守護と地頭のちがい

ちがい鎌倉時代政治

守護と地頭のちがいの要点をまとめたイラスト

守護は国ごとに1人置かれ、軍事・警察と御家人の統率を受け持ちました。地頭は荘園や公領ごとに置かれ、年貢の取り立てと土地の管理を受け持ちました。どちらも1185年に源頼朝が朝廷に認めさせ、御家人が任命されました。

2026/09/14 公開・ふりがなつき

表でくらべる

守護しゅご地頭じとう
置かれた場所国ごとに1人荘園しょうえん・公領こうりょうごと
おもな仕事軍事・警察、御家人ごけにんの統率年貢ねんぐの取り立て、土地の管理
任命された人有力な御家人ごけにん御家人ごけにん
年表で「守護・地頭の設置」を見る

見分けるときは、まず「どの広さを受け持つか」を見ます。国という大きな単位で軍事と警察を受け持つのが守護しゅご、国の中にある一つひとつの荘園しょうえんや公領こうりょうで、土地と年貢ねんぐを管理するのが地頭じとうです。

図で見る:国の中の荘園と公領

1つの国の中に、荘園と公領がいくつもある。守護は国ごとに1人、地頭は荘園や公領に置かれた
1つの国の中に、荘園と公領がいくつもある。守護は国ごとに1人、地頭は荘園や公領に置かれた

当時の日本は、いくつもの国に分かれていました。1つの国の中には、貴族きぞくや寺社の私有地しゆうちである荘園しょうえんと、国司こくしが治める公領こうりょうが、いくつも並んでいました。

守護しゅごは、この国全体を受け持つ役職です。地頭じとうは、国の中の荘園しょうえんや公領こうりょうに置かれ、その土地の年貢ねんぐと管理を受け持ちました。受け持つ広さがちがうので、1つの国に守護しゅごは1人でも、地頭じとうはたくさんいたことになります。

守護・地頭が置かれたわけ

  1. 1180年源頼朝みなもとのよりともが挙兵きょへいする
  2. 1185年壇ノ浦だんのうらの戦いで平氏へいしがほろびる
  3. 1185年守護しゅご・地頭じとうの設置せっち
  4. 1192年鎌倉幕府かまくらばくふの成立せいりつ
  5. 1221年承久じょうきゅうの乱らん

1180年に兵へいをあげた源頼朝みなもとのよりともは、1185年、壇ノ浦の戦いで平氏へいしをほろぼしました。そのあと、対立した弟の源義経みなもとのよしつねをつかまえることを理由に、国ごとに守護しゅご、荘園しょうえんや公領こうりょうごとに地頭じとうを置くことを、後白河法皇ごしらかわほうおうに認めさせました。

こうして頼朝よりともの家来である御家人ごけにんが、全国の国と土地に置かれました。武士ぶしが全国を治める仕組みの始まりです。このため、1185年を鎌倉幕府かまくらばくふの成立せいりつとみる考え方があります。頼朝よりともが征夷大将軍せいいたいしょうぐんになった1192年とする考え方もあるので、2つの年を区別しておきましょう(鎌倉幕府の成立)。

年号の語呂合わせ1185年

いい箱(1185)つくろう守護しゅご・地頭じとう

守護の仕事

守護しゅごは国ごとに1人、有力な御家人ごけにんが任命されました。国の中の軍事と警察を受け持ち、その国の御家人ごけにんをまとめて京都きょうとの警備に向かわせたり、反乱はんらんを起こした者をとらえたりしました。

御家人ごけにんは、将軍しょうぐんから領地りょうちを守ってもらう「御恩ごおん」を受けるかわりに、戦いや警備につく「奉公ほうこう」をしました(御恩と奉公(封建制度))。守護しゅごは、この奉公ほうこうを国ごとにまとめる役えき目を持っていたといえます。

地頭の仕事

地頭じとうは、荘園しょうえんや公領こうりょうごとに御家人ごけにんが任命されました。荘園しょうえんでは持ち主の貴族きぞくや寺社に、公領こうりょうでは国司こくしに納める年貢ねんぐを取り立て、土地を管理しました。

地頭じとうに任命されることは、御家人ごけにんにとって、将軍しょうぐんから領地りょうちの支配しはいを認めてもらう御恩ごおんの1つでした。1221年の承久の乱のあと、幕府ばくふは上皇じょうこうの側についた貴族きぞくや武士ぶしから取り上げた西日本の土地にも地頭じとうを置き、幕府ばくふの力が西日本にも広がりました。

その後どうなった?

守護しゅごと地頭じとうは、時代が進むにつれて、それぞれ別の方向に変わっていきます。入試では「その後」を問う問題も出るので、流れで覚えておきましょう。

守護しゅごのその後

  1. 鎌倉時代かまくらじだい守護しゅご(国ごとに軍事・警察)
  2. 南北朝時代なんぼくちょうじだい〜国の武士ぶしをしたがえて力を強め、守護しゅご大名だいみょうになる
  3. 応仁おうにんの乱らんのあと守護しゅご大名だいみょうの家来などが実力で国をうばい、戦国せんごく大名だいみょうになる例が多く見られる

地頭じとうのその後

  1. 鎌倉時代かまくらじだい地頭じとう(荘園しょうえん・公領こうりょうごとに年貢ねんぐと土地の管理)
  2. 承久じょうきゅうの乱らんのあと西日本の土地にも置かれる
  3. 争いがふえる地頭じとうが荘園しょうえんの持ち主と争い、地頭請(年貢ねんぐの取り立てを地頭じとうに任せる)や下地中分(土地を分け合う)が行われる

守護しゅごは「国を治める大名だいみょう」へと力を強め、地頭じとうは「荘園しょうえんの持ち主と土地を取り合う」方向へ進みました。南北朝時代や下剋上の項目もあわせて見ておくと、室町時代むろまちじだいの流れにつながります。

入試のポイント

  • 守護しゅごは国ごと(軍事・警察)、地頭じとうは荘園しょうえん・公領こうりょうごと(年貢ねんぐの取り立て・土地の管理)と区別する
  • 設置せっちの名目は源義経みなもとのよしつねをとらえること。認めたのは後白河法皇ごしらかわほうおう
  • 1185年を鎌倉幕府かまくらばくふの成立せいりつとする説の根拠になっている
  • 地頭じとうの横暴に荘園領主が困り、のちに地頭請や下地中分が行われた

よくあるまちがい

守護と地頭の受け持ちを逆に覚える

「国ごと=守護しゅご」「荘園しょうえん・公領こうりょうごと=地頭じとう」です。地頭じとうの「地」を土地の「地」と結びつけると、土地と年貢ねんぐを管理するのが地頭じとうだと思い出しやすくなります。

守護が地頭を任命したと考える

守護しゅごも地頭じとうも、頼朝よりともが御家人ごけにんの中から任命しました。守護しゅごが地頭じとうの上に立って、地頭じとうを選んだわけではありません。

国司と守護を同じものと考える

国司こくしは、律令りつりょうのしくみで朝廷ちょうていが国ごとに送った役人やくにんです(大宝律令)。守護しゅごが置かれたあとも国司こくしはなくならず、鎌倉時代かまくらじだいには朝廷ちょうていの国司こくしと幕府ばくふの守護しゅごが同じ国に並んでいました。

守護大名と戦国大名を同じものと考える

守護しゅご大名だいみょうは、幕府ばくふから任命された守護しゅごが力を強めたものです。戦国せんごく大名だいみょうは、応仁おうにんの乱らんのあと、幕府ばくふの任命によらず実力で国を治めた大名だいみょうです。守護しゅご大名だいみょうがそのまま戦国せんごく大名だいみょうになった家もありますが、家来が主人をたおして戦国せんごく大名だいみょうになった例も多く、これを下剋上げこくじょうといいます。

確認問題

答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。

  1. Q1『守護しゅご・地頭じとうの設置せっち』が起きたのは何年でしょう。

    1185年

    守護しゅご・地頭じとうの設置せっち(1185年)。1185年、源頼朝みなもとのよりともは弟の義経よしつねをつかまえることを理由に、国ごとに守護しゅご、荘園しょうえんや公領こうりょうごとに地頭じとうを置くことを朝廷ちょうていに認めさせました。ごろ合わせ: いい箱(1185)つくろう守護しゅご・地頭じとう

  2. Q2守護しゅごと地頭じとうのうち、おもな仕事が『軍事・警察、御家人ごけにんの統率』なのはどちらでしょう。

    守護しゅご

    守護しゅごのおもな仕事は『軍事・警察、御家人ごけにんの統率』です。ほかは地頭じとうが『年貢ねんぐの取り立て、土地の管理』です。

  3. Q3守護しゅごと地頭じとうのうち、おもな仕事が『年貢ねんぐの取り立て、土地の管理』なのはどちらでしょう。

    地頭じとう

    地頭じとうのおもな仕事は『年貢ねんぐの取り立て、土地の管理』です。ほかは守護しゅごが『軍事・警察、御家人ごけにんの統率』です。

鎌倉時代の一問一答でもっと解く

つぎのステップ

年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。