鎌倉時代の人物

鎌倉時代の人物で、中学受験によく出るのは法然・源頼朝・運慶・北条政子・源義経・親鸞・後鳥羽上皇・北条泰時・道元・日蓮・北条時宗・後醍醐天皇です。このページでは15人を、何をした人か・入試のポイントといっしょにまとめました。

2026/09/19 更新・ふりがなつき

鎌倉時代の人物一覧

政治・外交(8人)

人物何をした人か
源頼朝みなもとのよりとも鎌倉幕府かまくらばくふを開いた初代将軍しょうぐんです。
北条政子ほうじょうまさこ源頼朝みなもとのよりともの妻で、北条時政ほうじょうときまさの娘むすめです。
源義経みなもとのよしつね源頼朝みなもとのよりともの弟です。
後鳥羽上皇ごとばじょうこう1221年に承久じょうきゅうの乱らんを起こして幕府ばくふをたおそうとしましたが敗れ、隠岐おきに流された上皇じょうこうです。
北条泰時ほうじょうやすとき3代執権しっけんです。
北条時宗ほうじょうときむね鎌倉幕府かまくらばくふの8代執権しっけんです。
後醍醐天皇ごだいごてんのう鎌倉幕府かまくらばくふをたおして天皇てんのう中心の政治(建武けんむの新政しんせい)を行った天皇てんのうです。
北条義時ほうじょうよしとき2代執権しっけんです。

文化・宗教(7人)

人物何をした人か
法然ほうねん浄土宗じょうどしゅうを開いた僧そうです。
運慶うんけい鎌倉時代かまくらじだいを代表する仏師ぶっしです。
親鸞しんらん法然ほうねんの弟子でしで、浄土真宗じょうどしんしゅう(一向宗いっこうしゅう)を開いた僧そうです。
道元どうげん宋そうで禅ぜんを学び、曹洞宗そうとうしゅうを日本に伝えた僧そうです。
日蓮にちれん日蓮宗にちれんしゅう(法華宗ほっけしゅう)を開いた僧そうです。
栄西えいさい宋そうに渡って禅ぜんを学び、臨済宗りんざいしゅうを日本に伝えた僧そうです。
一遍いっぺん時宗を開いた僧そうです。

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おもな執権とできごと

執権しっけん代おもなできごと
北条時政ほうじょうときまさ初代執権政治しっけんせいじを始める(1203)
北条義時ほうじょうよしとき2代承久じょうきゅうの乱らんに勝つ(1221)
北条泰時ほうじょうやすとき3代評定衆ひょうじょうしゅう・連署れんしょ(1225)、御成敗式目ごせいばいしきもく(1232)
北条時頼ほうじょうときより5代引付衆ひきつけしゅう(1249)、建長寺けんちょうじを建てる
北条時宗ほうじょうときむね8代文永ぶんえいの役えき(1274)、弘安こうあんの役えき(1281)
北条貞時ほうじょうさだとき9代永仁えいにんの徳政令とくせいれい(1297)
北条高時ほうじょうたかとき14代鎌倉幕府かまくらばくふの滅亡めつぼう(1333)
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人物をくわしく

  • 法然

    ほうねん

    浄土宗じょうどしゅうを開いた僧そうです。「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」と念仏ねんぶつを唱えるだけで、身分に関係なくだれでも極楽浄土ごくらくじょうどに行けると説き、鎌倉新仏教かまくらしんぶっきょうの先がけとなりました。

    • 浄土宗じょうどしゅう(法然ほうねん)と浄土真宗じょうどしんしゅう(親鸞しんらん)の区別。親鸞しんらんは法然ほうねんの弟子でし
    • 念仏系(浄土宗じょうどしゅう・浄土真宗じょうどしんしゅう・時宗)、題目系(日蓮宗にちれんしゅう)、座禅系(臨済宗りんざいしゅう・曹洞宗そうとうしゅう)の3グループに分ける
    • 中心寺院じいん:法然ほうねん=知恩院ちおんいん、親鸞しんらん=本願寺ほんがんじ、一遍いっぺん=清浄光寺しょうじょうこうじ
    年表で見る読みもの: 鎌倉新仏教6宗のちがい(浄土宗と浄土真宗・臨済宗と曹洞宗)
  • 源頼朝

    みなもとのよりとも

    鎌倉幕府かまくらばくふを開いた初代将軍しょうぐんです。平治へいじの乱らんで伊豆いずに流されましたが、1180年に挙兵きょへいして平氏へいしを滅ぼし、1192年に征夷大将軍せいいたいしょうぐんとなりました。

    • 1180年挙兵きょへい→1185年平氏へいし滅亡めつぼう・守護しゅご地頭じとう→1189年奥州藤原氏おうしゅうふじわらし滅亡めつぼう→1192年征夷大将軍せいいたいしょうぐん
    • 義経よしつねとの対立:兄弟でありながら、朝廷ちょうていから勝手に官位を受けた義経よしつねを頼朝よりともが追った
    • 妻は北条政子ほうじょうまさこ。頼朝よりともの死後、北条氏ほうじょうしが執権しっけんとして実権じっけんをにぎる
    年表で見る読みもの: 守護と地頭のちがい
  • 運慶

    うんけい

    鎌倉時代かまくらじだいを代表する仏師ぶっしです。快慶かいけいらとともに東大寺南大門とうだいじなんだいもんの金剛力士像こんごうりきしぞうをつくりました。力強く写実的な作風で、武士ぶしの時代にふさわしい彫刻ちょうこくを生み出しました。

    • 東大寺南大門とうだいじなんだいもんの金剛力士像こんごうりきしぞうを快慶かいけいらとつくった。写実的で力強い作風
    • 東大寺とうだいじの大仏だいぶつ(奈良時代ならじだい・聖武天皇しょうむてんのう)と南大門なんだいもんの金剛力士像こんごうりきしぞう(鎌倉時代かまくらじだい)を区別する
    • 興福寺こうふくじの無著・世親像も運慶うんけいの作品
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  • 北条政子

    ほうじょうまさこ

    源頼朝みなもとのよりともの妻で、北条時政ほうじょうときまさの娘むすめです。頼朝よりともの死後は尼あまとなって幕府ばくふを支え、承久じょうきゅうの乱らんでは御家人ごけにんに団結を呼びかける演説をして「尼あま将軍しょうぐん」と呼ばれました。

    • 承久じょうきゅうの乱らんのとき御家人ごけにんに団結を呼びかけた演説が有名。乱らんの勝利の決め手
    • 父は初代執権しっけん北条時政ほうじょうときまさ、弟は2代執権しっけん北条義時ほうじょうよしとき
    • 源氏げんじの将軍しょうぐんが途絶えたあと、実質的に将軍しょうぐんの役割をはたしたので「尼あま将軍しょうぐん」
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  • 源義経

    みなもとのよしつね

    源頼朝みなもとのよりともの弟です。一ノ谷・屋島やしま・壇ノ浦だんのうらの戦いで平氏へいしを破りましたが、兄と対立して奥州藤原氏おうしゅうふじわらしのもとに逃れ、1189年に平泉ひらいずみで自害しました。

    • 平氏へいしを滅ぼした3つの戦い:一ノ谷(兵庫ひょうご)→屋島やしま(香川)→壇ノ浦だんのうら(山口)の順と場所
    • 頼朝よりともと対立した理由:無断で朝廷ちょうていの官位を受けたこと。頼朝よりともは義経よしつねの追捕を口実に守護しゅご・地頭じとうを置いた
    • かくまったのは奥州藤原氏おうしゅうふじわらしの藤原秀衡ふじわらのひでひら。滅ぼされたのは秀衡ひでひらの子の泰衡やすひら
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  • 親鸞

    しんらん

    法然ほうねんの弟子でしで、浄土真宗じょうどしんしゅう(一向宗いっこうしゅう)を開いた僧そうです。阿弥陀仏あみだぶつを信じる心さえあれば、罪深い悪人こそ救われるという悪人正機あくにんしょうきの教えを説きました。

    • 浄土真宗じょうどしんしゅうを開いた。法然ほうねんの弟子でしで、悪人正機あくにんしょうき説が特徴
    • 中心寺院じいんは本願寺ほんがんじ。室町時代むろまちじだいの一向一揆いっこういっき(加賀かがの一向一揆いっこういっき)につながる
    • 主著『教行信証』、弟子でしが書いた『歎異抄』
    年表で見る読みもの: 鎌倉新仏教6宗のちがい(浄土宗と浄土真宗・臨済宗と曹洞宗)
  • 後鳥羽上皇

    ごとばじょうこう

    1221年に承久じょうきゅうの乱らんを起こして幕府ばくふをたおそうとしましたが敗れ、隠岐おきに流された上皇じょうこうです。和歌わかにすぐれ、『新古今和歌集しんこきんわかしゅう』の編集を命じたことでも知られます。

    • 承久じょうきゅうの乱らんを起こしたのは後鳥羽とば「上皇じょうこう」。流された先は隠岐おき
    • 『新古今和歌集しんこきんわかしゅう』の編集を命じた(編者は藤原定家ふじわらのていから)
    • 後醍醐天皇ごだいごてんのうも隠岐おきに流された。承久じょうきゅうの乱らん(後鳥羽とば)と元弘げんこうの変へん(後醍醐)を区別する
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  • 北条泰時

    ほうじょうやすとき

    3代執権しっけんです。承久じょうきゅうの乱らんでは幕府ばくふ軍の大将として京都きょうとを攻め、初代の六波羅探題ろくはらたんだいとなりました。1232年に御成敗式目ごせいばいしきもくを定め、評定衆ひょうじょうしゅうを置くなど幕府ばくふの政治の仕組みを整えました。

    • 御成敗式目ごせいばいしきもく(1232)を定めた3代執権しっけん。評定衆ひょうじょうしゅう・連署れんしょの設置せっちも泰時やすとき
    • 承久じょうきゅうの乱らんでは幕府ばくふ軍を率いて上京し、初代の六波羅探題ろくはらたんだいになった
    • 北条義時ほうじょうよしとき(承久じょうきゅうの乱らん)・泰時やすとき(式目)・時宗(元寇げんこう)の3人を区別する
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  • 道元

    どうげん

    宋そうで禅ぜんを学び、曹洞宗そうとうしゅうを日本に伝えた僧そうです。ひたすら座禅ざぜんに打ちこむ只管打坐しかんたざを説き、幕府ばくふや朝廷ちょうていから離れて福井県に永平寺えいへいじを建てました。

    • 曹洞宗そうとうしゅうを開き、永平寺えいへいじ(福井県)を建てた。臨済宗りんざいしゅうの栄西えいさいと区別
    • 只管打坐しかんたざ(ひたすら座禅ざぜん)。臨済宗りんざいしゅうは公案こうあん(問答もんどう)を重視する
    • 幕府ばくふと結びついた臨済宗りんざいしゅうに対し、道元どうげんは権力から離れて修行しゅぎょうした
    年表で見る読みもの: 鎌倉新仏教6宗のちがい(浄土宗と浄土真宗・臨済宗と曹洞宗)
  • 日蓮

    にちれん

    日蓮宗にちれんしゅう(法華宗ほっけしゅう)を開いた僧そうです。「南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう」と題目だいもくを唱えれば救われると説き、他の宗派しゅうはを激しく批判したため幕府ばくふから弾圧され、佐渡さどに流されました。

    • 念仏ねんぶつ(南無阿弥陀仏なむあみだぶつ)と題目だいもく(南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう)を取り違えない
    • 『立正安国論りっしょうあんこくろん』で外国がいこくの侵略を予言し、幕府ばくふから弾圧されて佐渡さどに流された
    • 鎌倉新仏教かまくらしんぶっきょう6宗しゅうのうち、開祖名がそのまま宗派名になっているのは日蓮宗にちれんしゅうだけ
    年表で見る読みもの: 鎌倉新仏教6宗のちがい(浄土宗と浄土真宗・臨済宗と曹洞宗)
  • 北条時宗

    ほうじょうときむね

    鎌倉幕府かまくらばくふの8代執権しっけんです。元げんのフビライ・ハンの要求を退け、文永ぶんえいの役えき・弘安こうあんの役えきの二度の元寇げんこうを退けました。禅宗ぜんしゅうを信仰し、鎌倉かまくらに円覚寺えんがくじを建てました。

    • 元寇げんこうのときの執権しっけん(8代)。元げんの国書こくしょを無視し、防塁ぼうるいと異国警固番役いこくけいごばんやくで備えた
    • 円覚寺えんがくじを建てた(禅宗ぜんしゅう・臨済宗りんざいしゅう)。父の時頼ときよりは建長寺けんちょうじを建てた
    • 文部科学省の指導要領で取り上げられる42人の一人
    年表で見る
  • 後醍醐天皇

    ごだいごてんのう

    鎌倉幕府かまくらばくふをたおして天皇てんのう中心の政治(建武けんむの新政しんせい)を行った天皇てんのうです。討幕計画が二度失敗して隠岐おきに流されましたが、脱出して1333年に幕府ばくふを滅ぼしました。

    • 鎌倉幕府かまくらばくふ滅亡めつぼう(1333)と建武けんむの新政しんせい(1334)の中心人物
    • 隠岐おきに流された天皇てんのう。後鳥羽上皇ごとばじょうこう(承久じょうきゅうの乱らん)と混同しない
    • 建武けんむの新政しんせいが失敗した理由:公家くげ中心の政治で武士ぶしの不満が高まった
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  • 栄西

    えいさい

    宋そうに渡って禅ぜんを学び、臨済宗りんざいしゅうを日本に伝えた僧そうです。座禅ざぜんによってさとりを開く教えは武士ぶしに広まりました。宋そうから茶の種を持ち帰り、『喫茶養生記きっさようじょうき』を書いたことでも知られます。

    • 臨済宗りんざいしゅう(栄西えいさい・建仁寺けんにんじ)と曹洞宗そうとうしゅう(道元どうげん・永平寺えいへいじ)の区別。どちらも座禅ざぜんの禅宗ぜんしゅう
    • 禅宗ぜんしゅうは幕府ばくふの保護を受けて武士ぶしに広まった。建長寺けんちょうじ・円覚寺えんがくじも臨済宗りんざいしゅう
    • 『喫茶養生記きっさようじょうき』と茶の普及。室町時代むろまちじだいの茶の湯につながる
    年表で見る読みもの: 鎌倉新仏教6宗のちがい(浄土宗と浄土真宗・臨済宗と曹洞宗)
  • 北条義時

    ほうじょうよしとき

    2代執権しっけんです。北条政子ほうじょうまさこの弟で、父の時政ときまさのあとを継ぎました。承久じょうきゅうの乱らんで後鳥羽上皇ごとばじょうこうの追討命令の標的となりましたが、幕府ばくふ軍を勝利に導き、執権しっけんの地位を固めました。

    • 承久じょうきゅうの乱らんで後鳥羽上皇ごとばじょうこうが討とうとした相手=2代執権しっけん北条義時ほうじょうよしとき
    • 執権しっけんの順番:時政ときまさ(初代)→義時よしとき(2代)→泰時やすとき(3代)→…→時宗(8代)
    • 和田氏を滅ぼして侍所さむらいどころの長官も兼ね、執権しっけんの力を確立した
    年表で見る
  • 一遍

    いっぺん

    時宗を開いた僧そうです。念仏ねんぶつを唱えながら踊る踊念仏おどりねんぶつを民衆みんしゅうに広め、念仏ねんぶつの札を配りながら全国を歩いて布教ふきょうしたので遊行上人ゆぎょうしょうにんと呼ばれました。

    • 時宗を開いた。踊念仏おどりねんぶつと全国をめぐる布教ふきょう(遊行ゆぎょう)が特徴
    • 『一遍上人絵伝』は当時の民衆みんしゅうや町の様子が分かる絵巻物えまきものとして出題される
    • 念仏系3宗しゅう(浄土宗じょうどしゅう・浄土真宗じょうどしんしゅう・時宗)の開祖かいそを並べて区別する
    年表で見る読みもの: 鎌倉新仏教6宗のちがい(浄土宗と浄土真宗・臨済宗と曹洞宗)

確認問題

答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。

  1. Q1念仏ねんぶつを唱えればだれでも極楽浄土ごくらくじょうどに行けると説き、知恩院ちおんいんを中心寺院じいんとしました。弟子でしの親鸞しんらんは、のちに浄土真宗じょうどしんしゅうを開きます。この僧そうはだれでしょう。

    法然ほうねん

    美作国(岡山県)の武士ぶしの家に生まれ、比叡山ひえいざんで学びました。

  2. Q2鎌倉幕府かまくらばくふを開いた初代将軍しょうぐんです。平治へいじの乱らんで伊豆いずに流されましたが、1180年に挙兵きょへいして平氏へいしを滅ぼし、1192年に征夷大将軍せいいたいしょうぐんとなりました。この初代将軍しょうぐんはだれでしょう。

    源頼朝みなもとのよりとも

    源義朝みなもとのよしともの子として生まれ、1159年の平治へいじの乱らんで父が敗れると伊豆いずに流されました。

  3. Q3鎌倉時代かまくらじだいを代表する仏師ぶっしです。快慶かいけいらとともに東大寺南大門とうだいじなんだいもんの金剛力士像こんごうりきしぞうをつくりました。力強く写実的な作風で、武士ぶしの時代にふさわしい彫刻ちょうこくを生み出しました。この仏師ぶっしはだれでしょう。

    運慶うんけい

    奈良ならの仏師康慶の子として生まれました。

  4. Q4源頼朝みなもとのよりともの妻で、北条時政ほうじょうときまさの娘むすめです。頼朝よりともの死後は尼あまとなって幕府ばくふを支え、承久じょうきゅうの乱らんでは御家人ごけにんに団結を呼びかける演説をして「尼あま将軍しょうぐん」と呼ばれました。この人物はだれでしょう。

    北条政子ほうじょうまさこ

    伊豆いずの豪族ごうぞく北条時政ほうじょうときまさの娘むすめで、伊豆いずに流されていた源頼朝みなもとのよりともと結婚しました。

  5. Q5源頼朝みなもとのよりともの弟です。一ノ谷・屋島やしま・壇ノ浦だんのうらの戦いで平氏へいしを破りましたが、兄と対立して奥州藤原氏おうしゅうふじわらしのもとに逃れ、1189年に平泉ひらいずみで自害しました。この人物はだれでしょう。

    源義経みなもとのよしつね

    源義朝みなもとのよしともの子で、幼名は牛若丸です。

鎌倉時代の一問一答でもっと解く

鎌倉時代の読みもの

つぎのステップ

年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。