の武士で、対立していた薩摩藩と長州藩の仲立ちをして薩長同盟を結ばせた人物です。大政奉還の直後に京都で暗殺されました。
- 土佐藩出身の武士で、薩摩藩と長州藩の仲立ちをして薩長同盟を結ばせました。
- 長崎で海援隊(はじめは亀山社中)をつくり、貿易や海運を行いました。
- 大政奉還の直後に、京都で暗殺されました。

徳川慶喜
とくがわよしのぶ
江戸幕府の15代将軍で、最後の将軍です。倒幕の動きが強まる中、1867年に大政奉還を行い、政治を行う権利(政権)を朝廷に返しました。
- 江戸幕府の15代将軍で、最後の将軍です。
- 1867年に京都の二条城で大政奉還を表明し、政権を朝廷に返しました。
- 水戸藩主徳川斉昭の子として生まれました。

菱川師宣
ひしかわもろのぶ
江戸で活やくした元禄文化の画家で、町の人々の風俗をえがいた浮世絵を始めた人とされます。代表作は『見返り美人図』です。
- 町人の風俗をえがく浮世絵を始めた人とされます。
- 代表作の『見返り美人図』は、ふり返る女性をえがいた肉筆画です。
- 安房(千葉県)の出身で、江戸で活やくしました。

天草四郎(益田時貞)
あまくさしろう(ますだときさだ)
1637年に九州で起きたキリスト教信者らの一揆で、人々のかしらとなった少年です。16歳ほどで、原城にたてこもった人々を率いましたが、幕府の大軍に敗れました。
- 1637年に九州で起きたキリスト教信者らの一揆のかしらとなり、原城にたてこもりました。
- キリスト教の信者の少年で、一揆のときは16歳ほどだったといわれます。

井原西鶴
いはらさいかく
大阪の町人で、元禄文化を代表する作家です。町人のくらしや金もうけ、恋のようすを生き生きとえがいた、浮世草子という小説を書きました。
- 町人のくらしをえがいた、浮世草子とよばれる小説を書きました。
- 代表作に『日本永代蔵』『世間胸算用』があります。
- 大阪の町人の出身で、はじめは俳諧で名を知られました。

新井白石
あらいはくせき
朱子学者で、6代・7代将軍に仕えて政治を行いました。小判の質をもとにもどし、長崎での貿易を制限して、金や銀が外国に流れ出るのをおさえました。
- 6代将軍家宣と7代将軍家継に仕え、正徳の治とよばれる政治を行いました。
- 質を落としてつくられた小判を、もとの質にもどしました。
- 長崎貿易での船の数や取引の額を制限し、金銀の流出を防ぎました。

尾形光琳
おがたこうりん
京都の呉服屋の家に生まれた元禄文化の画家です。俵屋宗達の絵に学び、あざやかな色と大たんな構図で、はなやかな装飾画をえがきました。
- 俵屋宗達の画風を受けつぎ、はなやかな装飾画を完成させました。
- 代表作に『燕子花図屏風』『紅白梅図屏風』があります。
- 京都の呉服屋の家の出身で、蒔絵などの工芸品にもすぐれた作品を残しました。

青木昆陽
あおきこんよう
江戸時代中ごろに、さつまいもの栽培を広めた学者です。ききんに備えてさつまいもの栽培を広めることを8代将軍吉宗に認められ、のちに吉宗の命令でオランダ語も学びました。
- ききんに備えるため、さつまいもの栽培を広めました。
- さつまいも(甘藷)を広めたことから「甘藷先生」とよばれました。
- 吉宗の命令でオランダ語を学び、蘭学のさきがけとなりました。

前野良沢
まえのりょうたく
中津藩の医者で、長崎でオランダ語を学び、杉田玄白らとともにオランダ語の解剖書をほん訳して『解体新書』を出版するときの中心になった人物です。
- オランダ語をよく知り、『解体新書』のほん訳の中心になりました。
- 中津藩の医者でした。

喜多川歌麿
きたがわうたまろ
江戸時代後期の浮世絵師で、女性の顔や上半身を大きくえがいた美人画(大首絵)で大人気になりました。その作品はヨーロッパでも高く評価されました。
- 女性の顔や上半身を大きくえがいた美人画で知られる浮世絵師です。
- 寛政のころの江戸で、大首絵の美人画が大人気になりました。

小林一茶
こばやしいっさ
信濃の農民の家に生まれた俳人で、小さな生き物や子どもへのやさしい気持ちを、わかりやすい言葉の俳句によみました。
- 小さな生き物や子どもへのやさしい気持ちを、わかりやすい言葉でよんだ俳人です。
- 「やせがえる 負けるな一茶 これにあり」という句をよみました。
- 信濃の柏原(長野県)の農民の家に生まれました。

十返舎一九
じっぺんしゃいっく
江戸時代後期の作家で、弥次郎兵衛と喜多八の2人が東海道を旅するようすをおもしろおかしく書いた『東海道中膝栗毛』で人気を集めました。
- 『東海道中膝栗毛』を書いた作家です。
- 弥次郎兵衛と喜多八の旅をおもしろおかしくえがき、大人気になりました。

滝沢馬琴
たきざわばきん
江戸時代後期の作家で、8人の犬士が活やくする長編小説『南総里見八犬伝』を、28年かけて書き上げました。
- 『南総里見八犬伝』を28年かけて書き上げた作家です。
- 晩年は目が見えなくなり、家族に書き取らせて物語を完成させました。

間宮林蔵
まみやりんぞう
幕府の命令で樺太(サハリン)を探検し、樺太が大陸から離れた島であることを確かめた人物です。大陸との間の海峡に名前が残っています。
- 樺太を探検して、樺太が島であることを確かめました。
- 樺太と大陸の間の海峡には、この人物の名前がつけられています。

大塩平八郎
おおしおへいはちろう
大阪町奉行所の元役人で、陽明学の学者です。天保のききんで苦しむ人々を救おうと、1837年に大阪で反乱を起こしました。
- 大阪町奉行所の元役人で、陽明学の学者でした。
- 天保のききんで苦しむ人々を救うために、大阪で反乱を起こしました。

シーボルト
しーぼると
オランダ商館の医者として長崎に来たドイツ人で、鳴滝塾を開いて、高野長英など多くの日本人に西洋の医学を教えました。
- 長崎の郊外に鳴滝塾を開き、西洋の医学を教えました。
- オランダ商館の医者として来日したドイツ人です。
- 持ち出しが禁じられていた日本地図を持ち帰ろうとして、国外追放になりました。

ハリス
はりす
日米和親条約にもとづいて下田に来た、アメリカの初代総領事です。幕府と交渉して、1858年に日米修好通商条約を結びました。
- 日米和親条約にもとづいて、下田に来たアメリカの初代総領事です。
- 幕府と交渉して、1858年に日米修好通商条約を結びました。

高野長英
たかのちょうえい
シーボルトの鳴滝塾で学んだ医者・蘭学者です。『戊戌夢物語』で幕府の外国船への対応を批判し、蛮社の獄で処罰されました。
- シーボルトの鳴滝塾で学んだ医者・蘭学者です。
- 『戊戌夢物語』を書いて、幕府の外国船への対応を批判しました。

吉田松陰
よしだしょういん
長州藩の武士で、萩の松下村塾で多くの若者を教えた人物です。安政の大獄で処刑されましたが、教え子たちは明治維新で活やくしました。
- 萩の松下村塾で、高杉晋作や伊藤博文などの若者を教えました。
- ペリーの船で海外へわたろうとしましたが、失敗しました。
- 安政の大獄で処刑されました。

俵屋宗達
たわらやそうたつ
江戸時代の初めに京都で活やくした画家です。金地の屏風に風神と雷神を大たんにえがいた『風神雷神図屏風』が代表作で、のちの尾形光琳に大きな影響を与えました。
- 代表作は、金地に風神と雷神をえがいた『風神雷神図屏風』です。
- 京都で活やくし、はなやかで大たんな装飾画をえがきました。
- その画風は、のちに尾形光琳に受けつがれました。

徳川秀忠
とくがわひでただ
江戸幕府の2代将軍です。父の家康とともに大阪の陣で豊臣氏を滅ぼし、武家諸法度を出して大名の取りしまりを強めました。
- 1605年に、父の家康から将軍職をゆずられました。
- 1615年の最初の武家諸法度は、この将軍の名で出されました。
- きまりを破った大名の領地を取り上げ、大名をきびしく取りしまりました。

与謝蕪村
よさぶそん
絵のような美しい景色を俳句によんだ俳人で、すぐれた画家でもありました。「菜の花や 月は東に 日は西に」の句が有名です。
- 絵のように美しい景色を俳句によんだ俳人で、画家でもありました。
- 「菜の花や 月は東に 日は西に」という句をよみました。

渡辺崋山
わたなべかざん
田原藩の家老で、画家・蘭学者でもあった人物です。『慎機論』で幕府の外国船への対応を批判し、蛮社の獄で処罰されました。
- 『慎機論』を書いて、幕府の外国船への対応を批判しました。
- 田原藩の家老で、「鷹見泉石像」をえがいた画家でもあります。
確認問題
答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。
Q1江戸幕府を開いた初代将軍です。関ヶ原の戦いに勝って1603年に征夷大将軍となり、大阪の陣で豊臣氏を滅ぼして、260年あまり続く幕府の土台をつくりました。この初代将軍はだれでしょう。
徳川家康
徳川家康は三河(愛知県)の小さな大名の家に生まれ、少年時代を人質として過ごしました。
Q2江戸幕府の3代将軍です。参勤交代を制度として定め、キリスト教の禁止と鎖国を完成させて、幕府の支配のしくみを固めました。この将軍はだれでしょう。
徳川家光
徳川家光は2代将軍秀忠の子で、1623年に3代将軍となりました。
Q3俳諧(俳句)を芸術に高めた、元禄文化の俳人です。東北・北陸を旅して紀行文『おくのほそ道』を書き、「古池や蛙飛びこむ水の音」などの句を残しました。この俳人はだれでしょう。
松尾芭蕉
松尾芭蕉は伊賀(三重県)に生まれ、のちに江戸に出て深川の芭蕉庵に住みました。
Q4江戸幕府の5代将軍です。学問(儒学)を重んじる政治を行い、生類憐みの令で生き物の命を大切にさせました。元禄文化が栄えたころの将軍はだれでしょう。
徳川綱吉
徳川綱吉は3代将軍家光の子で、1680年に5代将軍となりました。
Q5人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本を書いた、元禄文化の作家です。実際にあった心中事件をもとにした『曽根崎心中』などで、町人の義理と人情をえがきました。この作家はだれでしょう。
近松門左衛門
近松門左衛門は越前(福井県)の武士の家に生まれ、京都で公家に仕えたのち、人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本を書くようになりました。
江戸時代の読みもの
つぎのステップ
年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。