江戸時代の人物

江戸時代の人物で、中学受験によく出るのは徳川家康・徳川家光・松尾芭蕉・徳川綱吉・近松門左衛門・徳川吉宗・田沼意次・本居宣長・杉田玄白・伊能忠敬・松平定信・葛飾北斎・水野忠邦・ペリー・歌川広重・井伊直弼・勝海舟・坂本龍馬・徳川慶喜です。このページでは40人を、何をした人か・入試のポイントといっしょにまとめました。

2026/10/09 更新・ふりがなつき

江戸時代の人物一覧

政治・外交(18人)

人物何をした人か
徳川家康とくがわいえやす江戸幕府えどばくふを開いた初代将軍しょうぐんです。
徳川家光とくがわいえみつ江戸幕府えどばくふの3代将軍しょうぐんです。
徳川綱吉とくがわつなよし江戸幕府えどばくふの5代将軍しょうぐんです。
徳川吉宗とくがわよしむね江戸幕府えどばくふの8代将軍しょうぐんです。
田沼意次たぬまおきつぐ10代将軍徳川家治のもとで老中ろうじゅうとなった人物です。
松平定信まつだいらさだのぶ8代将軍しょうぐん徳川吉宗とくがわよしむねの孫で、白河藩主から老中ろうじゅうとなり、寛政かんせいの改革かいかくを行った人物です。
水野忠邦みずのただくに12代将軍徳川家慶のもとで老中ろうじゅうとなり、天保てんぽうの改革かいかくを行った人物です。
ペリーアメリカの東インド艦隊司令長官で、1853年に軍艦を率いて浦賀うらがに来て開国を求めた人物です。
井伊直弼いいなおすけ彦根藩主で、幕府ばくふの大老となった人物です。
勝海舟かつかいしゅう幕府ばくふの家臣で、咸臨丸で太平洋をわたった人物です。
坂本龍馬さかもとりょうま土佐藩出身の武士ぶしで、対立していた薩摩藩さつまはんと長州藩の仲立ちをして薩長同盟さっちょうどうめいを結ばせた人物です。
徳川慶喜とくがわよしのぶ江戸幕府えどばくふの15代将軍しょうぐんで、最後の将軍しょうぐんです。
新井白石あらいはくせき朱子学者で、6代・7代将軍しょうぐんに仕えて政治を行いました。
間宮林蔵まみやりんぞう幕府ばくふの命令めいれいで樺太(サハリン)を探検し、樺太が大陸たいりくから離れた島であることを確かめた人物です。
大塩平八郎おおしおへいはちろう大阪町奉行所の元げん役人やくにんで、陽明学の学者です。
ハリス日米和親条約にちべいわしんじょうやくにもとづいて下田に来た、アメリカの初代総領事です。
吉田松陰よしだしょういん長州藩の武士ぶしで、萩の松下村塾で多くの若者を教えた人物です。
徳川秀忠とくがわひでただ江戸幕府えどばくふの2代将軍しょうぐんです。

文化・宗教(22人)

人物何をした人か
松尾芭蕉まつおばしょう俳諧(俳句)を芸術に高めた、元禄文化げんろくぶんかの俳人です。
近松門左衛門ちかまつもんざえもん人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりや歌舞伎の脚本を書いた、元禄文化げんろくぶんかの作家です。
本居宣長もとおりのりなが伊勢の松坂(三重県)の医者で、日本の古典を学び、『古事記こじき』を35年かけて研究して『古事記伝こじきでん』を書き、国学こくがくを大成した人物です。
杉田玄白すぎたげんぱく小浜藩の医者で、前野良沢まえのりょうたくらとオランダ語の解剖書をほん訳し、1774年に『解体新書かいたいしんしょ』を出版しました。
伊能忠敬いのうただたか50歳から天文学と測量を学び、17年かけて全国の海岸線を歩いて測量した人物です。
葛飾北斎かつしかほくさい江戸えどの浮世絵師で、いろいろな場所から見た富士山をえがいた『富嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』で知られます。
歌川広重うたがわひろしげ江戸えどの浮世絵師で、東海道の宿場の風景をえがいた『東海道五十三次とうかいどうごじゅうさんつぎ』で知られます。
菱川師宣ひしかわもろのぶ江戸えどで活やくした元禄文化げんろくぶんかの画家で、町の人々の風俗をえがいた浮世絵を始めた人とされます。
天草四郎あまくさしろう1637年に九州きゅうしゅうで起きたキリスト教きょう信者しんじゃらの一揆いっきで、人々のかしらとなった少年です。
井原西鶴いはらさいかく大阪おおさかの町人で、元禄文化げんろくぶんかを代表する作家です。
尾形光琳おがたこうりん京都きょうとの呉服屋の家に生まれた元禄文化げんろくぶんかの画家です。
青木昆陽あおきこんよう江戸時代えどじだい中ごろに、さつまいもの栽培を広めた学者です。
前野良沢まえのりょうたく中津藩の医者で、長崎ながさきでオランダ語を学び、杉田玄白すぎたげんぱくらとともにオランダ語の解剖書をほん訳して『解体新書かいたいしんしょ』を出版するときの中心になった人物です。
喜多川歌麿きたがわうたまろ江戸時代後期の浮世絵師で、女性の顔や上半身を大きくえがいた美人画(大首絵)で大人気になりました。
小林一茶こばやしいっさ信濃しなのの農民のうみんの家に生まれた俳人で、小さな生き物や子どもへのやさしい気持ちを、わかりやすい言葉の俳句によみました。
十返舎一九じっぺんしゃいっく江戸時代後期の作家で、弥次郎兵衛と喜多八の2人が東海道を旅するようすをおもしろおかしく書いた『東海道中膝栗毛とうかいどうちゅうひざくりげ』で人気を集めました。
滝沢馬琴たきざわばきん江戸時代後期の作家で、8人の犬士が活やくする長編小説『南総里見八犬伝なんそうさとみはっけんでん』を、28年かけて書き上げました。
シーボルトオランダ商館しょうかんの医者として長崎ながさきに来たドイツ人で、鳴滝塾を開いて、高野長英たかのちょうえいなど多くの日本人にほんじんに西洋の医学を教えました。
高野長英たかのちょうえいシーボルトの鳴滝塾で学んだ医者・蘭学らんがく者です。
俵屋宗達たわらやそうたつ江戸時代えどじだいの初めに京都きょうとで活やくした画家です。
与謝蕪村よさぶそん絵のような美しい景色を俳句によんだ俳人で、すぐれた画家でもありました。
渡辺崋山わたなべかざん田原藩の家老で、画家・蘭学らんがく者でもあった人物です。

表でくらべる

田沼意次と松平定信

田沼意次たぬまおきつぐ松平定信まつだいらさだのぶ
政治の方針商業をさかんにして収入をふやす倹約を命じて農村を立て直す
おもな政策株仲間の奨励・長崎ながさき貿易ぼうえきの拡大囲い米・棄捐令・寛政異学かんせいいがくの禁
年表で「田沼意次」を見る

葛飾北斎と歌川広重

葛飾北斎かつしかほくさい歌川広重うたがわひろしげ
代表作富嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい東海道五十三次とうかいどうごじゅうさんつぎ
えがいたものいろいろな場所から見た富士山東海道の宿場とその周りの風景
年表で「葛飾北斎」を見る

人物をくわしく

  • 徳川家康

    とくがわいえやす

    江戸幕府えどばくふを開いた初代将軍しょうぐんです。関ヶ原せきがはらの戦いに勝って1603年に征夷大将軍せいいたいしょうぐんとなり、大阪おおさかの陣で豊臣氏を滅ぼして、260年あまり続く幕府ばくふの土台をつくりました。

    • 1600年の関ヶ原せきがはらの戦いで、石田三成いしだみつなりらの西軍をやぶりました。
    • 1603年に征夷大将軍せいいたいしょうぐんとなり、江戸えどに幕府ばくふを開きました。
    • 将軍職を2年で子の秀忠にゆずり、大御所ごしょとして実権じっけんをにぎり続けました。
    年表で見る
  • 徳川家光

    とくがわいえみつ

    江戸幕府えどばくふの3代将軍しょうぐんです。参勤交代さんきんこうたいを制度として定め、キリスト教きょうの禁止きんしと鎖国さこくを完成かんせいさせて、幕府ばくふの支配しはいのしくみを固めました。

    • 1635年に武家諸法度ぶけしょはっとを改め、参勤交代さんきんこうたいを制度として定めました。
    • 島原しまばら・天草一揆あまくさいっきのあと、1639年にポルトガル船の来航を禁止きんししました。
    • 祖父の家康をまつる日光東照宮にっこうとうしょうぐうを、豪華な社殿に建て直しました。
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  • 松尾芭蕉

    まつおばしょう

    俳諧(俳句)を芸術に高めた、元禄文化げんろくぶんかの俳人です。東北とうほく・北陸を旅して紀行文『おくのほそ道』を書き、「古池や蛙飛びこむ水の音」などの句を残しました。

    • 伊賀(三重県)の出身で、俳諧を芸術として完成かんせいさせました。
    • 弟子でしの曽良と東北とうほく・北陸をめぐり、『おくのほそ道』を書きました。
    • 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」は、山形の立石寺でよんだ句です。
    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  • 徳川綱吉

    とくがわつなよし

    江戸幕府えどばくふの5代将軍しょうぐんです。学問(儒学)を重んじる政治を行い、生類憐しょうるいあわれみの令りょうで生き物の命を大切にさせました。元禄文化げんろくぶんかが栄えたころの将軍しょうぐんです。

    • 生類憐しょうるいあわれみの令りょうを出し、とくに犬を大切にさせたので「犬公方」とよばれました。
    • 儒学の一つである朱子学を重んじ、江戸えどの湯島に聖堂を建てました。
    • 金の量を減らした小判を大量につくり、物価が上がる原因となりました。
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  • 近松門左衛門

    ちかまつもんざえもん

    人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりや歌舞伎の脚本を書いた、元禄文化げんろくぶんかの作家です。実際にあった心中事件をもとにした『曽根崎心中そねざきしんじゅう』などで、町人の義理と人情をえがきました。

    • 人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりや歌舞伎の脚本を書きました。
    • 代表作に『曽根崎心中そねざきしんじゅう』『国性爺合戦』があります。
    • 語り手の竹本義太夫と組み、大阪おおさかの竹本座で作品を上演しました。
    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  • 徳川吉宗

    とくがわよしむね

    江戸幕府えどばくふの8代将軍しょうぐんです。紀伊藩の藩主から将軍しょうぐんとなり、享保きょうほうの改革かいかくを行って幕府ばくふの財政を立て直しました。米の値段に気を配ったので「米将軍」とよばれました。

    • 御三家の紀伊藩(和歌山県)の藩主から、8代将軍しょうぐんとなりました。
    • 庶民しょみんの意見を聞くため、江戸えどの評定所の前に目安箱めやすばこを置きました。
    • 裁判の基準となる公事方御定書くじかたおさだめがきをまとめさせました。
    年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)
  • 田沼意次

    たぬまおきつぐ

    10代将軍徳川家治のもとで老中ろうじゅうとなった人物です。株仲間を認めて税を取り、長崎ながさき貿易ぼうえきをさかんにするなど、商業の力で幕府ばくふの財政を立て直そうとしました。

    • 商人の株仲間を認めて、営業税を取りました。
    • 長崎ながさき貿易ぼうえきで、銅どうや俵物(海産物)を輸出して金や銀を輸入しました。
    • 印旛沼の干拓を進め、蝦夷地の調査も行いました。
    年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)
  • 本居宣長

    もとおりのりなが

    伊勢の松坂(三重県)の医者で、日本の古典を学び、『古事記こじき』を35年かけて研究して『古事記伝こじきでん』を書き、国学こくがくを大成した人物です。

    • 『古事記こじき』を研究して『古事記伝こじきでん』を書き、国学こくがくを大成しました。
    • 伊勢の松坂(三重県)の医者でした。
    • 国学こくがく者の賀茂真淵に教えを受けました。
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  • 杉田玄白

    すぎたげんぱく

    小浜藩の医者で、前野良沢まえのりょうたくらとオランダ語の解剖書をほん訳し、1774年に『解体新書かいたいしんしょ』を出版しました。蘭学らんがくがさかんになるきっかけをつくりました。

    • 前野良沢まえのりょうたくらとオランダ語の解剖書をほん訳し、『解体新書かいたいしんしょ』を出版しました。
    • 晩年に、ほん訳の苦労を『蘭学事始』に書き残しました。
    • 小浜藩の医者でした。
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  • 伊能忠敬

    いのうただたか

    50歳から天文学と測量を学び、17年かけて全国の海岸線を歩いて測量した人物です。死後、正確な日本地図が完成かんせいしました。

    • 50歳から天文学と測量を学び、全国を歩いて測量しました。
    • 1800年の蝦夷地から始めて、17年かけて全国の海岸線を測量しました。
    • 死後の1821年に、弟子でしが日本地図を完成かんせいさせました。
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  • 松平定信

    まつだいらさだのぶ

    8代将軍しょうぐん徳川吉宗とくがわよしむねの孫で、白河藩主から老中ろうじゅうとなり、寛政かんせいの改革かいかくを行った人物です。ききんへの備えや倹約を進めました。

    • 8代将軍しょうぐん徳川吉宗とくがわよしむねの孫で、白河藩の藩主でした。
    • 老中ろうじゅうとして、1787年から寛政かんせいの改革かいかくを行いました。
    • 囲い米や棄捐令、寛政異学かんせいいがくの禁などの政策を行いました。
    年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)
  • 葛飾北斎

    かつしかほくさい

    江戸えどの浮世絵師で、いろいろな場所から見た富士山をえがいた『富嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』で知られます。ヨーロッパの画家にも影響をあたえました。

    • 各地から見た富士山をえがいた『富嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』で知られる浮世絵師です。
    • 大波の向こうに富士山が見える「神奈川沖浪裏」をえがきました。
    • 作品はゴッホなど、ヨーロッパの画家にも影響をあたえました。
    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  • 水野忠邦

    みずのただくに

    12代将軍徳川家慶のもとで老中ろうじゅうとなり、天保てんぽうの改革かいかくを行った人物です。株仲間を解散させましたが、改革かいかくは2年ほどで失敗しました。

    • 老中ろうじゅうとして、1841年から天保てんぽうの改革かいかくを行いました。
    • 物価を下げるために、株仲間を解散させました。
    • 江戸えど・大阪おおさかの周りを幕府ばくふの領地りょうちにしようとした上知令が反対を受け、老中ろうじゅうをやめさせられました。
    年表で見る読みもの: 江戸の三大改革のちがい(享保・寛政・天保)
  • ペリー

    ぺりー

    アメリカの東インド艦隊司令長官で、1853年に軍艦を率いて浦賀うらがに来て開国を求めた人物です。翌年、日米和親条約にちべいわしんじょうやくを結びました。

    • アメリカの東インド艦隊司令長官として、1853年に浦賀うらがに来ました。
    • 1854年に再び来て、日米和親条約にちべいわしんじょうやくを結びました。
    年表で見る読みもの: 日米和親条約と日米修好通商条約のちがい
  • 歌川広重

    うたがわひろしげ

    江戸えどの浮世絵師で、東海道の宿場の風景をえがいた『東海道五十三次とうかいどうごじゅうさんつぎ』で知られます。ゴッホが作品をまねてえがいたことでも有名です。

    • 東海道の宿場の風景をえがいた『東海道五十三次とうかいどうごじゅうさんつぎ』で知られる浮世絵師です。
    • 晩年の『名所江戸百景』の作品は、ゴッホが油絵でまねてえがきました。
    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  • 井伊直弼

    いいなおすけ

    彦根藩主で、幕府ばくふの大老となった人物です。朝廷ちょうていの許しなく日米修好通商条約にちべいしゅうこうつうしょうじょうやくを結び、反対する人々を安政あんせいの大獄たいごくで処罰しましたが、桜田門外さくらだもんがいで暗殺あんさつされました。

    • 彦根藩の藩主で、幕府ばくふの大老になりました。
    • 朝廷ちょうていの許しを得ないまま、日米修好通商条約にちべいしゅうこうつうしょうじょうやくを結びました。
    • 反対する人々を処罰した安政あんせいの大獄たいごくを行いました。
    年表で見る読みもの: 日米和親条約と日米修好通商条約のちがい
  • 勝海舟

    かつかいしゅう

    幕府ばくふの家臣で、咸臨丸で太平洋をわたった人物です。戊辰戦争では西郷隆盛と話し合い、江戸城を戦わずに明けわたしました。

    • 咸臨丸で太平洋を横断した幕府ばくふの家臣です。
    • 新政しんせい府軍の西郷隆盛と話し合い、江戸城を戦わずに明けわたしました。
    • 坂本龍馬さかもとりょうまの先生として知られます。
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  • 坂本龍馬

    さかもとりょうま

    土佐藩出身の武士ぶしで、対立していた薩摩藩さつまはんと長州藩の仲立ちをして薩長同盟さっちょうどうめいを結ばせた人物です。大政奉還たいせいほうかんの直後に京都きょうとで暗殺あんさつされました。

    • 土佐藩出身の武士ぶしで、薩摩藩さつまはんと長州藩の仲立ちをして薩長同盟さっちょうどうめいを結ばせました。
    • 長崎ながさきで海援隊(はじめは亀山社中)をつくり、貿易ぼうえきや海運を行いました。
    • 大政奉還たいせいほうかんの直後に、京都きょうとで暗殺あんさつされました。
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  • 徳川慶喜

    とくがわよしのぶ

    江戸幕府えどばくふの15代将軍しょうぐんで、最後の将軍しょうぐんです。倒幕の動きが強まる中、1867年に大政奉還たいせいほうかんを行い、政治を行う権利(政権)を朝廷ちょうていに返しました。

    • 江戸幕府えどばくふの15代将軍しょうぐんで、最後の将軍しょうぐんです。
    • 1867年に京都きょうとの二条城で大政奉還たいせいほうかんを表明し、政権を朝廷ちょうていに返しました。
    • 水戸藩主徳川斉昭の子として生まれました。
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  • 菱川師宣

    ひしかわもろのぶ

    江戸えどで活やくした元禄文化げんろくぶんかの画家で、町の人々の風俗をえがいた浮世絵を始めた人とされます。代表作は『見返みかえり美人図びじんず』です。

    • 町人の風俗をえがく浮世絵を始めた人とされます。
    • 代表作の『見返みかえり美人図びじんず』は、ふり返る女性をえがいた肉筆画です。
    • 安房(千葉県)の出身で、江戸えどで活やくしました。
    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  • 天草四郎(益田時貞)

    あまくさしろう(ますだときさだ)

    1637年に九州きゅうしゅうで起きたキリスト教きょう信者しんじゃらの一揆いっきで、人々のかしらとなった少年です。16歳ほどで、原城にたてこもった人々を率いましたが、幕府ばくふの大軍に敗れました。

    • 1637年に九州きゅうしゅうで起きたキリスト教きょう信者しんじゃらの一揆いっきのかしらとなり、原城にたてこもりました。
    • キリスト教きょうの信者しんじゃの少年で、一揆いっきのときは16歳ほどだったといわれます。
    年表で見る
  • 井原西鶴

    いはらさいかく

    大阪おおさかの町人で、元禄文化げんろくぶんかを代表する作家です。町人のくらしや金もうけ、恋のようすを生き生きとえがいた、浮世草子という小説を書きました。

    • 町人のくらしをえがいた、浮世草子とよばれる小説を書きました。
    • 代表作に『日本永代蔵にっぽんえいたいぐら』『世間胸算用』があります。
    • 大阪おおさかの町人の出身で、はじめは俳諧で名を知られました。
    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  • 新井白石

    あらいはくせき

    朱子学者で、6代・7代将軍しょうぐんに仕えて政治を行いました。小判の質をもとにもどし、長崎ながさきでの貿易ぼうえきを制限して、金や銀が外国がいこくに流れ出るのをおさえました。

    • 6代将軍家宣と7代将軍家継に仕え、正徳しょうとくの治とよばれる政治を行いました。
    • 質を落としてつくられた小判を、もとの質にもどしました。
    • 長崎ながさき貿易ぼうえきでの船の数や取引の額を制限し、金銀の流出を防ぎました。
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  • 尾形光琳

    おがたこうりん

    京都きょうとの呉服屋の家に生まれた元禄文化げんろくぶんかの画家です。俵屋宗達たわらやそうたつの絵に学び、あざやかな色と大たんな構図で、はなやかな装飾画をえがきました。

    • 俵屋宗達たわらやそうたつの画風を受けつぎ、はなやかな装飾画を完成かんせいさせました。
    • 代表作に『燕子花図屏風』『紅白梅図屏風』があります。
    • 京都きょうとの呉服屋の家の出身で、蒔絵などの工芸品にもすぐれた作品を残しました。
    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  • 青木昆陽

    あおきこんよう

    江戸時代えどじだい中ごろに、さつまいもの栽培を広めた学者です。ききんに備えてさつまいもの栽培を広めることを8代将軍吉宗に認められ、のちに吉宗の命令めいれいでオランダ語も学びました。

    • ききんに備えるため、さつまいもの栽培を広めました。
    • さつまいも(甘藷)を広めたことから「甘藷先生」とよばれました。
    • 吉宗の命令めいれいでオランダ語を学び、蘭学らんがくのさきがけとなりました。
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  • 前野良沢

    まえのりょうたく

    中津藩の医者で、長崎ながさきでオランダ語を学び、杉田玄白すぎたげんぱくらとともにオランダ語の解剖書をほん訳して『解体新書かいたいしんしょ』を出版するときの中心になった人物です。

    • オランダ語をよく知り、『解体新書かいたいしんしょ』のほん訳の中心になりました。
    • 中津藩の医者でした。
    年表で見る
  • 喜多川歌麿

    きたがわうたまろ

    江戸時代後期の浮世絵師で、女性の顔や上半身を大きくえがいた美人画(大首絵)で大人気になりました。その作品はヨーロッパでも高く評価されました。

    • 女性の顔や上半身を大きくえがいた美人画で知られる浮世絵師です。
    • 寛政かんせいのころの江戸えどで、大首絵の美人画が大人気になりました。
    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  • 小林一茶

    こばやしいっさ

    信濃しなのの農民のうみんの家に生まれた俳人で、小さな生き物や子どもへのやさしい気持ちを、わかりやすい言葉の俳句によみました。

    • 小さな生き物や子どもへのやさしい気持ちを、わかりやすい言葉でよんだ俳人です。
    • 「やせがえる 負けるな一茶 これにあり」という句をよみました。
    • 信濃しなのの柏原(長野県)の農民のうみんの家に生まれました。
    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  • 十返舎一九

    じっぺんしゃいっく

    江戸時代後期の作家で、弥次郎兵衛と喜多八の2人が東海道を旅するようすをおもしろおかしく書いた『東海道中膝栗毛とうかいどうちゅうひざくりげ』で人気を集めました。

    • 『東海道中膝栗毛とうかいどうちゅうひざくりげ』を書いた作家です。
    • 弥次郎兵衛と喜多八の旅をおもしろおかしくえがき、大人気になりました。
    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  • 滝沢馬琴

    たきざわばきん

    江戸時代後期の作家で、8人の犬士が活やくする長編小説『南総里見八犬伝なんそうさとみはっけんでん』を、28年かけて書き上げました。

    • 『南総里見八犬伝なんそうさとみはっけんでん』を28年かけて書き上げた作家です。
    • 晩年は目が見えなくなり、家族に書き取らせて物語を完成かんせいさせました。
    年表で見る読みもの: 元禄文化と化政文化のちがい
  • 間宮林蔵

    まみやりんぞう

    幕府ばくふの命令めいれいで樺太(サハリン)を探検し、樺太が大陸たいりくから離れた島であることを確かめた人物です。大陸たいりくとの間の海峡に名前が残っています。

    • 樺太を探検して、樺太が島であることを確かめました。
    • 樺太と大陸たいりくの間の海峡には、この人物の名前がつけられています。
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  • 大塩平八郎

    おおしおへいはちろう

    大阪町奉行所の元げん役人やくにんで、陽明学の学者です。天保てんぽうのききんで苦しむ人々を救おうと、1837年に大阪おおさかで反乱はんらんを起こしました。

    • 大阪町奉行所の元げん役人やくにんで、陽明学の学者でした。
    • 天保てんぽうのききんで苦しむ人々を救うために、大阪おおさかで反乱はんらんを起こしました。
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  • シーボルト

    しーぼると

    オランダ商館しょうかんの医者として長崎ながさきに来たドイツ人で、鳴滝塾を開いて、高野長英たかのちょうえいなど多くの日本人にほんじんに西洋の医学を教えました。

    • 長崎ながさきの郊外に鳴滝塾を開き、西洋の医学を教えました。
    • オランダ商館しょうかんの医者として来日らいにちしたドイツ人です。
    • 持ち出しが禁じられていた日本地図を持ち帰ろうとして、国外追放になりました。
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  • ハリス

    はりす

    日米和親条約にちべいわしんじょうやくにもとづいて下田に来た、アメリカの初代総領事です。幕府ばくふと交渉して、1858年に日米修好通商条約にちべいしゅうこうつうしょうじょうやくを結びました。

    • 日米和親条約にちべいわしんじょうやくにもとづいて、下田に来たアメリカの初代総領事です。
    • 幕府ばくふと交渉して、1858年に日米修好通商条約にちべいしゅうこうつうしょうじょうやくを結びました。
    年表で見る読みもの: 日米和親条約と日米修好通商条約のちがい
  • 高野長英

    たかのちょうえい

    シーボルトの鳴滝塾で学んだ医者・蘭学らんがく者です。『戊戌夢物語』で幕府ばくふの外国船への対応を批判し、蛮社ばんしゃの獄で処罰されました。

    • シーボルトの鳴滝塾で学んだ医者・蘭学らんがく者です。
    • 『戊戌夢物語』を書いて、幕府ばくふの外国船への対応を批判しました。
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  • 吉田松陰

    よしだしょういん

    長州藩の武士ぶしで、萩の松下村塾で多くの若者を教えた人物です。安政あんせいの大獄たいごくで処刑されましたが、教え子たちは明治維新で活やくしました。

    • 萩の松下村塾で、高杉晋作や伊藤博文などの若者を教えました。
    • ペリーの船で海外へわたろうとしましたが、失敗しました。
    • 安政あんせいの大獄たいごくで処刑されました。
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  • 俵屋宗達

    たわらやそうたつ

    江戸時代えどじだいの初めに京都きょうとで活やくした画家です。金地の屏風に風神と雷神を大たんにえがいた『風神雷神図屏風ふうじんらいじんずびょうぶ』が代表作で、のちの尾形光琳おがたこうりんに大きな影響を与えました。

    • 代表作は、金地に風神と雷神をえがいた『風神雷神図屏風ふうじんらいじんずびょうぶ』です。
    • 京都きょうとで活やくし、はなやかで大たんな装飾画をえがきました。
    • その画風は、のちに尾形光琳おがたこうりんに受けつがれました。
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  • 徳川秀忠

    とくがわひでただ

    江戸幕府えどばくふの2代将軍しょうぐんです。父の家康とともに大阪おおさかの陣で豊臣氏を滅ぼし、武家諸法度ぶけしょはっとを出して大名だいみょうの取りしまりを強めました。

    • 1605年に、父の家康から将軍職をゆずられました。
    • 1615年の最初の武家諸法度ぶけしょはっとは、この将軍しょうぐんの名で出されました。
    • きまりを破った大名だいみょうの領地りょうちを取り上げ、大名だいみょうをきびしく取りしまりました。
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  • 与謝蕪村

    よさぶそん

    絵のような美しい景色を俳句によんだ俳人で、すぐれた画家でもありました。「菜の花や 月は東に 日は西に」の句が有名です。

    • 絵のように美しい景色を俳句によんだ俳人で、画家でもありました。
    • 「菜の花や 月は東に 日は西に」という句をよみました。
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  • 渡辺崋山

    わたなべかざん

    田原藩の家老で、画家・蘭学らんがく者でもあった人物です。『慎機論』で幕府ばくふの外国船への対応を批判し、蛮社ばんしゃの獄で処罰されました。

    • 『慎機論』を書いて、幕府ばくふの外国船への対応を批判しました。
    • 田原藩の家老で、「鷹見泉石像」をえがいた画家でもあります。
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確認問題

答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。

  1. Q1江戸幕府えどばくふを開いた初代将軍しょうぐんです。関ヶ原せきがはらの戦いに勝って1603年に征夷大将軍せいいたいしょうぐんとなり、大阪おおさかの陣で豊臣氏を滅ぼして、260年あまり続く幕府ばくふの土台をつくりました。この初代将軍しょうぐんはだれでしょう。

    徳川家康とくがわいえやす

    徳川家康とくがわいえやすは三河(愛知県)の小さな大名だいみょうの家に生まれ、少年時代を人質として過ごしました。

  2. Q2江戸幕府えどばくふの3代将軍しょうぐんです。参勤交代さんきんこうたいを制度として定め、キリスト教きょうの禁止きんしと鎖国さこくを完成かんせいさせて、幕府ばくふの支配しはいのしくみを固めました。この将軍しょうぐんはだれでしょう。

    徳川家光とくがわいえみつ

    徳川家光とくがわいえみつは2代将軍秀忠の子で、1623年に3代将軍しょうぐんとなりました。

  3. Q3俳諧(俳句)を芸術に高めた、元禄文化げんろくぶんかの俳人です。東北とうほく・北陸を旅して紀行文『おくのほそ道』を書き、「古池や蛙飛びこむ水の音」などの句を残しました。この俳人はだれでしょう。

    松尾芭蕉まつおばしょう

    松尾芭蕉まつおばしょうは伊賀(三重県)に生まれ、のちに江戸えどに出て深川の芭蕉庵に住みました。

  4. Q4江戸幕府えどばくふの5代将軍しょうぐんです。学問(儒学)を重んじる政治を行い、生類憐しょうるいあわれみの令りょうで生き物の命を大切にさせました。元禄文化げんろくぶんかが栄えたころの将軍しょうぐんはだれでしょう。

    徳川綱吉とくがわつなよし

    徳川綱吉とくがわつなよしは3代将軍家光の子で、1680年に5代将軍しょうぐんとなりました。

  5. Q5人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりや歌舞伎の脚本を書いた、元禄文化げんろくぶんかの作家です。実際にあった心中事件をもとにした『曽根崎心中そねざきしんじゅう』などで、町人の義理と人情をえがきました。この作家はだれでしょう。

    近松門左衛門ちかまつもんざえもん

    近松門左衛門ちかまつもんざえもんは越前えちぜん(福井県)の武士ぶしの家に生まれ、京都きょうとで公家くげに仕えたのち、人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりや歌舞伎の脚本を書くようになりました。

江戸時代前期の一問一答でもっと解く

江戸時代の読みもの

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年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。