飛鳥時代の人物

飛鳥時代の人物で、中学受験によく出るのは小野妹子・聖徳太子・蘇我入鹿・中臣鎌足・中大兄皇子です。このページでは10人を、何をした人か・入試のポイントといっしょにまとめました。

2026/09/19 更新・ふりがなつき

飛鳥時代の人物一覧

政治・外交(10人)

人物何をした人か
小野妹子おののいもこ607年に遣隋使けんずいしとして隋ずいにわたり、隋ずいの皇帝こうてい煬帝ようだいに国書こくしょを届けました。
聖徳太子しょうとくたいし推古天皇すいこてんのうの摂政せっしょうとして、冠位十二階かんいじゅうにかいや十七条じゅうしちじょうの憲法けんぽうを定め、遣隋使けんずいしを送って天皇てんのう中心の国づくりを進めました。
蘇我入鹿そがのいるか蘇我馬子そがのうまこの孫で、父の蝦夷えみしとともに天皇てんのうをしのぐ力をもちました。
中臣鎌足なかとみのかまたり中大兄皇子なかのおおえのおうじとともに蘇我氏そがしをたおし、大化たいかの改新かいしんを進めました。
中大兄皇子なかのおおえのおうじ中臣鎌足なかとみのかまたりとともに蘇我氏そがしをたおし、大化たいかの改新かいしんを進めました。
蘇我馬子そがのうまこ仏教ぶっきょうの受け入れをめぐって物部守屋もののべのもりやをほろぼし、大きな力をもった豪族ごうぞくです。
推古天皇すいこてんのう日本で最初の女性の天皇てんのうです。
犬上御田鍬いぬがみのみたすき614年に最後の遣隋使けんずいし、630年に最初の遣唐使けんとうしとして中国にわたった人物です。
天武天皇てんむてんのう天智天皇てんじてんのうの弟です。
持統天皇じとうてんのう天智天皇てんじてんのうの娘むすめで、天武天皇てんむてんのうの皇后こうごうです。

人物をくわしく

  • 小野妹子

    おののいもこ

    607年に遣隋使けんずいしとして隋ずいにわたり、隋ずいの皇帝こうてい煬帝ようだいに国書こくしょを届けました。翌年、隋ずいの使者とともに帰国きこくし、再び隋ずいへ向かいました。

    • 607年の遣隋使けんずいし。相手は隋ずいの煬帝ようだい
    • 「日出づる処の天子てんし」の国書こくしょを届けた
    • 男性である(名前でまちがえやすい)
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  • 聖徳太子(厩戸皇子)

    しょうとくたいし

    推古天皇すいこてんのうの摂政せっしょうとして、冠位十二階かんいじゅうにかいや十七条じゅうしちじょうの憲法けんぽうを定め、遣隋使けんずいしを送って天皇てんのう中心の国づくりを進めました。仏教ぶっきょうをあつく信じ、法隆寺ほうりゅうじを建てました。

    • 推古天皇すいこてんのうの摂政せっしょう。蘇我馬子そがのうまこと協力
    • 冠位十二階かんいじゅうにかい・十七条じゅうしちじょうの憲法けんぽう・遣隋使けんずいし(小野妹子おののいもこ)
    • 法隆寺ほうりゅうじを建てた。飛鳥文化あすかぶんかの中心
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  • 蘇我入鹿

    そがのいるか

    蘇我馬子そがのうまこの孫で、父の蝦夷えみしとともに天皇てんのうをしのぐ力をもちました。聖徳太子しょうとくたいしの子の山背大兄王やましろのおおえのおうをほろぼしましたが、645年に中大兄皇子なかのおおえのおうじらにたおされました。

    • 蘇我蝦夷そがのえみしの子、馬子うまこの孫
    • 645年に中大兄皇子なかのおおえのおうじ・中臣鎌足なかとみのかまたりにたおされる(大化たいかの改新かいしんの始まり)
    • 蘇我氏そがしは稲目→馬子うまこ→蝦夷えみし→入鹿いるかの順
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  • 中臣鎌足(藤原鎌足)

    なかとみのかまたり

    中大兄皇子なかのおおえのおうじとともに蘇我氏そがしをたおし、大化たいかの改新かいしんを進めました。死ぬ直前に「藤原ふじわら」の姓をあたえられ、平安時代へいあんじだいに栄える藤原氏ふじわらしの祖となりました。

    • 中大兄皇子なかのおおえのおうじと大化たいかの改新かいしん
    • 「藤原ふじわら」の姓をもらい藤原氏ふじわらしの祖に
    • 子の藤原不比等ふじわらのふひとは大宝律令たいほうりつりょうをつくった
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  • 中大兄皇子(天智天皇)

    なかのおおえのおうじ(てんじてんのう)

    中臣鎌足なかとみのかまたりとともに蘇我氏そがしをたおし、大化たいかの改新かいしんを進めました。白村江はくすきのえの戦いに敗れたあと都みやこを近江おうみ(滋賀県しがけん)に移し、668年に即位して天智天皇てんじてんのうとなりました。

    • 中臣鎌足なかとみのかまたりと大化たいかの改新かいしん(645年)
    • 白村江はくすきのえの戦い(663年)に敗れ、都みやこを大津に移す
    • 668年に即位して天智天皇てんじてんのう。最初の全国戸籍こせき(庚午年籍)
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  • 蘇我馬子

    そがのうまこ

    仏教ぶっきょうの受け入れをめぐって物部守屋もののべのもりやをほろぼし、大きな力をもった豪族ごうぞくです。推古天皇すいこてんのうのもとで聖徳太子しょうとくたいしと協力して政治を行いました。

    • 587年に物部守屋もののべのもりやをほろぼす(仏教受け入れ派の勝利)
    • 推古天皇すいこてんのう・聖徳太子しょうとくたいしと協力
    • 孫の蘇我入鹿そがのいるかは大化たいかの改新かいしんでたおされる
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  • 推古天皇

    すいこてんのう

    日本で最初の女性の天皇てんのうです。592年に即位し、おいの聖徳太子しょうとくたいしを摂政せっしょうにして政治を任せました。

    • 日本初の女性天皇(592年即位)
    • 摂政せっしょうは聖徳太子しょうとくたいし、大臣だいじんは蘇我馬子そがのうまこ
    • 飛鳥時代あすかじだいの始まりの天皇てんのう
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  • 犬上御田鍬

    いぬがみのみたすき

    614年に最後の遣隋使けんずいし、630年に最初の遣唐使けんとうしとして中国にわたった人物です。隋ずいと唐とうの両方に使いをした唯一の人として知られます。

    • 630年の第1回遣唐使けんとうし
    • 614年には最後の遣隋使けんずいしでもあった
    • 小野妹子おののいもこ(遣隋使けんずいし)との区別
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  • 天武天皇(大海人皇子)

    てんむてんのう

    天智天皇てんじてんのうの弟です。壬申じんしんの乱らんに勝って即位し、天皇てんのうの力を強めて律令りつりょうや歴史書づくりを命じるなど、律令国家りつりょうこっかの土台を固めました。

    • 壬申じんしんの乱らん(672年)に勝って即位
    • 「天皇てんのう」の称号が使われ始めたとされる
    • 律令りつりょう・国史(のちの古事記こじき・日本書紀にほんしょき)の編さんを命じた
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  • 持統天皇

    じとうてんのう

    天智天皇てんじてんのうの娘むすめで、天武天皇てんむてんのうの皇后こうごうです。天武天皇てんむてんのうの死後に即位し、694年に日本初の本格的な都みやこである藤原京ふじわらきょうをつくりました。

    • 天武天皇てんむてんのうの皇后こうごうで、天智天皇てんじてんのうの娘むすめ
    • 694年に藤原京ふじわらきょうへ遷都せんと
    • 百人一首「春すぎて夏来にけらし…」の作者
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確認問題

答えを考えてから、問題をタップして答えと解説を確かめましょう。

  1. Q1607年に遣隋使けんずいしとして隋ずいにわたり、隋ずいの皇帝こうてい煬帝ようだいに国書こくしょを届けました。翌年、隋ずいの使者とともに帰国きこくし、再び隋ずいへ向かいました。この人物はだれでしょう。

    小野妹子おののいもこ

    607年の遣隋使けんずいし。相手は隋ずいの煬帝ようだい。

  2. Q2推古天皇すいこてんのうの摂政せっしょうとして、冠位十二階かんいじゅうにかいや十七条じゅうしちじょうの憲法けんぽうを定め、遣隋使けんずいしを送って天皇てんのう中心の国づくりを進めました。仏教ぶっきょうをあつく信じ、法隆寺ほうりゅうじを建てました。この人物はだれでしょう。

    聖徳太子しょうとくたいし(厩戸皇子うまやどのおうじ)

    用明天皇の子で、厩戸皇子うまやどのおうじともよばれます。

  3. Q3蘇我馬子そがのうまこの孫で、父の蝦夷えみしとともに天皇てんのうをしのぐ力をもちましたが、645年に中大兄皇子なかのおおえのおうじと中臣鎌足なかとみのかまたりにたおされました。この人物はだれでしょう。

    蘇我入鹿そがのいるか

    聖徳太子しょうとくたいしの子の山背大兄王やましろのおおえのおうをほろぼしましたが、645年に中大兄皇子なかのおおえのおうじらにたおされました。

  4. Q4中大兄皇子なかのおおえのおうじとともに蘇我氏そがしをたおし、大化たいかの改新かいしんを進めました。死ぬ直前に「藤原ふじわら」の姓をあたえられ、平安時代へいあんじだいに栄える藤原氏ふじわらしの祖となりました。この人物はだれでしょう。

    中臣鎌足なかとみのかまたり(藤原鎌足ふじわらのかまたり)

    覚え方: 中臣鎌足なかとみのかまたり→藤原鎌足ふじわらのかまたり。藤原氏ふじわらしの祖。子は藤原不比等ふじわらのふひと(大宝律令たいほうりつりょう)

  5. Q5中臣鎌足なかとみのかまたりとともに蘇我氏そがしをたおし、大化たいかの改新かいしんを進めました。白村江はくすきのえの戦いに敗れたあと都みやこを近江おうみ(滋賀県しがけん)に移し、668年に即位して○○となりました。この人物はだれでしょう。

    中大兄皇子なかのおおえのおうじ(天智天皇てんじてんのう)

    皇太子として長く政治を動かし、公地公民こうちこうみんの方針を打ち出しました。

飛鳥時代の一問一答でもっと解く

つぎのステップ

年代と内容は、教科書・塾教材の記述にそろえた学習用のものです。異説がある年は、年表アプリの項目の中に記しています。まちがいを見つけたらお問い合わせから教えてください。