飛鳥時代の人物
飛鳥時代の人物で、中学受験によく出るのは小野妹子・聖徳太子・蘇我入鹿・中臣鎌足・中大兄皇子です。このページでは10人を、何をした人か・入試のポイントといっしょにまとめました。
飛鳥時代の人物一覧
政治・外交(10人)
| 人物 | 何をした人か |
|---|---|
| 小野妹子 | 607年に遣隋使として隋にわたり、隋の皇帝煬帝に国書を届けました。 |
| 聖徳太子 | 推古天皇の摂政として、冠位十二階や十七条の憲法を定め、遣隋使を送って天皇中心の国づくりを進めました。 |
| 蘇我入鹿 | 蘇我馬子の孫で、父の蝦夷とともに天皇をしのぐ力をもちました。 |
| 中臣鎌足 | 中大兄皇子とともに蘇我氏をたおし、大化の改新を進めました。 |
| 中大兄皇子 | 中臣鎌足とともに蘇我氏をたおし、大化の改新を進めました。 |
| 蘇我馬子 | 仏教の受け入れをめぐって物部守屋をほろぼし、大きな力をもった豪族です。 |
| 推古天皇 | 日本で最初の女性の天皇です。 |
| 犬上御田鍬 | 614年に最後の遣隋使、630年に最初の遣唐使として中国にわたった人物です。 |
| 天武天皇 | 天智天皇の弟です。 |
| 持統天皇 | 天智天皇の娘で、天武天皇の皇后です。 |
人物をくわしく

小野妹子
おののいもこ
607年に遣隋使として隋にわたり、隋の皇帝煬帝に国書を届けました。翌年、隋の使者とともに帰国し、再び隋へ向かいました。
- 607年の遣隋使。相手は隋の煬帝
- 「日出づる処の天子」の国書を届けた
- 男性である(名前でまちがえやすい)

聖徳太子(厩戸皇子)
しょうとくたいし
推古天皇の摂政として、冠位十二階や十七条の憲法を定め、遣隋使を送って天皇中心の国づくりを進めました。仏教をあつく信じ、法隆寺を建てました。
- 推古天皇の摂政。蘇我馬子と協力
- 冠位十二階・十七条の憲法・遣隋使(小野妹子)
- 法隆寺を建てた。飛鳥文化の中心

蘇我入鹿
そがのいるか
蘇我馬子の孫で、父の蝦夷とともに天皇をしのぐ力をもちました。聖徳太子の子の山背大兄王をほろぼしましたが、645年に中大兄皇子らにたおされました。
- 蘇我蝦夷の子、馬子の孫
- 645年に中大兄皇子・中臣鎌足にたおされる(大化の改新の始まり)
- 蘇我氏は稲目→馬子→蝦夷→入鹿の順

中臣鎌足(藤原鎌足)
なかとみのかまたり
中大兄皇子とともに蘇我氏をたおし、大化の改新を進めました。死ぬ直前に「藤原」の姓をあたえられ、平安時代に栄える藤原氏の祖となりました。
- 中大兄皇子と大化の改新
- 「藤原」の姓をもらい藤原氏の祖に
- 子の藤原不比等は大宝律令をつくった

中大兄皇子(天智天皇)
なかのおおえのおうじ(てんじてんのう)
中臣鎌足とともに蘇我氏をたおし、大化の改新を進めました。白村江の戦いに敗れたあと都を近江(滋賀県)に移し、668年に即位して天智天皇となりました。
- 中臣鎌足と大化の改新(645年)
- 白村江の戦い(663年)に敗れ、都を大津に移す
- 668年に即位して天智天皇。最初の全国戸籍(庚午年籍)

蘇我馬子
そがのうまこ
仏教の受け入れをめぐって物部守屋をほろぼし、大きな力をもった豪族です。推古天皇のもとで聖徳太子と協力して政治を行いました。
- 587年に物部守屋をほろぼす(仏教受け入れ派の勝利)
- 推古天皇・聖徳太子と協力
- 孫の蘇我入鹿は大化の改新でたおされる

推古天皇
すいこてんのう
日本で最初の女性の天皇です。592年に即位し、おいの聖徳太子を摂政にして政治を任せました。
- 日本初の女性天皇(592年即位)
- 摂政は聖徳太子、大臣は蘇我馬子
- 飛鳥時代の始まりの天皇

犬上御田鍬
いぬがみのみたすき
614年に最後の遣隋使、630年に最初の遣唐使として中国にわたった人物です。隋と唐の両方に使いをした唯一の人として知られます。
- 630年の第1回遣唐使
- 614年には最後の遣隋使でもあった
- 小野妹子(遣隋使)との区別

天武天皇(大海人皇子)
てんむてんのう
天智天皇の弟です。壬申の乱に勝って即位し、天皇の力を強めて律令や歴史書づくりを命じるなど、律令国家の土台を固めました。
- 壬申の乱(672年)に勝って即位
- 「天皇」の称号が使われ始めたとされる
- 律令・国史(のちの古事記・日本書紀)の編さんを命じた

持統天皇
じとうてんのう
天智天皇の娘で、天武天皇の皇后です。天武天皇の死後に即位し、694年に日本初の本格的な都である藤原京をつくりました。
- 天武天皇の皇后で、天智天皇の娘
- 694年に藤原京へ遷都
- 百人一首「春すぎて夏来にけらし…」の作者
確認問題
答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。
Q1607年に遣隋使として隋にわたり、隋の皇帝煬帝に国書を届けました。翌年、隋の使者とともに帰国し、再び隋へ向かいました。この人物はだれでしょう。
小野妹子
607年の遣隋使。相手は隋の煬帝。
Q2推古天皇の摂政として、冠位十二階や十七条の憲法を定め、遣隋使を送って天皇中心の国づくりを進めました。仏教をあつく信じ、法隆寺を建てました。この人物はだれでしょう。
聖徳太子(厩戸皇子)
用明天皇の子で、厩戸皇子ともよばれます。
Q3蘇我馬子の孫で、父の蝦夷とともに天皇をしのぐ力をもちましたが、645年に中大兄皇子と中臣鎌足にたおされました。この人物はだれでしょう。
蘇我入鹿
聖徳太子の子の山背大兄王をほろぼしましたが、645年に中大兄皇子らにたおされました。
Q4中大兄皇子とともに蘇我氏をたおし、大化の改新を進めました。死ぬ直前に「藤原」の姓をあたえられ、平安時代に栄える藤原氏の祖となりました。この人物はだれでしょう。
中臣鎌足(藤原鎌足)
覚え方: 中臣鎌足→藤原鎌足。藤原氏の祖。子は藤原不比等(大宝律令)
Q5中臣鎌足とともに蘇我氏をたおし、大化の改新を進めました。白村江の戦いに敗れたあと都を近江(滋賀県)に移し、668年に即位して○○となりました。この人物はだれでしょう。
中大兄皇子(天智天皇)
皇太子として長く政治を動かし、公地公民の方針を打ち出しました。
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