鎌倉時代の人物
鎌倉時代の人物で、中学受験によく出るのは法然・源頼朝・運慶・北条政子・源義経・親鸞・後鳥羽上皇・北条泰時・道元・日蓮・北条時宗・後醍醐天皇です。このページでは15人を、何をした人か・入試のポイントといっしょにまとめました。
鎌倉時代の人物一覧
政治・外交(8人)
| 人物 | 何をした人か |
|---|---|
| 源頼朝 | 鎌倉幕府を開いた初代将軍です。 |
| 北条政子 | 源頼朝の妻で、北条時政の娘です。 |
| 源義経 | 源頼朝の弟です。 |
| 後鳥羽上皇 | 1221年に承久の乱を起こして幕府をたおそうとしましたが敗れ、隠岐に流された上皇です。 |
| 北条泰時 | 3代執権です。 |
| 北条時宗 | 鎌倉幕府の8代執権です。 |
| 後醍醐天皇 | 鎌倉幕府をたおして天皇中心の政治(建武の新政)を行った天皇です。 |
| 北条義時 | 2代執権です。 |
文化・宗教(7人)
| 人物 | 何をした人か |
|---|---|
| 法然 | 浄土宗を開いた僧です。 |
| 運慶 | 鎌倉時代を代表する仏師です。 |
| 親鸞 | 法然の弟子で、浄土真宗(一向宗)を開いた僧です。 |
| 道元 | 宋で禅を学び、曹洞宗を日本に伝えた僧です。 |
| 日蓮 | 日蓮宗(法華宗)を開いた僧です。 |
| 栄西 | 宋に渡って禅を学び、臨済宗を日本に伝えた僧です。 |
| 一遍 | 時宗を開いた僧です。 |
表でくらべる
おもな執権とできごと
| 執権 | 代 | おもなできごと |
|---|---|---|
| 北条時政 | 初代 | 執権政治を始める(1203) |
| 北条義時 | 2代 | 承久の乱に勝つ(1221) |
| 北条泰時 | 3代 | 評定衆・連署(1225)、御成敗式目(1232) |
| 北条時頼 | 5代 | 引付衆(1249)、建長寺を建てる |
| 北条時宗 | 8代 | 文永の役(1274)、弘安の役(1281) |
| 北条貞時 | 9代 | 永仁の徳政令(1297) |
| 北条高時 | 14代 | 鎌倉幕府の滅亡(1333) |
人物をくわしく

法然
ほうねん
浄土宗を開いた僧です。「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えるだけで、身分に関係なくだれでも極楽浄土に行けると説き、鎌倉新仏教の先がけとなりました。
- 浄土宗(法然)と浄土真宗(親鸞)の区別。親鸞は法然の弟子
- 念仏系(浄土宗・浄土真宗・時宗)、題目系(日蓮宗)、座禅系(臨済宗・曹洞宗)の3グループに分ける
- 中心寺院:法然=知恩院、親鸞=本願寺、一遍=清浄光寺

源頼朝
みなもとのよりとも
鎌倉幕府を開いた初代将軍です。平治の乱で伊豆に流されましたが、1180年に挙兵して平氏を滅ぼし、1192年に征夷大将軍となりました。
- 1180年挙兵→1185年平氏滅亡・守護地頭→1189年奥州藤原氏滅亡→1192年征夷大将軍
- 義経との対立:兄弟でありながら、朝廷から勝手に官位を受けた義経を頼朝が追った
- 妻は北条政子。頼朝の死後、北条氏が執権として実権をにぎる

運慶
うんけい
鎌倉時代を代表する仏師です。快慶らとともに東大寺南大門の金剛力士像をつくりました。力強く写実的な作風で、武士の時代にふさわしい彫刻を生み出しました。
- 東大寺南大門の金剛力士像を快慶らとつくった。写実的で力強い作風
- 東大寺の大仏(奈良時代・聖武天皇)と南大門の金剛力士像(鎌倉時代)を区別する
- 興福寺の無著・世親像も運慶の作品

北条政子
ほうじょうまさこ
源頼朝の妻で、北条時政の娘です。頼朝の死後は尼となって幕府を支え、承久の乱では御家人に団結を呼びかける演説をして「尼将軍」と呼ばれました。
- 承久の乱のとき御家人に団結を呼びかけた演説が有名。乱の勝利の決め手
- 父は初代執権北条時政、弟は2代執権北条義時
- 源氏の将軍が途絶えたあと、実質的に将軍の役割をはたしたので「尼将軍」

源義経
みなもとのよしつね
源頼朝の弟です。一ノ谷・屋島・壇ノ浦の戦いで平氏を破りましたが、兄と対立して奥州藤原氏のもとに逃れ、1189年に平泉で自害しました。
- 平氏を滅ぼした3つの戦い:一ノ谷(兵庫)→屋島(香川)→壇ノ浦(山口)の順と場所
- 頼朝と対立した理由:無断で朝廷の官位を受けたこと。頼朝は義経の追捕を口実に守護・地頭を置いた
- かくまったのは奥州藤原氏の藤原秀衡。滅ぼされたのは秀衡の子の泰衡

親鸞
しんらん
法然の弟子で、浄土真宗(一向宗)を開いた僧です。阿弥陀仏を信じる心さえあれば、罪深い悪人こそ救われるという悪人正機の教えを説きました。
- 浄土真宗を開いた。法然の弟子で、悪人正機説が特徴
- 中心寺院は本願寺。室町時代の一向一揆(加賀の一向一揆)につながる
- 主著『教行信証』、弟子が書いた『歎異抄』

後鳥羽上皇
ごとばじょうこう
1221年に承久の乱を起こして幕府をたおそうとしましたが敗れ、隠岐に流された上皇です。和歌にすぐれ、『新古今和歌集』の編集を命じたことでも知られます。
- 承久の乱を起こしたのは後鳥羽「上皇」。流された先は隠岐
- 『新古今和歌集』の編集を命じた(編者は藤原定家ら)
- 後醍醐天皇も隠岐に流された。承久の乱(後鳥羽)と元弘の変(後醍醐)を区別する

北条泰時
ほうじょうやすとき
3代執権です。承久の乱では幕府軍の大将として京都を攻め、初代の六波羅探題となりました。1232年に御成敗式目を定め、評定衆を置くなど幕府の政治の仕組みを整えました。
- 御成敗式目(1232)を定めた3代執権。評定衆・連署の設置も泰時
- 承久の乱では幕府軍を率いて上京し、初代の六波羅探題になった
- 北条義時(承久の乱)・泰時(式目)・時宗(元寇)の3人を区別する

道元
どうげん
宋で禅を学び、曹洞宗を日本に伝えた僧です。ひたすら座禅に打ちこむ只管打坐を説き、幕府や朝廷から離れて福井県に永平寺を建てました。
- 曹洞宗を開き、永平寺(福井県)を建てた。臨済宗の栄西と区別
- 只管打坐(ひたすら座禅)。臨済宗は公案(問答)を重視する
- 幕府と結びついた臨済宗に対し、道元は権力から離れて修行した

日蓮
にちれん
日蓮宗(法華宗)を開いた僧です。「南無妙法蓮華経」と題目を唱えれば救われると説き、他の宗派を激しく批判したため幕府から弾圧され、佐渡に流されました。
- 念仏(南無阿弥陀仏)と題目(南無妙法蓮華経)を取り違えない
- 『立正安国論』で外国の侵略を予言し、幕府から弾圧されて佐渡に流された
- 鎌倉新仏教6宗のうち、開祖名がそのまま宗派名になっているのは日蓮宗だけ

北条時宗
ほうじょうときむね
鎌倉幕府の8代執権です。元のフビライ・ハンの要求を退け、文永の役・弘安の役の二度の元寇を退けました。禅宗を信仰し、鎌倉に円覚寺を建てました。
- 元寇のときの執権(8代)。元の国書を無視し、防塁と異国警固番役で備えた
- 円覚寺を建てた(禅宗・臨済宗)。父の時頼は建長寺を建てた
- 文部科学省の指導要領で取り上げられる42人の一人

後醍醐天皇
ごだいごてんのう
鎌倉幕府をたおして天皇中心の政治(建武の新政)を行った天皇です。討幕計画が二度失敗して隠岐に流されましたが、脱出して1333年に幕府を滅ぼしました。
- 鎌倉幕府滅亡(1333)と建武の新政(1334)の中心人物
- 隠岐に流された天皇。後鳥羽上皇(承久の乱)と混同しない
- 建武の新政が失敗した理由:公家中心の政治で武士の不満が高まった

栄西
えいさい
宋に渡って禅を学び、臨済宗を日本に伝えた僧です。座禅によってさとりを開く教えは武士に広まりました。宋から茶の種を持ち帰り、『喫茶養生記』を書いたことでも知られます。
- 臨済宗(栄西・建仁寺)と曹洞宗(道元・永平寺)の区別。どちらも座禅の禅宗
- 禅宗は幕府の保護を受けて武士に広まった。建長寺・円覚寺も臨済宗
- 『喫茶養生記』と茶の普及。室町時代の茶の湯につながる

北条義時
ほうじょうよしとき
2代執権です。北条政子の弟で、父の時政のあとを継ぎました。承久の乱で後鳥羽上皇の追討命令の標的となりましたが、幕府軍を勝利に導き、執権の地位を固めました。
- 承久の乱で後鳥羽上皇が討とうとした相手=2代執権北条義時
- 執権の順番:時政(初代)→義時(2代)→泰時(3代)→…→時宗(8代)
- 和田氏を滅ぼして侍所の長官も兼ね、執権の力を確立した

一遍
いっぺん
時宗を開いた僧です。念仏を唱えながら踊る踊念仏を民衆に広め、念仏の札を配りながら全国を歩いて布教したので遊行上人と呼ばれました。
- 時宗を開いた。踊念仏と全国をめぐる布教(遊行)が特徴
- 『一遍上人絵伝』は当時の民衆や町の様子が分かる絵巻物として出題される
- 念仏系3宗(浄土宗・浄土真宗・時宗)の開祖を並べて区別する
確認問題
答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。
Q1念仏を唱えればだれでも極楽浄土に行けると説き、知恩院を中心寺院としました。弟子の親鸞は、のちに浄土真宗を開きます。この僧はだれでしょう。
法然
美作国(岡山県)の武士の家に生まれ、比叡山で学びました。
Q2鎌倉幕府を開いた初代将軍です。平治の乱で伊豆に流されましたが、1180年に挙兵して平氏を滅ぼし、1192年に征夷大将軍となりました。この初代将軍はだれでしょう。
源頼朝
源義朝の子として生まれ、1159年の平治の乱で父が敗れると伊豆に流されました。
Q3鎌倉時代を代表する仏師です。快慶らとともに東大寺南大門の金剛力士像をつくりました。力強く写実的な作風で、武士の時代にふさわしい彫刻を生み出しました。この仏師はだれでしょう。
運慶
奈良の仏師康慶の子として生まれました。
Q4源頼朝の妻で、北条時政の娘です。頼朝の死後は尼となって幕府を支え、承久の乱では御家人に団結を呼びかける演説をして「尼将軍」と呼ばれました。この人物はだれでしょう。
北条政子
伊豆の豪族北条時政の娘で、伊豆に流されていた源頼朝と結婚しました。
Q5源頼朝の弟です。一ノ谷・屋島・壇ノ浦の戦いで平氏を破りましたが、兄と対立して奥州藤原氏のもとに逃れ、1189年に平泉で自害しました。この人物はだれでしょう。
源義経
源義朝の子で、幼名は牛若丸です。
鎌倉時代の読みもの
つぎのステップ
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