安土桃山時代の人物

安土桃山時代の人物で、中学受験によく出るのは千利休・明智光秀・豊臣秀吉・狩野永徳です。このページでは5人を、何をした人か・入試のポイントといっしょにまとめました。

2026/10/09 更新・ふりがなつき

安土桃山時代の人物一覧

政治・外交(3人)

人物何をした人か
明智光秀あけちみつひで織田信長おだのぶながの家臣で、1582年に本能寺ほんのうじの変へんで主君の信長のぶながをおそい、自害させた武将です。
豊臣秀吉とよとみひでよし尾張おわりの身分の低い家に生まれ、織田信長おだのぶながの家臣として出世し、信長のぶながの死後に全国を統一とういつした武将です。
石田三成いしだみつなり豊臣秀吉とよとみひでよしに仕えた五奉行ごぶぎょうの一人で、秀吉ひでよしの死後に徳川家康とくがわいえやすと対立し、関ヶ原せきがはらの戦いで西軍の中心となってやぶれた武将です。

文化・宗教(2人)

人物何をした人か
千利休せんのりきゅう堺さかいの大商人の出身で、織田信長おだのぶながや豊臣秀吉とよとみひでよしに仕え、質素な茶室や道具で心を通わせるわび茶(茶の湯)を大成した茶人です。
狩野永徳かのうえいとく狩野派の画家で、織田信長おだのぶながや豊臣秀吉とよとみひでよしに仕え、安土城あづちじょうや大阪城おおさかじょうのふすまや屏風に、金箔を使った豪華な障壁画を描きました。

人物をくわしく

  • 千利休

    せんのりきゅう

    堺さかいの大商人の出身で、織田信長おだのぶながや豊臣秀吉とよとみひでよしに仕え、質素な茶室や道具で心を通わせるわび茶(茶の湯)を大成した茶人です。

    • 堺さかいの大商人の出身の茶人です。
    • 簡素な茶室や道具を用いる、わび茶を大成しました。
    • 織田信長おだのぶながや豊臣秀吉とよとみひでよしに仕えましたが、最後は秀吉ひでよしに切腹を命じられました。
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  • 明智光秀

    あけちみつひで

    織田信長おだのぶながの家臣で、1582年に本能寺ほんのうじの変へんで主君の信長のぶながをおそい、自害させた武将です。その後まもなく、山崎やまざきの戦いで豊臣秀吉とよとみひでよしにやぶれました。

    • 本能寺ほんのうじの変へんで、主君の織田信長おだのぶながをおそった家臣です。
    • 山崎やまざきの戦いで、豊臣秀吉とよとみひでよしにやぶれました。
    • 天下をとっていた期間が短かったことから、三日天下といわれます。
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  • 豊臣秀吉

    とよとみひでよし

    尾張おわりの身分の低い家に生まれ、織田信長おだのぶながの家臣として出世し、信長のぶながの死後に全国を統一とういつした武将です。太閤検地たいこうけんちや刀狩を行い、朝鮮ちょうせんにも出兵しました。

    • 尾張おわりの身分の低い家に生まれ、織田信長おだのぶながの家臣として出世しました。
    • 征夷大将軍せいいたいしょうぐんにはならず、関白かんぱく・太政大臣だじょうだいじんとなって全国を治めました。
    • 太閤検地たいこうけんちや刀狩で、武士ぶしと百姓ひゃくしょうの身分を分ける政策を進めました。
    年表で見る読みもの: 太閤検地と刀狩のちがい
  • 狩野永徳

    かのうえいとく

    狩野派の画家で、織田信長おだのぶながや豊臣秀吉とよとみひでよしに仕え、安土城あづちじょうや大阪城おおさかじょうのふすまや屏風に、金箔を使った豪華な障壁画を描きました。代表作は「唐獅子図屏風からじしずびょうぶ」です。

    • 金箔を使った豪華な障壁画を描いた、狩野派の画家です。
    • 代表作は「唐獅子図屏風からじしずびょうぶ」です。
    • 安土城あづちじょうや大阪城おおさかじょうのふすまや屏風に絵を描きました。
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  • 石田三成

    いしだみつなり

    豊臣秀吉とよとみひでよしに仕えた五奉行ごぶぎょうの一人で、秀吉ひでよしの死後に徳川家康とくがわいえやすと対立し、関ヶ原せきがはらの戦いで西軍の中心となってやぶれた武将です。

    • 豊臣秀吉とよとみひでよしに仕えた、五奉行ごぶぎょうの一人です。
    • 関ヶ原せきがはらの戦いで、西軍の中心となりました。
    • 関ヶ原せきがはらの戦いにやぶれ、京都きょうとで処刑されました。
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確認問題

答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。

  1. Q1堺さかいの大商人の出身で、織田信長おだのぶながや豊臣秀吉とよとみひでよしに仕え、質素な茶室や道具で心を通わせるわび茶(茶の湯)を大成した茶人はだれでしょう。

    千利休せんのりきゅう

    千利休せんのりきゅうは、貿易ぼうえきで栄えた堺さかい(大阪おおさか府)の商人の家に生まれ、若いころから茶の湯を学びました。

  2. Q2織田信長おだのぶながの家臣で、1582年に本能寺ほんのうじの変へんで主君の信長のぶながをおそい、自害させた武将です。その後まもなく、山崎やまざきの戦いで豊臣秀吉とよとみひでよしにやぶれました。この武将はだれでしょう。

    明智光秀あけちみつひで

    明智光秀あけちみつひでは、はじめ将軍しょうぐん足利義昭あしかがよしあきに仕え、のちに織田信長おだのぶながの家臣となりました。

  3. Q3尾張おわりの身分の低い家に生まれ、織田信長おだのぶながの家臣として出世し、信長のぶながの死後に全国を統一とういつした武将です。太閤検地たいこうけんちや刀狩を行い、朝鮮ちょうせんにも出兵しました。この武将はだれでしょう。

    豊臣秀吉とよとみひでよし

    秀吉ひでよしは尾張おわり(愛知県)の身分の低い家に生まれ、織田信長おだのぶながに仕えて、木下藤吉郎、羽柴秀吉と名を変えながら出世しました。

  4. Q4狩野派の画家で、織田信長おだのぶながや豊臣秀吉とよとみひでよしに仕え、安土城あづちじょうや大阪城おおさかじょうのふすまや屏風に、金箔を使った豪華な障壁画を描きました。代表作は「唐獅子図屏風からじしずびょうぶ」です。この人物はだれでしょう。

    狩野永徳かのうえいとく

    狩野永徳かのうえいとくは、室町時代むろまちじだいから続く画家の一族いちぞくである狩野派に生まれました。

  5. Q5豊臣秀吉とよとみひでよしに仕えた五奉行ごぶぎょうの一人で、秀吉ひでよしの死後に徳川家康とくがわいえやすと対立し、関ヶ原せきがはらの戦いで西軍の中心となってやぶれた武将はだれでしょう。

    石田三成いしだみつなり

    石田三成いしだみつなりは近江おうみ(滋賀県しがけん)の出身で、若いころから豊臣秀吉とよとみひでよしに仕えました。

安土桃山時代の一問一答でもっと解く

安土桃山時代の読みもの

つぎのステップ

年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。